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2013年5月の8件の記事

2013年5月29日 (水)

タイ暮らし、金を借りに来る日本人にはご用心

10年程前、まだバンコクに暮らしていた頃に、或る日本人に20万バーツ貸した事がある。
物腰の低い、とても紳士的な感じの方で、食品関係の事業をされている社長さんだった。
自分がバンコクで暮らす様に成って、1~2年経った頃の事である。
当時、バンコクで日本人の知り合いがポツポツ出来始めた中のひとりだった。
或るとき、彼が私の家(ラッチャダーのマンション)に来て、「頼みがある」と言う。「事業をやっていて、一時的に資金が不足した」「このままでは、商品の仕入れが出来ない」「売掛金があるので1ヶ月後には必ず返せるので、一時的にお金を貸して欲しい」という内容であった。
自分としては、此れから親しくお付き合いさせて頂こうと思っていた方達の仲間だったので、まさか返さない、なんて事はないだろうと思いお貸しする事にした。
本当は、ちゃんと返って来るか、少し不安はあったのだが、その時、たまたま余裕のあるお金を現金で(バーツで)持っていた事と、外国人には銀行もそう簡単にお金を貸してくれないだろうし、ここは日本人同士、助けてあげても良いのではないか、貸すといっても、一時的なもので1ヶ月もすればお金は戻って来るのだし、バンコクでの知り合いの輪を広げる為にも、20万バーツぐらいなら貸してもいい、と思った。
もし、返って来なかったら、その時は、自分が人を見る目が無かったと思って諦めよう、という事で、お貸しする事にした。
彼は、「借用書も書くし。金利もお支払いします」と言ったが、一応、借用書は貰ったけれども、「金利は要らないです、その代わり確実に返して下さい」と言って20万バーツ(当時のレートで大体60万円)を貸した。

しかし、結局このお金は返って来なかった。
20万バーツのお金が失くなったというのも痛かったが、それ以上に、心理的に辛っかたのは、彼が、その後も、のうのうと暮らして居た事で、いい車にも乗っていたし、他の仲間(?)とカラオケなどにも行って、結構お金を使っていたにも拘らず、自分には、ほんの少ししか返さなかった事である。
返済を催促すると、口調は丁寧なのだけれども、「今、金がない。~後には必ず返すから待ってくれ」との繰り返しで、それでは「車を売ってでも返してくれ」と言うと、「この車がないと商売が出来ない。しかも、この車も借金の抵当に入っているので売れない」と言う様なやり取りで埒があかない。
結局、3年間程催促し続けて、少しづつ、3万バーツ程は返って来たが、最後には1回の返済金額が100バーツになり、これでは完済までに百年以上も係る事になり、催促の手間の方が大変だし精神的な負担も大きいので、忘れる事にした。
法的手段に訴える事も考えたが、タイ国内で、日本人同士の金銭トラブルに、タイの法的手続きが可能なのかも分からなかったし、仮に出来たとしても、物凄く手間が係る割には得るものは少ないと判断したので、それはしなかった。

まあ、20万バーツ(少し戻って来たので、正確には17万バーツ)ぐらいの損失なら、株をやっていればよくある事なので、お金の事は比較的早く諦めがついたが、騙されたという心理的ダメージを払拭するのには何年もかかった(まだ、ちょっと悔しさは残っている)。
チェンライで暮らしている今、彼は自分の視界から消え去ったが、まだ生きて居るのか否か(生きて居れば67、8歳なので、まだ生きている可能性が高い)ちょっと気にはなる。
借金を踏み倒した後、何処かにトンズラしてくれた方が、自分の精神的ダメージは、余程、少なくて済んだという気がする。

元々、「自分は人を見る目がない」という事には、自信があったが、この事件は見事にそれを証明した。
最も、騙されたのは自分だけではなく、後から分かったのだが、数人の人が似た様な被害にあっていた。
始め、彼が金を借りる時に、「恥ずかしいから他の人には言わないで下さい」と言ったのは、彼の情報操作で、もしその話をすれば、自分のした事が皆にバレてしまい、次に誰かから借りる事が出来なくなる事を心配したのであろう。
しかし、皆さん、騙されても(?)暫くは彼と付き合っていた。
お金も全く返さないという訳ではなく、少しづつは返したし、小口の借金(1万バーツ)は完済した事もあるらしい。
しかし、最後は、皆で債権者集会を開き彼の家を売らせてでも、借金を回収しようという話にまでなった。
自分は、この時点では半ば諦めていたので、音頭を取った人に回収を一任したが、結局、家まで行ったがタイ人の奥さんに追い返されたらしい。
(この時、自分は既にバンコクを離れて、チェンライに越して来ていた)
自分の知っている範囲では、借金を踏み倒された人が4人、小口で返済して貰った人が1人、その他にも、ちょっと危ない筋からも借金していたらしい。借金を申し込まれたが断ったという人もいた。おそらくもっと大勢の人から借金をしていたと思われる。
それでも、暮らしていけるのがタイの不思議なところとも言える。

タイ人は、借りた金は返さない、というのはよく言われているので注意していた。
日本人を騙す日本人も居る、という事も聞いてはいたが、そんなに人を疑ってばかりいては楽しくない。多少のリスクはしょうがないと思っていたが、やはり騙されると悔しい。
タイに暮らして、10年以上にもなると、日本人同士の金銭トラブルも結構多い事が分かって来た。
タイ人との金銭トラブルも多いが、タイ人との場合は大概、奥さんや付き合っている女性が絡むが、日本人同士のトラブルは、同性の知り合い、それも騙される人よりも、先にタイに来た日本人が絡む場合が多い。
(タイ人女性とのトラブルに関しては、「タイ暮らし、タイ人嫁の金遣いにはご用心」を、ご参照下さい)
トラブルの種類としては、自分の場合の様に、借りた金を返さないとか、共同出資した事業や事業上の取引に関するトラブルとか、タイの相場を知らない日本人に土地や家を法外な値段で売りつける(基本的に日本人名義の土地の所有は出来ません)とか、結婚相手の紹介料に関するトラブル等がある。

大体、「儲け話が有るので出資しないか」、みたいな話は必ずしも詐欺ではないにしろ、殆ど、出したお金は戻ってこない、と思った方がいい。

逆に日本人で一番、安心感が持てるのは、年金をある程度以上貰っている人で、例えば、月額で10万バーツ以上(日本円で30万円以上)の年金がある人。
それより少なくても、年金の範囲内で生活していて、その範囲内でも十分に楽しめる生活スタイルを確立している人は安定感が感じられる。
こういう人達は、もちろんトラブルの加害者にはならないだろうし、被害者になる事も少ない気がする。

若干の危うさを感じるのは、年金があってもそれ以上に使っている人、少ない年金を目一杯使っている人、蓄えを取り崩して生活している人、タイで仕事や事業をして生活費を稼いでいる人達。
まあ、殆どの場合はどこかでブレーキが掛かって、過剰な出費は止まるのだろうけれども、思いもかけない様な不測の事態、例えばトラブルに巻き込まれて(一番多いのは配偶者との破綻)金銭的に行き詰まったり、トラブルに巻き込まれなくても、諸情勢の変化(為替レートの悪化や物価の上昇、ビザ要件の変更、本人の健康上の問題、資金の払底)、などによりタイでの生活が困難になる可能性もある。
また、これも殆どの人は当てはまらないと思うけれども、窮すれば鈍すで、必ずしも本人の明確な意思ではなくても、中にはトラブルの加害者の側に回る人も居るかも知れない。
(返せる積りで借りた金が、返せなくなるとか、相手に著しく不利な条件で、或いは虚偽の条件で、事業上の取引を行うとか)

何れにしても、外国で暮らすには、日本で暮らす以上に本人がしっかりし、自己責任で、資金の管理や健康の管理、その他諸々の危機管理や生活の管理をする必要がある。
邦人同士の助け合いもいいけれども、基本は自己責任である事を忘れてはならない。
(悪い人はそこに付込む)
そこさえ押えておけば、気ままなタイ生活を楽しむのも悪くないと思う。
(気まま、と言っても、完全にノー天気ではダメで、押さえるべきところは押えないといけない)


追記。

お金を貸してから2年程経ったある日、彼から電話が掛かって来て、「いい話があるから、会いたい」という。
この頃は、もうお金が返って来る事は、諦めかけていたのだが、もしかしたら、お金が出来て、借金が返って来るのかも知れない。
そう思って、期待して待ち合わせの場所に行ったのだが、彼が言うには、「いい仕事が取れそうで、餃子の自動製作機が有れば、毎月確実に利益が上がり、借金も返せる」と言う。しかし、その為には機械を買うお金が必要で、ついてはその、「前金の5万バーツだけでも貸してくれないか」という話だった。
これにはホントに頭に来た、「いったいどんだけ、バカにする気なんだ」、「自分はそんなにアホな奴だと思われていたのか」思わず殴りたくなる程の怒りを覚えた。
当然そんなもの貸す(騙し取られる)分けがない。
(盗人に追い銭)


2015/01/26(追記)

もし、知り合いから借金を申し込まれたらどうすれば良いか。
上の記事を書いた時点では、まだ、どおすれば良いか結論は得られていなかった。
しかし、今では、「基本的に貸さない」、と思う様になった。

上記の記事を書いた後、バンコクで別の知り合いから借金を申し込まれた事がある。
かなり親しい知り合い(少なくとも自分はそう思っていた)だったし、世話にも成っていた、きちんとした事業もやっていた。
しかし、それでも、貸さなかった。
その方には、自分がお金を貸して返って来なかった顛末を以前から、詳しく話していたので、それを理由に、「懲りたので、もうお金は貸さない事にしました」といって丁重にお断りした。

それ以降、交際を絶たれた。
自分が彼の事業所に行っても顔を出さなく成った。
貸していれば、暫くは交際が続いただろうが、その後はどうなっていたか分からない。
結局、この方、その後、事業所も閉鎖して(?)行方不明に成った(と言っても、きちんと行方を確認した分けではない)。

ネットの情報はいい加減なものが多いのは知って居るけれども、ちょっと調べたら、悪い書き込み(「貸した金を返さずに遁ずらされた」と言う様な書き込み)がしてあった。
(もし、事実と相違していたら、すいません。しかし、このブログの記事から個人を特定出来ないと思われるし、すでに行方不明に成って居るので、書かせて頂きました)
(それと、今思いだしたけど、8900バーツ程貸していた)

幸い、チェンライに来て8年に成るが、こちらでは借金を申し込まれた事は一度も無い。
しかし、周囲では、邦人同士の金銭トラブルもたまには有る様なので、この記事を読まれた方も注意は、した方がいい。少なくとも、どういう対応をするのか、心構えだけは持っておいた方がいいと思う。

自分の今の考えは、借金を申し込まれて断って、それで人間関係が悪く成れば、それはそれでしょうがない。
別に、相手を悪く思う(非難する)必要もないし、あくまで、自分の側の都合だと思えばいい。
借金を断っても人間関係が壊れなければ、それはそれで好ましい。

まあ、借金を頼んで来るのは普通、余程の事なので、相手のプライドを傷つけない様に、上手く断るのは、なかなか難しいだろうけれども、細心の注意を払って断っても、相手が機嫌を悪くすれば、それはそれでしょうがない、と思う様に成った。

まあ、もう少し本音を言えば、親族とか師弟関係の様な特殊な間柄を除いて、例えばタイで知りあって親しく成った程度(?)の関係では、大きなお金の貸し借りは、しない方がいいと思う。

細かいお金でも、例えば、何処かに出掛けて財布を落としたとか、そういう事情ならしょうがないけれども、今月の生活費がちょっと足りないとかの様な事なら、借金はするべきではない。
(幸い自分はこの様な借金の依頼を受けた事は無いが、チェンライでも寸借詐欺(?)の話は聞いた事がある)
自分など、「今、細かいお金が無いから、後で払う」程度の事でも、出来るだけ避けたいので、そういうケースが考えられる時は、事前に細かいお金を用意している。


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2013年5月27日 (月)

タイ人とオバケ&つき、確率、勘について

2013/05/27(ほんとかいな、お化け)

今、奥さんから聞いた話。

先日亡くなったお義父さんの車(ピックアップトラック)を家で預かっている。
この車から先程、突然、ブーブーブーという警報音が鳴りだした。
最初は、道で誰かの車が警報音を鳴らしているのかと思っていたが、音は、鳴ったり、鳴り止んだりを繰り返している。
何処で鳴って居るのか、確認に行ってみた処、お義父さんの車がブーブーと鳴っていた。
(音は一定の時間間隔で鳴ったり止んだりする設定に成っているらしい)
ちょっと前に、お義兄さんが使って、止めた時にきちんとドアを締めなかった様だ。
ドアを締め直して、鍵をかけたら音は鳴り止んだ。

暫くして、奥さんが私の部屋へ来て、「近所のオバサンが、お父さんのオバケが出たと思って、怖がっていた」と話している。
ホントかいな・・・?。
でも、この辺(の人達)ならありそうな話。
タイの田舎は、日本人なら思いも付かない様なバカな話もあって、面白い。

ちょっと解説。
タイ人は本当にお化けが居ると思っている(おバカな)人が多い。
オバチャンは車の自動警報装置の事を知らなかったので、誰も居ない車から音が出たり止まったりしていたので、(元々の所有者の)お義父さんの幽霊が居る、と思ったらしい。


似た様な話で、5年程前に、妻のお婆さんが亡くなった後に、お婆さんの家が空家になった。
お義兄さん夫婦が同じ敷地内に住んでいて、お婆さんの家の方が大きくて、全然暮らし易いと思えたが、遂にお義兄さんの家族は空家に成ったお婆さんの家へは移らなかった。
その理由の一つが、(お婆さんの?)オバケが怖いという事であった。
お婆さんの家は、古いが、昔ながらのタイ式の木造高床式の家で、失礼だけれどもお義兄さんの狭い家よりはずっと暮らし易い様に思えた。
結局、この家はつい最近取り壊されて、更地になってしまった.。


以前、あるタイ人とオバケについて話した事がある。
自分が、そんなものは居ない、と言った時に、鼻で、「フン」、と笑われた事がある。
その時、彼にとっては、オバケは疑う余地がなく実在するものである、と感じた。

最も、先進国でも、象徴としての神ではなく、実在としての神を信じている人も少なからず居る様なので、お化けの存在を信じているタイ人を笑う事は出来ない。


-------- タイ人とオバケの記事は、ここで終わりです --------

-----(ここからは、超自然的なものに対する、自分の見解です)------

自分は、合理的に説明の付かない超自然的なものは信じない。
しかし、説明が付かなくても、完全に否定出来ないものもある事は認める。例えば、UFOなどがそれで、殆どのUFO話は、作り話か、勘違いだと思っているが、かと言って絶対にないとは言い切れない。
神の実在は否定して、UFOの存在は完全には否定しない。
「その差はなんなんだ」、と問われれば、上手い返答は出来ないが、何となく作り話の様な気がするとしか言い様がない。

ついでに言うと、自分は、「つき」、なんてものも信じない。
結果として付いていた、という事はあるが、例えば麻雀をしている時に、今日は付いているから上がれるハズだとか、振らないハズだとかいう事は考えない様にしている。
「つき」ではなくメンバーの組み合わせ(打ち方の個性)が、自分の打ち方に有利に働くとか、負けが込んでいる人が、冷静な打ち方が出来ずに、更に沈んで行く事はあるので、そういう場合に、たまたま自分に「いい手」が来れば、「ついている様に感じるだけ」と思っている。
自分が勝っている時は、普段より冷静に打てるので、結果として、ついていた様に見えるという事もあると思う。
よく、「付いている席」と言う人が居るが、これは有り得ない話だと思っている。
でも、本当か嘘かは知らないが、「ついてない席だ~」とか嘆いている人が居ると、一応相槌は打っておくし、自分でも、「付いてない席だ~」と言う事はある。
ただし、本当に席による、運の違いがあると思っている人は、長い目で見れば、麻雀は勝てない人だと思っている。

勘は信じるけれども、確率は変わらないと思っている。
例えば、サイコロの目で、いくら3が出ると思っても、確率は6分の1だと思っている。
ただし、麻雀でテンパった時に、「この手は誰々が降る」という勘は結構当たる。
それは、明確に意識しなくても、或いは論理的に考えなくても、その人の日頃の打ち方や、その局の牌の流れから推測して総合的に(無意識のうちにも)判断しているのだと思っている。
勘が当たるか外れるかでいつも一番悩むのは、株をやっている時で、自分は株が上がるか下がるか、売るか買うかの判断は基本的に勘に頼っている。
(もちろん、成長率とか利益率とか、長期・中期・短期の株価の動向とかは参考にするが)
十数年程前に、「買えば必ず上がる」というのが2年間程続いた時期があって、この時は、「本当に自分は天才じゃないか」と思った事もあるが、そのあと、しっかり勘が外れて痛い目にあってもいる。
(でも、今こうしてブログなどを書いてのんびり暮らしていられるのも、その時の利益があったから)
だから、「今度の勘は当たるのか外れるのか」では何時も悩む。
まあ、株に於ける勘の効果は確率よりも若干いい程度、確率が50対50なら、勘は51対49ぐらいのものかも知れない。

2013年5月26日 (日)

ちょっとした事(2013年5月)

2013/05/26(タイで麻雀3)

またまた勝ってしまった。
これで、負けなしの3連勝。しかも全て大勝ちの完勝。
今日は、半荘7回やって4回トップ。
+150 ぐらいの勝ち(正確な数字は忘れたました)。
ちょっと本気を出し過ぎた。
あまり、むきになって勝ち過ぎるのも、大人げないので、これからはちょっと調整しようかと思っている。


2013/05/25(運動)

暑いので日中は殆ど自分の部屋にクーラーを付けて籠りきりに成っている。
ずっと家に居ると暇なので、つい間食などをしてしまうので、このままでは血糖値が上がって体を壊してしまいそう。
なので、夕方の自転車を再開した。
日が陰る頃家を出て、40分ぐらい、少し早めの速度で自転車を漕ぐ。
今日は6時20分頃から7時頃迄、少し暗くなり始めるぐらい迄、自転車に乗った。
うっすらと汗をかくくらいの運動量が丁度いい。
運動が目的なので、何処かに行く分けではなく、田んぼの中を突っ切っている2車線の道路を行ったり来たりしている。
家から1km程離れたこの道は交通量も少なく(というより、殆ど無い)、危険も少ないので、運動をするには都合がいい。
(たまに飛んで来る虫が顔にぶつかるのが唯一の難点)
運動をすると、それまで眠っていた頭と体の細胞が活性化する様で、心地がいい。
自転車の後は、家の中で、軽く体操と腕立て伏せなどをする。
(家の中はエアコンが効いているので涼しい)


2013/05/23(今日の株価、大暴落)

日本の株式市場は、15:00時に引ける(クローズする)。
日本とタイとは、2時間の時差があるので、タイに居る時は午後1時に日本市場が終わる。
ここ半年余り、安倍政権になってからの株価上昇は急激で、平日は毎日1時過ぎにはパソコンで株価を確認するのが習慣に成っていた。
今日も何となく、1時ちょっと過ぎに、株価ボードを確認すると、何か変な数字が出ている。最初は、何かの見間違いか、パソコンの誤操作かな、とも思ったのだが、やはり間違いない、株価が大暴落している。
1日で日経平均の1143円の下げはちょっと記憶にない。

今調べたら、東日本大震災の時で1015円の下げ。アメリカのサブプライムローンやリーマンショックの時でも、最大は1089円だった(ただし、この時は、大きな下げが数回あった)。

これはきっと日本で、何か大変な事件が起こったに違い無い。
地震か、もしかしたら、北朝鮮と戦争にでも成ったのか?、と思って、慌てて何が起きたのかをネットで調べたら、何の事はない、ただ単に中国の景気が悪くなるのをイギリスの調査会社が予想しただけの事だった。
(本当にそれだけの事なのか、若干、疑わしいとは思っている)

落ち着いて考えれば、昨年の終わり頃からの株価の上昇は大きかったので、このぐらいの「下げ」では大した事はない。
日経平均は率にして、7.3%の下げ、自分の持っている株に関しては、(総額で)5.7%の下げだった。
明日からの事は分からないけれども、追加購入のチャンスかも知れない。
まあ、日経平均の下げ率に比べて、自分の被害が少なかったので「良し」とする。

チェンライの田舎に居ると、「世間(世界)から取り残される」という不安をどうしても感じる。
なので、せめてネットで世界と繋がっていようという思いがあり、その一つとして、日本の株価やアメリカの株価、為替レート、金価格などは毎日チェックしている。
今は、ネットのおかげで、時々刻々、数値的なものは日本に居る時と同じ様に分かるが、やはり、田舎に暮らして居ると、感覚的なものが鈍っていく様な不安は感じている。


2013/05/23(黒蟻)

昔から体長2mmぐらいの焦げ茶色のアリは家の中の、そこら中に居たが、最近、それより大きい、体長5mmぐらいの黒いアリが異常発生(?)して、何百匹と家の中、特に風呂場や台所付近を歩き回る様に成った。
殺虫剤で殺したり、濡れ布巾で拭き取ったりしていたが限がない。
何処かに「巣」があるハズだと思って探したがなかなか見付からない。
自分の経験上、アリを排除するには「巣」を見付けて、そこに殺虫剤を流し込むのが一番早い。
そう思って、アリが行列して居る所を見付けて、それが何処から来た行列なのかを探していた。
アリの行列をずっと遡って行くと、どうやら窓の上の方の外から入って来ている。外に出てさらに遡ると、電線を伝わって来ている事が分かった。
(高くてよく見えないので、脚立を持って来た)
取り敢えずアリの行列している通路と、届く範囲の電線に殺虫剤を散布したがこれは一時しのぎに過ぎない(と思う)。
電線の先には当然電柱があり、この電柱が我が家のマンゴーの木と接触しているので、(多分)そこからアリが登って来ていると(現時点では)推測している。

今現在、アリの行列は失くなったが、時間の問題で、おそらく、また再開されるであろう。
そしたら、マンゴーの木の根元辺りでアリの「巣」を探すか、電柱に接してる部分を切るかを、しようと思っている。
(マンゴーの木の根元辺りは雑草が生えて居て、巣を探すのも大変そう)
(ま、いたちごっこ、だね)


2013/05/21(サソリを発見)

遂にサソリを見つけた。
折角タイに居るのだから、野生のサソリを1度は見たいと思っていたが、今日、遂に、サソリを発見した。
クーカム(メナムの残照)で、アンスマリンがサソリに刺されて小堀大尉が治療をするシーンを見てから、サソリを見たいとずっと思っていた。
(だだし、自分の見たアンスマリンは最新のヌーナーさんではなく、チンタラーさんのアンスマリンです)
家のベランダの下の隅っこに、何か黒い生き物が居る、最初ゴキブリかな、と思ってよく見たら、それがサソリだった。
3cmぐらいの子供の(赤ちゃんの?)サソリだったが、形は大人のサソリと同じで、大きなハサミのある2本の腕が前に伸びていた。
娘が近くに居たので遠ざけて、奥さんに「サソリ(メングポン)が居る、何か棒を持って来て」と言って逃げない様に観察していた。
奥さんが刃渡り50cm程の包丁を持って来て、哀れ、サソリの赤ちゃん(?)は原型を留めない程、ズタズタに切り刻まれてしまいました(奥さんも恐い)。
やっぱり、タイの田舎暮らしは危険がいっぱいです(またまた大袈裟)。


2013/05/21(今月の株式)

2002年に平均買単価 1652円 で買った富士通株を 2013/05/21 に 470円 で 3000株 売り。約354万円の損失。
富士通株の損失は物凄く大きい。これはほんの一部で、含み損(評価損)がまだ沢山ある。
ただし、これを売って損出しすると、損益通算で株の配当金などの税金を減額する事が出来るので(実質的には0円に)、評価損も財産だと思う事にしている。


2013/05/20(何で怒るの)

奥さんの知り合いの妹さんの結婚式に出掛けた。
車で家を出た時に何気なく、「(着くのに)どれぐらいかかるの?」と聞いたら、奥さんの機嫌が急に悪くなった。
「何で、そんな事を聞くのか?」「家の鍵でも締め忘れたのか?」などと、不機嫌そうに言っている。
自分はただ単に、ちょっと知りたかっただけなのだが。
意図が通じてないのかと思い、「15分?、20分?、30分?」「ただ単に、大体の時間を知りたいだけなのだけど?」と言うのだが、ますます奥さんの機嫌が悪くなる。
タイ人は時間や距離を正確に把握出来ないし、把握しようともしない、のは知っているが、こんな事て怒り出す程不機嫌になるのは、何か変。

数時間後、奥さんが落ち着いてから、「何でさっきは、あんなに怒ったの?」と聞いたら、「運転中だったし、行った事のない所だったので、分からなかった」と言う。
だったら、始めからそう言えばいいじゃないか。

実は、この様な、事実を正確に把握しようとする会話で、奥さんが不機嫌に成る事はよくある。
よく有るのが、「カオ ボーク ワー ~(彼が~と言った)」と奥さんが言った時に、自分が「カオ ペン クライ(彼とは誰のことですか)」、と聞き返すと正確な答えが返って来ない。これを、「誰が言ったのか?」としつこく聞くと、大概怒り出す。
もしかしたら、自分のタイ語が間違っているのかも知れないので、この謎が分かった人が居たら教えて下さい。

でも、この事は事実を出来るだけ正確に把握しようとする日本人、特に自分と、うやむやなものはうやむやなままにしておきたいタイ人、特に妻との、根本的な考え方の違いがある様な気がする。
(理由を述べて)「分からない」と言うのが嫌なのかも知れない。
でも、怒り出すよりはいいと思うのだが。
こういう処は、タイ人は難しい(もしかして、自分の奥さんだけ・・・?)。


2013/05/19(タイで麻雀2)

本日の成績、+183 の勝ち。

またまた大勝ち。
前回は冗談で、「腕の違い」と書いたが。
もしかしたら本当に「腕の違い」かも知れない。


2013/05/16(引きこもり)

暑い。
午後2時半現在、風通しの良い日陰の気温が39℃(家のベランダで計測)。
こう暑いと、何か用事でも無ければ外に出る気がしない。
ここ10日間程、色々忙しかったので、今日は朝から家のシェルターの中で(自分の部屋で)冷房をつけっぱなしにして、ごろごろして居る。
一雨来れば、ちょっと涼しく成って一息つけるのだが、もう暫く雨は降りそうもない。
そろそろ雨季に入っても、いいはずなのだが。


2013/05/12(タイで麻雀)

久しぶりにチェンライで麻雀をやった。
結果、+139 の勝ち。

タイでは久しぶりの大勝ち。
すごくついていた。
(本当は、「腕の違い」という気もするが、チェンライの麻雀仲間もこのブログを見ているので、そうは書けない)


2013/05/07(日本で麻雀)

明日、バンコクへ向かう(到着は9日)。
今日は今回の帰国での麻雀の最終戦だった。
結果は ー46 の負け。
午後7時から11時半まで4時間半で半荘10回ぐらいやった。
西船橋(千葉県)の雀荘でやって、荻窪(東京都)に着いたのが深夜1時頃。
お腹が空いたので、駅前の日高屋で、ねぎラーメンを食べて、家に着いたのが1時半。
日本に来た頃(4月の上旬)は、深夜は寒かったが、今はそれ程寒くない。
夜遊びをするにはいい季節になって来た。
今、日本を離れるのはちょっと惜しい気がするが、ま、チェンライにはチェンライでの楽しみもあるので良しとする。
何処に居ても遊ぶ事ばかり考えている今日この頃です。

まだバンコクへ行く荷造りも出来てないので、今日は早く寝る事にする(今、午前2時、全然早くないか?)。
明日はチェンライへ持って行く食材等の買い出しもしなければならないので忙しい。

バンコクに居る間はパソコンが無いし、チェンライに着いてもすぐにブログの更新は出来ないので、次回の更新はちょっと遅く成ります。
(バンコク と パソコン 発音は違うけれども、字がなんとなく似ている)

2013年5月21日 (火)

タイ人の結婚式に出席

午前中に妻が、「今日、友達の妹さんの結婚式があるので、一緒に来ないか」と聞いて来た。
タイ人の儀式には余り出ないのだが、妻の友達は知っている人だったし、最近、葬式が続いていたので、希には「祝い事もいいかな」、と思って出席をOKした。

場所は自分の家から車で15分ぐらいの所にある村で、国道からかなり奥に入る。
結婚式の行われている家は、年季の入った木造高床式の家が熱帯の樹木の中に点在している様な村(というより部落)の中にある。少し古代にタイムスリップした感じのする村である。
(自分達の村もちょっと前まではそうだったのだが、最近は昔の様なタイ式の木造高床式の家は減って来た)

結婚式の会場には、夜の7時頃着いた。
この辺では、結婚式の会場は自宅の庭。日本と違って、みんな広い庭を持っている。
一緒に行ったのは、私、妻、娘、お義母さん、妻の妹さん(旦那さんは香港人)、の5人。
妻のお兄さん夫婦とその娘さんも、少し遅れて来た。
「妻の友達の妹さん」の結婚式と考えると、随分関係の遠い人達という気がしたが、そうでもない様で、みんな知り合いの様であった。
着いた時には既に宴会が始まっていて、お客さんが百数十人来ている。
カラオケが大音量で鳴っていて、歌手がテンポの良い曲を歌っている。
実は、このカラオケは、妻の2番目のお義兄さんがやっているビジネスで、今日はお義兄さんの他に、男性歌手1人と女性歌手2人を連れて来ていた。
(お義兄さんのビジネスは出張カラオケ屋。宴会の主催者から要請があれば、車にカラオケ用具一式、大音量のスピーカーやカラフルな照明などを積んで、歌手を連れて、チェンライ近県まで出掛ける。妻に「1回いくらぐらいなの」と聞いたら、「分からない」という事であったが、さらに聞くと「3000バーツぐらいかな」と言っていたので、日本円で1回1万円ぐらいか?)
仮設のステージで、ホットパンツでスラリとした足を見せた若い女性2人がノリのいい曲を歌って踊っている。
実は、このうち1人は、お義姉さん(2番目のお義兄さんの奥さん)で、お義兄さんとは職場結婚(?)をしたらしい。
(お義姉さんといっても、自分よりも30歳以上若いです。タイ人離れした、色白の美人さんです)

宴会場にはテントが張られ、その下に赤いテーブルクロスが敷かれた机が並べられている。椅子は、プラスチック製の椅子。
(自分の家のある村も含めて、この辺の村では、儀式用の、テントや椅子、テーブル、テーブルクロスなど宴会用具一式を村として保管している)
しかし、テントの下の席は既に一杯で、新郎新婦の新居(?)のベランダに案内された。
(今日の宴会は、結婚披露宴の他に、ここの新築祝いも兼ねているらしい)
宴会では、カラオケの大音響の中、皆さんが、酒を飲んだり、何かを食べたり、雑談をしたりしている。
日本の結婚式の様に堅苦しくなく、皆さんが、テンデンバラバラ、勝手気まま(?)に楽しんでいる。
自分達が席について暫くすると、食べ物が並べられ、ビールが出て来た。
此処は、変に遠慮すると返って目立つ。主催者側に余計な気を使わせてしまうので、タイル貼りのベランダにあぐらをかいて、ビールを飲み始めた。
大根とキノコと何か(分からなかった)の煮物も美味しい。
かなり辛いひき肉の漬物の様なもの(知識がなくて、何という料理か分かりません)も、注意して、ちょっとづつ食べれば美味しい(もち米、カオニヤオに付けて食べる)。
お義姉さんの歌は相変わらず大音量で聞こえて来るが(歌は上手い)、妻はそれをものともせず友達と話し込んでいる。
タイ人の宴会に出ると、大体自分はVIP待遇になり、ビールはどんどん注がれるし、食べ物も色々勧められる。

ちょっと解説。

この辺の人達にとって、メーカーの製品を買わなければならないビールはちょっとした高級品で、一般のお客さんの飲む酒は、自分達で作った甘酒の様な密造酒が多い。
ビールが目の前に並べられるという事は宴会の主催者が気を使ってくれている、という証拠。
でも、自分はこの密造酒、甘くてちょっと好きです。口当たりがいいので油断するとベロベロに酔っ払います。

酒はそれ程強い方ではないが、今日は目出度い宴会だし(と言っても、新郎新婦は今日初めて見ただけなのだが、まあ、タイだからいいでしょ)、飲むぐらいしかする事がないので、場の雰囲気に合わせて気楽に飲ませて頂いた。
タイの人達が(自分以外全員タイ人)乾杯、乾杯と言って来る。自分が「かんぱ~い」と返すと面白がっている。
(「カンパイ」って何語だったけ?)
中には、日本で働いた経験のある人も居て、(昔の)お姉さんから、「カオ、アカイ」と言われた。

ステージの前では、踊りだす人も現れて、最初は数人、それが十数人になり数十人へと増えて行く。
タイらしく、おかまちゃんの3人組が居て、祝いの花をバックに体をくねらせて、写真撮影をしている。
生後半年ぐらいの子供を抱いたお母さん(?)がカラオケのリズムに合わせて体を揺すっているのだが、抱かれた赤ちゃんは迷惑そうな顔をしている。
こんな調子で宴会は続いていたが、10時頃、妻が帰ろうと言い出したので、そこで自分達は帰る事にした。
自分達ちが帰った時は、まだ半分以上の人が残っていた。

2013年5月18日 (土)

チェンライの果物

先日亡くなったお義父さんの家へ行って来た。
お義父さんの家は、チェンライの町の南東の方角にあり、国道1号線からだいぶ東に入り(山のある方へ入り)、かなりの田舎にある。
お義父さんは、ここの傾斜地でパイナップルを栽培していた(自分で市場で売る)。
その他にも、色々な果物を半分自家用で栽培していた。
今日は、リンチー(ライチ)とマムアン(マンゴー)、マナーオ(日本名は知らない、酢橘の様な柑橘類)カヌン(日本名は知らない)などが生っていた。
サパロット(パイナップル)は当然沢山生っていた。
折角なので写真を撮ったので、ブログに載せます。

この他、チェンライで良く栽培している果物には、マラコー(パパイヤ)、クルアィ(バナナ)、ラムヤイ、ソモー(夏みかんの様な果物)などが在ります。

リンチー(ライチ)やマムアン(マンゴー)、マラコー(パパイヤ)などは、2~3本の木が有れば、採れるシーズンには10家族ぐらいでも食べ切れない程出来る。
しかも、チェンライの田舎では、庭が1ライ(1600㎡)ぐらいある家が多く、2~3本の木がある家も多いので、シーズンには果物の木が無い家でも、貰い物で食べ切れない程の、リンチーやマムアン、マラコーなどを抱え込んでしまう事がよくある。
家にもバナナの木が有るが、ひと房生ればいっぺんに40本ぐらい出来る(市場で売っているひと房が7段重ねぐらいで出来る)のでそれだけで、家族3人では食べきらない。

果物も余り有りすぎると飽きてしまい、折角沢山(ただで)手に入るのに、上述した様な果物も、最初のうちは面白がって(有難がって)食べたけれども、今はたまにしか食べなくなった。
(でも、今日も食べたけれども、採りたての、ピンクのリンチーは美味しいです)
やっぱり自分はタイの果物よりも、ビワ、柿、巨峰、桃、梨、の様な(好きな順)日本の(?)果物の方が好きです。
(スイカも自分の最も好きな果物の一つです。これはタイにも日本にもありますが、日本の方が若干美味しいです。チェンライのマーケットでも良く売っていますが、栽培している所をまだ見た事がありません)

2013年5月13日 (月)

トッケーを捕る

午前1時、妻がトッケー(タイのトカゲ)を取ってくれと言って来た。
見に行くと、床に15cmぐらいの長さのトカゲが居て、じっとしている。
トカゲなんか取った事がないし「どおしたものか?」と考えて、近付いて見ると、サササッと小走りに逃げて行って部屋の隅で止まった。
棒で叩いて潰したら後始末が面倒くさそうだし、摘んで外に捨てる事にしよう。
しかし、トッケーがどんなものなのか知識がない。
「噛まれたら嫌だな」とか「毒は無いのか」とか色々考えたが、逆にそんな危険の有るかも知れない物を部屋の中に置いておく分けにもいかない。
(でも、見た目はそんなに凶暴な感じはしなかった、むしろ大人しそうな感じの生物だった)
一歩下がって、妻が心配そうに見ている(推測)(後ろに居る妻を見る余裕はない)。
しょうがないので、スーパーのビニール袋を手袋がわりにして、そぉ~と、そぉ~と(本当は、おっかなびっくりに)、トッケーに手を近付けて、意を決して、ムギュと掴んだ。
トッケーのおなかのグニュグニュした感触がビニール袋を通して指に伝わって来る。
どうやら捕獲は成功したようだ。
威嚇なのか、苦しくてなのかは分からないが、トッケーは大きく口を開いている。
「助けて!、お願い!」と訴えかけている様にも見える。
よく見ると、ちょっと可愛らしくて愛嬌のある顔をしていて、捨ててしまうのは勿体無い気もしたが、ベランダまで持って行って、遠くへ投げ捨てた。
もう、来るんじゃないぞ~。

後から、何でトッケーが居るのが分かったのかを妻に聞いたら「トッケー、トッケー」と鳴いていたという事であった。
(鳥も鳴かずば打たれまい)
(実は、この生物が本当にトッケーなのかという確証はない、ただ普段見かけるチンチョとは大きさも、形状も明らかに違っていた。ネットの画像でも調べて見たが、多分トッケーで間違いないと思う)
でも、此れがヘビでなくて良かった。
ヘビなら、長い棒を持って来てひっぱたいて殺すのだろうけれども、毒が有るかも知れないし、相当怖いという気がする。
都会育ちの文明人には、タイの田舎暮らしは危険が一杯です(ちょっと大袈裟)。

2013年5月12日 (日)

お義父さんのお葬式

5月9日、家族3人で、日本から夜行の便でバンコクに来た。
ホテルに着いて、一眠りしようと思っていたら、奥さん(タイ人)に、お兄さんから電話が掛かって来た。なにげなく聞いていると、お父さんが亡くなった、という様な話をしている。
電話が終わってから奥さんに確認すると、「昨日、お父さんが亡くなった」という事らしい。
突然の話で(事前に、「お義父さんの具合が悪い」と言う様な話は聞いていなかった)どうしたらいいものか迷った。
取り敢えず、急いでチェンライに戻った方が良いのでは。でも、バンコクでの用事も色々あるし、バンコク・チェンライの足は翌日の夜行バスのチケットを買ってある。
自分の用事は、後回しに出来ても、妻の用事も明日ある。
始めは妻も、明日の用事の件や購入済みのチケットの事を気にしていたが、それだとチェンライに着くのは翌々日の朝になり、ぎりぎり火葬には間に合うが、通夜には出られない。
ここはやはり今日帰るのが正解だと判断して、妻に「今日、飛行機で帰る」事を提案した。
妻も明日の用事は先に伸ばして、今日帰る事に同意した。

お兄さんからの電話で、もう一つ頼まれた事。
「香港に住む妹さんに連絡を取ってくれ」という依頼。
別に、それぐらいのお手伝いをするのはかまわないが、不思議なのは、と言うか、何考えてるんだ、と思う事は、亡くなったお義父さんの奥さん、お義父さんの息子さん達(男性3人)と私の妻と兄弟も沢山居るのに、何でその役割が外国人の自分に回って来るんだ。
亡くなったのが、昨日なのだから、「昨日のうちに連絡するのが常識だろう」と思うのだが、要は誰も外国への電話の掛け方を知らないのでした。
タイは携帯も結構普及していて、当然一族の皆さんも全員持っているが、誰も外国への電話の掛け方を知らない(ホントか?・・・ただ単にケチなだけじゃ無いのか・・・?)。
日本だって、外国への電話の掛け方を知らない人は沢山居るだろうけれども、外国に暮らす娘や妹がいれば、いざという時の為(例えば、今回の様なケース)に、電話番号の控えぐらい取って置くべきだろう。
全員は無理でも1人ぐらいは、電話番号のメモを取っている人がいてもいいと思うのだが、見事に全滅。唯一の例外が血縁のない(或る意味他人の)日本人の自分だった、という訳です(何か変)。
お亡くなりになられた時間から考えて、(日本に居た)妻の所に連絡が来ても、繋がらなかった可能性が高いが、妻のところにも昨日は連絡は来ていない。
義父が、危なく成ったのは1週間程前、という事で、その少し前に、こちらからお兄さんと連絡を取った時には、お義父さんの病気の話はなかった。
その後、容体が悪くなった時に、何も連絡が来なかったのは、香港に住む妹さんと同じ事情で、チェンライ(&バンコク)在住の一族の皆さんからは、外国に連絡出来ないという事情があったかららしい。
(香港に住む妹さんは、一族の皆さんに自分の電話番号は教えてあると言っている。妻も日本の携帯番号はお兄さんに教えたと言っているのだが)
(やっぱり、基本的にケチが原因で外国に電話しなかった、と言う疑いは晴れない)

このお義父さんは、料理を作るのが上手で、勤勉で、穏やかで、品の良さが感じられ、他の一族の人達とは一線を画していた。
お義父さんと言っても、自分の妻や他の兄弟姉妹との血縁関係はなく、そういう意味からも、一族の外辺に居る自分としは、親近感があった。
(妻の本当のお父さんは、かなり以前に他界しているので自分は知らない。今のお義父さんは2番目のお父さん)
自分達が日本へ行く時もバス乗り場まで送って頂き、その時(3月31日)は元気な様にお見受けしたが、68歳で亡くなられた。
今の時代、68歳ぐらいではまだまだ元気な人の方が多いのに、もっと長生きして欲しかったと思っている。

チェンライの空港には夜の8時頃着いた。
「タクシーで帰るからお兄さんの出迎えは要らないよ」と言っておいたのだが、「今は暇なので」という事で、お兄さんが迎えに来てくれた。
(妻の「お兄さん」といっても3人いるので、同じ人とは限らないが、細かい説明は省略)
(自分が日本へ帰る時や、日本から帰って来た時は、空港やバス停まで必ず送り迎えが来る。「いらない」と言っても来る)
お通夜もあるけれども、取り敢えず家に戻って一息つこうと思っていたのだが、妻が「また来るのは大変なので先にお通夜に寄ってから帰る」と言い出した。もう此処は妻の領域(昨日までの日本じゃない)、妻のホーム、しかも妻のお父さんの葬式なので、アウェーの自分としては口を挟む余地はない。
妻は一応、「1時間から1時間半ぐらい」と言っているが、多分深夜まで居る事に成るだろううと思いつつ、黙って妻に従う。

妻のお父さんとお母さんはクリスチャンなので、葬式もキリスト教式。教会で行われている。
(他に妻の3人のお兄さんの内、1人がクリスチャン。他の兄弟姉妹は仏教)
葬儀会場は学校かセミナー会場の様な感じで、講師(?)の演壇の方を向いて、机と椅子が並べられている。

自分達が行った時は、葬式はもう始まっていて、牧師さんらしき人が演説らしき事をしている。
今まで経験した、タイの葬式、テーブルを囲んで酒やジュースなどを飲みながら故人を偲ぶ、という形式とは大分違っている。
自分は、今迄、日本でもキリスト教式の葬式の経験はない。
まあ、タイだからそれ程うるさい作法はないだろうとは思ったが、こういう席での自分の対処の仕方、「周囲を見て、同じ様に行動し、出来るだけ目立たない様に振舞う」という原則に従って、静かに、じっとして居る様に心掛けた。
何人かの方が交代に演壇に立って、弔辞を述べている(タイ語が分からないので推測)。
その途中で歌詞カードが配られて、全員が起立して歌唱をする時間がある。
自分は歌詞カードを見ても、タイ語が読めないので分からないが、周囲に合わせて起立して一応歌詞カードを眺めていた。
大きなスピーカーからメロディーが流れて来るのだが、それに合わせて、良く通る、大きな、いい声で歌っている方が数人居た。
きっと教会での儀式で歌を唄う役割を担っている方達なのであろう。
40歳ぐらいの女性で、ひとり、本当に歌の上手い方が居たのが印象に残っている。

儀式が一段落した後、若干の食べ物が出て来た。
皆んなから、食べろ食べろと声をかけられるが、こういう時の原則、「タイでは薦められる食べ物には迂闊に手を出さない」という原則に従って、「今、お腹がいっぱいです」と言って、ひたすら遠慮する。
本当はお腹が空いていたのだが、食べて不味かったら困るし、実際、そういう事はよくある。
娘が食べていた、おかゆ、を「チムする?(味見してみる?)」と言ってスプーンでよそって来たので、味見ぐらいはいいだろうと思って、試しに一口食べてみたら、これが美味しい。
一回断った手前、もう1回下さい、というのもアレなので、結局、娘の分の半分ぐらい食べてしまい、娘が足りなくなって「おかわり」をしたので、その分も半分以上食べた。
(煮込んだイカと小エビの、おかゆ、だったと思う。美味しかった)

妻は、兄弟姉妹や他の顔見知りの人達と話し込んでいるし、このまま何時まで待たされるのか、と思っていたら、以外と早く11時ぐらいにはお開きになった。
今迄経験したタイの葬式との大きな違いの一つが、酒が出ない事で、やはり、酒が出ないと終わるのも早いらしい。


補記1(写真)

タイ人は本当に写真好きで、葬儀の途中経過など、何でも写真に残したがる。

お義父さんの遺体を移し替える儀式があって、そこを写真に取るように妻に指示されたので、いいのかな~、と思いつつ十数枚撮影した。

葬儀の途中でお義兄さんに見せられたお義父さんの生前の映像。
スマフォの画面にお義父さんが、病院でチューブに繋がれて、苦しそうにして居る。
日本人は、こういう撮影は普通しない。

火葬場で記念撮影(?)。
お義父さんの遺影をバックに、各家族毎、兄弟だけとか、牧師さんを交えてとか、色々なパターンで交代交代に写真撮影を行う。
何故か、そのカメラマン役が、うちの娘。買ったばかりのアイパッドで撮影。他の大人は自分と妻、お義兄さん達を含めて、使い方を知らない。
始め、お義兄さんが撮っていたのだが、娘が、「アンニィー ビデオォー(これは、動画だよ(写真じゃ無い)」と言って、最初の数人の分は取り直し。そこから、写真係りが娘(8歳)になった。


補記2(焼き場へ)

火葬の日に、それまでの葬儀会場(教会)から火葬場まで、遺体を車に載せて移動する。
参加者が縄を引いて行く(実際はピックアップトラックに載せて、エンジンの動力で動かしている)のだが、妻が「50mぐらいだけれども、車に乗って行ってもいいよ」と言ったが、義父の葬式なので、自分も一緒に引いて行く事にした。
しかし長い50mだった。
自分の目測では、300m程進んでもまだ着かない、ここで小さな道に曲がって入ったので、やっと着いたかと思ったら、そこからさらに同じぐらいの距離があった。
妻が、適当な事を言った分けではなく、葬儀の進行係りの誰かが言ったらしい。
他の参加者も変だと思ったらしく、「~50m~」という話をしている。
自分が妻に(他の周りの人にも聞こえる様な声で)、「これは50mじゃない、500mだ」と話しかけたら、周りの人も苦笑いしていた。
タイ人の距離感はおかしい、という事を良く聞くが、これもそのひとつかも知れない。


補記3(お土産)

前回のブログで書いた、お義父さんへのタバコのお土産、こういう事情でお義父さんには届けられませんでした。
他にも、妻がお義父さんの為に買った服(LLサイズの服)は、自分にピッタリだったので、自分が貰い、お義父さんの葬儀にも着て行きました。
自分の好みからは少し外れる柄ですが、(タイ人の)妻が選んだ服は、タイ人には「いい服」に見えた様です(妻からの、また聞き)。

2013年5月 8日 (水)

免税店

今日の夜(2013/05/08)にタイへ向かう。
タイに持って行くお土産や食材などの買い出しに出掛けたのだが、妻がちょっとした隙にいなくなった。
娘に「ママは何処に行ったの」と聞くと「タバコを買いに行った」との返事。
今日、国際線に乗ってバンコクへ向かうのに、わざわざ荻窪で高いタバコを買っていくのは馬鹿らしい。
慌てて妻を追いかけて、「空港で買えば税金が掛らないので半値ぐらいで買えるから」と言って、地元でタバコを買うのを止めさせた。
妻の話では、今までいつも、荻窪でお土産のタバコを買っていたらしい。
(昔は空港内で何でも買いたがったのだが、最近は「空港内の物は高い」というのが分かったらしく、タバコも空港内の方が高いと思っていたらしい)
しかし、万一、羽田でタバコが買えなかったらおお事である。
妻の性格からして、相当強く責任を追及される。
日本とタイの往復は今まで60~70回ぐらいしているけれども、羽田発便は今回が始めてで、出国審査後の空港内がどうなっているのか分からない。
(3年程前に羽田の国際線の便数が増加する前は、成田利用のみだった。その後、羽田利用も数回あるが、着便のみで、発便の利用は今回が始めて。安い便に拘と羽田便はなかなか取れない。今回はタイ航空の比較的値段の高い便だった)
なので、免税店が空港内に有るかちょっと心配だったので、一応ネットで免税店がある事は事前に確認しておいた。

その日の夜、羽田で出国検査を受けて出発ロビーの中に入ると、免税店も沢山有って予想以上の賑わい。
よく考えれば、羽田空港ほどの大きな国際空港に免税店が無いハズがない。
自分はタバコを吸わないし、お土産にタバコを買っていった事もあまりない(頼まれて3回程あった気がする)ので値段の事はよく分からなかったが、妻は、その安さに驚いていた。
(今ネットで調べたら、通常価格4400円の HOPE が2800円、4100円のキャスターマイルドが2500円だった。大体4割安)
妻は大雑把に「4000円の物が2000円で買えた」と喜んでいた。
(しかし、「国際線のロビーでは免税になる」という事を今まで知らなかったのが不思議だ。妻はもう10回以上、日・タイの往復をしているし、日本以外にも色々行っているのに・・・?。この辺がタイ人という事なのか、或いは我が妻だけ特別なのか・・・?。多分、後者だろうなあ~)

前にもこのブログで書いたけれども、日・タイの往復の航空運賃は大きいので、少しでもそれを取り戻そうと、日本からの食材をタイに持ち込んだりと、色々工夫をしている。
免税店の利用もその一つで、自分はタイで読むつもりの本も、一部は空港内の免税店で買っている。
空港内で買うと安いのは5%の消費税分と僅かだけれども、重い本を家から空港まで運ばなくて済むし、搭乗手続時の重量検査も気にする必要が無かったりと、色々都合がいい(良く買うのは、会社四季報などの経済誌や歴史や文化に関する本、科学雑誌など。肩の凝らない週刊誌なども買う)。

妻は、タバコを2カートン買ったが、誰かのブログで2カートンのタバコをタイに持ち込もうとしたら捕まった(?)というのを読んだ記憶があったので、「私と妻、ひとつずつ持って行こうか?」と提案しのだが、妻が「ダイジョブ」と言ったので、それ以上は言わなかった。
(もし、タイの税関でチェックされたら、関税を追加で取られるのかどうかは分からない)

後日談

色々あって、日本から買って行った2カートンのタバコですが、このお土産は渡そうと思った方には届けられませんでした。
世の中、そう予定通りには行かないものだと思いました。
その話は、また機会があれば。

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