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2015年2月の7件の記事

2015年2月26日 (木)

ちょっとした事(2015年2月-2)

2015/02/28(そろそろ暑く成って来た)

まだ明け方は涼しい日もあるけれど、日中は暑く成って来た。
最近は減量の為、ほぼ毎日1~2時間半ぐらいの自転車運動をしているが、そろそろ(暑くて)きつく成って来た。
今日は今年始めて、クーラーを入れた。


2015/02/26(本日の麻雀)

1着→1着→3着→2着 で +87。

これで7連勝。
メーサイだけに限って言えば17連勝。

きょうは、そろそろ負けるかな、と思って臨んだのだが。
最初の半チャン、東1局の親、始まったばかりでリーチをかけた。
で、リーチ、一発、ツモ、四暗刻、タンヤオ、裏ドラ3。
役満は4倍満のルールなので、16000点オール。
これで、今日の負けの可能性は、いきなり、ほぼ無く成った。

結局、大勝。


2015/02/21(昴)

バンコクからお義兄さんが来たので、食事に誘った。
近所に居るもう一人のお義兄さんとお義母さんも誘って、親しい一族8人(うちの家族3人、上のお義兄さんの家族3人と、お義母さんと下のお義兄さんの8人)で食事に行った。
お店は、家から10km程の所にある、この辺の田舎ではまあまあのお店。

小さなステージが有って、歌手の人が歌っている。
こういうお店では、良くある事だが日本人を見ると「昴」を歌い始める。
ま、しょうがない、一応今日の食事会のホストとしては「場」を盛り上げなければならない。
で、歌いました。昴。

♪ わ~れは行く、あ・お・じ・ろ・き、ほほのま~まで~ ♫

日本のカラオケではないので、画面に日本語の歌詞は出ない。
ただし、聞いているのはみんなタイ人なので、多少間違っても分からない(多分?)。
下手な自分が歌たって歌い易く成ったせいか、皆さん続いて歌い始めた。
食事の方は、自分とお義兄さんはビール、食べ物は、エビのつみれ揚げ(トートマン・クン)、カオパット(炒飯)、鶏のから揚げ、サラダ、ソムタム、パックブンファイデーン(空芯菜炒め)、トムヤムタレー(海鮮トムヤムスープ)など。
またまた、ダイエットが遠のいて行く~、と心配しつつ、リクエストにお答えして、も一曲。
スキヤキソング(タイでもこう言うらしい)。

♫ う・え・を~、む~ぅ・いて~、あ~る・こぉ・お・お・お~、なみだが~こぼれ~ ♪

日本人は無愛想と思われない為に、結構、気を使っているのです。

で、お会計。
当然、全部自分払い。
タイに来始めた最初の頃は、ちょっと抵抗が有ったけれど、今では、「まあ~しょうがないか」と思う様に成った。

チップ込みで1679バーツ。
(この他に、歌手の人に妻が100バーツ程渡していた)
小綺麗なお店だけど、田舎だから安い。
8人で6000円あまり(1バーツ3.6円として計算)。
このぐらいの出費は、タイの田舎に住んでいるのだから、たまにはしょうがない。


2015/02/19(本日の麻雀)

3着→4着→2着→1着→2着 で +28。

これで6連勝。
メーサイだけに限って言えば16連勝。

勝ち負けの確率が2分の1とすると、有る時点から16連勝する確率は2の16乗分の1。
2→4→8→16→32→64→128→256→512→1024→2048→4096→8192
→16384→32768→65536。
すなわち、65536分の1(0.0000152)の確率なので、結構珍しい記録だと思う。


2015/02/19(わかめスープ?)

うちの奥さん、日本語が読めないし、味見もしない、仮に味見をしたとしても(多分?)味音痴なので、味が分からない。
そういう人が、日本のインスタント料理を作るとどうなるか。

きょうの朝食のメニューは、ご飯にキュウリの酢漬け、シューマイに、わかめスープ。
ご飯を炊いた以外は、全部出来あいの物やインスタント食品。それはいい。
しかし、1点、変なのがあった。
わかめスープだと思ったのが、わかめの入ったお湯だった。
どうして、こんな物が出来たのか・・・?。

捨ててある、インスタント食品の袋から推察したところ、どうやら、お湯に味噌汁の「具の袋、わかめ」を入れただけの物らしい。
ま、今は減量中だし血圧も心配なので、塩分なし、殆ど味無し、の「わかめ入りのお湯」でもいい・・・。

んな、分けないぞ~・・・!。


2015/02/17(セーターを貰った)

(タイ人の)奥さんが、国から(?)支給されたセーターを貰って来た。
村の人、一戸に一着、支給されたらしい(当然タダ)。
今年は、特別に寒いので、村の皆さんが寒さで凍えない様にという、国からの特別なご配慮らしい。

我が家は、日本人の旦那が居て、この辺では金持ちという事に成っているので、こういうのを頂いた事は無い。
今回が始めて。
家から500m程離れた地区の役所で配っていた(らしい)。

近所の人達も大勢来ていたという。
奥さんが貰う時、みんなが驚いていた(らしい)。
皆さん、「アオロ~、フェーン・ルアイマーク(えっ!、欲しいの?、旦那さんお金持ちなんじゃないの!)」。
(一応、生活にゆとりのない人に対する支援、という建前になっているらしい)
それに対して、奥さん、「アオ~、マイルワイ(欲しいよ~、金持ちじゃないよ~)」。

エライぞ!、奥さん。
少しは分かって来たじゃないか。

色は色々有ったらしいが、奥さんの貰って来たのは、ライトブルーのセーターで、十分な大きさが有って、割と着心地のいいセーターだった。

しかし・・・?。
どうせなら、もうちょっと早く(あと2ヶ月ぐらい早く)くれよ。
まだ朝は少し涼しいけど、もうそろそろ暑く成る季節だぞ!。
1月の寒い時に、くれなくて、今頃なんて・・・。

2015年2月24日 (火)

タイ人は一人で病院に行けない(群れたがる4)

きのう(23日)お義母さんが入院したが、先程、無事退院して戻って来た。
先日、自分の下手な歌を聴かせた(「昴」、2015/02/21の記事に記載)のが原因で具合が悪く成ったのかな・・・?、と、ちょっと心配したけれども、取り敢えず、無事退院出来たので良かった。
何でも、入院時、血圧が204あったらしい(この数字がどの程度危険なのかは、自分は知らない)、それが120に下がって帰って来た(らしい)。

誰かが、入院した時いつも思うのだけど、妻の一族は必ず誰かが付き添う。
これが、タイ人一般の傾向なのか否かは確信は持てないけれど、知りあいの話などを聞くと、日本人よりは遥かに付き添う事が多い様に思う。
表題の「タイ人は一人で病院に行けない」は、ちょっと断定的過ぎる表現に成ったけれども、日本人と比べればタイ人の方が遥かに、病院へ行く時の付き添いや、入院中の付き添をする傾向が強い気がする。

お義母さんの入院では、きのうの朝から、きょうの昼まで、最初は奥さん、次はお義母さんの妹さん、昨夜はお義兄さん、今朝から奥さん、という順でずっと誰かが付き添った(らしい)。

(タイの)自分の家族でも、今迄、妻が入院した時には夜通し付き合わされたし、娘が入院した時は夜中まで2人で付き添って、深夜、自分は1人で帰宅したが妻は朝まで付き添ったりしている。
いずれにしても、泊りの時は誰かが必ず付き添う。

日本では、どうなのだろう。
実は、自分は日本で入院した事はまだ1度もない(幼稚園以下の事は記憶にない)。
(日本の)身内でも、殆ど入院した家族はいないので、良く分からないが、自分も他の家族も付き添っての看病は、していないと思う(正確な記憶はない)。

大体、日本人はそう簡単に病気にならないし、ちょっとぐらいの病気では入院しない。通院で治す。
健康管理もしっかりやるので、病気に成ったとしても入院を必要とする様な病気には滅多にならない。
(多分そうだと思うのだけど、統計的に調べた分けではない)
(最近は、高齢化が進んでいるので、以前と比べると入院する人は増えているかも知れない)

それに比べると、タイの場合は、状況が随分異なる。

まず、入院が多い。
タイの医者は、取り敢えず入院させて、取り敢えず点滴を打つ(?)。
患者(タイ人)の方も、すぐに入院したがる。
日本だったら、入院はしないだろうな~、と思う程度でも入院したがるし、日頃の健康管理が悪いので、入院や病院へ行く機会も多く成る。
それに、家族が付き添う。

自分から見れば、そこまでする必要がないんじゃないの、病院に任せておけばいいでしょ~、自分の仕事しなくていいのかい、と思う付き添いが多い。
(自分が薄情なのか・・・?)

きのう、仕事があってバンコクへ戻ったお義兄さんなど、また明日チェンライに来るらしい
お義母さんの退院が分かる前に、バスのチケットを買ってしまったらしい。
身内を取るか、仕事を取るかの選択で、この程度の事だったら、日本人なら仕事を取りそうな気がする。

(2015/02/25追記、このお義兄さん、今朝来て、さっきPM6:30発のバスでバンコクに帰って行った。
明日はチョンブリーで朝から会議があるらしい。ご苦労な事だ。
なんだか、仕事に対して真面目なのか、いい加減なのか、良く分からない)

兎に角、1人じゃ病院に居られないというのは、大人としてはいかがなものか。
それとも、タイの病院は、医者や看護婦など信用出来ないので、ずっと誰か身内が付き添っていなければ危ないのか・・・?。
自分の感じでは、そんな事(タイの病院の看護体制は信用出来ない、なんて事)は無いと思うのだが・・・?。

2015/02/26追記-----------------------------

実は、このブログを読んだある方から指摘されたのですが、タイの病院は(病院によっても違うらしいが)制度的に、付き添いを必要とするらしい。
要するに、看護婦さんが日本程、手助けをしてくれないので、「付き添いは必要」という話しでした。
そうすると、1人者の人は、入院出来ないとか成って、面倒な事に成ると思うのだが、良く分からない。
それに、病状によっては、(ナースコールさえあれば)常に付き添う必要のない場合も多い様に思う。
ちゃんと調べれば、どういう制度なのかは、分かると思いますが、このブログでは、そこまで追求しません。

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もうひとつ、日本とタイの違い。

病院に行く時、日本では、基本1人で行く。
余程具合が悪くて、1人ではまともに行けそうもない時以外、基本1人で行く。
風邪ぐらいなら、当然一人で行く。
タイ人(うちの奥さん)はこれが出来ない。
まあ、怪我をして塗り薬を貰うぐらいなら1人で行くけれども、あとは、大体付き合わされる。
判断の基準は難しいけれども、自分なら、この程度の事でいちいち医者に行かなくていいんじゃないの、と思う様な事でも医者に行きたがる。

この辺の事も、タイの田舎の人の性格が表れている気がする。
すなわち、一人一人が自立した大人に成り切っていない。
自分で何とかしようとしない。依頼心が強い。
何でも、大袈裟に騒いで周りに助けを求めようとする、という性格が表れている気がする。


余談1。

12年程前、バンコクで一人暮らしをしていた頃、物凄い下痢と嘔吐で一晩中一睡も出来なかった事がある。
で、今の奥さんに助けを求めた。
1人で病院へ行く事も出来たと思うけれども、深夜(AM3時頃?)だったし、頭はフラフラ(胸がムカムカ?)しているし、病院での手続きも良く分からないし、外国なので心細かったので、助けに来て貰った。
明け方の5時頃バムルンラート病院へ着いて、そのまま入院。
点滴を30時間ぐらい打ち続けて、少しは元気が出て来たが、まだフラフラする状態。
この時、医者には、「まだ退院は出来ない」と言われたが、日本に帰国する夜の便のチケットを取ってあったので、無理やり退院して日本へ帰った。
ドンムアン空港(当時はスワンナプーム空港は無かった)で、送ってくれた彼女とレストランに入って食事をしたが、(飛行機の中の事が)心配で、殆ど何も食べられなかった記憶がある。

自分が入院したのは、生涯でこの1回だけ(幼稚園以下は記憶にない)。

この時の借り(?)もあるので、妻が病院へ行く時や、入院した時は、付き合わざるをえない(?)。


余談2。

タイの(田舎の?)人達に関して、「群れたがる1」と「群れたがる2」、という記事を昔書いた事がある。
その時、それに続く、「群れたがる3」をすぐ書こうか、と思ったのだが、自分の中で上手く纏める事が出来なかったので、そのまま保留に成っていた。

書きたかったのは、タイ人は(特に田舎のタイ人は)1人1人が自立していなくて、依頼心が強い事。
問題があった時、自分で何とかしようと努力せず、すぐに周りの人(親族など)に助けを求めようとする事。
タイの(特に田舎の?)人達が群れたがるのは、「助け合い」ではなく「もたれ合い」ではないかと思われる事などである。

「助け合い」なら、自分は「何々」をするから、そちらは、「是々」をして下さい、に成るが、タイの田舎の場合は、「もたれ合い」なので、一方的に求めるだけ(もたれ掛るだけ)になる。
求める方は、何の努力もしないし、その事を悪いとも思わないので、何かしてあげても、礼も言わない。

例えば、健康管理。

(大人なら)健康管理は基本的に自己責任で、日頃から、病気にならない様に注意する(自己管理する)べきである。
もし、病気に成ったら、自己責任で病院へ行く。
当然、入院中も、出来るだけ周囲(親族など)の負担にならない様に心掛ける。

しかし、タイ人の場合は、自己管理もしないし、自分の事で、「周囲に迷惑を掛けている」、という認識も持たない。

例えば、金銭管理。

(男なら or 一部女でも)大人なら、金がなければ働いて稼ぐ。
金が足りなければ、節約をするとか、知恵を絞ってもっと稼ぐ方法を考えるとか、少ない金でも上手く出来る方法を考えるとか、自分で工夫をするべきである。
旨いものを食べたければ、そうやって稼いだ(貯めた)自分の金で食べる。
遊びたければ、自分で稼いだ金で遊ぶべきである。

しかし、タイ人の場合は、金が無いのは自分の責任という認識がないので、金を沢山もっている親族(や友人)がいれば、助けるのは当然だと考える。

例えば、子育て。

親が(特に父親が逃げてしまった母親が多い)、子育てを放棄して、自分の親や親戚、或いは殆ど他人に任せる、というケースはタイでは結構あるらしい。
自分の知っているのでは、連れ子の有った母親が逃げてしまって、血縁関係のない義理の父親が子育てをしているというケースもある。

2015年2月12日 (木)

日経平均7年半ぶりの高値(2015年2月12日)

きょうのヤフーニュースの経済欄に標記の見出しが出ていた。
何でも、(日経平均の)終値1万7979円は2007年7月24日以来の、7年半ぶりの高値らしい。
自分の場合、主として手持ちの株や預金を取り崩して生活する、一種の「竹の子生活」みたいなものなので、竹の子の太る事、すなわち日本の株価が上がる事は好ましい。

安倍政権に成って(2012/12/26~)株価は随分上がった。
(自分が)ベンチマークとしている日経平均で見ると、

2012年末、  2013年末、      2014年末、      今年1月末、    今年2月12日終値
10395→16291(56.7%増)→17450(7.1%増)→17674(1.3%増)→17979(1.7%増)

と成っている。
それに対して、自分の竹の子の増加分は、

20.8%増(2013年末の対前年末比増加率)→6.0%増(2014年末の対前年末比)→3.3%増(今年1月末の対前年末比)、と成る。

今年の1月末と2月12日(今日の)終値との比較は集計していないので分からないが、主要株だけの概算値では、7.3%増と成っている。

全体的に見れば、日経平均の上昇率に比べて、自分の成績は悪いが、これは、預金や債券、その他を含んでいるのでしょうがない。
(なお、評価の難しい不動産資産は含めていない)
仮に、日本の株価が暴落などした場合には、預金・債権等が生活を下支えする(積り)。
(ただし、もの凄い大不況や戦争に成れば話は別。債権が紙切れに成ったり、物凄いインフレで、お金の価値自体が大幅に縮小する可能性もある)
(あと、この計算は円ベースなので、円安を考慮すると増加分はかなり目減りする)

最近(今年に入って)ちょっといい感じなのは、日経平均の上昇率を自分の竹の子達の成長が上回っている事で、特に2月に入ってからの成績がいい。

まあ、数字だけ見れば、「悪くは無い」のだけれども、感覚的には、どうも今の状況は居心地が悪い。
何故かと言うと、2年程前から、株価の上昇に伴って少しずつ、株を売って来た。
株は、資産としての意味の他に、趣味みたいな所があって、買って上がるのを楽しみにしている。
しかし、どんどん上がるので、株を売ったお金で、次に買う株が見付からない。
なので、これから上がりそうな株を捜したり、買ったりする、楽しみがない。

買った株が、予想通り上がれば、もっと嬉しいのだが、昔、こういう状況で、無理に買って痛い目にあった記憶があるので、おいそれと新しい株には手を出せない。
なので、国債とかMRFの様な、運用利回りの良くない債権に資金が眠る事に成る。
このままどんどん株が上がり続けると、ベンチマークと比べた運用成績は落ちるばかりに成る。
こういう時が一番対応が難しい。


補記。

鋭い人ならば、この記述の矛盾点に気が付いたかも知れない。
それは、2013~2015年1月までの生活費は何処から出ているか、という点。
少しぐらいの利益など、生活費で吹っ飛んでしまう。
事実そうなので、生活費の分が、丸々マイナスされれば当然(?)、増加分など無く成ってしまう。
この件に関しては、ブログでは省略します。

ちょっとした事(2015年2月-1)

2015/02/12(フツー、洗うか・・・?)

いつも、珍妙な事をやらかしてくれる我が奥さん。
ブログネタには困らなくていいのだが、きょうも・・・。

きのうはメーサイの宴会(兼麻雀)で、食べ過ぎたので、家に帰ってからは、何も食べなかった。
家には、近所のステーキ屋で買って来た、鶏ステーキセット(鶏ステーキとパンとサラダ)が置いてあったが、ダイエット中なので食べなかった。

今朝、「きのうのステーキを食べる」と言って、奥さんに出して貰ったのだが、小さな蟻が、バターの塗った食パンに10匹程貼り付いている。
冷蔵庫に入れて保管したらしいが、その前に蟻が付いて居たらしい。

私、奥さんにパンを見せながら、「蟻が居るよ」。
奥さん、「え~、本当だ~」(多分こんな感じ)。
で、奥さん、その蟻の付いたパンを台所に持って行って、洗って来た。
確かに、蟻は落ちていたけど、フツー、バターの塗ってある食パンを洗うか・・・?。

でも、まあ、黒コショウのタレを付けて食べた鶏ステーキも、ドレシングの掛った野菜サラダも美味しかったので良かった。
パンも、随分水っぽいパンだったけれども、お腹が空いていたので、美味しかった。

補足。

「パンを水で洗う」、自分としては、俄かには信じ難い所業だったので、このブログを書く前に、一応、奥さんに確認した。

私、「さっき、パンを洗ったの?」。
奥さん、「ハイ」。
私、「水道の水で洗ったの?」。
奥さん、「ハイ、水道の水で洗った」。

我が家は、食器洗いには水道の水(正確には家の井戸水)を使うが、飲み水や料理に使う水は、ペットボトルの買った水を使う。

せめてペットボトルの水を使って欲しかった・・・て、そういう問題じゃないか・・・!。


2015/02/11(本日の麻雀)

1着→2着→2着 で +44。

これで5連勝。
メーサイだけに限って言えば15連勝。 (^-^)/
負ける気がしない。て、言うか負けない。


2015/02/02(本日のボーリング)

136→122→107、と、ビール2本。

久々なので、まーこんなもん。

それはともかく、2月に入って、チェンライは大分暖かく成って来た。
今日は朝から、短パンTシャツのタイの標準スタイル(?)でよく成った。
夕方頃には、ちょっとクーラーでも入れようかと、思う程の室温に成った。


2015/02/09(甘過ぎだろ~!)

チェンマイ領事部へ妻のVISAを受け取りに行った時の話。

車で行く途中、ウィアンパパオのドライブインで休憩をした時、アマゾンコーヒーでアメリカノー・イエン(アイス・アメリカンコーヒー)を注文した。
10年前だったら、かなり甘く感じただろうけど、タイの甘々のコーヒーに慣らされて来た自分としては、ちょっと甘いかなと、思う程度の甘さだった。
自分はちょっと味見をしただけで、奥さんに渡した。

で、奥さん、ちょっと飲んで、「ニガ~イ(日本語)」。
妻のこの反応は始めから予想していたので、コーヒーを受け取る時、紙袋に入った砂糖を2袋とクリームを1袋、持って来ていた。

それを、コーヒーに入れて掻き混ぜて奥さんへ(アイスなので良く溶けないが、一応、混ざった)。
さあどうだ、これなら大丈夫だろ~。

しかし奥さん、再び、「ニガ~イ!(日本語)」、「砂糖が足りない(タイ語)」、「もっと欲しい~(タイ語)」。

しょうがない、今度は砂糖3袋とクリームをもう1袋、取って来て、再び掻き混ぜて、奥さんへ。
今度は、流石に「苦い」とは言わなかった。
奥さん、「丁度いい~」。

試しに自分もちょっと飲んでみた。
それは、もう、コーヒーと言うより、コーヒー風味の砂糖水だった。
元々、甘いコーヒーに砂糖5袋、クリーム2袋、入れたのだから、もうコーヒーとは別の物に成っている。
アイスなので、よく溶けなかった砂糖がジャリジャリして中に入っている氷と混ざって、氷砂糖を食べているようだった。

2015年2月10日 (火)

タイの子供の将来の夢

最近のニュースクリップ(タイのフリーペーパー)に、「タイの子ども、住みたい国は」という記事が載っていた。
1位がタイ、2位が日本、3位がアメリカなのだが、試しに娘(10歳)に聞いてみた。
私、「タイの子供、住みたい国は何処だと思う~、1位は?、2位は?」。
娘、「1番目はタイかな?」。
これは当たり、正解。
娘、「2番目は、まさか日本じゃないよね?」。
ピンンポーン、これも当たり。
まあ、娘の知っている国はこの2つぐらいしかないので、当たって当たり前。
因みに、3位のアメリカは、娘曰く、「英語が出来ないので嫌~」。
流石、わが娘だ!(父親は英語嫌い人間!)。
私(心の声)「良かったね~、君はどっちの国でも、暮らせるよ!」。
(娘は2国籍、タイ語が母語だが、日本語も可)

次に、「将来就きたい仕事」。
私、「タイの子供、大きく成ったら何に成りたいか分かる~」。
娘、「・・・」。
この質問は分からなかったらしい。

私、「1番目はお医者さんだって」。
これは、娘も何となく分かったらしい。
私、「じゃー、2番目は?、3番目は?」。
娘、「・・・」。
私、「男の子も含めての話しだよ」。

私、「2番目は、タハーン(兵隊さん=軍人)だって」。
娘、「へえー、そうなの・・・?」。
これは、合点がいかない様子。
私、「じゃー、3番目は?」「タハーンに似てるやつ」。
娘、「タムルワット(警官)・・・???」。
正解!。まあ、ここまでヒントを出せば分かるわな!。

しかし、2番目が軍人で、3番目が警官というのは、如何にもタイらしい。
今は、軍事政権だから「軍人」が2番だが、タクシンさん(警察官僚出身)が政権をとっていた頃は「警官」が2番だったりして・・・?。
娘に、「何で?」と聞かれても、返答に困った。
私、「・・・偉い人に見えるからかな~・・・?」。

日本はどうなのだろう。
刑事さんはテレビドラマでよくやっているから、上位に出て来るかも。
でも、水谷豊さんとか織田裕二さんは、子供は知らないと思うし・・・。

軍人(日本だと自衛隊?)はどうなのだろう。
これは、多分、圏外かな。

そう言えば、自分が学生の頃は結構人気が有って、こんな歌もあった。

♪ 自衛隊に、入ろう~、入ろう~、入ろう~、自衛隊に、入れば、この世は天国 ♫
♫  男の中の~、男はみんな、、自衛隊に入って、・・・ ♪

あっ、これは「反戦歌」だった。

2015年2月 9日 (月)

妻の日本入国ビザ取得

2015/01/16(妻と娘のパスポートの更新)

娘の夏休み(3月~5月)に例年通り、日本留学(?)を予定している。
留学と言っても別に大したものじゃない。
4月の1ヶ月間、一時帰国者就学制度(?)を利用して日本の小学校で遊ばせるだけ。

娘は、日本とタイの両方のパスポートを持っているので日本への入出国は問題ないが、タイ人の妻はビザを取らなければならない。
前回、タイの秋休み(?)(10月)に日本に家族で行った時は、滞在期間が10日間ぐらいと短かったので、タイ人の妻もビザ無しで入国出来たが、今回は42日間と長いのでビザが必要に成る。

ビザを取るには、「パスポートの有効期限が6ケ月以上有る事」という条件があり、妻のパスポートは微妙に6ヵ月に足りなかったので、更新をする事にした。
ついでに、娘のパスポートの有効期限も妻のパスポートと同じなので、一緒に更新する事にした。


2015/01/17(妻と娘のパスポートの更新つづき)

パスポートの更新には自分も行かなければダメらしいので、妻と娘と一緒にチェンライ空港の近く(テッサバン6の中学校の隣)のイミグレへパスポートの更新に行った。

(雑記帳フォト2015に写真あります)

敷地の中はひっそりとしていて人の気配が無い。
ひょっとして、土曜日はお休みじゃないのか?、と心配したが、パスポートの発行業務はちゃんと行われていた。
ただし、ガラガラに空いていた。
待合室には30人分ぐらいの座席が有ったが、座って居たのは1人だけ。

自分たちが事務所に入ってキョロキョロしていたら、受付のお姉さんらしき人が出て来て、妻と話し始めた。
面白かったのは、このお姉さん妻と話し終えた後、手続きの書類でも取りに行ったかと思って見ていたら、机に向かって何か作業を始めた。
何かを覗きこんで作業をしているので、始めはパソコンでもいじっているのかと思った。
良く見ると何か丸い装置を一生懸命(?)覗きこんでいる。
更に、良く見たら、筆で目の辺りをいじっている。刷毛(ハケ)を頬の辺りに当てて何かしている・・・?。
丸い装置と思ったものは鏡だった。
このお姉さん(公務員なのかな~?)、パスポート発行センターの待合室で大々的に化粧をしている。
ちょっとの時間じゃない。はぼ、自分達の居る間中、脇目も振らずに、ずっとやっていた。

パスポートの発行手続きの方は、別の係員(?)のお姉さんが遅滞なく行ってくれて20分ぐらいで終わった。
途中で自分のサインを要求されたので、やはり自分の付き添いは必要だったらしい。

因みに、タイ人のパスポートの更新に必要な書類は、今有るパスポート、タビアンバーン(戸籍証明書の様なもの)、バットプラシャーション(身分証明書)の3つ。
料金は1人1040バーツ。
写真はパスポートセンター(?)で撮るので必要ない。だった。
尚、娘の場合、自分の(日本の)パスポートもチェックしていたので、片方の親が外国人の時は、付き添いの他にそれも必要の様だ。
(或いは、子供の場合、両親とも証明する書類が必要なのか?)

作成に1週間ぐらい、それから郵送なので、手元に届くのは27日頃(10日間ぐらい)と言われた。


2015/01/24(パスポート受け取り)

思っていたより早くきょう(24日)(申請から8日目)郵送で、妻と娘の新しいパスポートが届けられた。


2015/01/26(申請書類等作成)

実はビザの申請は今回が始めてではないが、1年程前までは、妻は在留認定されていたので、日本へは再入国扱いで、ビザ無しで入国出来た。
なので、久し振り(3年振り)のビザ申請。

チェンマイ総領事館のホームページの査証申請手続き案内のページを開いて、必要書類の検索や、申請書類などの書式のプリントをする。

妻の場合は、「目的別の必要書類・手続き一覧」の短期滞在者証の、「NO.8 日本人の配偶者として短期滞在証を申請」に従って書類等を用意する。

用意した書類等は以下。

1.(妻の)パスポート。
6ヶ月以上有効期限があり、かつ査証欄の余白が2頁以上あるもの。
妻の場合今回パスポートを更新したばかりなので、これは問題ない。
その他に、「旧旅券を保有されている場合には旧旅券も併せて提出」なので、旧旅券(と念の為、旧々旅券も)も用意した。

2.査証申請書。
基本的にはホームページの書式ダウンロードから「査証申請書」を開いて必要事項のプリント&記入をするだけ。
ただし、質問も回答もすべて英語なので、英語の苦手な自分は、「査証申請書の説明書(日本語)」と「査証申請書記入見本(タイ語)」をプリントして参考にした。
あと、前回、3年ほど前に提出したVISA申請書の控えも参考にした。
尚、前回は日本語で記入して提出したが、今回は、「査証申請の説明書(日本語)」に「英語で記入して下さい」と書かれていたので、英語で記入した。

尚、記入は申請者のサイン以外は全部自分が行った。
(タイ人の妻はこういうの苦手)

査証申請の窓口で1点だけ修正したのは、「申請者の職業」欄に「NONE」と書いたら、「HouseWife」(主婦)と書いて下さいと言われた1箇所だけ。
後は、問題無かった(様だ)。

3.写真。
申請前6ヶ月以内に撮影された縦4.5cm×横4.5cm、白黒、カラーを問わず無修正、無背景で鮮明なもの。

家の近所には日本のように、スピード証明写真のBOXが無いので写真屋に行って撮った(100バーツ=約360円と安い)。
(タイでは、スピード証明写真のBOXない・・・?)

4.質問票。
ホームページの書式ダウンロードから「質問票(タイ語)」をプリントして、申請者本人(妻)に記入させた。

5.タビアンバーン。
原本&写し各1部用意。

6.タイの婚姻証明書。
原本&写し(表と裏)各1部用意。

婚姻の事実を証明する書類として、タイの婚姻証明書か配偶者の(すなわち私の)戸籍謄本(申請前3ヶ月以内のもの)のどちらかが必要。

7~8.「入籍後2回目以降の渡航となる場合は、7~8.の書類は省略できます」となっているので、「7.滞在予定表」と「8.渡航費・滞在費等を証明する書類」(納税証明書や預金残高証明書など)は、用意しなかった。

9.配偶者の旅券の写し。
すなわち、私のパスポートの氏名、写真及び出入国印のあるページのコピー。

10.初めての渡航で改姓・改名歴のある方、又は前回の渡航後、改姓・改名をされた方は、改姓・改名を証明する書類。
これも、該当しないので、用意しなかった。


2015/01/27(VISA申請でチェンマイへ)

チェンマイヘ行くのは面倒だが、しょうがない。
昔(7年程前まで)はバンコクでも出来たので、バンコクへ行ったついでにVISA申請出来たのだが、多分お役所の縄張り意識で、北部9県は、チェンマイ領事部でないとVISA申請が出来なくなった。
全く、お役所の縄張り意識にも困ったものだ。
大体VISA申請なんて外国でも出来るのだからバンコクでもチェンマイでもどちらでもいいようにしてくれればいいのに。
もっと顧客本位に出来ないものか・・・?。

VISAの申請受付は11時半までなので、余裕を見て6時に家を出る。
自分だけ(注)、或いは妻(申請者)だけでもいいのだが、運転を交代で行う為に家族3人で出掛けた。
平日なので子供は学校があるが、送って行く事が出来ないので、学校は休ませて家族3人で出掛けた。

注。ホームページに以下の記載がある。
~次のいずれかに該当する申請人については、本人に代わって代理の方(~親族等)が申請することができます。
そのうちの項番3が該当する。
「3.申請時から遡って過去5年以内に当館にて査証を取得し、日本に渡航したことがある方」

途中の休憩も含めて、領事部には4時間弱、10時少し前に着いた。
警備員にパスポートなどを見せて、セキュリティーを通過して、査証申請の受付の順番札を取った。
空いていたので、すぐに順番が来て窓口で、きのう書いた書類などを渡す。
一部、書類等の不備を指摘されたが、それを修正して待つ事暫し。
一応申請は受理されたようで、(上手くいけば)VISA付きのパスポートを受け取るためのレシートを渡される。

これで、今日の仕事はおしまい。
帰りには、例によって領事部の近くのエアポートプラザで食事をしてから帰った。
(エアポートプラザの開始時刻は11時からなので、いつも10~20分ぐらい待つ)


2015/02/09(VISA受け取り)

VISAの受け取りは、(最短で)申請日の翌々業務日の午後1時半~4時半までなので、チェンライから申請に行く場合には2泊3日の泊まり込みでチェンマイまで行くか、或いは、チェンライ-チェンマイ間を2往復しなければならない。
(くどいようだがバンコクなら、それぐらいの期間、滞在する事はよくあるので負担にならないのに・・・と思う)

今回、1月末に領事出張サービスがあったので、その時にVISA(パスポート)を持って来てくれないかお願いしたのだが、日本人の更新パスポートは持って来てくれたらしいが、タイ人の妻のパスポートは拒否された。
(これも、郵送で送ってくれれば、わざわざ行く必要が無いと思うのだが。郵便事情の問題もあるのだろうけど、日本でタイVISAの申請をした時はいつも郵送で送って貰っているし、タイで妻と娘のパスポートを更新した時も郵便で送って来た)

VISAを持って来て貰えなかったので、VISAが取れたか否かだけでも教えてくれないか頼んだのだが、それも拒否された。
(それは、「決まり」でそうなっているらしい)
もしも、VISAが取れている事が分かっていれば、急いで取りに行く必要はない。
こちらの都合のいい時、何かついでの時が有れば、その時、取りに行けばいい。
(最も、チェンマイには、あまり「都合」はないけれども)
普通に考えれば、VISAが取れないなんて事は無いと思ったけれども、過去のチェンマイ領事部のやり口を見ていると、何を言い出すか分からないという不安があった。
こちらの知らない「内規」のようなものがあって、VISAが取れないなんて可能性もなくは無い。
もし、取れなければ、買ってしまった航空券や、根回し済みの学校関係(今回の帰国の最大の目的は、娘の日本への短期留学)など、再調整しなければならなく成る。

で、しょうがないので、今回もVISA(パスポート)受け取りの為だけに、わざわざチェンマイまで出掛ける事にした。

VISAの受け取りは申請と違って午後からなので、今回は娘を学校に送ってから行ける。
(その代わり、5時には迎えにいかないと成らないので、チェンマイでゆっくりはして居られない)
今回は娘は学校へやったので、妻と2人で出掛けた。
ただし、本当は2人で行く必要はない。
(何でも大勢でやりたがるタイ人流に少し染まって居る)
妻1人でも問題ないし(これは、申請者本人なので当然の事)、自分1人でも、受け取りのレシートに添付されている書類に妻のサインか何かを書いたものを持って行けば受け取れるハズだった。

チェンライ-チェンマイ間のバスで1人で往復した方が効率はいいかな(経費的にも安いかな?)、とは思ったのだが、(バスは色々面倒なので)2人で車で出掛けた。
10時少し前に家を出て、1時15分頃領事部に着いた。
領事部のVISA受け取りの部屋(VISA申請の部屋と同じ)は1時半前なので、まだ閉まっている。
5~6人の人が(タイ人&ファラン&日本人)椅子に座わって(部屋から離れた所で)待っていたが、自分は1時25分(5分前)に一番で部屋の前、警備員の居る前に、並んで、1時半に一番で部屋に入って、一番でVISA受け取りの番号札を取った。

窓口でVISA申請した時のレシートを渡して、940バーツ払って、VISAは無事受け取る事が出来た。
料金の支払いに関して、少し気に成るところはあったけれども(「チェンマイ領事部とは何故か相性が悪い」の記事の後半に記載)それは、大した問題じゃない。
(でも、10分程待たされた)
ちょっと心配だったので、VISAが無事に受け取れてホッと、一安心。


長々と書きましたが、以上が今回の妻のVISA取得の顛末です。
タイ人の日本入国に関しては、今ではVISAなしで15日間日本に居られるので、以前よりはずっと楽に成りましたが、今回の様に少し期間の長い滞在は、まだまだ手続きが面倒です。

2015年2月 7日 (土)

チェンライで映画を見た

ちょっとした用事があって、家族3人でチェンライの街まで出掛けた。
用事が、午後4時半頃済んだので、何かしようか?。
パーンの田舎者にとっては、街は特別な場所。
折角、街まで出て来たのだから、何もしないで帰るのは勿体ない。
(と言っても、家から車で30分ぐらい、週に2回くらい、通過だけを含めれば2~3回は来る)
一応、家を出る時に、用事が終わったら映画でも見に行こうか、と言っていたので、予定通り、映画を見に行く事にした。

場所は、センタン3階の映画館。
実は、チェンライで映画を見るのは今回が初めてで、娘を映画に連れて行くのは今回が3回目。
1回目は、日本で「アナと雪の女王」、2回目はバンコクでオカマのバレーボール(サトリーレックだったかな?、タイ映画)、そして今日が3回目。

何を見るかは妻に任せた。
チケットを3人分買って、座席表が表示されているタッチパネルで、後ろから5列目ぐらいの真ん中の3席を選択。
尚、チケットは一般席が180バーツ/人、ちょっといい席(後ろの方の席)が200バーツ/人。
妻が、「いい方」と言ったので、ちょっといい方、のチケットを買った。
タッチパネルを押す時に、何処の席が埋まっていて、何処が空いているのか良く分からなかったが、中に入って見て分かった。
中はガラガラ。
自分が、タッチパネルを見た時、空席か否か分からなかったのは、自分の見た辺りはすべて空席だったからだと分かった。

座席は途中に切れ目(縦の通路)の無い横並び。
満員だったら、途中でトイレに出るのは苦労するだろうけど、自分達の列も、ひとつ後ろの列も、誰も居ない。
始めは、一番後ろの列に数人と、一般席の方に20~30人。途中から入って来た人を含めても40~50人ぐらい、座席数の1~2割ぐらいしか人が居なかった。
土曜の夕方で1~2割の入り!。
よっぽど人気の無い映画なのか、それとも、よっぽど人気の無い映画館なのか・・・?。

自分達の家の辺りでは、入場料180~200バーツは、半日分ぐらいの給料にあたる。
3人で600バーツは1日半分ぐらいの給料。
日本円では1人、700円ぐらいだが、このぐらいでもチェンライの人達にとっては、そうそう来れない金額の様な気がする。

自分達が入った時には、今後の上映予定が既に始まっていた。
暫くして、上映中は館内で携帯を切るようにというマナー広告が流れて、その後・・・、場内がちょっと明るく成って、皆が一斉に立ち上がった。
「ん!、なんだ・・・?」、一瞬戸惑ったがすぐに思い出した、「これは、アレだ」。
「郷に入っては郷に従え」、外国人だからといって、ここはタイ。タイの流儀に従って起立する。

始めて、これを経験した時は、ちょっと戸惑った。
バンコクのファランポーン駅で、午後6時に成った途端、タイ人がみんな立ち上がり、国歌だか何だか(?)放送が流れて、その間、皆が静止した。
(もしかしたら、すでに何処かで経験済みだったかも知れないが、ファランポーン駅が一番印象に残っている)

今、スクリーンでは、王様を称える映像が映し出されていた(多分そういう事だと思う)。
とにかく、その間、姿勢を正して、直立して映像を見ていた(タイ人ではないので意味は良く分からない)。
暫くして(30秒ぐらいかな、良く覚えていない)、タイ人の皆さんが着席したので、自分も席に着いた。

映画はアムさん(アム・パッチャラパー)主演の恋愛映画。
アムさんを映像で見るのは随分久しぶり、昔はテレビによく出ていたけれども、ここ数年はあまり見掛けなく成っていた。
後で、奥さんに年齢を聞いたら36~7歳らしいが、年齢を感じさせない綺麗な人だ。
タイの女優さんの場合有利なのは、暑い国なので、比較的薄着が多い事。スリムな体形だとそれだけで、結構セクシーに見えたりする。
まあ、日本人(を含む中華系や韓国系などの東洋人)やファラン(白人)には、無いタイプの美人さんだと思う。

因みに、自分がタイに来始めた頃(13~14年程前)見た映画(ビデオ)で、タイにも綺麗な人が居るな~、と始めて思った女優さんは、チンタラー・スカパットさんで、神田のアジア文庫(だったと思う)で買ったビデオ(VHS)で見た。
メナムの残照(クーカム)やクラスメイトなど4~5本のビデオを見た。
(タイ語の勉強だと思って、見ていた)
ビデオの中のチンタラーさんは二十歳(はたち)ぐらいに見えたが、数年後タイに暮らす様に成って、タイのテレビで見たら、随分ふくらんでいて、いいオバさんに成っていた(それでも綺麗な人だったけれども)。
(多分)そんなに急に年を取る分けは無いので、自分が見たビデオ自体が古かったのだと、後から気が付いた。

再び、映画館の中の話に戻って・・・。
映画を見る前に、飲み物とお菓子などを買った。
自分はコーラ、妻と娘は、甘いお茶(もどき)飲料。お菓子は、ポテトチップスの様なものとポッキーの様なお菓子(全部で235バーツ)。
コーラは家で飲む時は、何時もダイエットを考慮して、カロリーゼロの、コークゼロを飲んでいる。
お店の人に「コークゼロ」は有るか聞いたが「無い」というので、しょうがない、普通のコーラを注文したが、その量がハンパじゃない!。
1リットルぐらい有るんじゃないかと思わせる程の大きなカップ。
砂糖のコーラをガブ飲みしながら、ポテトチップスとポッキーを、ガリガリ、ポリポリ。
(静かなシーンだと、映画館では気が引ける)
これじゃ、ここ数日の努力(ダイエット)がいっぺんで吹っ飛ぶんじゃないか、と心配しながらも、ガブガブ、バリバリ。
今日は、夕食を抜くか・・・。

またまた、話は変わって・・・。
暫く映画を見ていたら、寒く成って来た。
タイの映画館は寒いので有名(?)。
なので、今日は元々長袖を着て来た上に、ちゃんとウィンドブレーカーも用意して来た。
それを、羽織って寒く無く成ったので、落ち着いて映画を見る事が出来た。
昔、バンコクに居た頃、いつもの薄着で映画館に入って、ガチガチ震えながら映画を見た記憶がある(ちょっと大袈裟)。

さて、やっと映画の話し。
タイの映画をタイで上映しているので、当然、言葉はタイ語。しかし、英語の字幕も出る。
これが悩ましい。
タイ語がペラペラなら、英語の字幕など見る必要はないが、タイ語を聞いているだけでは殆ど分からないので、英語の字幕も見る。
しかし、このブログで何度も書いているように、自分は英語が苦手。
英文を読み始めると、全部読み終わらないうちに消えてしまう。
結局、英語(文字)でも、タイ語(音)でも、意味が分からない。
タイの役者さんも、そんな早口で喋らないで、もっとゆっくり話してくれればいいのに・・・と思っても、これは無理!。
たまに、分かる部分もあるのだが、簡単なフレーズなので、その場合は英語でもタイ語でも分かる。
アクション映画なら、何も説明がなくても分かり易いと思うが、恋愛ものなので、いまいち正確に分からない。
何か、面白い事を言ったらしくて(少ない)観客がどよめくが、自分は何が可笑しいのか分からない。
そんな調子で、最後まで見ていた。
でも、映像とタイ語(音)と英語(文字)で、大体のあらすじは分かった。
(ちょっと疲れたけど、まあ、一応面白かった)
(どおしても、気に成った所は、終わってから帰る時に奥さんに聞いた)
(娘に、「分かった~」、と聞いたら「良く分からない」と言っていたので、娘よりは自分の方が理解出来たかも知れない)


映画が終って。

8時頃、映画が終ったのでお腹が空いた。
センタンで何か食べてから帰ろう。
妻が、候補に上げたのは、ブラックケンヨン、しゃぶし、すきし、8番ラーメン、富士レストラン、バーベキュープラザの6つ。
自分は減量中なので、まず食べ放題のお店(しゃぶし、すきし)は却下。BBQプラザも焼き肉で、ボリュームがありそうなので回避。
残るは、ブラックケンヨン、8番らーめん、富士レストランの3つ。
自分は、ブラックケンヨンは余り好きでないので、和食系のどちらかと思ったが、娘が、8番がいい、と言うので8番に決定。
8番の向かいに、ピザカンパニーが有って、それでもいいかと思ったが、娘がやっぱり8番がいい、と言うので、8番ラーメンに入った。

注文したのは、自分がチャーシュー麺(88バーツ)、妻が坦々麺(85バーツ)、娘が8チャン麺(63バーツ)、みんなで野菜炒め(83バーツ)、飲み物はナームファラン(グアバジュース?)が2つ(32×2バーツ)(全部で383バーツ)。
普段は、中華系のお店では必ず餃子を頼むのだが、今日は、自分が減量中の為、自粛。
いつもは、8番ラーメンの量の少なさに物足りなさを感じるが、今日は減量中なので好都合。

家に帰って体重を計ったら、70.5kgに増えていた。
明日(8日)までに、元の体重、69.5kgまで戻るか心配。

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