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2013年7月の6件の記事

2013年7月29日 (月)

ちょっとした事(2013年7月)

2013/07/29

きのうは麻雀も負けたし(-11)疲れていたので、風呂も入らずに寝てしまった。
今日は、きのうからの雨がずっと降り続いていて涼しい。
26℃でも、タイだと随分涼しく感じる。
ゆっくり風呂にでも入って、日本から買って来た本でも読む事にする。


2013/07/26(カオトンマ)(ここからタイ)

今、食べたカオトンマというタイのお菓子、ちょっと美味しかったので紹介します。
大きさ・形は、お稲荷さん、の様な感じ。
中に黒豆の様な豆を入れて甘く炊いたもち米を、形を整えて上にバナナを乗せたもの。
バナナの葉っぱに包んである。
(マイフォトに写真あります)
タイでは割と普通にある、お菓子らしいが、始めて食べた。
(もしかしたら、過去にも食べた事があって、忘れただけかも知れない)
ほんのりした甘さに、バナナの酸味が程よくマッチしていて美味しい。

試しにネットで調べたら、ちゃんと載っていて(こういうところ、インターネットって凄いと思う)それによると、甘味はココナッツミルクと砂糖、塩も入れるらしい。
バナナの代わりに(バナナと一緒に?)タロイモを入れるものもあるらしい。


2013/07/21(選挙)(ここまで日本)

今日は参議院選挙の投票に行った。
特に当選させたい候補者はいなかったが、折角日本に居るのだから選挙ぐらい行ってみようか、と思って選挙に出掛けた。
なかなか、自分の考えと一致する候補者は居ないので、消去法で、こっちの候補者よりはこっちの候補者の方が良さそうという基準で投票した。
昔は、選挙結果の開票速報などを見るのが好きだったのだけれども、今はそれ程、興味がない(それでも、見ると思うけれども)。
いずれにしても、どの政党が勝っても、或いは誰が当選しても、今度の選挙に関して言えば、日本の社会や経済に与える影響は小さい気がする。
(各種の世論調査などで結果は大体見えているし)
まあ、政治の事はこのブログでは余り取り扱わない方針だけれども、ひとつだけ言えば、一票の格差の問題を早く解決しなければ、本当に日本の為になる政策は期待出来ない気がする。


2013/07/19(スイカとウナギ)

今日は吉野家で夏季限定の鰻丼を食べた。
それも最高級2枚盛り、980円。豚汁とお新香を付けて1200円。
エラそうに言う程の値段じゃないね、しかもクーポンが有るのでタダだし。
吉野家のウナギは中国産で、国産のいいウナギと比べるとちょっと味が落ちるが、それでもウナギ。
食べた時に、口の中でフワッと溶けて旨みが広がる感じがちょっと弱いが、それでもタイの中途半端な日本料理屋で食べるウナギよりは美味しい。
帰りに、喉が渇いてスイカが食べたく成ったので、マーケットで買って帰った(8分の1のスイカ、397円)。
よく考えると、この組み合わせ、食べ合わせが悪いらしい。
それでも食べたいのだからしょうがない。
B級独善グルメの自分としては、折角1人で日本に居るのだから食べたいものを食べる。
3日後にタイに戻るが、今回日本でやりたい用事は殆どやったのであと数日、日本の夏を気ままに楽しむつもり。


2013/07/17(麻雀、今月の成績)

7月8日 +107 、 7月17日 -26 、 合計 +81
今年に入って、日本では月間計で、負け知らず。


2013/07/08(関東、梅雨明け)

おととい(07/06)、関東地方は梅雨明けした。
熱帯のタイで、暮らして居る熱帯人の自分にとっては、日本の夏の暑さなんて大した事は無い・・・などという事は無い。
やはり、暑い。
関東の今年の梅雨明けは平年より15日も早いそうで、7月8日現在、もう本格的な夏の暑さに成っている。
午前11時現在の都心の気温は33.4℃。予想最高気温は35℃になるらしい。

35℃ぐらい、チェンライでは珍しくないが、同じ35℃でも日本の方が暑く感じる。
のんびり、ゆったり暮らして居るチェンライと、なんとなく気忙しい東京との差の様な気がする。
実際、チェンライで外出する時は殆ど冷房の利いた車で出掛けるが、日本だと炎天下を歩き回る事になる。
今回の帰国も色々、昼間から出掛けなければならない用事が多いので暑さを避ける事は難しい。
(チェンライだと、やりたくても出来ない事が多いので、結局、暇になるが、日本に居るとやりたい事が沢山あるので、結構忙しい)

もう一つの理由は、都会と田舎の差。
同じ気温でも、自然の多い田舎とコンクリで出来た都会では、都会の方が暑く感じる。
でもまあ、自分の場合、都会が故郷なので、暑いのは嫌だけれども、街を歩き廻るのは嫌いじゃない。

2013年7月25日 (木)

難し過ぎるぞ、宿題

3年生になる娘(日・タイのハーフ、日本の小学校での勉強経験が少し有る)が学校の宿題を聞いて来る。
算数の問題は、(文章問題以外)なら何とかなるが、今日の問題は英語の宿題。
元々、英語は大嫌いな父なので今更、英語の宿題などやりたく無いが、母親は全くお手上げ、なのでしょうがない。自分が教えるしかない。

しかし、自分が小学校3年の時は、英語など教科に無かったぞ。
娘は、タイ語とチェンライ語と日本語の他に、英語の勉強もあって、中国語まで少しあるらしいので大変だ。

で、此れがその問題の例。


ข้อใด ไม่เข้าพวก

a. doctor     b. scientist     c. spoon     d. postman


何の事だかさっぱり分からない・・・・・???!!!。

奥さんと娘に聞いて、問題の意味を推測したり。
(この問題は、コーダイ マイカオプアッ、性質の違うものを捜しなさい、という問題らしい)
英語の辞書を引いて英語の意味を調べたり。
(この問題に関しては、辞書を引かなくても分かったが、一応 postman は確認しました)
さらに、それを娘に説明しなければならない。
娘は、一応、日本語は分かるけれども、「科学者」とか「郵便配達の人」とか言っても(たぶん)分からない。
なので、説明も日本語とタイ語(と英語)でしなければならないので面倒くさい。
娘が、親の力は必要無い程優秀なら良いのだが、語学を苦手とするところは、しっかり自分の(父の)DNAを受け継いでいる様なので、困ったものだ。

中国語の勉強も少ししているらしいのだが、麻雀用語ぐらいなら教えられるのに。
(麻雀用語なら自信はあるが、でもそういう問題は無いだろうなあ~)


補足。

英語だけの問題は(日本人には)比較的分かり易い。

She works in the hospital.
She is wearing a white dress.
What is she?

a. a doctor     b. a nurse     c. a farmer     d. cook

彼女は病院で働いています。
彼女は白い服を着ています。
彼女は誰でしょう。

a. 医者    b. 看護婦  c. 農民   d. コック

此れも、娘には日本語とタイ語(と英語)で説明しなければならない。
「看護婦」のタイ語は、ど忘れ、していたので辞書で調べてから、娘に教えた。
「農民」のタイ語も良く分からなかったので、「チャオナー、チャオライ」「クン○○(お義兄さんの名前)の仕事だよ」と教えた。
(でも、白い服を着た女医さんだっているから、ドクターでも間違いとは言えなくないか?)

何か、自分が中学の頃から習った英語よりは、文法に偏ってなくて、実用的で、こっちの方が面白くて、役に立ちそう。
クイズを解く様な楽しみもあって、日本の英語教育よりタイの英語教育の方が、ここだけ見れば、優れている様な感じがする。

2013年7月18日 (木)

タイ人嫁を持つと死ぬのも大変(年金など)

ちょっと気に成る事が有ったので、日本年金機構の年金事務所に行って話を聞いて来た。
対応していただいた、担当の方の説明は非常に明快で分かり易く、役に立った。

① 妻の「国民年金保険料の納付可能期間延長のお知らせ」という書類が1年程前に届いていたので、その内容を確認した。

結論としては、妻の場合、今のルールではどうやっても受給資格が出来ないので、加入しても無駄である。
可能な限り掛け金を遡及して支払い、かつ65才まで払ったとしても、受給資格の得られる25年に1年程足りない。
ただし、消費税の増税とセットで、受給資格の得られる年数が短くなる可能性も有るので、ルールが変わればその時点で再度考える事とする。

② 自分が死んだ場合、妻(タイ人、日本でもタイでも正式に婚姻の手続きをしている)が遺族年金を受け取れるか。その為には何をすれば良いか。
結論としては、受け取れる。
ただし、(当たり前だけれども)自分が死なないと手続きは出来ないので、事前に予備申請の様な事は出来ない。
そうは言っても、自分が死んでしまってからでは何も出来ないので、「遺族年金の請求手続きをされる方へ」という説明書と「年金請求書(国民年金・厚生年金保険遺族給付)」の用紙を貰って、書き方の説明を受けて来たので、下書きくらいはして置こうかと思っている。
 

③ 自分が65才に成った時に、年金額がどのくらい増えるか。どういう手続きが必要かの確認をした。
ここで、重大な手続き漏れが発覚した(というより、60歳の時、年金の支給の申請をした時に、面倒だったので手を抜いた事があった)。
何かと言うと、妻と娘の登録をしていなかった。
妻と娘の登録をすれば、配偶者加給と加給年金額で月当たり約6万円、老齢厚生年金を多く貰える。この登録をしていなかった。
受給権者原簿(?)の訂正は出来ないのか聞いたところ、それが出来るのは60歳で受給資格が発生した時か、65歳に成って老齢年金(?)の請求をする時で、途中では出来ないらしい。
まあ、65歳に成った時に忘れずに手続きをすれば、損をする事はなさそうなので、その時に考える。
ただし、妻の登録はちょっと面倒かも知れない。
この辺の説明は、どうせ今は変更出来ないのだから、と思って詳しくは聞かなかった。
妻の無収入証明書という書類が必要らしいが、それを何処から入手すれば良いのか分からない。

①②③を通して、結論としては、やっぱり当分は死ねない。
(もうひとつ、日本の介護施設で暮らす母の後見も出来なくなる。一応、自分が先に死んだ場合、成年後見人を立てる様に手配はしてあるが、上手く機能するか不安がある。やっぱり自分が生きている方が良い)
日本語の分からない妻に遺族年金の手続きをさせるのは相当困難。
それを、事前にタイ語で説明するのも、面倒くさい。というか難しい。
事前に申請書の下書きをして置いたとしても、妻1人の力で申請は不可能(断定)。
今、考えられる方法は、自分が死んだら、この書類を○○さんに見せて、年金の請求をする様に言って置く事。○○さんの心当たりは有る(タイ語と日本語と法律の分かる人)。
あと、10年もすれば、娘が19歳ぐらいになるので、それまでに娘を教育しておけば何とかなるかも知れない。それまでは、死なない様にするのが一番よい。
それに、折角65歳から年金額が増えるのだから、やっぱり75歳ぐらい迄は生きたい。
自分が75歳に成るのは今から13年後。この時、娘は大体22歳。この頃、娘は日本で大学4年生をしているハズ(本当か?)。

嫁さんが日本人なら、「俺が死んだら後は適当にやってくれ」で済むが、嫁がタイ人だと死んだ後の事まで、細かく考えないといけないので面倒くさい。
(自分に兄弟が居れば、まだましなのだけれども、自分には兄弟が居ない)

2013年7月12日 (金)

元気なオバサン達(日本)

今日の昼飯は家の近所のジョナサン。
ここはコスパが良いので良く利用する。
照り焼きチキンとあじフライ&野菜春巻のセットで、ご飯大盛り、ランチスープ付きで670円。
バーツだと大体200バーツぐらい。
タイは物価が安いと言うけれども、この値段ならタイのS&Pやブラックキャニオン(どちらもタイのファミレス)と余り変わらない。
しかも、タイのファミレスは不味いが、日本のファミレスはまあまあなので、味を考慮すれば絶対に日本のファミレスの勝ち。

ちょっと解説。

日本人だから、日本の味の方が美味しいと思うのは当たり前で、タイ人の評価は分からない(今度10月に、奥さんを日本に連れて来た時に聞いてみます)。
日本のファミレスは和食と日本風の洋食の混合メニューだが、タイのファミレスはタイ食とタイ風の洋食のメニュー。
値段的には、タイの方が若干安いけれども、タイ人の所得水準から考えると、タイではファミレスというより、もう少し高級な感じ(だと思う)(でも、不味い)。

で、只今、食事が終わってドリンクバーのコーヒーを飲みながらブログ用のメモを取っているところ。
因みに、ドリンクバーは来る前にネットでクーポンをGETして来たのでタダ。

さて、今日の本題。
とにかく、周りのお母さん達、オバサン軍団が賑やかな事。
今、日本で一番元気の有るのがこのオバサン達ではないか、という気がして来る。
客は6:4ぐらいで女性のほうが多いが、特にオバサン達は4~5人の団体で来ている方たちが多いので、「女3人寄れば姦しい」のに、4~5人いるのでもっと姦しくなっている。
そういうグループが幾つもある。
それと対照的に、ひっそりしているのが、目の前に居る若い男性客2人で、2人共、それぞれ、スマホに噛り付いて居る、殆ど会話なし。とにかく静か。
ドリンクを取りに行く時に他の客も見たが、スマホや携帯をいじっている人が意外と多い。
(そういう自分も、結構、携帯見ます)
どうも、オバサン達の元気さと比べると影が薄い。

ここで、ちょっと考えた。
こういう風景、タイでは余り見た記憶がない。
飲み屋やレストランで、オバサン達だけで騒いでいるのを見た記憶がない。
家の奥さん(チェンライ在住、タイ人)は、たまに同年代の友人と飲食をする事が有る(らしい)ので、全くない事はない、のだろうけれども、こういう事はタイでは非常に少ない気がする。
もしかしたら、世界的に見ても日本だけの、或いは、日本でも地域限定の特殊な現象なのかも知れない。
とにかく、ここのお母様達は他の世代の人達や男性と比べて、最強のパワーを持っている様に見える。
バブルが崩壊して、リストラとか給与カットとか、少子高齢化とか、正社員に成れないニートの増加とか、日本の社会が何となく停滞していて、元気がない中で、ここのオバサン達はそういった事とは全く無関係で元気いっぱい、無敵のパワーを誇っている。
とにかく昼時の店内は元気なオバサン達の声で溢れていた。

備考。

夕時にサイゼリヤ(イタリア系メニューのお店で、ジョナサンよりは若干安い)へ入ると、ここは若い人達、高校生、特に女子高生の声で溢れている。
騒音のレベルとしては、こっちの方が上だが、パワーは昼時のジョナサンのお母様達の方がずっと上の様に感じる。
(サイゼリアは流石に爺さんが1人では入り辛い。ここに来る時は、いつも妻子と一緒)

タイで昼間から飲んでいる(自分以外の)日本人の爺さん達にもパワーを感じるが、日本のオバサン達の様な凄みはない。

2013年7月11日 (木)

日本でビザ取りなど

今日は毎年この時期恒例のビザ取り&国際運転免許証の取得を行った。
朝、9時45分に家を出て、九段下のタイ大使館(臨時移転中)でビザ取り、ドトールコーヒーで軽食を取って、新宿の都庁で国際運転免許証の取得が終わったのが12時25分。合計2時間40分。
(その後は、新宿のビッグカメラでお買い物)
今回はちょっともたついたので、普通なら2時間半を切ったハズ。
日本でビザの更新をしているというと、チェンライ在住の多くの方から、チェンライでの更新を勧められるが、自分には、日本で取得した方が効率が良い(と思う)。

ただし、前提条件があります。
一番大きいのは、この時期、必ず日本に居る事(6月末から7月上旬は日本に居なければならない事情がある)。
タイにあんまり長く居たくない(日本にも居たい)、のでマルチビザの1回当たりのタイ滞在日数のMAX、90日もあれば十分(大体、1回当たりの、タイ滞在日数はMAXで2ヶ月ぐらい)。
マルチビザならMAX90日を守れば、タイへの出入り自由。再入国とかを考える必要がない。

ビザ取りと国際運転免許の更新日を合わせておくと便利な事もある。
① どちらも期限が1年なので、一度タイミングを合わせるとずっとそのまま。
② 半日でぐるっと回る行程に無駄がない。
   荻窪→九段下(タイ大使館臨時移転先)→都庁前(運転免許センター)→(徒歩)→新宿→荻窪 の順で回る。
③ 写真も1回撮れば、ビザ用と国際運転免許用が同時に出来る。

来年はこの時期、運転免許証の更新(5年毎)も有るので、これも一気に出来る。
再来年はパスポートの更新も有るので、これを少し早くすれば良い。

戸籍謄本などの必要書類も荻窪駅近くの区の事務センターで簡単に取れるので便利。


備考。

タイ大使館の臨時移転先でのビザ更新は今回で3回目になる。
「臨時」と言っている割りには長かったが、7月29日より、元の品川区上大崎に戻るらしい。
家からは九段下より若干遠くなるが、JRの五反田駅(or品川駅)なので、新宿には行き易くなる。利便性はあまり変わらない。

料金はマルチビザが22000円(去年と同じでした、円安は関係ない様です)、国際運転免許が2400円でした。
この他に、(新しいビザ付の)パスポートの郵送を依頼したので、その分の着払いの郵送料が係ります。

蛇足ですが、もし日本でビザ更新をされている方、今年より(?)、いきなり大使館に行ってはダメです。事前にインターネットで予約を取っておく事が必要になっています。


余談。

チェンライに長く在住されて居る方で、「日本になど行きたくない」と言われる方も居ます。
人それぞれで、色々な考え方が有るとは思いますが、自分としてはやはり、たまには日本に戻って、文化的刺激を感じた方が良い、と思っています。

2013年7月 6日 (土)

強風・倒木・渋滞

2013/03/30(チェンライにて)

今日は午前中の11時頃から午後の4時頃まで、1次、2次、3次会と飲んでいた。
家に帰る為に、奥さんとセンタンで待ち合わせをして5時頃、家に帰ろうとして外に出たら大雨が降っている。
(それまで、雨は全く降っていなかった)
雨の中を突っ走って、車を取って来ようかとも思ったが、車は妻が乗って来たので自分は何処に止めてあるのか知らない。
妻は、「遠くに止めた」と言っている。
娘も居たので、暫くセンタンのなかで暇潰しをしていたが、それも飽きたので、雨の中を突っ走って車を取って来る事にした。
(この時点では、雨は土砂降りから普通の雨降りに変わっていた)
すると、ビーチパラソルの様な大きな傘を持った(センタンの従業員?)方が車の有る所まで送ってくれたので、雨に濡れずに車に辿り着く事が出来た。
チップを40バーツ渡したが、それが適切なのかはどうかは分からない。

そんな事があって、車で帰る道すがら(自分は酔っ払いなので、運転は奥さん)、国道1号線の反対車線に木が倒れていて道を塞いでいる。そこから車が大渋滞している。
「これは、大変だな~」「こっち側の車線じゃなくて良かった」と人ごとだと思っていたら、今度は、自分の方の車線が渋滞し始めた。
最初は、「警察の検問かな」とも思たのだが、今までこんな所で、検問などなかったし、もしかしたらこの先、こっち側の車線も倒木で通行不能に成っているのか心配になって来た。
それでも車は、渋滞はしているけれども少しずつは動いている。
通行不能なら全く進まないハズだし、どうなっているのか、このまま無事に帰れるのか、心配しながら進んで行くと、片側2車線の道路の1車線が倒木で通行不能に成っていた。
片側は通れるので、そこを通過すれば取り敢えず問題無い事が分かった。
自分たちの車の後ろから、路肩を通って、ブルドーザーの様な車が来ていた。
きっと、倒木を取り除く為の車であろう。
そこの箇所を通過した後も、倒木で1車線しか通れない箇所が2~3箇所あった。
道は塞いでいないけれども、倒れていたり、倒れかかっている木も沢山あり、壊れた看板なども幾つかあって、相当強い風が吹いた様である。
チェンライ人の妻も「ハジメテェー」(日本語)と言っていた。
被害の酷かったのは、2~3kmの区間であった。自分の家は壊れてないか、ちょっと心配したが、幸い我が家は無事であった。
(以前、強風で軒が壊れて7万バーツ程、修理代がかかった事がある。これは痛かった)

しかし、考えてみると、もし最初に帰ろうとした時に無理やり帰っていたら、パニック映画の様な状況に遭遇していたかも知れない。

時刻は夕刻の6時頃、車が吹き飛ばされそうな程の、強風と豪雨の中、自分達家族の乗った車は家路へと進む。
俄かに暗く成った空からは、轟音と共に閃光が走り、雷が次々と落ちて来る。
壊れた看板の一部や小枝・葉っぱなどが、強風に煽られ、車に向かって次々と飛んで来る。
すると、突然、目の前の大木が、車に向かって倒れかかって来た。
倒れかかる木を間一髪で避けて進むが、木は次から次へと倒れて車に襲いかかって来る。

なんて、ちょっと大袈裟な表現ですが、こんな事があったかも知れない。
自分は見ていないのですが、妻の話によれば、夜のニュースでもやっていたそうです。

補足。
日本と比べるとタイでは(特にチェンライでは?)、強風・豪雨・雷がセットで起こる夕立(の様な)現象が多い。
今回はその中でも、とびきりだった。.

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