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2013年12月の8件の記事

2013年12月31日 (火)

日本滞在中(2013年12月)

2013/12/31(朝食or朝風呂)

(朝寝坊の続き)

起きたはいいが、寒いぞ。
エアコンの暖房を付けて、電気ストーブをONにして、炬燵を付けてもすぐには暖かくならない。
風呂に入って体を温めようか、でも、お腹も空いたし食事にしようか、悩んだ末に、先にお風呂に入る事にした。
風呂に入ると、体が芯から温まる。
日本人に生まれて良かった(それ程、大袈裟なものでもないか?)。
タイ人は、汗を流して涼しく成る為にシャワーを浴びるが、日本人は温かく成る為にお風呂に入る。
(ま、暑い時は、日本人でも涼しくなる為に、風呂に入ったりシャワーを浴びたりするけどね)

風呂に入っている間に、体も部屋も温まった。
さて、食事。
作るのが面倒くさいが、今は、ちょっと外に食べに行く気分ではない。
折角、温まったのに、また寒い思いをしなければならない。
で、作るのも面倒だし、お腹が減っていて、「すぐに食べたい」ので、有る物を寄せ集めて、朝食とした。

(マイフォトに写真あります)

日本ではめずらしくパン食。
パンにバター、粗挽きソーセージにマスタードや醤油とラー油、ケチャップ等を付けて食べる。
ジュースも牛乳も無かったので、飲み物はみそ汁(食後にお茶)。
ビタミンと繊維補給等の為に、干し柿とキャベツ(マヨネーズをかける)、とマカダミヤナッツ。
これで、味も栄養もバランスが取れている(と思っている)。

\(^ ^)/


2013/12/31(朝寝坊)

いや~、寒い!。
起きている間は、当然、暖房を入れているが、寝る時は切る。
朝、目が覚めても、寒くて布団から出られない。

タイではこういう事はない。
寒い事はあるけれども、それが理由で起きられない事はない。
日本とタイでは、寒さのレベルが違う。

そうは言っても、トイレにも行きたいので、寒いのを我慢して起きる(9:00)。
用事を足して、やっぱり寒い、「布団の中に再び退避じゃ~」。

で、結局2度目にちゃんと起きたのは、10:30でした。


2013/12/28(正月モード)

帰国11日目。
日本は今日から(12月28日(土))から、正月明けまで、連休になる会社が多いらしい。
きのう、一緒に麻雀をやった友人達も「今日から連休」と話していた。
(12月28日(土)から1月5日(日)までの9連休)
帰省ラッシュのピークも、「今日」に成るらしい。
例えば、証券市場の大納会は30日(月)なので、全部が全部、正月モードと言う分けではないが、街は、もう正月気分。
市場は正月用の食材の販売で賑わっているし、角松も出ている。

(マイフォトに写真あります)

自分も既に気分は「お正月」。
忘年会も忘年麻雀会も日本とタイの両方でやったし、年賀状も出した。
予定していた、眼科と皮膚科にも行って、薬も2ヶ月分貰った。
介護施設に居る、母の健康も確認して来た。
年末恒例(?)の健康診断にも行って、結果もさっき届いた。
小さな問題はあるが、致命的な問題は無さそうなので取り敢えず良かった。

実はもう2~3、面倒な問題が残っているが、当面、年内にしなければならない事は済ませたので、今は、正月モード。


2013/12/27(日本滞在中2)

本日の麻雀の成績

1着→1着→4着→4着→4着→3着→1着→1着

日本での久し振りの麻雀。
出足は好調で、1着1着。
「アレ?、自分ってこんなに強かったけ?」と思ったら、やはり、そんなに甘いメンバーではなかった。
ちょっと油断したら、4着4着4着。
こうなって来ると歯止めが利かない。大敗の予感。
何とか取り返そうと思って焦ると、余計深みに嵌って行く。

しかし、ここで転機が訪れた。
「来年の6日にもう一回やろう」と言う話になった。
「焦る事はない、今日と来年の6日でトータルで勝てば良い」と気持ちを切り替えて冷静になったら、ドボン寸前から3着に浮上。
その後、幸運にも恵まれて、1着1着で締めくくり。

結果、-24。

6時半から11時半までの、5時間の戦いでした。



2013/12/27(日本滞在中1)

とにかく1人は気楽でいい。
今朝は7時半に起きた。
いつもは9時過ぎまで寝ているが、今朝はゴミ捨てがあったのと、病院の自動予約を取る必要があったのでいつもより大分早く起きた。
朝の用事が終わって、朝食を食べに、いつものジョナサンへ。
駅へ向かうバスに並ぶ通勤客を横目で見ながら歩いて行く。
(皆さん大変ですね、お仕事頑張って下さい)

外は、ちょっと寒い(チェンライと比べると、全然寒い)し、歩いて行くのも面倒だけれども、自分で作って食べる事を考えれば、食べに行った方がトータルとしては楽。
作らなくていいし、後片づけもいらない。食材を買って置く必要もないし、ゴミも出ない。

ジョナサンでは、スクランブルエッグセット(598円)を注文。
ご飯は大盛り、スクランブルエッグにソーセージと野菜サラダ、ハッシュドポテトとドリンクバーが付く。
(マイフォトに写真あります)
今日は、その他に、サービスで読売新聞が付いて来たので、ちょっと得をした気分。

食事が出来るのを待って居る間に、コーヒーを飲む。
(ついでに、暇なので、このブログのメモを取る)
コーヒーはシュガースティックの長いの1本では足りず、もう1本追加する。
味覚がちょっとタイ人になっている。
食事が出て来て、食べる時も、右手にスプーン、左手にフォークで、これもちょっとタイ人になっている。

食事が終わって暫くは、ドリンクを飲みながら、さっき貰った読売新聞を読む。
タイが選挙で揉めている記事などが書いてあった。

会計はスイカカードで支払い。
このカード結構便利で、電車・バス・タクシーなどの交通機関だけでなく、駅前のユニクロ(ルミネの中にある店は、多分、殆どの店で使える)やジョナサン・てんや・松屋・富士そば等の食べ物屋など色々な所で使える。
自分は、このカードの他に西友で使うウォルマートカード、とVISAカード、及びVISA-ETCカードを使用して、かなりの比率で現金を使用しない。

今日は、あと病院を2軒回れば、用事は終わり。
日本に戻って来る理由は色々あるのだけど、この病院巡りと介護施設に居る母の訪問は必須。
まあ、病気と言っても大した事は(今のところ)無いが、進行すると危ないので薬を2ヶ月分程貰って、タイに持って帰る。
タイの病院でも良いのだけれども、日本なら保険(国民健康保険)(注1)も利くし、何より、医者と日本語で話が出来るのが良い。

注1.
タイでも、日本の国民健康保険は利くが、一旦払って、色々な書類を作って日本で請求しないとならないので、かなり面倒。
何回かやった事はあるが、1000バーツぐらいの少額の医療費なら、面倒なのでやらない。
バンコクのバムルンラート病院の様に、有料で書類を作ってくれる所では、簡単に書類を用意出来るので、利用する価値はある。

2013年12月28日 (土)

医療制度に関して

ブログを書いていると、一般的には全然面白くもないだろし、反対意見も多いだろうな、という事を書きたくなる事があります。
それでも、このブログのメインテーマ、日本とタイとの違い、日本人とタイ人の違い、日本とタイの2重生活に関する事は記事にして来ましたが、殆ど関係ない事も書いてみたいと思いましたので、「意見」というカテゴリーを新設して記事にしました。
このブログのメインテーマ以外には興味がないと思う方は読み飛ばして下さい。


(日本の)医療制度に関して。

眼科と皮膚科に行っているのだけれども、家の辺りの病院は待ち時間が長い。
大体、直に行くと2時間から3時間ぐらい待たされる。
例えば、今日の眼科は12時に行って、治療が始まったのが2時半だった。
2時間半待たされて、治療はたったの5分程。
最も、待たされるのは分かっているので、途中で1時間程食事に出掛けたけれども。

こんなに待たされるのは、医療行政や制度にも問題があると思う。
タイの病院ではこんなに待たされない。
もっとも、バンコクではバムルンラート病院、チェンライではシーブリン病院ぐらいしか知らないが。
もう少し(少しでいいと思う)医師と病院を増やせないのか?。
薬には、ジェネリックという、ちょっと安い(特許期限切れ?)ものがあるが、医師にも、あまり経験はないけれども、一応、患者を診る事が出来るという、比較的容易に取れる資格制度を作って医師の数を増やせないか。
シニア医師、ジュニア医師。或いは、準医師、正医師の様な感じ。
初診の時は正医師に診て貰って、以降、薬を貰う時は症状に変化がないかを確認出来る準医師に診て貰う。何か心配が有れば、正医師を依頼する、と言う制度。
今の、価格体系のままだと、みんな、正医師を依頼してしまいそうなので、はっきりとした価格差を設ける。
(正医師の診療報酬は高く、準医師の診療報酬はそれ程でもなく、という事)
国民健康保険の(国側の)負担率も、もっと低くする。
最低でも、患者負担率5割ぐらいは有った方が良いのではないか。

そうすれば(料金を上げれば)、必要以上の受診に歯止めがかかる気がする。
決まった薬を処方してもらう程度の事は、経験豊富な(単価の高い)医師ではなく、もうちょっとスキルの低い準医師に診て貰えば、治療費が安くなる、という制度。
いい病院は高く、それなりの病院はそれなりの価格というタイの方式に似たやり方。
どちらを選ぶかは、患者の意思に任せる。

眼科の待合室で思ったのだけれど、待って居るのは、殆ど自分と同じか年上の老人ばっかり。
お婆さんが10人ぐらいと、お爺さんが自分を含めて2人、中年の女性が1人と子供が1人、大学生ぐらいの若者が1人だった。
(客数は、時間と共に変動するので、自分が、「年寄ばっか、だな~」と思って数えた時の数字)
もう一つ、自分が行く皮膚科も大体こんな感じ。眼科よりも子供が多かったり、年齢層が若干若い程度。
昼間の時間なので、仕事をしている男性が少ないのは分かるが、それらしき人は居なかった。
大体、ちょっとぐらい具合が悪くても、働いている人間は、昼間2時間も3時間も待っていられない。
これは、ある意味、不平等な気がする。
社会の(会社の?)為に一生懸命働いている人間が、思う様に医療が受けられず、しかも、保険料を沢山払わせられている、というのはおかしい。
(自分は、働いてないので、あんまり保険料は払っていないハズです)
極端な言い方をすれば、働いている人の払った保険料で、そうでない人が病院を占拠し、働いている人は簡単には、医療が受けられない仕組みに成っている。
(内科の場合には、問題が有れば会社を休むからハンデは、眼科程は無いと思うが、それでも、忙しくて「病院になど行ってられない」と言う事はあると思う)

日本では、年寄になると医療費が免除されたり、減額される制度があるが、余程、国庫に余裕があるならともかく、今の様な財政状況では、見直すべきではないか。
基本的に、自分の面倒は自分で見る、という環境をもっと作って行くべきだと思う。
母の医療費や介護にかかる費用が、国などから、色々出ているが、手続きをしないと受け取れないものがあったり、各種の連絡物など読むのも手間が掛かる。
国などの機関の事務費用もすごく大きい様な気がする。
国から補助される金も、元々は税金から出ている分けで、母も自分も相当の税金を取られている。
だったら、補助金(金だけでは無くて、介護用品などの現物支給もある、これも毎年申請しないと受け取れない)などいらないから、その為にかかる事務費用の分も含めて税金を安くしてくれた方が良い。こちらとしても、余計な手続きをしないで済む。
(国民全体としては、個人個人の医療費の支払金額は増えるが、今迄国庫から負担していた分の医療費補助が無くなり、さらに、余計な事務作業の費用が掛からなくなるので、トータルとしては負担が減る)
多分、根底には役人が仕事(自分の権限)を増やしたいと言う気持ちが有るから、無駄なお金の遣り取りをする仕組みが肥大化する。

ただし、子供に対する支援は必要で、少子化が問題になっている現在、将来を担う、子供を育てる為の負担は、国としてもするべきだと思う。
(子供を産む為の、施設・制度の充実も当然必要)
子供は自分で自分の面倒をみる事は出来ない。
十分に働ける時間があった(将来の為の蓄えを作る時間のあった)年寄とは違う。

タイの医療制度(医療水準ではない)は自分の考えるものとは少し違うが、結構いい線をいっていると思う。
最低基準はタクシンさんの制度で保障されているし、必要とすればそれ以上の治療も受けられる。
どの程度の医療サービスを期待するか、選択出来るのが良い。

2013年12月21日 (土)

最新バンコク事情

2013/12/17~18(写真特集2)

①帰国しました。
成田空港第一ターミナル。イミグレーションへの通路の途中。
日本人には「おかえりなさい」、英語人には「Welcome to Japan」。

②仮眠中。
スワンナプーム空港2階の端っこ。
仮眠の3点セット。
1.寒いので、セーターなどが必要(用意のいいファランは毛布みたいなものまで持っている)。
2.まぶしいので、アイマスクが有った方が良い。
3.乗り遅れるといけないので、目覚まし(携帯のアラームで良い)が有った方が良い。

③バンコクの定宿。
1日700バーツの、(バンコクの)定宿。

④宿で宴会(?)。
宿の1階の食堂から出前を頼んで夕食。

⑤MRTの表示装置。
右中、禁煙マークの上に、(電車が来るまで)あと2分、の表示がある。

⑥MRTの乗車風景。

⑦BTS。

⑧アソークの交差点。


2013/12/17(写真特集1、センタン・ラッチャダー)

バンコクの定宿の近く、MRTパラム9駅に隣接してセンタンがある。
日本食のお店が沢山あるので、たまに行く(2012/07/31 の記事、「タイで日本を探す」にも書いてあります)。
他にも、日本のお店など、何か所か写真を撮りました。


2013/12/17(エンポリアム)

BTSプロンポン駅に隣接してエンポリアムデパートがある。
スクンビットのソイ24にある、日本人御用達のこのデパート、昔は(12年~13程前)は近くに(ソイ33に)住んで居たので良く来た。
今回も館内で、日本語の放送が流れて来たので、日本人御用達は今も続いているらしい。
(スクンビットはバンコクでも、日本人の多い地域。ソイ33には、日本食材の豊富なフジスーパーや日本食の店も多くて、日本人には便利な所)

まあ、自分の行く所は、日本の本がある東京堂書店が殆どで、他は、稀に食品コーナーでたこ焼き等の日本食材を買う程度だった。

今日も来たのは、東京堂書店が目的。
バンコクの東京堂書店は、他に、タニヤプラザやエラワンそごう、ロータスラッチャダーの2Fやスクンビット・ソイ33のフジスーパーの近くにも有ったが、今では無くなった店も多い。
エンポリアムの東京堂書店は昔と変わらずに、今も有る。

(マイフォトに写真あります)


2013/12/17(日本食の店)

ラッチャダーの宿の近くの裏通りに日本食の店を見付けたので、入ってみた。
午後1時頃、入ったら客は自分1人。
タイに来たばかりの頃、1人で知らない店に入るのは心細かったけれども、今はタイ語も分かる(と思っている)し大丈夫。
どうやら、賑わうのは夜の店の様だ。
結局、最後まで、自分1人だった。多分、飲み屋がメインの店らしい。

注文したのは、焼きサバセット。
プロモーションで179バーツ(日本円で600円弱)。他に、焼き肉セットも179バーツ。サーモン焼きセットが200バーツ。
注文してから15分ぐらいで、全部そろって出て来た。
味は、まあ、合格点。日本の定食屋のレベルに近い。
でも、残念なのはサバそのものの味。パサパサして油が乗ってない。
タイのサバは、だいたい何処でも皆同じ。
(元々の食材が悪いのか、調理法が悪いのかは良く分からない)
米は日本米。(ちょっと)インチキ日本食屋だとタイ米のお店も有るが、ここは日本米だった。
茶わん蒸しには銀杏も入っていて、一応、ちゃんとした日本食になっている。
まあ、美味しかったので完食(お腹も空いていたし)。
会計も素早かったし、値段も表示どおりだったので、これも合格。
タイの日本食屋には、結構、表示より高い料金を取るお店が多い。
21バーツをチップにして200バーツを払って店を出た(200-179=21)。

(マイフォトに写真あります)

自分のチップの基準は、20バーツを越えない程度(1人の場合)。
サービスが良かったり、また来る可能性のあるお店では、少し多めに。
基本は、細かいおつりを受け取らない程度。
たまに、綺麗なお姉さんが居ると、多めのチップを払う(例えば100バーツとか)人がいるが、自分は、食べ物屋ではそういう事はしない。
勝手に、(表示料金にない)サービス料金を取る店には、チップは払いたくないけれども、面倒なので、細かいおつりを受け取らない事も多い。

2013年12月20日 (金)

ちょっとした事(2013年12月)

2013/12/20(変なコメント)

1週間程前から、英語の変なコメントが1日に数回入る。
スパムになって自動的に弾かれるものも有るし、そのままコメントとして登録されてしまうものも有る。
多分、機械的に(自動的に)大量のコメントを送信している、個人か組織があると思うのだが、詳しい事は分からない。
コメントとして登録されたものは、気が付いた都度削除しているのだが、このままいつまでも続く様なら、何か対策を考えないといけない。
基本的にコメントは歓迎、なので、今は何の制限も入れていないが、もしかしたら、承認制にするとかしないとならなくなるかも知れない。
兎に角、このブログに付いた、変な英語のコメントは無視して下さい。
英語の(及び英語を含む)コメントは今後、原則として受付ません。

追記(2013/12/22)

ちょっとした細工をしたら、ほぼ100%、英語のメールはスパムとして弾かれる様になった。
でも、スパムも週1か月1ぐらいで削除する必要が有るので、面倒くさい作業は残る。
なんでこんないたずら(?)をするのか、分けが分からない。
(多分、日本人じゃないと思う)


2013/12/11(臭いぞ、竹の子)

今日の夕食、自分はカオソーイカイ。妻は、腐りかけの竹の子の漬物(?)、と全然美味しくない緑の葉っぱ(茎?)のスープ、娘はナマズ。もち米は3人一緒。
(タイ語で言うと、ヤム・ノーマーイ・ドン、ケーン・パック・シィオ、プラードゥ、カオニアオ)

(マイフォトに写真あります)

この内、一番困るのは、腐りかけの竹の子の漬物の料理(ヤムノーマーイドン)。
単に不味いだけなら、妻(や娘)が勝手に食べる分には仕方がないが、臭いは嫌でも伝わって来るので、そういう分けにはいかない。
最近は、違いが分かって来たが、始めは、「う○こ」、の匂いかと思った。
最初にこの臭いを感じた時、誰か、「○んこ」を漏らしたのかと思い、「臭い」と言えなかった記憶がある。

これだけは食卓に載せて貰いたくないと思い(だって、うん○、の乗っている食卓なんて、いやでしょ)、妻に何度もお願いしているのだが、妻は「ダイスキー(日本語)」と言って分かってくれない。
(娘も私の味方で、「臭い!」と援護してくれるのだが)
この影響で、竹の子の臭いに却って敏感になり、日本のラーメンに入っている支那竹の臭いさえ気になる様に成った。

最近、頻繁に食卓に出て来る(当然!、絶対!、食べない!)。
しかし、人間、順応性がある。
その内、この臭いに慣れて来て、何も感じなく成る日が来るかも知れないと思うと、その日が来るのが怖い。
(娘の教育上も良くない!)
(だって、○んこ、の匂いを臭いと思わない何て、人として許されるのか?)

(食習慣の違いとか文化の違いを考慮せずに書くと書き易い)


2013/12/08(鶏鍋)

冬はやっぱり鍋料理。
熱帯のタイでも、一応北半球に有るので、冬は日本と同じ時期。
しかも、チェンライはバンコク辺りと比べると、北に位置するし、標高も若干高いので朝など、少し寒いと感じる。
鍋料理はやっぱり涼しい時のほうがいい。

で、最近家族で、鍋料理がちょっとしたブームに成っている。
昨日は、レストランで牛(or 豚)しゃぶ風鍋料理だったし、今日は家で鶏鍋。
我が家で鶏鍋を最初に作ったのは僅か6日前だが、それから6日で今日は3回目。昨日の牛しゃぶを含めると、僅か7日間で4回も鍋料理を食べた事になる。

最初に鶏鍋を作ったのは、北タイの人は、海の魚や貝などに馴染みが薄く、いい材料も手に入りにくい為。
それと、何より、娘の好みを考えて、「鶏鍋なら受ける」と思って作ったのが当たった。
2回目は、鷄の他にタコやイカも加えた鍋を作ったが、今日は鷄だけのシンプルな鍋にした。
他には、豆腐、白菜、日本ネギ、えのき茸など。
(結構、タイの田舎でも、日本と同じ材料が揃う)
タレは日本から買って来た「ゆずぽん」と、タイらしくマナーオ(ライム)と、シンガポール製のキッコーマン醤油。
マナーオを掛けると一味違う、一層美味しくなる。

尚、1回目の鍋は自分で作った。2回目は、奥さんに教えながら作った。今日は奥さんが1人で作った(ちょっとアドバイスはした)。
ちゃんと出来たので、これからは、手伝わなくても作って貰えそう。

何時もは、何を作っても食べ切れない程の量があるが、今日は、「鶏肉(手羽先)は1人3個まで」と、妻よりお達しがあった。
制限されると余計欲しくなる。

最後は、(タイ人は普通しないが)ご飯を鍋に入れて雑炊にして食べた。
鷄や野菜のスープの味がご飯に染み込んで美味しかった。

今日は、日本風の料理で、美味しかったので、十分満足。


2013/12/07(日本食レストラン)

空港の近くに、日本食のレストランが出来たので、家族で行ってみた。
「日本庭園レストラン東京」という名前のレストラン。
「とまと」(此れも、チェンライには古くから有る、日本食のレストラン)と同系列らしい。
メインはしゃぶしゃぶ風の鍋料理で、ブッフェ(タイでは食べ放題の事をこう言う)で299バーツ。
(会計の時、3人で986バーツ取られたので、本当の値段はよく分からない)
ブッフェだと、野菜や肉(牛or豚)、ご飯が食べ放題。アイスクリームも付く。
値段と味は今のところ、「とまと」と同じ。
ただし、店は広くて、外見も内装も「とまと」より全然立派。

店に入っての第一印象は、「いらっしゃいませ」の言葉だった。
一人、完璧な日本語で、「いらっしゃませ」と言った女性が居た。
後で、聞いたらば、家の娘と同じで、半分日本人、しかも18年間日本に住んで居たというから、これはもう完全な日本人、完全な日本語を話せる分けだと思った。

サービスの方は、まだ従業員が慣れていない為か、若干悪かった。
最初に注文した品が全部出て来る迄に30分ぐらい掛かった。
しかも、一番最後に来たのが、肉。
肉なんて、切ってあるものを、皿に乗せるだけなので、どう考えてもそんなに時間が掛かる分けがない。
妻が、「あそこのお客さん、後から来たのに、もう出て来ている」と言ったので、もう一度催促して、暫くしてから、やっと出て来た。
多分、最初に注文を取った人が忘れたか、何処かで、情報伝達が途切れたと思われる。
追加の注文をした時も、豚を1皿注文したのに、牛が2皿来たり、スムーズに注文が伝わらなかった(注文したのは、妻(タイ人)なので、言葉の問題ではない)。

味の方は「とまと」と同じなので、チェンライ在住の方は分かると思いますが、一応自分の考えを言うと、タイの田舎で出て来る和食としては、いいんじゃないかと思います。
日本料理と言っても、タイ人だけでやっている日本料理屋には、「ちょっとな~」と言う店が多いですが、ここはちゃんとした日本料理になっていると思います。
店内は明るいし、綺麗だし、バックにサザンの歌などが流れていて、いい雰囲気を出している。
ちょっとした子供の遊び場などもあって、娘は食事が終わってから暫くそこで遊んでいた。

値段としては、家族3人(内1人は9歳の子供)で1000バーツ、日本円で3000円ちょっと。
日本でそのぐらいのお金を払えば、サイゼリアや日高屋なら、もっと美味しいものが食べられますが、お店の作りや、食べ放題という事を考慮すれば妥当な値段だと思います。
何より、他に適当なお店がチェンライには無いので、日本人の自分としては、このお店には頑張って欲しいと思っています。

余談。

トイレの男女の表示、漢字で「男」と「女」だけで、タイ語の表示が無い(英語の表示も無い)。
自分は日本人だから分かるが、(お客さんの大部分を占める)タイ人には、分かり辛いんじゃないかな~。
ま、着物の影絵が有るので分かるとは思うけれど。


2013/12/06(村の挨拶)(タイ、チェンライにて)

散歩の経路に4歳ぐらいの男の子がいる。
自分を見掛けると、挨拶がわりに(?)ジャンプをする。
以前、彼がジャンプをして遊んで居るのを見て、真似してジャンプしたのを覚えているらしい。
今日もジャンプして来たので、自分もジャンプして、「ほら、もう一回やってみな」(日本語)と言ったら、照れて(?)引っ込んでしまった。
このぐらいの子供は、人種も民族も余り関係無い(らしい)。

タイは挨拶がわりに、「食事をした?」とか「何処に行くの」(或いは「どこに行って来たの?」)と言う。
自分も、村を歩いていると、「パイナイ(ไปไหน=何処へ行くの?) 」とか「パイナイマー(ไปไหนมา=何処に行って来たの?) 」と声を掛けられる事がある。
今日は、「ごみ捨てに行くの?」と聞かれた。
何時も夕方、ごみ捨てに行くのを覚えられている。
最も、黒いゴミ袋を持って、ゴミ捨て場の方へ歩いて行けば、他に考えられない。
要は、単なる挨拶である。

自転車に乗っていても挨拶(?)される事がある。
顔見知りだと、特に声を掛けなくても、こちらの顔を見てニコニコしてすれ違えば、挨拶と同じ効果はある。
こういう場合は自分も、キャンディーズじゃないけど、「微笑みがえし」する。

今日は、自転車に乗っていると、家から2kmぐらい離れた所でバイクのおじさん(40歳ぐらい)が、すれ違いざまこちらの顔を見て、「ブブッー」とブザーを鳴らして、手を振りながら通り過ぎて行った。
誰だか全く分からない人だったが、多分村の人だと思って、こちらも手を振って、挨拶を返した。
自分は知らなくても、(多分)村の人は全員、自分の事を知っている。


2013/12/05(欲張りの無駄遣い続編)

先月11月30日の記事で書いた、KFCのチキン、結局今日、半分ぐらい犬の餌に成った。
一応奥さんに、これからは食べない物は(勿体ないから)買わない様に言ったのだが、無言。
日本語で「勿体ないから」と言ったので、分からなかったのかと思い、後で、Google翻訳で調べて、ดีเกินไป(ディークーンパイ)ともう一度言ったのだが、それでも通じない。
(奥さんの話では、ดีเกินไปは意味が違うらしい、自分もそう思う)
日→タイの辞書で「もったいない」を引くと、เสียดาย(シィアダーイ)と書いてあるが、ごれをGoogle翻訳すると、「同情」と訳される。
結局、どう説明すればいいのか分からなかった。

言葉の問題もあるけれども、根本は、価値観の違いで、タイ人は(妻は)、「足りないよりも余った方が良い」と考えているフシがある。
もうひとつの理由は、自分なら、チキンの日持ちがどれぐらいで、家族3人で食べる量がどのぐらい、という計算が出来るが、先の事を予測するのが苦手な(嫌いな?)妻(タイ人)は、適正な量が把握出来ないらしい。

こういう時に困るのは、人に意見される事が大嫌い、考える事も嫌い、なタイ人(妻)は人の話しを聞こうとしない事。
気を付けないと、爆発するので、(顔を引き釣らせながら)笑顔を作って、出来るだけ冷静に、穏やかに、話をしている積もりなのだが、こちらの心の中は分かる様で、段々機嫌が悪く成って来る。
で、結局、何時も、こちらの意図は伝わらずに終わる。
(本当は、伝わっているのだけれども、「うるさい奴だ」ぐらいにしか思っていない様な気もする)

「おまけ」に釣られて買ったもう一つの物、ヤマザキパンは先々週に買った分は少し捨てた(犬も食べなかった)が、30日に買ったものはまだ冷蔵庫に眠っている。


2013/12/04(脱穀)

散歩をしていたら、男性が5人ぐらいで、刈り取った稲を地面に叩き付けて居る。
見ていたら、「やってみる?」という感じに成ったので、為にしちょっとやらせて貰った。
別に難しくは無いと思うが、力の入れ加減が分からない。
折角、収穫した貴重なお米を散らばらしてしまいそうだったので、「難しい(ヤーク)」と言って、直ぐに止めにした。

(マイフォトに写真あります)


2013/12/04(田舎の水関連設備)

自分の家もチェンライの田舎ですが、さらに田舎で、山に近い地域の水設備の写真です。
(マイフォトに写真あります)

水道も井戸も無いので、飲み水以外は雨水を貯めて利用している。
飲み水は水屋から買ったものをポリタンに入れて使っている。
ポリタンを置く台が上手く出来ていて、下側に付いている取手を引き上げると(力は要らない)水が出て来る。


2013/12/04(カーウプッ2)

先日、知り合いの方から頂いた「蜂蜜」が有ったので、試しに此れをカーウプッに掛けて食べて見た。
どちらも、(多分)北タイの山の物なので、これを食べれば、「滋味溢れる山の味がする」かな、と思ったのだが、蜂蜜の味が強すぎて、期待した効果はなかった。
ブログ的には、「滋味溢れる山の味と香りがして、とても美味しい」と書きたかったのだが、残念!。


2013/12/03(カーウプッ)

昨日メーサイの知り合いの家で、メーサイの山岳民族のお菓子を少し分けて貰って来た。
カーウプッ(ข้าวปุก)というお菓子(?)。日本の、「きな粉餅」の様な素朴な味がして美味しい。
(マイフォトに写真あります)

写真左側の黒い円盤状の物がカーウプッ。直径10cmぐらい。厚さ5mmぐらい。
写真右側のナムオイ(น้ำอ้อย、糖蜜)を付けて食べる。

普通は焼くらしいが、面倒なので電子レンジでチンしたら、グニャグニャの餅みたいになったのでフォークとナイフで食べた。

れん乳を付けても良い(らしい)。

材料は米(山の米?)と黒ゴマ(らしい)。

(2013/12/07 追記、K.Suzuki さんのブログ、「新・チェンライ便り」に、「荏ごま」の事が書いてあり、多分、黒ゴマではなく、「えごま」かも知れない)

追記(2013/12/04)

maesai さんのコメントにもう少し詳しい説明がありますので、そちらも参照して見て下さい。


2013/12/02(麻雀)

今日はトップ浮き、だった。
2着→1着→1着→2着→3着。合計で+103。
まあまあの成績。


2013/12/01(稲刈りの終わった田圃)

(マイフォトに写真あります)
この辺の田圃の稲刈りは11月中旬~12月上旬頃が多い。
稲刈り機を使った場合、1ライ800バーツぐらいに成るらしい。
機械使用の場合、家の辺りの農家は稲刈り機を持っていないので、村長(?)の家に頼む。
(村長の家には、稲刈り機が2台ある)
ただし、今年は、収穫の時期に雨が沢山降ったので、稲が倒れてしまい機械が使えない田圃が多かった。
その為、今年は人手で稲刈りした田圃が多かった様だ。

ちょっと解説。
1ライ=1600㎡。
因みに自分の家の敷地が1ライ。この辺の家の敷地としては普通の広さ。
800バーツは大体2400円ぐらい。数年前は1ライの稲刈り料が600バーツだったらしい。

2013年12月16日 (月)

日本祭り

(マイフォトに写真あります)

昨日は、チェンライ日本人会10周年を兼ねた「日本祭り」だった。
2時スタートなので、家を1時に出て行く事に。
毎度の事ながら、宴会大好き(本当は、宴会じゃないんですが)な妻は、今回も異常に張り切っている。
(タイ人のお祭りじゃないんだから、そんなに張り切らなくてもいいのに)
まずは、出かける前にシャワーを浴びて、美容院へ。毛を染めて、ストレートパーマをかけて帰って来る。
自分の所へ来て、「いい?」(綺麗かという意味、日本語)。
(「いい」としか答え様がないじゃん)
(ここで、変な事を言うと、喧嘩になって面倒くさいし)
次に、着て行く服装の話しを色々して来るが、そんなもの、余程恥ずかしくなければ何だっていいよ。
でも、真っ赤なドレス?、気合が入りすぎて居て、ちょっと怖くて、ちょっと恥ずかしかったぞ。言わない(正確には、言えない)けど。
娘にも、あれを着ろ、此れがない、と大きな声で指示している。
(いつものドタバタ)(もうちょっと、落ち着いて行動出来ないのかい?)

そんな、こんなで家を出たのは予定より30分遅れの1時30分だった。
まあ、折角来て頂く来賓の方々には申し訳ないけど、妻子を連れて行く立場からすれば、タイ人の妻子には祭り以外の形式的な事は余り関係ないので、挨拶が終わった頃着けば、丁度いいかな、とも思っていた。

会場には約20分遅れで着いたが、開催前に大雨と大風が吹いて、開催が遅れている、という話し。
ちょっと目論見が外れたけれども、まあ良い。
暇なので、会場内をブラブラしていたら呼び止められて、お神輿の担ぎ役を仰せ付けられた。
お神輿を担ぐなんて、約40年振り。学生の時にアルバイトで担いで以来。

そして、遂に日本祭りが始まった。
タイ舞踏の演技が少し有って、来賓の方々の挨拶が始まる。
祭りの委員の方々のご尽力のおかげか、はたまた、歴代の日本人会の役員の皆様方のご努力のおかげか、沢山(自分は沢山と感じた)の来賓の方がお見えになっている。
皆さん張り切って、挨拶をされているが、とにかく人数が多いので、なかなか終わらない。
しかも、挨拶はタイ語と日本語の両方でするので(一人で両方する器用な方もいらしたし、母語以外は通訳を介す方もおられた)、2倍の時間が掛かる。
計った分けでは無いが、小一時間程、演説が続いていた様な気がする。

長い演説が終わって、やっと、いよいよ祭りの本番(?)(演説も祭りの一部か?)開始。
和太鼓の演奏は日本らしくていい(演奏していたのはタイ人の学生さん)。
そのあと、自分の出番の神輿担ぎ。
お神輿は日本人会の旧役員の方などが、作られたと聞いているが、なかなか立派なお神輿。
チェンライにも、これだけ大勢の日本人が居ると、いろんな特技を持たれている方が居るもんだ、と感心する。
兎に角、とても素人が、(しかも外国で)作ったとは思えない様な立派なお神輿。
神輿担ぎは、勢いだけで無事終了。ちょっとの時間だったけど、運動不足が影響して、少し息が切れた。

奥さん達の居る所に戻って、近くに居た知り合いの人達(日本人)としばし談笑。
お菓子などが後ろのテーブルに並べられたので、家族サービスで取って来たりする。
でも、妻曰く、「今年は食べる物が少ない」って、タダなんだからしょうがないだろ。
「その内、餅つきの餅が出て来るから」と言って宥める。

いよいよ、今回の催しの本命、餅つきの始まり。
妻も娘も、餅つきを見ようとしに行くが、人が多くてなかなか前列に出られない。
後ろの方でウロウロしていたら、ファランが娘に場所を空けてくれた。
付き上がったお餅に、きな粉と餡子を付けたものを頂いて、娘は「黄色いの美味しい」と満足している。
(良かった、連れて来たかいがあった)
子供には、おもちゃのお土産があったりして、娘には今回の催し、結構好評だった様だ。
妻も、基本的に大勢で騒ぐ事の好きなタイ人なので、一応満足した様である。

自分も、今回の日本祭り、面白かったと思って居るが、ちょっと残念だったのは、(妻も言っていたけれども)日本人が少なかった事。
最近、色々な日本人会の催しに、会員の出席率が落ちている様な気がする。
何が原因かは良く分からないけれども、一つは、何処を見るか、の問題の様な気がする。
有り体に言えば、上を見るか下を見るか、別のいい方をすれば、北タイに存在する色々な権威の方に目を向けるか、会員一人一人の方に目を向けるかの問題がある様な気がする。

2013年12月15日 (日)

再び鶏鍋

何かの本に書いてあったけれども、タイ人は一度気に入った料理があると、何度でも、しつこく出し続ける(食べ続ける)習性があるらしい。
家の嫁もまさに、この習性を持っていて、今は、鍋料理に凝っている。
今日の夕食も、またまた鍋料理だった。

夕食が鍋料理と知った時の娘の反応は、「えっ、またこれ~」「なんか、ちょっと、飽きたぞ」「でも、好きだよ」だった。
(全て日本語で、娘の言ったまま記載、なんか、ちょっと、言葉の使い方が自分に似てる)

ま、今日の鍋は、鶏の手羽先の他に、ムール貝、イカ、豆腐、あぶらげ、白菜、えのき茸、日本ネギなどが有って、前回よりちょっと高級でバージョンアップしていて美味しかったから良しとする。
最後は、ご飯を入れて雑炊にした事も前回と同様で美味しかった。

(マイフォトに写真あります)

タイ人の(妻の)、同じものを何度でも食べ続けると言う習性は、何でなのか。
一つは、食べて来た食材の種類が日本人と比べると、かなり限られていた事にあると思う。
例えば、動物性タンパクなら、鶏肉と豚肉、数種類の川魚と海の魚ならプラーニンという鯵の様な(?)魚ぐらい。
確かに、エビとかイカとか、ヘビとか蛙とかトカゲとか、昆虫とか幼虫とかも食べるが、回数や量的には少ない(と思う)。
(妻は、余り食べた事がないらしい)
日本の様に、朝は魚と玉子、昼は豚肉、夜は、牡蠣・うに・いくら・イカなどの海鮮料理という様に多様性のある食事を摂って来なかった。
ちょっと昔は、この辺(チェンライ辺りの)田舎の人は、買って食べるのではなく、獲って食べる(或いは、家で栽培した物を食べる)のが主流で市場で買って食べるという事をあまりしていなかった(と思われる)。
「買ったものを食べる」にしても、買う物はこの地域で取れたものが主流で、結局種類としては同じ様な物ばかりを食べる事になる。
日本の様に、多種多様な海の産物、川の産物、平地の産物、山の産物等々を食べ分ける事をして来なかった。
なので、今の子供でも、普通に食べられる食材は、日本人(や、多分他の先進国の人間)と比べると、非常に少ない。
タンパク源は、通常、玉子と鳥肉ぐらい、たまに川か池で獲った小魚、最近では市場で買った豚肉も食べるが、基本、食べられれば十分で、満足に食べられない事もある。なので、飽きたから違う物を食べるとか、栄養のバランスを考えるとかの、余裕はない。
今では、経済的に少しは豊かになり、流通も発達しているので、食べようと思えば、昔よりは、色々な物を食べられる様になったが、味覚がそれに追いついていない。

味覚を感じる能力は、5歳ぐらいまでに完成し、それ以降は余り成長しないらしい。
今の母親の子供時代は、本当に食材の少ない時代だったので、完全に美味しいものの味が分からないまま大人に成った。
(例えば、牛肉、海のエビ、海苔、などをこの辺の人は美味しいと感じない様だ)
母親が美味しいと思わないものは、子供に余り食べさせないので、子供も、母親と似た様な味覚の持ち主になる。

もう一つ、同じものを何度でも食べ続ける習性に影響を与えているのは、タイ人のものぐささ。
兎に角、考えない、工夫をしない、努力しない。
此れでは、美味しい料理を毎日・毎食、作り続ける事は出来ない。
やっぱり、料理というのは文化だと思う。
文化的レベルが低ければ、料理のレベルも向上しない。

2013年12月13日 (金)

メサイ戦記(忘年麻雀大会)

今日は1年の締め括り、雌雄を決する忘年麻雀大会。
決戦の場は天下分け目の関ヶ原、ではなく、タイの北の果てメーサイ。
集まったのは、8人の戦士ならぬ、8人の雀士。及び、助っ人数名と応援団の奥方達。
総勢20数名。

まずは、戦士の紹介から。
最初は、上の方が、ツルツルしてチャーミングなメーサイの「ご当地キャラ」、I さんと助っ人のSさん。
それに、バンドゥーの住人、Oさんを加えて、「3匹の侍」ならぬ、「3人の臼井さん」。
遊び人のOさん。
今回、唯一の外国人選手のM君(一番若い)。
気配りの人Hさん。
渋い魅力のOさん。
それと、花のお江戸は杉並区、及びチェンライ県パーン郡の迷人(自分です)。
最後は、今回の仕掛人、自称「KING OF MARJYAN」、メーサイのYさん。

まずは2組(4+4)に分かれて予選第一ラウンド。
戦いの詳細は面倒なので省略して、以下、ハイライトシーンのみ記載。

予選1組、自分は東1局の南家。
さいさき良く、6・9萬で素早くテンパって、リーチ。
ここで、最初に上がれば、以後の戦いが大分有利に成る。
しかし、皆さん、なかなか慎重。振ってくれないし、積もれない。
遂に、海底(ハイテイ)まで来た。
しかし、結局積もれず、「ま、ノーテン棒が1500か3000点入るから、いいや」と思った瞬間、対面から、「ロ~ン!、海底・七対」。
「じぇじぇじぇ」、東1局からいきなり振り込んでしまった。早くも、予選1回戦敗退のピ~ンチ。
しかしまだ、東1局、諦めるには全然早い。覚えてろよ、「倍返し!」にしてやる。

結果、「倍返し」とまでは行かなかったけれど、どうにか持ち直して、予選1回戦はマイナス1で、かろうじて2位通過。

予選2回戦は、順当に上がりを重ねて、危なげなく1位通過。
そして、いよいよ、午後2時50分(PM2.5?)、決勝戦へと突入。

この時点で、真剣に(?)戦をしているのは、決勝戦に残った4人だけで、外では、敗退した者達、助っ人の人達、応援団の奥方達が酒宴で盛り上がって居る。
何やら、うちは毎日とか、うちは1日2回とか、「特定秘密保護法」に引っかかりそうな怪しげな話しを奥方達(殆どタイ人)がしているのが聞こえて来る。
(しかも大きな声で!)
(見栄はるんじゃありません!、ご主人はみんな60前後の爺様達なのに、そんなに出来る訳、ないだろ!)
(うちの奥さん、連れて来なくて良かった~)
(こんな所で、「ヘイトスピーチ」されたら、たまらん!)

んな事には、かまっていられん。
こっちは今、決戦川中島の真っ最中。

決勝戦、東2局南家。
10順目ぐらいに、平和(ピンフ)、一盃口(イーペーコー)、ドラ1、の手をテンパった。
点棒はまだ4人共、殆ど動いていない。
ここで、高い手で先制すれば優勝に大きく近付く。
という事で、「今でしょ!」、と気合を込めてリ~チ。
で、見事いきなり積もって、「リーチ、一発、ツモ、一盃口、ドラ1、マンガ~ン」。
(このルール、積もは平和が付かない)
と思ったら、裏ドラも1枚乗って、な・な・なんと、ハネ満。

このまま有利に試合を進めて、遂にラスマイの親。
ここで、高い手を上がれば決定的だし、振りさえせず、オーラスに持ち込めば相当有利。

しかし、ここで、ヒタヒタと2番手で追いかけて来ていた外国人選手、M君が「リ~チ!」。
そのあと、M君、「オ~、イッパツー」「リーチ、イッパツ、ツモ、ウラドラ1」、だって。
「クソ!」、トップ逆転されたやんけ。

オーラスは今回の仕掛人、Yさんの親。
Yさん只今ドンペ。でも、親なので逆転のチャンスはある。
しかし配牌で、何回も数えて、「8種9牌はダメ?」とか言っている。
(コリャダメダネ、親は9種9牌以上でしょ)
自分の手はなかなかいい手。
上手く行けば再逆転のチャンスは十分にある。

しかし、なかなか手は進まず、逆に、10順目ぐらいで、南家のM君から「リーチ」。
自分は、その時、2シャンテン。しかも、西家の I さんからも追いかけ「リ~チ!」。
万事窮す。
で、結局M君が、3900で積もって終戦と成りました。
(自分は、2着)

そのあと、悔しそうに開いたYさんの手を見て、ビックリ。
「じぇじぇじぇ、国士テンパッてるやんけ!」。
自分が降りて「発」を切った時、Yさんが変なモーションをかけて来たので、「ヘヘヘ、国士なんて有る訳がない」、場に3枚出ている4枚目の「北」を自分が持っているからね、と思っていたのだが、危なかった。
あのまま、誰も上がらずに進んだら、安全パイに困って4枚目の「北」を切ったかも知れない。
そうしたら、Yさんの大逆転勝利(親の役満は48000点)になる所だった。

と言う分けで、今年の麻雀大会は、唯一の外国人選手、M君の勝利で終わりました。
日本人、だらしがないぞ、国技(?)の麻雀で負けるなんて。
(まるで、モンゴル人に、いいようにやられている相撲みたいだ)

最後に、今年1年間、自分の勝利に付き合って頂いたメンバーの皆様、ありがとうございました。
特に、自分を犠牲にしてでも(負けてでも)、来客を喜ばそうという、「お・も・て・な・し」精神溢れる、Y家のご主人には、本当に感謝しています。

来年も、趣味を通して、知り合いの「輪」を広げて行きたいと、思っています。
もう一度、「皆さん、いつも勝たせてくれて本当に、あ・り・が・と・う」(迷人)。


補足。

2013年、流行語大賞。

年間大賞、「今でしょ!」、「お・も・て・な・し」、「じぇじぇじぇ」「倍返し」。

トップテン、「アベノミクス」、「ご当地キャラ」、「特定秘密保護法」「PM2.5」、「ブラック企業」、「ヘイトスピーチ」。

2013年、今年の漢字。

「輪」。.

2013年12月11日 (水)

こんな所に旅館?(チェンライのコーヒー屋)

チェンライに「旅館」(日本語)と言う名のコーヒー屋が有る。
もっとも、最近、宿泊施設も併設されたので、旅館で間違いではない。
このコーヒー屋の凄いところは、そのローケーションにある。
タイでも北の果て、チェンライの郊外、有り体に言えば、「ど・ど・ど田舎」に有る。
周りは田圃ばかりで他には何も無い辺鄙な田舎。
特に観光地と言う分けでも無いし、街からも遠い。国道からも1~2km奥まった所に有る。
長閑な農村地帯のど真ん中。
左右に広がる田圃を見ながら、細い道(一応舗装はしてある)を車で行くと、突然、「旅館」という文字が目に飛び込んで来る。
「な・な・なんで、こんな所に、(日本語の)旅館・・・?」という感じ。
そこには、まるで、オーナーが(採算を度外視して)洒落と冗談で作ったとしか思えない様な喫茶店がある。

(マイフォトに写真あります)

お店自体は、落ち着いた雰囲気で、明るくて、センスのいい、洒落た感じの喫茶店。
店内には、日本風の装飾や日本語の看板などが有り、ちょっとだけ日本の雰囲気を醸し出している。
メニューは、基本、コーヒー屋なので、コーヒーやソーダなどの飲み物類、アイスやケーキなどで、カレー以外は特に、日本のメニューという分けではない。

今日は食事を兼ねて行ったので、自分はカレー(125バーツ)とアイスコーヒー(65バーツ)を注文。妻はカノムチン(麺類、40バーツ)とアイスクリームクッキーコーヒー(95バーツ)を注文。
カレーは、特に美味しいと言う程でもない(不味くはない)。タイの日本料理屋によくある、普通の和風のカレー(CoCo壱番のカレーの方が美味しい)。
コーヒー類は、甘過ぎず、タイとしては上出来と言えるコーヒー。
(タイ人の奥さんは「苦い」と言っていた)
(自分はグルメでもないし、コーヒー通という分けでもないので、その点を考慮して読んで下さい)

お店の外周は半分ぐらい壁のない開放的な作りに成っていて、道路に面した側が空いている(交通量は殆どない)。
道の向こう側は田圃なので、兎に角、長閑な雰囲気。
ゆっくりした時間の中でコーヒーを飲むにはいい所だと思う。

店を挟んで道路の反対側は、ちょっとした日本のテーマパークの様に成っていて、小さな鳥居や池、日本の古い農家風の宿や茶室などが有る。
因みに、宿の宿泊費を聞いたら、通常1泊6500バーツ、今日はプロモーションなので4500バーツという事であった。
これには、「・・・・・」という感じ。
ちょっと中を見せて貰ったが、畳の部屋や露店風呂風の設備もあって(値段と場所の不便さを考えなければ)面白いかも知れない。

日本贔屓の妻には、結構、受けた様で、茶室を覗き込んだり、鳥居をお参り(?)したり、あちこちで写真を撮っていた。
帰りには、お店で売っている日本グッズ(?)として、旅館のTシャツ(漢字で、「旅館」と書いてある、多分タイ製だと思う、220バーツ)を買わされた。

補足1。

こんな辺鄙な所にある喫茶店なんて、普通、絶対に気が付かない(見付からない)。
この喫茶店を教えてくれたのは、ブログ「タイ・チェンライからの旅便り」の筆者様からで、そのブログの 2013/5/23 日の記事にも、詳しい内容が書かれています。

補足2。

初めの方で、「冗談で作ったとしか思えない喫茶店」と書きましたが、経営の事(事業の事)は分からないので、もしかしたら、このオーナーさんは物凄い慧眼の持ち主、或いは事業の天才かも知れない。
あの立地で、あの事業、普通はちょっと考えられない発想だと思う。
何れにしても、こういった日本贔屓(?)のお店が繁盛してくれる事を願っています。

追記(2017/06/09)

今、思うと、ここのコーヒーは、あんまり、おいし○ない。
飲み物の主体はタイらしく甘い飲み物が多い。
甘い飲み物より、「砂糖を入れないでね」、と言って注文する抹茶の方がいい。

カレーやおにぎりは昔から、まあまあ、だと思う。

この記事を最初に書いた頃から比べると、今は施設も増えて、客も結構来ているようで、予想外に繁盛している様に見える。

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