2024年12月 8日 (日)

なぜ海外移住か

2024/12/07(なぜ海外移住か)

数日前に「タイと日本の2拠点生活のメリットとデメリット」という記事を書いた。
自分で書いて置いて何だが、どうも本質を外している様に感じた。
海外生活のメリットとかデメリットを言う前に、そもそも「なぜ海外移住か」という話をしなければならない。
そう感じた。

海外移住をする理由は幾つか有る。

学校を卒業して若い内、20代とか30代に海外に出るのと、50代近くかそれ以上に成って、或いは、会社を定年退職する頃に成って海外に出る、というのでは海外移住の目的は大分異なると思う。
会社から海外への転勤命令が出て海外赴任という人も居る。それも上記のケースとは移住の理由が異なる。このケースは30代40代という働き盛りの方が多い気がする。

旅行で海外に来て、そこが気に入ってしまい海外移住する事に成った人も居ると思う。
似たようなケースで転勤で海外で働いている内に其処が気に入ってしまったり、そこで現地の人との繋がりが出来てそのまま居付いてしまったという人も居る。
たまたま日本で(或いは)旅行中に海外の方との繋がりが出来て、その方の地元に(海外に)移って来たという方も居る。
身内の方(親や子供)が海外移住して、それを追うような形で海外に来たという方も意外と居る。

理由が1つでは無く、複数の要因が重なって海外移住という結果に至ったというケースも多いと思う。

移住の形で2拠点生活か海外1拠点生活かは大きな違いが有るが、それ以上に何故海外生活を選んだかという方が問題としては大きい。

「2拠点生活のメリットとデメリット」という記事を書いて居て思ったのは、メリットとデメリットを比較して海外生活(移住)を選んだ人はそれほど居ないのではないかという事。
チェンライと日本の生活で、どういうメリットが有るとかどういうデメリットが有るとかは、結果として出来たもので、移住してきた理由としてはそんなに大きな比重を占めるものでは無い。そういう人が(少なくともチェンライ在住の邦人に関しては)多い気がする。
(「2拠点生活のメリット・デメリット」と「海外移住のメリット・デメリット」とは意味が違うが敢えてそこはあやふやに話してます)
(また、海外移住と言っても、同じタイでもバンコクとチェンライでは違うし、他の国でもそれぞれの状況は違いますが、そこもあやふやに話してます)

まあ、海外移住の決断は単純なものでは無く色々な要素が絡み合って来るので、あやふやな話に成るのもご容赦ください。
そういう事で話を進めます。

ここからは、主に自分のケースおよびチェンライ在住の方のケースを念頭に話を進めます。

自分は昔から、海外に出る事に関して漠然とした憧れみたいなものが有った。
「なんでも見てやれ(?)」とか「天国に一番近い島」とか「少年ケニヤ」とか「快傑ハリマオ」とかの影響も有ったと思う。
(「何でも見てやれ」「天国に一番近い島」は読んだ事は無い)
(「何でも見てやれ」「少年ケニヤ」「快傑ハリマオ」は自分より若い世代には何の事か分からないだろうな~)

海外というとアメリカやヨーロッパのような欧米諸国を連想する方が多いと思うが、自分の場合は漠然とした南国に憧れた。
しかし、実際には普通に学校を卒業して、普通にサラリーマンに成って、普通(?)に生活していた。
海外に対する憧れは頭の片隅には有ったが、それが表面に出て来る事は無かった。
(ひとつ自信が有ったのは世界の地理に関する知識で、多分100人に1人ぐらいの知識は今でも有ると思う)
(白紙に大体の世界地図を描ける)

(観光旅行や海外赴任を除く)20代や30代で海外に出る人には、自分が若い頃に感じた「海外を放浪して見たい」という気持ちを持った人が居ると思う。
チェンライでも、たまにそれらしい人が居る。
50代以上でも、昔はそういう事を考えて居たのか?、或いは、今でもそう思っているのか?、と感じさせる人も居る。
(50代以上でもタイ以外の外国に頻繁に1人旅で出掛ける方を見ると「もしかして?」と思う)
実は自分もその範疇に少し入るが、自分の場合は大きな理由はもっと他のところに有る。

日本で50歳に近付いて独身でサラリーマンをやっている時、自分は社会から浮いているのではないか、という強迫観念みたいなものがあった。
そういう生活に息苦しさを感じていた。

日本で50・60・70にも成って1人でフラフラしているのって「変な奴」と思われそうで、肩身が狭いような感じがしていた。
(例えば、出掛けるにしても爺さん1人じゃ入り難い施設とか有るし)

会社員生活自体は面白いと思っていたがそれがいつまでも続く分けでは無い。
このまま会社員を続けていても状況は好転しない、ズルズルと歳を取って行くだけで、そのうち爺さんに成って1人に成って(自分には兄弟は居ない)(当時は健在だった両親もいずれは居なく成る)終わってしまう。
大袈裟に言うと自分の存在意義は何なのか、そんな事を考えた。

要するに、日本での生活に限界を感じていた。

その閉塞感を打破する為に会社を辞めて海外に出る事にした。
自分を全く違う環境に追い込む事によって何かが吹っ切れて新しい展開が望めるかもしれないとも思った。
(この時点では、移住もアリかなとは思っていたが、最初から移住を目指した分けでは無い)

幸い、金銭的見通しは立って居た。
今で言うFIRE(経済的独立と早期退職)だが、それを意識してやって来た分けでは無い。
独身で家に暮らして居て(その頃は両親は千葉や山梨に居る事が多かったので、ほぼ1人暮らし)お金を浪費する性格では無いし、浮いたお金を投資に回して(例えば100万円のボーナスを全額株式投資に回したり)(40代の後半の頃は会社の給料の数倍の利益が投資から得られた)比較的上手く行っていたのでFIREするのに金銭的障害は無かった。
て言うより、折角貯まったお金、生きている内に使っちゃえ、みたいな感じだった。

で、48歳の時に旅行に来て「ここ面白そうだ」と感じたタイに、50歳の時に再びやって来た。
(最初は日本中心で旅行にタイに来る感じ。その内、日本とタイにアパートを借りた2拠点生活。今はタイ中心でタイの家と日本の家の2拠点生活)
で、思った通り、タイの生活とは相性が良かったので、段々長く居るように成った。
(最初は、もし、タイと相性が合わなかったらまた他の国へ行って見ようと思っていた)
タイ人の表面的にはフレンドリーな性格と、周囲の他人に対する無関心(不干渉?)な態度が心地よかった。
(日本で感じていた「肩身が狭い」というのが無くなった)
そうこうしている内にタイ人と繋がりが出来て、彼女の希望によりバンコクからチェンライへ移る事に成って今に至った。

なので自分の場合「なぜ海外移住か」と問われれば、最大の理由は日本での閉塞感の打破の為で、何でチェンライかと問われれば、それはたまたま奥さんの出身地であった為。
自分の場合、タイは自分の意志で来たが、チェンライはそういう分けでは無い。
そこは最初から「チェンライを目指して来た」という人とは違う。
まあ、「閉塞感の打破」という点では結果的に上手く行ったと思っている。

以上、自分の場合を中心に「なぜ海外移住か」を書きましたが、次回はチェンライに移住して来た自分以外の邦人について少し追記します。


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2024年12月 5日 (木)

地元食

2024/12/05(地元食)

241205e

奥さんが「ピックカイ(フライドチキン)食べるか?」と聞いて来た。
ちょっとお腹が空いて居たので「うん」。
「ソムタム(普通はパパイヤサラダ)も欲しい?」。
これも一応「うん」。

買いに行くのかと思ったら、そのままテレビを見ている。
アレ?、さっきの話は何だったのだ・・・?。

暫くしてモーターサイ(オートバイ)がやって来て家の前に止まった。
奥さんが私の所にやって来て「407バーツ」。
どうやらデリバリー業者に頼んだらしい。

400バーツを財布から取り出して、小銭を捜していたら「20バーツ、チップ」という。
デリバリー業者にチップは不要だろう、と思ったが面倒臭いので20バーツ札を奥さんに渡した。
奥さんはちょっとでもチップを渡さないと気が済まないらしい。
変な金銭感覚だ?。バ○なのか?。

241205a
デリバリーされて来た食材

おかずが4種類、カオニャオが4個。
タイ人て、食材をビニール袋に入れるのが好きだよね。


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本日の夕食(2人分)

午後4時頃なので夕食にはちょっと早いが、この後特に夕食らしいものは食べなかったので結局これが夕食と成った。
全てチェンライの田舎らしいタイ料理。
全部で407バーツ。日本円だと1800円ぐらい。
こんな物に1800円。タイの田舎料理も結構高い?。

まあ、如何にもチェンライの田舎らしいタイ料理。


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ピック・カイ(フライドチキン)

タイの田舎料理ではピック・カイとカオニャオが有れば最低限の満足は得られる。
他に、余計な不味いおかずが有るよりいい。

このチキンは美味しかった。タイのKFCのフライドチキンより美味しい。
(ていうか、不思議な事にタイのKFCのチキンは余り美味しくない)

まあ、この組み合わせに1品おかずを加えるとしたら↓。


241205e
ソムタム(ソムタム・マムアン)

これで、たんぱく質と炭水化物と野菜が揃う。

ソムタムはパパイヤサラダとか言われるが、チェンライの田舎ではパパイヤの代りにマンゴー(マムアン)が使われる事が多い。
パパイヤ(マラコー)もマンゴー(マムアン)もソムタムには青い物(未熟なもの)が使われる事が多いが、このマンゴーは既に熟し始めて(黄色く成りかけて)いて、マンゴーの甘みが少し有って美味しかった。

タイ料理を不味くしている原因のひとつは唐辛子を入れて辛過ぎる事だが、(本人曰く)奥さんはタイ人としては辛いのが苦手な方なので、このソムタムは「ピック(唐辛子)ソン(2)メット(個)」(唐辛子2個入り)と指定したらしいので、一応辛さひかえ目に成っていた(それでも自分的には辛かった)。

まあ、タイの田舎では、カオニャオ、ピックカイ(或いはガイヤーン)、にソムタムが有れば御の字。
ある意味、贅沢な食事かもしれない。


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ヤムウンセン・ムーヨー

ヤムウンセンは春雨サラダなどとも言われる。
タイ人の女性には何故かこのシラタキみたいなハルサメみたいなのが好きな人が多いみたいだ。
ムーヨーはハムみたいな物かな?。
ムー(豚)だから豚と何かの練り物か?。
そんなに美味しいとは思わないが、有れば少しは食べる。

これも、ピックソンメットと指定したらしいが、結構辛かった。


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トム・スープ・カイ

トム(煮る)・スープ・カイ(鶏)、鶏肉のスープ。
トマト、ホームデーン(赤い玉葱みたいなの)、ピックキーヌー(ネズミのうんこの唐辛子)(別にうんこではない、見た目の話)、キノコ、何かの葉っぱ、などが煮込んである。
ちょっと酸っぱくて、辛い。
これも奥さんがピックソンメットを指定したらしいがかなり辛かった。

もうタイ人て先祖代々から辛い物を食べて居るので味覚がバ○になっているのだと思う。
救いようが無い。
多分最初は腐敗防止や防虫で何でも辛くしなければ危険だったのかもしれない。

写真上の方の白いのはカオニャオで、それを指でつまんで汁につけて食べるのがタイの田舎の伝統的食べ方らしい。
そんな事をしてもご飯が美味しく成るとは思えないが・・・?。

以上、独断と偏見でチェンライの代表的な田舎料理の解説でした。


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2024年12月 4日 (水)

チェンライの邦人同士の交流

2024/12/04(チェンライの邦人同士の交流)

チェンライには日本人同士で趣味などの集まりを行うには丁度いいくらいの人数が居る。

日本人の密度が低ければ、何か趣味の会をやろうとしても人が集まらない。
逆に、日本なら余程の山奥か僻地で無い限り人は居るが、都会ではグループが(退職後とか卒業後を含めて)会社とか学校繋がりに成る事が多い。
そういう繋がりの無い人が自分が属していない会社繋がりのグループに入るとか、学校繋がりのグループに入る、という事は余り無い。

それまで見ず知らずの人が突然仲間に入るという事は余り無い。
しかしチェンライではそれまで見ず知らずの人が、ちょっとしたきっかけで何かのコミュニティに参加するという事は普通にある。

例えば、自分の場合、日本での飲み会は学校繋がりが多い、たまに、会社繋がりの飲み会もある。
麻雀は殆どが会社繋がりのメンバーだが、たまに別の繋がりでメンバーに成る方も居る。

日本でも地域の繋がりや趣味の繋がりで出来るグループもあるとは思うが、多いのは会社や学校繋がりで、その中で飲み仲間とかゲーム仲間とかが出来る。
(宗教的繋がりや、経済界・学会・政治の支援者会みたいな繋がり、地域のボランティア的な繋がりも有るとは思うが、自分には無い)
(生まれた時から住んで居れば違うかもしれないが、近隣の方とは目が合えば挨拶はするが、その程度の付き合い)


日本の場合は当然の事ながら日本人が多いので、日本人同士というだけでは繋がりは出来ないが、チェンライの場合は適当に居て、適当に少ないので日本人同士という事で珍しさ(貴重さ?)も有って地域の繋がりが出来やすい。

例えば、偶然どこかの場所(日本食堂とかマーケットとか役所とか飛行機の座席とか)で日本人らしき人を見掛けて「日本の方ですか?」と話かける事から繋がりが出来る事が有る。
(バンコクでもそういう事は有ったが、バンコクだと大して珍しい事でも無いので、「日本の方ですか?」という会話は敢えてしない事が多かった)
(自分の場合はバンコクで日本人経営のレストランで、周りで麻雀の話をしていたので「麻雀をやってるんですか?」みたいに話し掛けてからそのグループに入って、麻雀のほか、飲み会とか色々やった)
日本ではそういう事は無いし、日本人が極端に少なければそもそもそういう機会が無い。

そういう点で、チェンライには丁度いいくらいの日本人が居る。
前回の記事で「チェンライでも趣味で集まる日本人がある程度居る」と書いたのはそういう事を言いたかった。

また、チェンライには日本人会が有る。
名称はハッキリしないが取り敢えず「チェンライ日本人会」としておく。

参考までにその12月の行事は(集まり)は以下の様に成る。


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チェンライ日本人会、12月の行事

12月06日(金)、将棋の会(念の為注意、会報の1ページ目には「ガウマシム」と成ってますが今回は「作」です)
12月08日(日)、日曜雑談会
12月14日(土)、さくらプロジェクトのクリスマスパーティ(これは日本人会の行事では無いが日本人会のメンバーから案内が来ている)
12月19日(木)、ゴルフ愛好会
12月22日(日)、メーチャン/ムーガタ会(雑談会)
12月28日(土)、餅つき大会(明確に日本人会の行事としては12月はこれだけ。他は日本人会協賛みたいな感じ)

このように日本人会および日本人会関連の集会だけでもまあまあ有る。

無理に人付き合いしてもしょうがない、孤独が一番、という考え方もあるとは思うが、自分は「孤立は良くない」と思っているので日本人会はチェンライ在住の邦人(特に高齢者)にとって一定のセーフティーネットの役割を果たして居ると思う。
ただ、多分、在住者の半分も入会してないのでそれは残念に思う。

ちょっと話は逸れるが、日本人会は敷居を低くして(意味ない会費の値上げなどせずに)多くの邦人を迎え入れるようにしておくのがいいと思っている。
あとチェンライの邦人に高齢者が多いので日本人会もそうなるのはやむを得ない面も有るが、出来れば、もっと若手(一応50代以下は若手とします)が入って来ればいいと思う。


まあ、日本人会内の交流は一部だと思うが、日本人会で知り合った方などとの交流も出来て来る。

自分の場合は月に2回程、カラオケ(と言っても主に飲み会)をやっている。

麻雀はタイでは声高に言い難かったというのは有るが、2024/10/11から若干規制が緩くなって合法的に麻雀を楽しむ事が出来るように成ったらしい。
「麻雀やその他のカードゲームは日曜は12:00~24:00、その他の曜日は18:00~24:00はギャンブルとして許可される」と成ったらしい。
ギャンブルとしてやらない場合は、元々問題無いのか、というのは有るが、自分が1回バンコクで麻雀をやっていて捕まったときは、ギャンブルか否かは問われずに無条件にイミグレの警察に連れて行かれた。
(ちょっとした手続きで直ぐに解放さたが、交渉は雀荘の御主人が行ったので詳細は不明)
という事で(?)いままではメンバーを大ぴらに集めるのは問題アリ、だったかもしれないが、これからは日曜12時からに限定すれば気兼ねなく集められるように成った(らしい)。


支離滅裂に書いて来ましたが、何を言いたかったというと、チェンライには多過ぎず少な過ぎず(と言っても、もう少し多い方がいいかもしれない)適度な人数の日本人が居るので、趣味や地域のコミュニティが作り易くていい、というお話でした。

高齢の方がチェンライに来た場合、タイの文化や食べ物には馴染めなくても、日本人社会には入り易い地域だと思います。
50歳以下ぐらいの「若手」の方がもっと来るといいですが、チェンライの魅力は何かをアピールするのは中々難しいです。


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