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2012年9月11日 (火)

麻雀(名人、迷人、酩人)

今回は趣向を変えて麻雀の話です。
麻雀を知らない方は読んでも分からないと思いますので、今回は飛ばして下さい。

麻雀を初めて覚えたのは18歳の時、それから61歳になる今まで43年間ほぼ欠かさずにやって来た。
自分が趣味と言える唯一のものかも知れない(最近では、このブログの作成も趣味になりつつありますが、此れは何時まで続くか分からない)。
このブログのハンドルネームに使っている、「迷人」というのも日本の麻雀仲間が付けてくれたもので本来は、「名人」なのだけれども、時たま(と言うか、しょっちゅう?)変な事をやるので、いつの間にか、「迷人」で定着してしまった。
でも、この呼び名が付けられた当時は結構強くて、「名人」でも良かったのだけれども、最近(5年ぐらい前から)はちょっと弱く成って来て、本当の「迷人」に成ってしまった。

長いことやっていると、ちょっと有り得ない様な事も結構ある。
まず、その中からチョンボの話し。

自分が一番印象に残っているチョンボは、多牌(ターハイ)。
と言っても、1牌多い多牌とかは割とよくあるが、自分のやった多牌は2牌多い、多牌。
親のとき、配牌の最後にチョンチョンをするが、そのチョンチョンをせずに4牌持って来てしまった。
通常、親は配牌で14牌から1牌切り出すが、2牌多いので16牌から1牌切った事に成る。この時点ではまだ多牌に気が付いていなかった。
しかし、通常13牌の手持ちのところ15牌ある訳で、流石に直ぐに気が付いた。
自分たちのやり方は多牌は、即チョン、だけれども自己申告の義務は無いので、黙っていても良い。
一度やって見ると分かると思いますが(別に、やりたくは無いか?)、1牌多いだけでも並べた牌を長く感じるのに、2牌多いのだから物凄く長く感じる。
どう形容したら良いか分からないが、とにかく長い。目の前に「万里の長城が並んでいる」という感じかな?。
しかし、しょうがないので、平静を装って進めた。
内心は可笑しくてしょうがない。こんなに長いのだからその内バレるだろうな~、と思いつつ、ドキドキしながら進めた。
しかし、結局流局になり、終わった後で、「実は今、2牌多牌していたんだよ」と話したら、自分の下家が、「知ってた、自分も多牌していたので、言えなっかた」と返して来た。
親がチョンチョンをせずに4牌持って行ったので、南家がチョンチョンをしていたのでした(南家は1牌多い多牌)。
結局2人が多牌でドキドキしながら行われたこの局は、結果的に何事も無く(?)流局した。
この時は、たぶん相当に酔っ払っていたのだと思う (これを「酩人」と言うのかな?)。
(それにしても、南家は最初の1牌目を積もる時に気が付かなかったのか?。南家も酔っ払いだったのか?)

学生の頃やっていたルールで、裸単騎と言う役がある。
基本的に完全先付けのルールだったので、泣き方(チーorポン)を間違えると上がりにくくなる、その救済という訳ではないけれども、4回泣いて(チーorポンして)単騎待ちになると、それで1翻付き、上がり役と成る。
なので、割と裸単騎の待ちに成る事があった。
ある時、裸単騎になった人がいて、その牌を伏せていたのだが、自分が、この牌を山の牌と勘違いして積もって来てしまった。
流石に自分の牌を持って行かれた本人が直ぐに気付いたが、一瞬、手持ちの牌が全く無くなるという珍事となっていた。

次に、チョンボではないけれども、有り得ない事が起こった例。
大昔の手積みの麻雀の頃には暫くやってから、雀荘のおばちゃんが4牌ぐらい持って来るとか、白が出た瞬間に2人が同時に「ポン」するとかはよくあったが、全自動の麻雀卓に成ってからは、そういうトラブルは殆ど無くなった。
しかし、ある時、自分が3索を暗カンして、3枚を自分の方に向けたままにし、1枚だけ後ろ向きに(見えない方向に)していた。
で、積もって来た牌を盲牌(モーパイ)すると、暗カンしたハズの3索である。
「アレ?」と思い、目で確かめるがやっぱり3索である・・・ん・・・???。
ちょっとドキドキしながら、後ろ向きになっている、1枚をひっくり返して見るとやっぱり3索である。
「アレ?、アレ?・・・」。
結局5枚目の3索を引いて来たのでした。
昔の雀球じゃあるまいし。「アウト」か?。

今迄で上がった一番気持ちのいい当たり(一番高い当たりでもあった)は、4暗刻単騎。
別に、4暗刻単騎をダブル役満にしている訳ではない。
10年~8年程前にバンコクでやっていた麻雀はかなりインフレなルールで、役満は10倍満、割れ目アリ(サイコロの出目の場所が、点数の受け渡しが2倍になる)。
このルールで親の割れ目で役満を上がった。
親の満貫12000点×10倍×割れ目の2倍=24万点
ドボンは1万点、トップ賞が2万点ぐらいなので、この1回の上がりだけで、だいたい+270ぐらいに成った。
4筒が切ってあり、聴牌(テンパイ)してから、ちょっと黙聴(ダマテン)していたのだが1筒を引いて来たので、思い切って引っ掛けで「リーチ」。
一発で「ロ~ン!、4暗刻~!」。
相手の反応は始め「何をバカな事を言っているのだ」。暫くしてから「現物が有ったんだよな~」とボヤく事しきり。

因みに、自分が記憶にある一番可哀想なチョンボも4暗刻がらみ。
この時は6筒の4暗刻単騎を自分が降ったのだが、よく見ると振り聴(フリテン)でチョンボだった。
ちょっと正確な記憶は無いが、7筒の暗刻に6筒が1牌くっ付いている形で、5・8筒6筒の待ちだったと思う。5筒を振り聴していた。
役満のハズが一転してチョンボになってしまったという悲惨なお話し。
会社でやっていた頃は振り聴アリのルールが多かったのだが、始めの頃は振り聴ナシでやっていたので、その頃の話し。

長い事、麻雀をやっていて一番楽しかったのは、学生の頃(20歳前後)とバンコクに居た3~4年(50代前半)。
学生の頃は学校に行くと、校門の所に3人が待っていて、そのまま裏門から抜け出て雀荘に行くという様な生活をしていた。
(もちろん毎日じゃないですよ、普通に授業に出る日の方が多かった。でも、授業を抜け出して雀荘に行く日も結構あって、ほぼ毎日、雀荘か誰かの下宿で麻雀をしていた)
(いちご白書風に「♪授業~を抜け出して~4人で出かけた~♫」)

バンコクに居た頃は、日本食屋の2階が雀荘になって居て、ここのオヤジから朝の11時頃になると電話で呼び出される。それから深夜の0時か1時頃まで麻雀。
メンバーは途中で入れ替わったりするが、自分は大体ずっと出ずっぱり。
日本食屋なので食べ物と(酒類以外の)飲み物はフリーになる。
昼飯と夕飯と夜食をここで食べ、朝食は食べないので結局、全食、雀荘で食べる事に成る。
(飲食代は雀荘の場代に含まれているのだけれども、自分の場合は訳あって、始めの半年位は払ったが、それ以降は、場代も含めて、結果的にほぼフリーになった)
この日本食堂兼麻雀屋はスクムビットで借りていたアパートから、歩いて10分ぐらいの所にあり、ピーク時には、ほぼ毎日入り浸っていた。
(麻雀屋は殆どオヤジの趣味の様なもので、雀卓は一応3台有ったのだが自分たち以外の客は余り見た事が無かった)
知り合いの女性のお腹が大きくなり、結婚して(今の妻の事です)ラッチャダーに移り住むまで、この生活が続いた。

会社員時代は、仕事が結構忙しかったので、流石に毎日とか、長時間は出来なかったが、多い時で週3回(1回に付き4時間ぐらい)、通常は週1~2回のペースではずっとやっていた。
たまに、麻雀仲間で温泉旅行とか、会社の社員旅行とかに行くと、必ず徹夜で麻雀をした。
こういう時は帰る時間を気にせず、心おきなく出来るのが良かった。
(それでも帰る日の明け方近くになって敗けていると、負けを取り戻そうとして、結局、焦るのだが)
ある時、知り合いから、「閉店する雀荘があるので、雀卓をただで貰えるが、いらないか」、という打診があり、折角なので、いただいて、これも別の知人に頼んで車で八ヶ岳山麓にある家に運んだ。
この、ただで貰った全自動の麻雀卓は結構重宝した。
普通、家庭麻雀だと手積みが多くて、徹夜とかすると疲れて来るが、自動だとかなり違う。しかも、回転が速いので回数も多く出来る。少しでも余計にやりたい自分としては好都合であった。
友人が諏訪湖で釣ってきたワカサギのから揚げを食べ、ビールを飲みながらする麻雀は最高でした。
(今は、この雀卓も壊れてしまった。元々ただで貰った物なのだからしょうがない)

チェンライ(と言っても、町から約40km離れている)に暮らす今は、麻雀を覚えて以来、一番やらない(やれない)環境になった。
それでも、100km程離れた所まで車で行って(往復で約4時間)やったり、約5000km離れた日本(東京)へ行って(往復で約6万円)やったりしている。

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