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2015年7月19日 (日)

理想は住所不定無職(その1)

数年前に、日本から来た知り合いとチェンマイの寿司屋で飲んだ時、寿司屋のオーナー(日本人)と、旅行者の知人と、自分の、3人で話をして、「何処に住むのがいいか、どういう暮らしがいいか」という話題に成った。

寿司屋のオーナーは欧米や中東など何か国かを寿司職人として渡り歩いたらしく、話を聞いていて面白かったが、その時、料理人の様に手に職を持つ人間は、何処に行っても暮らしていけるし、多少、歳をとっても仕事にありつけるので、ちょっと羨ましいと思った。

で、自分はどうなのか、と考えた時に思い浮かんだのが「住所不定無職」という言葉で、よくニュースで、「容疑者は、住所不定無職の○○」とか言っているやつ。
別に悪事を働いて、「犯人」に成りたい分けでは無いが、住所不定無職、と言う言葉には、何となく、社会の常識に捕らわれない、何者にも束縛されない自由な人達というイメージが有って、自分的にはいい感じがする。

自分の場合、「無職」という点に関しては、十数年前に会社を辞めた事によって達成している。
60歳を超えて今更、仕事をしたいと思っても、そう易々と雇ってくれる所は無いだろうし、自分で何か事業を始める、やる気も才能も無いので、その点は心配いらない。
なので、この先一生、望み通り無職であり続ける可能性が高い。
仕事でも、何か面白味のある仕事ならいいが、この歳に成って、単に稼ぐだけの仕事などしたくない。

「住所不定」に関しては、なかなか思う様にはならない。
「住所不定」と言っても、別に、住まいが無い方がいい、という分けではない。
住む所は有るが、そこに束縛される事なく、その時の気分によって自由に行きたい所へ行ける、というのが理想。

自分の場合、東京とチェンライに家があるので、タイに飽きたら日本へ、日本に飽きたらタイへという事は出来るが、(タイに)家族がいるので、全く自由という分けにはいかない。
というより、かなり制約される。

これが、自分がなかなか、「住所不定」に成れない最大の原因である。

タイに家族を持ったのは、当然、自分の意思であり、それは「好ましい事」だと思っているが、その事と、「自由気儘に暮らしたい」という気持ちが矛盾する(事がある)。

奥さんが、「亭主元気で留守がいい」的な考えなら、まだいいのだけど、その辺が良く分からないので、結構気を使う。
結局、どおすれば良いのか、未だに分からない。

この話、もう少し考えて見たいので、「理想は住所不定無職(その2)」へ続く(かも知れない)予定。

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コメント

多分、亭主元気で留守が•••でしょう。残念ながらタイ人の多くが思っているらしいです。我が家もその口です。わかっていて生活していますからわりきつています。(笑)

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