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2013年12月15日 (日)

再び鶏鍋

何かの本に書いてあったけれども、タイ人は一度気に入った料理があると、何度でも、しつこく出し続ける(食べ続ける)習性があるらしい。
家の嫁もまさに、この習性を持っていて、今は、鍋料理に凝っている。
今日の夕食も、またまた鍋料理だった。

夕食が鍋料理と知った時の娘の反応は、「えっ、またこれ~」「なんか、ちょっと、飽きたぞ」「でも、好きだよ」だった。
(全て日本語で、娘の言ったまま記載、なんか、ちょっと、言葉の使い方が自分に似てる)

ま、今日の鍋は、鶏の手羽先の他に、ムール貝、イカ、豆腐、あぶらげ、白菜、えのき茸、日本ネギなどが有って、前回よりちょっと高級でバージョンアップしていて美味しかったから良しとする。
最後は、ご飯を入れて雑炊にした事も前回と同様で美味しかった。

(マイフォトに写真あります)

タイ人の(妻の)、同じものを何度でも食べ続けると言う習性は、何でなのか。
一つは、食べて来た食材の種類が日本人と比べると、かなり限られていた事にあると思う。
例えば、動物性タンパクなら、鶏肉と豚肉、数種類の川魚と海の魚ならプラーニンという鯵の様な(?)魚ぐらい。
確かに、エビとかイカとか、ヘビとか蛙とかトカゲとか、昆虫とか幼虫とかも食べるが、回数や量的には少ない(と思う)。
(妻は、余り食べた事がないらしい)
日本の様に、朝は魚と玉子、昼は豚肉、夜は、牡蠣・うに・いくら・イカなどの海鮮料理という様に多様性のある食事を摂って来なかった。
ちょっと昔は、この辺(チェンライ辺りの)田舎の人は、買って食べるのではなく、獲って食べる(或いは、家で栽培した物を食べる)のが主流で市場で買って食べるという事をあまりしていなかった(と思われる)。
「買ったものを食べる」にしても、買う物はこの地域で取れたものが主流で、結局種類としては同じ様な物ばかりを食べる事になる。
日本の様に、多種多様な海の産物、川の産物、平地の産物、山の産物等々を食べ分ける事をして来なかった。
なので、今の子供でも、普通に食べられる食材は、日本人(や、多分他の先進国の人間)と比べると、非常に少ない。
タンパク源は、通常、玉子と鳥肉ぐらい、たまに川か池で獲った小魚、最近では市場で買った豚肉も食べるが、基本、食べられれば十分で、満足に食べられない事もある。なので、飽きたから違う物を食べるとか、栄養のバランスを考えるとかの、余裕はない。
今では、経済的に少しは豊かになり、流通も発達しているので、食べようと思えば、昔よりは、色々な物を食べられる様になったが、味覚がそれに追いついていない。

味覚を感じる能力は、5歳ぐらいまでに完成し、それ以降は余り成長しないらしい。
今の母親の子供時代は、本当に食材の少ない時代だったので、完全に美味しいものの味が分からないまま大人に成った。
(例えば、牛肉、海のエビ、海苔、などをこの辺の人は美味しいと感じない様だ)
母親が美味しいと思わないものは、子供に余り食べさせないので、子供も、母親と似た様な味覚の持ち主になる。

もう一つ、同じものを何度でも食べ続ける習性に影響を与えているのは、タイ人のものぐささ。
兎に角、考えない、工夫をしない、努力しない。
此れでは、美味しい料理を毎日・毎食、作り続ける事は出来ない。
やっぱり、料理というのは文化だと思う。
文化的レベルが低ければ、料理のレベルも向上しない。

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