2024年12月13日 (金)

本日の園芸

2024/12/12(本日の園芸)

午後4時頃、2ヶ月程前に移転した日本食材店、神戸屋STATION、に出掛けた。
神戸屋STATIONは空港から西へ向かう道、131号線沿いに有る。
そこで買い物を済ませた後、道路(131号線)の向こう側にブーゲンビリアらしき花が綺麗に咲いているのを見付けた。
どうやら、園芸店らしい。

ちょっと行って見た。


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園芸店の中から見た神戸屋STATION

正面の青の屋根の建物が神戸屋STATION。


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神戸屋から見えたブーゲンビリア(ピンク、クリーム色、赤)

右側に131号線が走っている。
この写真には写ってないが、更に右側に神戸屋STATIONが有る。

チェンライ全体で見ると今頃はそれ程綺麗にブーゲンビリアは咲いて無いが、此処はほぼ満開の花が咲いていた。
道路から見て目立つように何か工夫しているのだと思う。


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園芸店の中

目立つのはブーゲンビリアだが他にも色々な植木がある。


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形がクリスマスツリーみたいな見事な鉢植え



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咲き誇るブーゲンビリア

タイの花と言えば蘭が有名だが、チェンマイやチェンライではブーゲンビリアも代表的な花。
可憐な花というよりはカラフルで華やか。
自分は、タイらしい花、熱帯らしい花と感じる。嫌いじゃない。


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ミカンのような鉢植え

花ばかりでなく、こんな物も有った。
奥さんは「ミカン」と言っていたが「カラマンシー」かな?。
(Copilotで「タイの観賞用のミカンみたいな鉢植え」で検索してみた)
食べられるらしい。


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花に囲まれてご機嫌な奥さん



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「面倒臭いから写真はいいよ」と言いつつも写真を撮られる旦那さん



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本日の園芸

結局3鉢、合計900バーツを買って来ました。

多分、来年には枯れてしまうと思うけど、まあ、暫くは見れる。


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試しに食べて見た

酸っぱいミカンだった。


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2024年12月10日 (火)

なぜ海外移住か2

2024/12/10(なぜ海外移住か2)

今回はチェンライ(等)への移住を考えている方の参考に成る事を少し意識して書きます。
在住者の方は「それは違うよ」とか「なるほど納得」とか考えながら読んで頂ければ幸いです(出来ればコメント下さい)。

チェンライ以外の事は分からない(バンコクは3年程居たので少しは分かる積り)。
チェンライに関してはまあまあ分かると思うので、チェンライ在住の日本人の場合を念頭に「なぜ海外移住したか」について考えて見る。

もっとも、皆さんがどういう状況で、何を考えて此処へ来たかは20年程皆さんを見て来た事で推察は出来るが、心の深い所は分からない。
そんなに根掘り葉掘り個人の事情を聞いた事も無いし、自分の知っている範囲って多分チェンライ在住の邦人の半分にも満たない(2~3割か?)ので、それでチェンライ在住の方達は「なぜ此処に移住して来たのか」を確定的に言うのは無理が有る。
なので、「外れ」も「勘違い」もあると思います。

まず、チェンライ在住の邦人には高齢者が多いというのが大きな特徴です。
自分が知らないだけで若い人のグループもあるかもしれないが、殆どが60歳以上の方達。
50代なら数少ない若手といった感じ。
まあ、自分が73なので、知っている方というと年齢の近い方が多くなるので、自分が思っているよりは若い方が多いかも知れない。

自分は50でタイに来て、チェンライに来たのは54~5だったと思うが、その頃は同じ50代か60代ぐらいの方が多かった。
それから20年、入れ替わりは半分ぐらいは有ったが、新たに来る方も60代ぐらいの方が多くて、昔から居る方は70歳以上に成っている。
80代の方も珍しくなくなった。
要するに、今は平均年齢が上がって来て73歳の自分でも、周囲を見回すと中央値ぐらいの感じに成る。
(ここ2~3年で知り合った方は自分より少し若い方が多いので、チェンライ全体としては60代後半ぐらいが中央値か?)

兎に角、20代~50歳以下ぐらいの「若い人」は殆ど新規では来ない。

これは、チェンライでは日本人が働く場所が殆ど無い、というのが原因としては大きいと思う。
(チェンライで働いて所得を得ている人って1割ぐらい?)

日本の会社の関連会社とか、技術を持ってメーカーで働いて居る方とか、和食関係の飲食店とか、日本語教育関係の仕事をされている方とか、過去の例も含めると少しは居るがそれぞれ数名しか思い当たらない。
(こういう方達は「撤退」が早いのもひとつの特徴だと思う)
あと、宗教関係とか小規模な事業をされている方も居るが、それも少ない。
(上記の話は具体的に「誰が」というのが頭に浮かびますが、会社名や仕事内容を書くと分かってしまう事も多いと思うので具体的には書きません)

要するに、ごく一部の例外を除いて、チェンライは働き盛りの人が職を求めて来るような所では無い。
なので、移住の理由として「海外で一旗上げてやろう」的な発想で来る人は少ない。
(全く無いわけではないと思う)

ただし、タイで(チェンライで)「○○をやれば食っていく事は出来るだろう」と思って移住して来る方はたまに居る(移住して来た人の2~3割ぐらいは居るかもしれない)。
(これも具体的には書き難いが、飲食店関係だったり、農業関連だったり、何かの事業的なもの(宿泊施設とか)だったり)
しかし、これは殆ど失敗する。
(失敗とまでは行かなくても、大変な割にはメリットが少なくて、割に合わないのでチェンライには他の糧を見付けて居続けるが「事業はたたむ」という選択をする人は多い気がする)

元々、年金や移住する前の蓄えで生活できる場合を除いて、此処で稼いだ収入だけで暮らして行こうとした場合、「日本への撤退」という結果に終わる場合が多い。
(明らかに、そういうケースも知っているが、いつの間にか居なくなった人の中にはそういう方も多いように思う)
(もちろん、此処で何かの事業的なものをやって安定的に暮らして居る方も居る)

兎に角、此処は余程の「覚悟」か「見通し」が無い限り、職を求めて来る様な所では無い。
例えば、生活は日本基準で貧しいものでもいいが、ぜひとも山岳民族の人達と一緒に暮らして見たい、とか、或いはボランティアでもいいからタイの人達や山岳民族の人達の手助けをしたい、とか。
そういう「強い欲求」が有れば話は違う・・・。

(注)チェンライには絶対に職が無い、という話では無い。現地採用でも職に付ける事は有るようだし、親とか兄弟のような身内が何か事業をやって居ればその手伝いとか、或いはどこかから(誰かから)の紹介が有れば職に付けるというのは当然あると思う。

ただ、日本人は優秀だから後進国のタイなら何とか成る的な安易な考えでは失敗する確率は高い。


で、此処まではレアケースの話。
此処からは多数派の話。

チェンライに移住して来る方の大部分は年金やそれまでに稼いだ蓄えを持ってやってくる。
なので、年齢的には会社を定年退職する前後ぐらい(或いは、自由業等でも「もう仕事を止めてもいいか」と思えるぐらい)の60代ぐらいが多い。

年金を銀行間送金でタイの銀行に振り込んで貰っている方が殆どだと思う。
それで足りない時に、蓄えて有ったお金で補う。
そういう方が殆ど(多分9割ぐらい?)。
(年金が無い人も2割ぐらいは居るのかな?、皆さんの懐事情までは詳しく聞かないので推測)

で、チェンライに来る一番の動機だが、自分の考えでは日本で行き詰って此処に来る、という方が多い気がする。
そういう事は殆どの人は言わないが、そうでもない限りわざわざ不便なこんな所に来る分けがない。
(この考えは、多くのチェンライ在住の邦人には否定されると思うが、多分、そういう事だと思っている)
(また、チェンライに居付いた方でも、最初からここを目指した人は少なく、色々、他の国やタイの他の地域(例えばチェンマイ)を周って見て「今は此処に定住している」という方が多い。フェーンの出身地という事で此処に来た方も多い)

あと「行き詰まった」と言っても程度が有る。
別に日本に居られないという事は無いが、このまま日本で暮らしても面白い事(或いは、いい事)はそれほど無さそう。
海外に出れば面白い事が有るかもしれない。
だったら思い切って海外に出て「環境を変えて見よう」とか「新しい自分を見付けて見よう」とか「視野を広げて見よう」と思って来る方が多い。
そういう場合は取り敢えず旅行で来てみて、段々地元の方(在留の邦人やフェーン(説明は後述)候補)との繋がりが出来て来て、移住に至るという方も多い。

最初に日本での生活に行き詰まり、閉塞感を感じていて。

① じゃあ物価の安いタイへ行こうか、タイでもバンコクやチェンマイよりはチェンライの方が物価が安いからチェンライに行こうか、とか。
(物価が安い、から系)

② タイの方が気候がいいし、なかでもチェンライは田舎でのんびりしていて、暮らしやすそうだとか。
(のんびりしたい、から系)(自然が有る、から系)(田舎が好きだ、から系)

③ 外国の生活を経験して視野を広げようとか、タイを拠点にアジアの国々を巡ってみようとか、自分を違う環境に置いて隠れている能力を引き出して見たいとか、山岳民族の生活を研究(?)して見ようとか。
(視野を広げたい、から系)

④ 本心は分からないが、タイは料理が美味しいからと言う人も稀に居るかもしれないが、これは嘘か味覚の分からない人だと思う。
(食べ物が美味しい、から系)

など、色々、後づけの理由(そもそもの動機は、日本で行き詰った、というのが根本原因である事を直視せずに)を考えてチェンライへやって来る。

⑤ だから日本の色々な束縛から逃れる為、という方も居ると思う。
(もっとハッキリ、借金から逃れる為とか、怖い人から逃れる為、なんてのも有るかもしれない)

⑥ で、実は多いと思うのは、タイで或いはチェンライで自分の居場所を作る為に来た、というのが有る。
チェンライに居る邦人(自分も含めて50代~80代の高齢の男性、これがチェンライの日本人の多数派)にはタイ人の奥様を持って居る方が非常に多い。
(籍は必ずしも入れなくて、実質的な奥様である場合も含む=タイ語では籍の有る無しに拘わらずフェーンと言う)
自分の周りにはこういう方が多い。
(7~8割ぐらいはタイ人のフェーンを持って居ると思う)
(残りの人は、今は1人でも、フェーンを意識的、あるいは、漠然と探している人が2割ぐらいは居ると思う)
(チェンライの場合、流動性が大きいので、一時期フェーンが居ても関係が希薄に成っているとか、別れて間もなく新しい方を見付ける、という方も多い)

なので、奥様がタイ人の場合、そもそもの根本的な原因は日本での行き詰まり(もう一度念を押すと、「行き詰まり」と言っても「程度の差」は有ります)だが、直接的にはこれが(タイ人のフェーンが)目的でタイに移って来たというケースが多い。
(タイでフェーンを見付けたのでなく、日本に居るタイ人と一緒になって、彼女の地元のチェンライに来たという方は少し事情が違うかもしれない)
(また、仕事の関係でタイや東南アジアや中国に居て、ある程度の年齢に成った時に日本では無くタイ移住を選択したという方も割と居る)

チェンライ在住の多くの邦人は日本で閉塞感を持っていた、という話は否定するかもしれないが、自分がそう感じる理由として、タイ人のフェーンが居る方も居ない方も、タイに移って来る前には日本に日本人の奥様が居た方が大部分であり、それは大きなストレスと成っていたのではないかと推察される。
(日本人の奥様だけでなく、他の家族とのストレスを抱えていた方も居るかもしれない)

中には自分の様に日本に配偶者が居なかったり、奥様と死別された方も居るが、それはそれでストレスが有ったと思う。
(逆に言うと、上手く行っている家族が日本に有る場合、普通はチェンライになど来ない。稀に、日本人の奥様を連れて来る方も居るが、その理由は書き難い)

なので、「日本でのしがらみを一旦クリアして(一応)自由の大地、チェンライに来た」というのが「なぜ海外移住か」それが「なぜタイか」「なぜチェンライか」の回答としては一番真実に近いものではないかと思う。
(あくまで、多数派の話です)

まあ、「なぜチェンライか」の理由を聞けば①~③を挙げる人が多いと思うが、その裏(?)には「日本での閉塞感」「居場所が無い」みたいなものが有った人が多い気がする。
(大体、日本で上手く行ってれば、いい歳に成ってチェンライなどという僻地に来るより、日本で暮らした方がいいと思う)
(しかし、実際に来てみると、住んでみると、チェンライにもいい面は沢山あります)


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チェンライのガウマシム1(日本人の配偶者を持つタイ人の奥様がされている食堂)
2024/12/08


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チェンライのガウマシム2、2024/12/08

この日は日本人会の会員を中心(会員以外の方も居た、そこは、来る人拒まず)に行われた懇親会で、テーブル2つに17人ぐらいが参加した。
写真には写ってないがタイ人の奥様も数人来ていた。
平均年齢71~2ぐらいだと思う。


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「作」で行われたカラオケ会(飲み会?)2024/12/09

8~9人が参加。此処は平均年齢74~5ぐらい。
今月誕生日の方が2人居たのでみんなで(一応) ♪ ハッピーバースデー トゥー ユー ♬。

いい歳して誕生日祝いなんて・・・と思うがこのセッティングは(多分)タイ人の奥様がやってくれたもの。
タイ人ってこういうの好きなんだよね~~~。



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2024年12月 8日 (日)

なぜ海外移住か

2024/12/07(なぜ海外移住か)

数日前に「タイと日本の2拠点生活のメリットとデメリット」という記事を書いた。
自分で書いて置いて何だが、どうも本質を外している様に感じた。
海外生活のメリットとかデメリットを言う前に、そもそも「なぜ海外移住か」という話をしなければならない。
そう感じた。

海外移住をする理由は幾つか有る。

学校を卒業して若い内、20代とか30代に海外に出るのと、50代近くかそれ以上に成って、或いは、会社を定年退職する頃に成って海外に出る、というのでは海外移住の目的は大分異なると思う。
会社から海外への転勤命令が出て海外赴任という人も居る。それも上記のケースとは移住の理由が異なる。このケースは30代40代という働き盛りの方が多い気がする。

旅行で海外に来て、そこが気に入ってしまい海外移住する事に成った人も居ると思う。
似たようなケースで転勤で海外で働いている内に其処が気に入ってしまったり、そこで現地の人との繋がりが出来てそのまま居付いてしまったという人も居る。
たまたま日本で(或いは)旅行中に海外の方との繋がりが出来て、その方の地元に(海外に)移って来たという方も居る。
身内の方(親や子供)が海外移住して、それを追うような形で海外に来たという方も意外と居る。

理由が1つでは無く、複数の要因が重なって海外移住という結果に至ったというケースも多いと思う。

移住の形で2拠点生活か海外1拠点生活かは大きな違いが有るが、それ以上に何故海外生活を選んだかという方が問題としては大きい。

「2拠点生活のメリットとデメリット」という記事を書いて居て思ったのは、メリットとデメリットを比較して海外生活(移住)を選んだ人はそれほど居ないのではないかという事。
チェンライと日本の生活で、どういうメリットが有るとかどういうデメリットが有るとかは、結果として出来たもので、移住してきた理由としてはそんなに大きな比重を占めるものでは無い。そういう人が(少なくともチェンライ在住の邦人に関しては)多い気がする。
(「2拠点生活のメリット・デメリット」と「海外移住のメリット・デメリット」とは意味が違うが敢えてそこはあやふやに話してます)
(また、海外移住と言っても、同じタイでもバンコクとチェンライでは違うし、他の国でもそれぞれの状況は違いますが、そこもあやふやに話してます)

まあ、海外移住の決断は単純なものでは無く色々な要素が絡み合って来るので、あやふやな話に成るのもご容赦ください。
そういう事で話を進めます。

ここからは、主に自分のケースおよびチェンライ在住の方のケースを念頭に話を進めます。

自分は昔から、海外に出る事に関して漠然とした憧れみたいなものが有った。
「なんでも見てやれ(?)」とか「天国に一番近い島」とか「少年ケニヤ」とか「快傑ハリマオ」とかの影響も有ったと思う。
(「何でも見てやれ」「天国に一番近い島」は読んだ事は無い)
(「何でも見てやれ」「少年ケニヤ」「快傑ハリマオ」は自分より若い世代には何の事か分からないだろうな~)

海外というとアメリカやヨーロッパのような欧米諸国を連想する方が多いと思うが、自分の場合は漠然とした南国に憧れた。
しかし、実際には普通に学校を卒業して、普通にサラリーマンに成って、普通(?)に生活していた。
海外に対する憧れは頭の片隅には有ったが、それが表面に出て来る事は無かった。
(ひとつ自信が有ったのは世界の地理に関する知識で、多分100人に1人ぐらいの知識は今でも有ると思う)
(白紙に大体の世界地図を描ける)

(観光旅行や海外赴任を除く)20代や30代で海外に出る人には、自分が若い頃に感じた「海外を放浪して見たい」という気持ちを持った人が居ると思う。
チェンライでも、たまにそれらしい人が居る。
50代以上でも、昔はそういう事を考えて居たのか?、或いは、今でもそう思っているのか?、と感じさせる人も居る。
(50代以上でもタイ以外の外国に頻繁に1人旅で出掛ける方を見ると「もしかして?」と思う)
実は自分もその範疇に少し入るが、自分の場合は大きな理由はもっと他のところに有る。

日本で50歳に近付いて独身でサラリーマンをやっている時、自分は社会から浮いているのではないか、という強迫観念みたいなものがあった。
そういう生活に息苦しさを感じていた。

日本で50・60・70にも成って1人でフラフラしているのって「変な奴」と思われそうで、肩身が狭いような感じがしていた。
(例えば、出掛けるにしても爺さん1人じゃ入り難い施設とか有るし)

会社員生活自体は面白いと思っていたがそれがいつまでも続く分けでは無い。
このまま会社員を続けていても状況は好転しない、ズルズルと歳を取って行くだけで、そのうち爺さんに成って1人に成って(自分には兄弟は居ない)(当時は健在だった両親もいずれは居なく成る)終わってしまう。
大袈裟に言うと自分の存在意義は何なのか、そんな事を考えた。

要するに、日本での生活に限界を感じていた。

その閉塞感を打破する為に会社を辞めて海外に出る事にした。
自分を全く違う環境に追い込む事によって何かが吹っ切れて新しい展開が望めるかもしれないとも思った。
(この時点では、移住もアリかなとは思っていたが、最初から移住を目指した分けでは無い)

幸い、金銭的見通しは立って居た。
今で言うFIRE(経済的独立と早期退職)だが、それを意識してやって来た分けでは無い。
独身で家に暮らして居て(その頃は両親は千葉や山梨に居る事が多かったので、ほぼ1人暮らし)お金を浪費する性格では無いし、浮いたお金を投資に回して(例えば100万円のボーナスを全額株式投資に回したり)(40代の後半の頃は会社の給料の数倍の利益が投資から得られた)比較的上手く行っていたのでFIREするのに金銭的障害は無かった。
て言うより、折角貯まったお金、生きている内に使っちゃえ、みたいな感じだった。

で、48歳の時に旅行に来て「ここ面白そうだ」と感じたタイに、50歳の時に再びやって来た。
(最初は日本中心で旅行にタイに来る感じ。その内、日本とタイにアパートを借りた2拠点生活。今はタイ中心でタイの家と日本の家の2拠点生活)
で、思った通り、タイの生活とは相性が良かったので、段々長く居るように成った。
(最初は、もし、タイと相性が合わなかったらまた他の国へ行って見ようと思っていた)
タイ人の表面的にはフレンドリーな性格と、周囲の他人に対する無関心(不干渉?)な態度が心地よかった。
(日本で感じていた「肩身が狭い」というのが無くなった)
そうこうしている内にタイ人と繋がりが出来て、彼女の希望によりバンコクからチェンライへ移る事に成って今に至った。

なので自分の場合「なぜ海外移住か」と問われれば、最大の理由は日本での閉塞感の打破の為で、何でチェンライかと問われれば、それはたまたま奥さんの出身地であった為。
自分の場合、タイは自分の意志で来たが、チェンライはそういう分けでは無い。
そこは最初から「チェンライを目指して来た」という人とは違う。
まあ、「閉塞感の打破」という点では結果的に上手く行ったと思っている。

以上、自分の場合を中心に「なぜ海外移住か」を書きましたが、次回はチェンライに移住して来た自分以外の邦人について少し追記します。


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