なぜ海外移住か
2024/12/07(なぜ海外移住か)
数日前に「タイと日本の2拠点生活のメリットとデメリット」という記事を書いた。
自分で書いて置いて何だが、どうも本質を外している様に感じた。
海外生活のメリットとかデメリットを言う前に、そもそも「なぜ海外移住か」という話をしなければならない。
そう感じた。
海外移住をする理由は幾つか有る。
学校を卒業して若い内、20代とか30代に海外に出るのと、50代近くかそれ以上に成って、或いは、会社を定年退職する頃に成って海外に出る、というのでは海外移住の目的は大分異なると思う。
会社から海外への転勤命令が出て海外赴任という人も居る。それも上記のケースとは移住の理由が異なる。このケースは30代40代という働き盛りの方が多い気がする。
旅行で海外に来て、そこが気に入ってしまい海外移住する事に成った人も居ると思う。
似たようなケースで転勤で海外で働いている内に其処が気に入ってしまったり、そこで現地の人との繋がりが出来てそのまま居付いてしまったという人も居る。
たまたま日本で(或いは)旅行中に海外の方との繋がりが出来て、その方の地元に(海外に)移って来たという方も居る。
身内の方(親や子供)が海外移住して、それを追うような形で海外に来たという方も意外と居る。
理由が1つでは無く、複数の要因が重なって海外移住という結果に至ったというケースも多いと思う。
移住の形で2拠点生活か海外1拠点生活かは大きな違いが有るが、それ以上に何故海外生活を選んだかという方が問題としては大きい。
「2拠点生活のメリットとデメリット」という記事を書いて居て思ったのは、メリットとデメリットを比較して海外生活(移住)を選んだ人はそれほど居ないのではないかという事。
チェンライと日本の生活で、どういうメリットが有るとかどういうデメリットが有るとかは、結果として出来たもので、移住してきた理由としてはそんなに大きな比重を占めるものでは無い。そういう人が(少なくともチェンライ在住の邦人に関しては)多い気がする。
(「2拠点生活のメリット・デメリット」と「海外移住のメリット・デメリット」とは意味が違うが敢えてそこはあやふやに話してます)
(また、海外移住と言っても、同じタイでもバンコクとチェンライでは違うし、他の国でもそれぞれの状況は違いますが、そこもあやふやに話してます)
まあ、海外移住の決断は単純なものでは無く色々な要素が絡み合って来るので、あやふやな話に成るのもご容赦ください。
そういう事で話を進めます。
ここからは、主に自分のケースおよびチェンライ在住の方のケースを念頭に話を進めます。
自分は昔から、海外に出る事に関して漠然とした憧れみたいなものが有った。
「なんでも見てやれ(?)」とか「天国に一番近い島」とか「少年ケニヤ」とか「快傑ハリマオ」とかの影響も有ったと思う。
(「何でも見てやれ」「天国に一番近い島」は読んだ事は無い)
(「何でも見てやれ」「少年ケニヤ」「快傑ハリマオ」は自分より若い世代には何の事か分からないだろうな~)
海外というとアメリカやヨーロッパのような欧米諸国を連想する方が多いと思うが、自分の場合は漠然とした南国に憧れた。
しかし、実際には普通に学校を卒業して、普通にサラリーマンに成って、普通(?)に生活していた。
海外に対する憧れは頭の片隅には有ったが、それが表面に出て来る事は無かった。
(ひとつ自信が有ったのは世界の地理に関する知識で、多分100人に1人ぐらいの知識は今でも有ると思う)
(白紙に大体の世界地図を描ける)
(観光旅行や海外赴任を除く)20代や30代で海外に出る人には、自分が若い頃に感じた「海外を放浪して見たい」という気持ちを持った人が居ると思う。
チェンライでも、たまにそれらしい人が居る。
50代以上でも、昔はそういう事を考えて居たのか?、或いは、今でもそう思っているのか?、と感じさせる人も居る。
(50代以上でもタイ以外の外国に頻繁に1人旅で出掛ける方を見ると「もしかして?」と思う)
実は自分もその範疇に少し入るが、自分の場合は大きな理由はもっと他のところに有る。
日本で50歳に近付いて独身でサラリーマンをやっている時、自分は社会から浮いているのではないか、という強迫観念みたいなものがあった。
そういう生活に息苦しさを感じていた。
日本で50・60・70にも成って1人でフラフラしているのって「変な奴」と思われそうで、肩身が狭いような感じがしていた。
(例えば、出掛けるにしても爺さん1人じゃ入り難い施設とか有るし)
会社員生活自体は面白いと思っていたがそれがいつまでも続く分けでは無い。
このまま会社員を続けていても状況は好転しない、ズルズルと歳を取って行くだけで、そのうち爺さんに成って1人に成って(自分には兄弟は居ない)(当時は健在だった両親もいずれは居なく成る)終わってしまう。
大袈裟に言うと自分の存在意義は何なのか、そんな事を考えた。
要するに、日本での生活に限界を感じていた。
その閉塞感を打破する為に会社を辞めて海外に出る事にした。
自分を全く違う環境に追い込む事によって何かが吹っ切れて新しい展開が望めるかもしれないとも思った。
(この時点では、移住もアリかなとは思っていたが、最初から移住を目指した分けでは無い)
幸い、金銭的見通しは立って居た。
今で言うFIRE(経済的独立と早期退職)だが、それを意識してやって来た分けでは無い。
独身で家に暮らして居て(その頃は両親は千葉や山梨に居る事が多かったので、ほぼ1人暮らし)お金を浪費する性格では無いし、浮いたお金を投資に回して(例えば100万円のボーナスを全額株式投資に回したり)(40代の後半の頃は会社の給料の数倍の利益が投資から得られた)比較的上手く行っていたのでFIREするのに金銭的障害は無かった。
て言うより、折角貯まったお金、生きている内に使っちゃえ、みたいな感じだった。
で、48歳の時に旅行に来て「ここ面白そうだ」と感じたタイに、50歳の時に再びやって来た。
(最初は日本中心で旅行にタイに来る感じ。その内、日本とタイにアパートを借りた2拠点生活。今はタイ中心でタイの家と日本の家の2拠点生活)
で、思った通り、タイの生活とは相性が良かったので、段々長く居るように成った。
(最初は、もし、タイと相性が合わなかったらまた他の国へ行って見ようと思っていた)
タイ人の表面的にはフレンドリーな性格と、周囲の他人に対する無関心(不干渉?)な態度が心地よかった。
(日本で感じていた「肩身が狭い」というのが無くなった)
そうこうしている内にタイ人と繋がりが出来て、彼女の希望によりバンコクからチェンライへ移る事に成って今に至った。
なので自分の場合「なぜ海外移住か」と問われれば、最大の理由は日本での閉塞感の打破の為で、何でチェンライかと問われれば、それはたまたま奥さんの出身地であった為。
自分の場合、タイは自分の意志で来たが、チェンライはそういう分けでは無い。
そこは最初から「チェンライを目指して来た」という人とは違う。
まあ、「閉塞感の打破」という点では結果的に上手く行ったと思っている。
以上、自分の場合を中心に「なぜ海外移住か」を書きましたが、次回はチェンライに移住して来た自分以外の邦人について少し追記します。
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