チェンライの暇爺(キーワードは余裕)
酒はあんまり強くないが、一昨日、昨日と酒を飲む機会があった。
自分は、原則1人では酒は飲まない事にしている。
酒を飲むのは人と会った時だけ。
(稀に、家で1人で飲む事はあるが)
酒を飲みながら、色々な話をするのは面白い。
て言うより、自分の場合、酒席で人の話を聞いているのが面白い。
別に酒は飲まなくても人と話をするのは面白いが、アルーコールが入っていた方が話が弾むし、本音も出て来る(様な気がする)。
2人で飲む時は、まだ話すけれども、数人で飲む時は人の話を聞いている事の方が多い。
何でかと言うと・・・。
人の話を聞くのが面白いという事だけども、根っからの面倒くさがり屋なので、人が話している時は聞いている方が楽というのも有る。
自分が喋っている間は人の考えが聞けない。
出来るだけ多く、人の話(考え)を聞こうと思えば、自分が喋るのは相槌や、簡単な質問に留めた方がいい。
(話す方と聞く方、どっちが得かというと、情報量が増える分、「聞く」方が得をする気がする)
考えた事が口に出るまでに時間が掛かる事もある。複数で話している時は、タイミングよく発言しないと、次の話題に移ってしまって話に乗り遅れる事も良くある。
で、一昨日はチェンライ在住の邦人の方と、昨日は東南アジアで仕事をされていてタイにも良く遊びに(?)来る方と話をした。
チェンライ在住の日本人同士は、まあ、日本で暮らして居る人達同士よりは特殊な環境にある訳で、それだけで話が弾む。
タイの事、タイ人の事、他の在留邦人の噂話(これが、結構面白い)等々。
もちろん、自分の事や家族の事、政治や経済の話も出る。
自分の知り合いのいい所は、皆さん割りと、「余裕」とか「ゆとり」を持っている事で、ガツガツしていないし、無理にタイやタイ人に合わせる事もしない。
タイやタイ人の悪い話では盛り上がるけれども、それを承知で此処で(ある意味、チェンライなどと言うとんでもない僻地で)暮らして居る。
タイやタイ人の問題点を笑い飛ばす余裕を持っている。
無理にタイやタイ人に合わせようとはしないが、タイ人の考え方を理解しようとはするし、言葉だってある程度は覚えようと努力する。一方的に自分の考えをタイ人押し付けたりはしない。
チェンライで暮らして居る邦人、全員がそういう分けではないが、そういう余裕持っている人が多い。
(中には、こんな所でそんなに頑張ってどうするんだよ~、とか、そりゃ無理、とか、もっと自分を客観的に冷静に見れないのかい?・・・と思われる様な人も居ますけど)
(バンコクの方が、そういう、ちょっと無理した、感じの人は多かった)
という事を踏まえて。
チェンライ在住の邦人、主に高齢の男性が多い、のネーミングについて考えて見た。
一つは、そのものズバリ、チェンライ爺。
これは、まんま、であんまり面白くない。
もう一つは、暇人が多いので(いつも忙しい事を自慢している人を除く)、暇爺(ひまじい)。
この語感はいい。
もう一つランクアップして、有閑爺さん。
(有閑=ひまのあること。特に、生活に余裕があり、ひまの多いこと)
自分が重視するのは、生活に余裕があるというより、心に余裕が有る事。
有閑爺さんは自分の考える、チェンライ爺の好ましい姿でもある。
この言葉は意味としてはいいが、発音すると勇敢爺さんと間違われそうなのが欠点。
別に経済的に豊かである必要はない。ただ、周囲の人達に迷惑を掛けずに生活出来る経済基盤は必要だと思う。
ケチは良くない。
ケチはタイ人にとっては最大の悪徳(?)らしいけど、日本人でもケチは良くない。
タイ人からもケチだと思われる様なのは、いけない。
最も、自分も、(多分)奥さんにケチと思われているから、どうなんだ・・・?。
兎に角、悠々自適がいい。
自分の知り合いは、殆どこの範疇に属する。
チェンライ在住の邦人全体でも、悠々自適の方が多い。
中には、自己顕示欲の強い人も居るけれども、これは、自分の考える好ましい姿(望ましいチェンライ爺の姿)、有閑爺さんからは離れる。
(常に自分の優位性を周囲に認めさせようとする人からは、「余裕」が感じられない)
・・・ところで、始めは何の話だったっけ・・・?。
飲み会の話でした。
一昨日は、チェンライの街の付近のさる、お方の家(家というより、アレは御殿だね、「御殿」、或いは「お屋敷」)にお邪魔して、日本人4人、タイ人の奥さん2人の6人で飲み会。
ここの、家主さんは、まさに有閑爺さんそのもので、一応、タイで事業(?)を行っているが、商売っ気は全く感じられない(もし、真剣に此処で儲けようと思われていたら、すいません、自分の勘違いでした・・・)。
やっぱり、高齢でタイに来て暮らそうという場合、此処で儲けようと言うよりは、「のんびり暮らそう」、の方がいい。
(しかし、実際には此処でお仕事をされている方も居るので、それを否定はしません。異国の地で商売をするのは大変だな~と思っています。ただし、自分の望むチェンライでの生活とは違うと言う事です)
飲み会で、話は色々出たが、参考までに1つだけ。
ある方が、こういう事をおっしゃった。
「皆さん、日本の家族とか、そういう煩わしいものから逃れて、タイに来た方が多いのに、何で多くの人が、タイでも奥さんや子供、タイ人の連れ子の面倒まで見ようとするのか?」
これを聞いて、自分も「成る程な~」「何でだろうな~」と思った。
(その、時点では自分も「成る程、不思議だ」と思った)
で、一晩寝ずに考えて(ウソです、ちゃんと寝ました)、今はこう考えている。
チェンライに来て、こちらで家族を持つ(日本でタイ人と知り合った人も含めて)、という事は一種の雪辱戦なのだと。
日本で上手く行かなかったから、その分を(日本とは違う)外の世界で取り返そうとしているのではないか。
多分、(はっきりとは意識しなくても)そういう考え方の人が多い気がする。
(明確に、意識して居る人も多い)
え~・・・何だか今日の文章は纏まらないな~・・・。
今日は、写真もないし寂しいので、ここらで今日の夕食の写真でも載せて、一丁上がり、という事で・・・。
きょうの夕食
今日は娘(小学5年)は学校にお泊り(何故か1年に1回ぐらいある、学校の行事)なので、奥さんと2人で夕食。
上、カオニァオ(奥さん用)。
中段上、パット・ウンセン・サイ・ノーマーイ(竹の子入りウンセン炒め)、パット・パックブン(空芯菜炒め)、ナムピック・ヘッ(キノコのナムプリック)。
中段下、キュウリの酢漬け、ガイヤーン(焼き鳥)、クンシアン・トート(甘いソーセージの様なもの)、鯖の味噌煮(BIG-Cで買った)。
下、ご飯(日本米)(自分用)
きょうの、一押しは、ナムピック・ヘッ。タイ料理にしては、意外と美味しかった。
きのこ、は雨季に入って今が旬だからかも知れない。
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みんなと話すときは聞き役(寡黙なのかな)に徹するのに、文章はとても饒舌ですよ。
私は写真をアップしてコメントだけのより、こっちの方が面白い。でも、写真は写真の
良さがあるし、どっちも捨てがたいですよね。(o^-^o)
投稿: 睡蓮 | 2015年8月21日 (金) 21時29分
文章だと、(少しは)考えて書く事も出来るし、変だと思えば書き直す事も出来る。
会話の場合は、即答する事が必要で、考える時間が余りない。
何かを話す時、まず考えるクセが付いているので、大勢の会話だと、考えが纏まるタイミングが少し遅れるので、自分が話そうと思った時には、次の人が話始めている場合が多い。
人の話に割って入るのも好きじゃないので、結果として聞き役に回る事が多く成ります。
麻雀だと、瞬間的に判断するのは得意なのですが・・・。
写真紹介系の記事と、文章系の記事は、ある程度意識して使い分けています。
投稿: 迷人 | 2015年8月21日 (金) 23時16分