余裕を持った生活がいい
世の中には、いつも忙しがっている人が居て、「今日は○○さんと△△をする、明日は・・・、明後日は・・・」とか、兎に角、「忙しい」が口癖の人が居る。
チェンライでは、こういう人は、「忙しさ」をプラスのイメージに捉えていて、「忙しい」事を自慢にしている場合が多い。
交友範囲が広い事を自慢にしている人もいるし、中にはタイ人との付き合いがあるのを自慢している人も居る。
だけど、自分は、「そんなに忙しく感じる程、人付き合いをしなくたって、いいじゃないか」と思っている。
「忙しい」より「暇」な方がいい事だってある。
チェンライに集まって来ている邦人には高齢者が多い。
此処に来るまでに、仕事は十分にしたし、色々な面で日本で苦労も努力もして来た。
まあ、自分も含めて、本当はなかなか思う通りに成らなかった事も有ったかも知れないが、少なくとも努力はして来た(と思っている)人が多いのではないかと思う。
しかし、折角、何かを吹っ切って、こんな地球の果てみたいな所に来たのだから、何も日本に居る時みたいに「あくせく」しなくてもいいじゃないか、と思う。
「暇」だっていいじゃないか。むしろ、「暇」な方がいい場合だってある。
もっと、余裕を持って暮らせばいい。
別に、タイで暮らして居るからと言って、無理にタイ人を好きに成る必要はないし、面倒なら付き合わなければいい。
奥さんがタイ人だったりすると、常識的な範囲での親戚付き合いはした方がいいし、そうでなくてもタイ人の中で暮らしているのだから、タイ人との関係を全く断つ分けにはいかないだろうけど。
忙しい事を自慢する人達には、「交友範囲は広い程いい」、「暇なのは良くないことである」、と思っていて、自分も他人も、そうあるべき、という一種の脅迫観念みたいなもの、が、ある様な気がする。
自分は、そんなに無理をして、交友範囲を広げたり、常に何かをしていなくても、そんなに頑張らなくてもいいじゃないか、と思っている。
もっと、余裕を持って暮らしたい。
人間関係で、面子とか体面を気にする人も、チェンライには多いが、これも、度が過ぎると、「余裕がないな~」、と思う。
なんとか人の上に立とうとする人、例えば「挨拶に出て来なかった」と怒る人、自分の長所(?)例えば、学歴だとか昔の仕事などを殊更強調する人。
本当に自分の生き方・価値観に対して自信があれば、他人とのそんな細かい優劣の比較など必要ない。
こんな所まで来て、そんなつまらない争いをしてもな~。
もっと、自分に自信を持てないのかい・・・と思う。
チェンライには高齢者も多いせいか、そういう、つまらない(?)争い、が多い。
気に入らない人が居ても、喧嘩などせずに、そっと離れる、そういう余裕が欲しい。
「暇爺」という言葉に込める自分の感覚は、そういう細かい事に拘らない余裕。
例え忙しくても、「大した事ないさ」と言える余裕。事を上手く収める能力。
困っていても、「何とか出来るさ」という自信。
くそまじめに、日本で暮らして来た頃の常識に捉われず、自由な発想が出来る事。
そういう、理想も込めて、「暇爺」という言葉を使っている。
「暇」というのは、自分にとってはマイナスのイメージではなく、プラスのイメージとしてある。
(希望も込めて)
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補足。
自慢話というのは会話の重要な要素なので、それを否定する気はありません。
実際に、面白い自慢話もあるし、逆に、「エッ、そんな事、自慢に成るんかい?」、みたいなものもあって、それはそれで(色々な人の価値観が分かって)面白い事もある。
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