2026年6月12日 (金)

タイ移住は成功か失敗か2

2026/06/12(タイ移住は成功か失敗か2)

会社を辞めて最初の1年ぐらいは主に成田で暮らして、たまにバンコクのホテルで暮らすという生活。

成田に居る時は朝は9時から東京12チャンネルのWBS(ワールドビジネスサテライト)を見て株の情報を仕入れて、昼は近くのボンベルタ百貨店に歩いて行くか、車でバーミヤンに行くか、成田のイオンモールに行ったり。
成田山の観光に行くとか、職業安定所に顔見せに行くとか。

たまには元の会社の同僚に連絡して夕方から西船橋に麻雀に行くとか。
麻雀の終わった時間によっては終電近くで成田に戻るか、杉並区の家に行くとか。

杉並区の家から神田まで行ってタイ関係の本を買い集めたり。
タイ大使館の領事部に行ってVISAの手続きをしたり。

たまには北杜市の家へ行って農作業に励むとか。
千葉県の大網の家に行って海を見るとか。

兎に角、これ以上は無いと思えるぐらいの呑気な生活。


バンコクに居る時は観光もしたけれど、スクンビットなどの街の探索や、周辺地域の諸施設の調査。
バンコクから地方都市への遠出は余りしなかった。
チェンマイに1回行ったぐらい。
兎に角、この頃は良く歩いた。


しかし、ある程度タイの様子が分かって来ると、次の段階として、もう少し長く居たいと思うようになった。
そこで、スクンビットの33でアパートを探した。
スクンビット33の一番奥に有るアパートを月2万バーツで借りた。
日本人の不動産屋に頼んで探してもらった。

ここからはタイに居る期間が日本に居る期間より長くなった。
この時点で形としては「移住」に近いものに成った。
(まあ、会社で言えば「転勤」というより「長期出張」みたいな感じだと思う)
(日本に戻る事を前提にタイで暮らして居る)

尚、この頃は日本のタイ大使館領事部で発行されたマルチVISAでタイに住んで居た。
(途中からマルチVISAは発行してくれなく成ったので、今は無いかもしれない)


ここでちょっと「海外移住」に関する自分の考えを言うと、一大決心をして「日本を捨てて」海外移住をするよりは、少しづつ「なし崩し的に」海外生活に慣らしていくという方が失敗する確率が少ない気がする。
海外での生活が安定するまでの数年はいつでも帰ろうと思えば日本に帰れるぐらいの状態で「移住」を始める方が、自分はいいと思う。

また、チェンライの邦人を見ているとタイに来た切り十年以上も日本に帰らないという人も結構多いし、中には1回も帰国しない方もいるようだが、そういうのはどうなのだろう。
普通は日本に知り合いや親族も居る訳だし、日本文化の知識や感覚をリセットする為にも少なくとも5年に1回ぐらいは帰国するほうがいいような気がする。

また、タイの事を殆ど調査や勉強もせずにタイに移住して来る人も居るようだが、こういうのはちょっと・・・。
少なくともタイの風習とか、日本人と違うタイ人の思考とかはある程度勉強して来たほうが良い。
また、タイで暮らす積りなら来てからでもいいから少しはタイ語の勉強もするべきだと思う。
中には、タイ語を話さない事を自慢にしている人も居るが、それは自慢すべき事ではなくて恥ずべき事だと思う。
自分の感じでは50代なら少しはタイ語を覚えられるが、60代になると難しく成る。
そういう意味では、タイへの移住を始めるなら、出来れば50代の内に・・・、仕事の関係でそれが無理なら62歳ぐらいまでには動いた方がいいと思う。

文盲というのも・・・。
普通は小学生ぐらいに成れば少しは読み書き出来るが、10年もタイに住んで居るいい大人が全く読み書き出来ないというのは・・・。
(まあ、自分も殆どタイ語の読み書きは出来ないけど)

兎に角、ちゃんと勉強してタイ社会に適応する努力は文明人としての矜持があるなら・・・。
(中にはイミグレでの手続きも人任せという方もいるが、こういうのも・・・)


話がちょっと横道にそれましたが、兎に角、アパートを借りた辺りから「移住」らしく成って来て、アパートの近くの日本食堂に集まる邦人の知り合い(ほとんど麻雀仲間)が出来たり、タイ人のちょっとした知り合いが出来たりし始めた。

この頃知り合った邦人の中には悪い人も居たけれども、それも今考えるとタイの日本人社会のあるあるだと思う。
尚、引っ越して少し落ち着いてから、アパート代を成田とバンコクで払うのは勿体ないので、成田のアパートは引き払った。

まあ、ここまででも、タイへの移住(?)は面白かったし上手く行っていたと思うが、そのあと決定的な出来事が起こった。


その内、付き合っているタイ人に子供が出来たので結婚する事に成った。
婚姻の手続や子供の出生届は日本でもタイでも正規の手続きをした。

アパートはスクンビット33からラッチャダーに引っ越した。
(近くにジャスコ(イオン)が有った)
(引っ越した後にMRTが開業して、タイ文化センター駅が近くに出来た)

更に2年ほどして、奥さんの希望でチェンライに家を建てて、そこに引っ越した。
(タイ人の女性が日本人と結婚した場合、「故郷に家を建ててそこに住む」という願望が強いらしく、このケースでチェンライに住む事に成った邦人は多い)

引っ越し先はチェンライ県でもパーン郡という更に田舎で、周りは田圃という環境だった。
都会人を自負している自分にとってはちょっと辛い環境で、最初はインターネットの回線も村に入って無かった。

この時思った事は・・・

「まあ、日本に居ても何もやる事が無く、その内人生が終わるのを待つだけ」「多分、孤独死に成るな」
「此処に居れば少なくとも娘は育っていく」「こういう人生の終わらせ方も有りかな」
「少しはこの未開の地に文明の光を届けられるかな(これは、暫くして’無理’な事が分かった)(タイ人の怠け者という性格は自分の力ではどうにもならない)」
「或いは、また転機が有って新しい道が開けるか」。

そしてこの後、この田舎にもインターネットの回線が届いて、暇なのは変わりないのでこのブログを書き始めた。
更に、今度は自分の提案に奥さんも乗ってくれて街に引っ越す事が出来た。
その後、もう1回、街の中で引っ越し(コンドミニアムから住宅団地へ)。
そして今に至る。

まあ、街に住むように成って、センタンも出来て(引っ越した時には既にセンタンは出来ていた)、生活も少し都会的に成って大分改善された。
ただし、今、ここに来て体力的に少し問題が発生したのはちょっと痛い。

タイ移住25年間の評価としては最初に思った以上に上手く行ったと思うが、1つ「思てたのと違う」というのを挙げれば奥さんの性格が・・・浪費癖とか・・・。



写真が無いのも寂しいので↓。


House
今の住処


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2026年6月10日 (水)

タイ移住は成功か失敗か

2026/06/10(タイ移住は成功か失敗か)

始めに結論を言うと、タイへの移住は成功だった、と思っている。

一般的に考えると海外への移住は大きな決断を要するものだと思うが、自分の場合はタイへの移住という事自体はそれ程大きな決断をしたものでは無い。
タイへの移住を決断したのはいつか、というのは自分の中でもハッキリしない問題で、48歳の時にタイに旅行で来てから53歳の時に子供が出来てタイ人と結婚するまでに、少しずつタイ移住を考える様に成った。

実は今でも、自分はタイに移住したのかどうかハッキリしない。
自分の本拠地は日本の東京でタイ・チェンライは仮住まい、という気がしないでもない。

今でも、住民票は杉並区に置いて有る。
ただ、これに関しては(来年?から実施される)日本の搾取的な税制改革(75歳以上の高齢者を狙い撃ちにした健康保険制度の改正)も有って、日本転出&タイ転入も考えている。
まあ、滞在日数的にはタイの方がメインなので、タイへの転入が妥当なのかもしれない。

チェンライの邦人には潔くキッパリと退路を断ってタイに移住した人が多いが、自分は25年経った今でも日本を引きずっている。


自分がタイに来るようになった経緯をざっと説明すると、最初にタイに来たのは48歳の時に旅行で。
当時在籍していた会社で25年勤続の社員に対してリフレッシュ休暇という制度が出来た。
10日間の連続した休暇と10万円(だったと思う)の援助をするので、何かそういう目的に沿った事をしなさい、という趣旨だったと思う。
そこで、周りにたまたまタイ好きの先輩社員が居たので一緒にタイに連れて来てもらった(もう一人一緒に来て3人で旅行)。

この時はバンコクとチェンマイの観光をした。
これがメッチャ面白かった。

こんな所で面白可笑しく暮らすのもいいかもと思った。
ちょうど、この頃FIRE(Finanncial Independence , Retire Early)の基盤が整いつつあった。
(株が結構儲かっていた)
ただし、この時は「FIRE」という言葉も知らなかったし、明確に早期退職を意識した分けでは無い。

それから1年半ほどして、今度は早期退職制度というのが出来るらしいという噂が聞こえて来た。
50歳の時に辞めると退職金が上乗せされるという話。
そこで考えた。
会社自体は面白いが、このまま居ても55歳で定年に成る。
再雇用で延長出来たとしても60歳(ぐらい)まで。
その後、何も残らない。

ならばいっその事、会社が「辞めたい人は少し優遇しますから辞めてください」と言っている「今」やめた方がいいか。
(多分この頃、会社の業績が悪くて人員削減をしたかったのだと思う)
50歳限定だから「いつ辞めるの、今でしょ」って感じで退職を考えた。
(経過処置で50歳以外も対象に成っていたかも?)

ここで考えたのは「①辞めて何をする?」「②暇で困らないか?」「③この先、経済的に大丈夫か?」という事。
①と②に関してはこのまま会社に居ても後5年か10年すれば同じ問題が生じる。
50歳の今ならまだ何か新しい事をする時間や元気があるが、55歳や60歳からでは遅いかも知れない。
第一、その5年や10年が勿体ない。

経済的には多分問題ない。

貯金もあるし、株で儲かった分の蓄えも有る。
取り敢えず、最初の1年(正確には10ヶ月)は失業保険で暮らせる。
割り増し分も含めて退職金も有る。
その内、年金だって出る。
資金不足が見えて来たら節約すればいい。節約には自信が有る。
いざとなれば働く事だって出来る。
今は自分の物では無いが家も有る。

妻子も居ない1人身なので何とかなる。

というのが経済的見通しで、むしろ一生を通して見ればお金は余る可能性が高いと思った。

問題は辞めて何をするかで、ここで海外を見てみよう、取り敢えず面白そうなタイに行って見ようと考えた。
会社に居れば後5年や10年はそこそこ無事に暮らせるが、その先、特に面白い事も無く先細りになる。
当時は両親も健在だったが、50歳を超えて独身というのも何となく肩身が狭い。
日本に居れば周囲から「変な奴」と見られているような強迫観念も有ったし、日本に居てはその状態は変わらない。
海外に出れば、独身で肩身が狭いという事も無いし、周囲の目を気にする必要が無く自由に成れば状況が変わるかもしれないとも思った。
(タイに旅行で10日間ほど居た時に、そういう感触は有った)
(タイ人のいいところは日本人に対してフレンドリーという事と、日本ほど厳格に年齢差を気にしないという事。なので20代30代の女性と普通に話が出来た)

しかし、一気に移住という事はしなかった。
色々なしがらみや束縛が取れれば、日本でも何か面白い事が見つかるかもしれないし、海外に行くとしても慎重に進めた方がいい。
最初はタイへの旅行で様子を見て、日本でもタイでも知識や経験を増やして・・・。

その頃はタイを紹介する本を読み漁ったり、タイ在住者のブログを見たり、タイ語の勉強をしたり。
(タイのスナックみたいな所に「指さし会話帳」を持って行って、「タイに○○は有るか」とかの簡単な話で結構盛り上がった)
(今ならスマホの翻訳機能を使うところだけど、当時はそういうものは無かった)
兎に角、取り敢えずタイ。
それで、「思てたのと違う」という事に成ったら、そこから他の国へ。

もしかしたら、一生、世界を周る放浪者に成るかもしれないとも思ったし、その可能性は高いかもと思った。
結局、日本で会社を定年まで勤めて退職したのと変わらないじり貧の生活に戻る可能性もあるかもと思った。

そんな事を考えながら、約1年間、タイへの旅行を10日単位ぐらいで数回続けていた。
(会社を辞めようと決意した時に住所を杉並区から空港に近い成田に一旦移した)
(確か失業保険を貰うのに、月に1度ぐらい職業安定所に顔を出す必要が有った)

以上のように自分の場合は閉塞感の打破の為に退職というのが先に有って、それは大きな決断だったけれども、海外への移住は様子を見て場合によってはそれも有る、というもので、大きな決断を伴うものでは無かった。


長くなったので、ここで一旦切ります。
以下次回。


写真が無いのも寂しいので↓。


Yayoi
昨日の夕食、チェンライ-センタン、やよい軒にて
2026/06/09 撮影

日本のやよい軒のブランドでタイの会社の運営らしい。
日系のレストランって日本の味を長く再現している会社もあるのだけど、段々タイの味に変わっていくお店も有る。
このやよい軒は割と忠実に日本の味の料理を出していて、結構好きなお店だったのだけど、この釜めしはご飯がメッチャ辛くて美味しくなかった。
かなりガッカリ。

もう暫く、来るのは止めようと思った。


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2026年6月 8日 (月)

起死回生

2026/06/08(起死回生)

ここのところ、日本でもタイでも麻雀は負けが続いて居て今日も半荘4回目まで全然ダメだった。
時刻は3時半頃。
今日は終わりにするか、もう1回やるか、という話に成って「最後、もう1回やろう」という事に成った。


  迷人  F  Y  S
1回目  +4 +41 -20 ー25
2回目 -37 +10 +48 ー21
3回目 -30  +7 +38 ー15
4回目 ー26 +24 +53 -51
4回目まで合計 ー89 +82 +119 -112


まあ、「もう1回やってもどうせ負けだろな」と思っていた。


Cyusyoku
本日の昼食、2026/06/08 12:10頃撮影

生姜焼き、コロッケ、味噌汁の和食。
タイ料理の要素が全然混じらない和食はタイではありがたい。
特にコロッケは我々の世代にとってはソウルフードみたいなもので、子供の頃、まだ美味しい物がそんなに無かった時代に子供でも買えるコロッケを買い食いする事は心が躍るものだった。
(チェンライ辺りのタイ人にとってはガイヤーン(タイ風焼き鳥)がソウルフードかな?)

兎に角、麻雀では勝てそうもないので、今日は美味しい和食を食べられた事に満足しようと思っていた。

・・・しかし・・・

最後の半荘、思わぬチャンスがやって来た。
11巡目に四暗刻単騎を聴牌った。
待ちは3萬単騎。当然闇聴。
場に3萬は1枚も出て無く、4萬は3枚出ている。
誰かが引いてくれば余って出る可能性は高い。

出れば役満。
自分はこういう時は静かに成る。

なかなか出ないが待つしかない。
13順目、場に2枚出ている東を引いて来たが残り1枚の東に賭けるより、残り3枚の3萬に賭けて静かに待つ。
誰かが3萬を暗刻っているのが心配だったが、1枚の可能性より3枚の可能性に賭けた。
14巡目、続けて東を弾いて来た。アチャ~!。
そして15巡目、見事3萬を弾いて来て4暗刻単騎自摸。役満。
これで、最後の半荘ダントツに成って、そのまま逃げ切ってトップに成り、役満にはプレミアムも付けているので最後の回は+97。

結局、今日のトータルは+8で終わったのでした。

・・・メデタシメデタシ・・・。


余談。

麻雀の方はメデタシメデタシで終わったのだけど、もう1つの趣味の株の方は、今日は日経平均が2563円のマイナス、率にして3.85%の暴落で、自分の持ち株もほぼそれに準ずるマイナスで結構悲惨な状況に成った。

まあ、暴落は仕込みの好機、チャンス到来とも考えられるので、今日の麻雀のように起死回生と成るか・・・?


ついでに。

今、奥さんが「果物の女王」と言われるマンクット(マンゴスチン)を買って来た。
(ドリアンが「果物の王」と呼ばれるらしい)


Mnk
マンクット、2026/06/08 19:00撮影

3Kg 100バーツ。
この淡い甘さは結構好き。



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