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2017年11月29日 (水)

ルーツ

2017/11/29(ルーツ)

相続の関係で母の戸籍を取った。

区役所(杉並区役所)に行って、他の諸手続きと一緒に戸籍関係の書類を申請して受け取った。

母は大正12年の12月生まれ。今年の誕生日がまだなので93歳で他界した。
まあ、十分生きたかな・・・という感じ。

戸籍謄本(全部事項証明書)(注)には母がいつ生まれて、いつ死んだか。何処で生まれて、何処で死んだか等の情報が書かれている。

(注)(母は既に亡くなっているので、除籍謄本、というのが正しいのか?)

除籍謄本と一緒に、改製原戸籍という書類も受け取った。

これには、長男として、自分の名前も載っているが、今の妻(タイ人)と婚姻した直後に、自分は母の戸籍(何故か戸籍筆頭者名は最初から父ではなく母に成っている)から離れて、独立した戸籍を取ったので、母の戸籍からは既に自分は除籍されている。
ただし、自分の婚姻の記録は母の改製原戸籍にも載っていて、妻の名前もカタカナで書かれている。

母の戸籍に父が入ったのは、母方の姓を受け継ぐ者が無く、父方の姓は受け継いでいる者がいたので、多分、そういう事だと思う。
しかし、折角受け継いだこの姓(今の自分の姓)も、子供が娘1人なので(しかも半分タイ人だし)、将来は無くなるかも知れない。
(今は、奥さんも改姓して、家族3人、同じ姓ですが)

因みに、自分の戸籍には、配偶者名として妻の名前は(カタカナ書きで)載っているが、妻の戸籍自体は無い。
(日本国籍が無いので当たり前ですが)

娘は、自分の戸籍にちゃんと載っている。
因みに、娘の出生地は、「タイ国バンコク都ワタナー区」、と成っている。これは多分、娘が生れたバムルンラート病院の住所ではないかと思われる。

以上、母の除籍謄本と改製原戸籍、及び自分の戸籍謄本の3通は必要だろうと思って、区役所で用意してから郵便局へ行った(他に母の死亡届けのコピーや通帳・保険証書なども持って行った)。

僅かだが、郵便局に母の口座と保険が2つ有るので、その分の対応をする必要がある。

郵便局は昔、家が郵便局だったので、その時の局員などもまだ近くの郵便局に居るので(そこの局長さん自体も数年前まで、家の郵便局の局長さんだったので、大家と店子の関係で良く知っている方)フレンドリーな感じで、割と話しやすい。

要は、3点。
母の普通預金の口座を止めて、その分の金額を自分の口座に移す事。
母の郵便年金を止めて、その未払い分を自分の口座に振り込んで貰う事。
母の健康保険(生命保険?)を止めて、死亡一時金を貰う(口座に振り込んで貰う)事。
(この他に、国家公務員共済年金を止めたが、それは郵便局の窓口とは関係ない)
(母からの、現金の相続は上記4点で全て。全部合わせても大した金額ではない)

で、どういうルールなのかはよく分からないが、その内の健康保険の死亡一時金の受け取りがちょっと面倒だった。

受け取り人が事前に指定されていなかった為らしい。

8年前に、父が他界した時は、遺産の相続人として、母と自分の2人が居たので、形式的に「遺産協議書」、なるものを作ったが、今回は相続人が自分1人だけなので、簡単だと思ったのだが・・・。

郵便局の担当者が言うには、母の戸籍謄本が完全ではない、という事で、確かに、杉並区から受け取った改製原戸籍には、昭和44年に中野区から杉並区に転籍に成っているので、それ以前の記録も必要という事らしい。

要は、昭和44年の転籍以前に、相続の権利を持つ人の記録が無いかを確かめたい、という事なのだと思う。
郵便局の方は、自分が一人息子である事を承知しているハズだが、書類として揃っていないとダメらしい。
それは理解出来たし、杉並区と中野区は隣どおしで近いので、中野区役所まで行って、取って来る事にした。


で、中野区役所での書類の受け取りは、結構待たされたけれども、受け取る事が出来た。
(杉並区の改製原戸籍を持って行って、そこに示されている、転籍、の箇所を指さして、ここの戸籍が欲しい、というような事を言った)
(古い書類なので探すのに時間が掛かったのか、と思ったが本当のところは分からない)

これで、必要書類は全部揃った、と思いきや・・・まだ完全では無かった(?)。

その戸籍も大正14年に東京都牛込区からの転籍に成っていた。
母が生れたのが大正12年なので、この戸籍を加えても母の生れた時からの全部には足りない。

中野区の担当者には、母の全部の記録が欲しい、と説明したので、担当者は、「牛込区」というのは今の「新宿区」です、記録は150年間保存なので、新宿に行けば取れるハズです、と言うが、流石に1歳や2歳の時に子供が生まれるハズはないし、ま、いいだろ~、という事にして、新宿区役所には行かなかった。

結果、郵便局での手続き時に何も言われなかったので、多分、OKだったらしい。
(まだ、後から、書類が足りない、と言われる可能性はほんの少し有るけど)

で、ここからがルーツの話。

どうも自分の(母の)一族は、100年ぐらい前は新宿辺りに住んでいたらしい。

中野以前の事は、今迄知らなかったのだけど、菩提寺が四谷にあるし、元々はその辺の一族だったのかも知れない。

母はおそらく、新宿→中野→日野(東京都下)→杉並、という一生を送った。
基本的に、東京西部人。

日野に移り住んだ時は、戸籍は移さなかったので、戸籍謄本上は日野市の記録は無い。

日野から今の杉並に引っ越した時は、母の感覚では、「戻る」、という感覚だったのかも知れない。

因みに自分は、生まれたのは千代田区(注)だが、戸籍謄本上は、中野→杉並、の2ヶ所のみ。
(注)母の戸籍に、自分の事が、「東京都千代田区富士見町・・・入籍」、と書かれている。

もう一つ、因みに、父と母の入籍は5月で自分の誕生日は8月。これは、「出来ちゃった婚」かも知れない。
自分と奥さんの入籍は日本では6月で、娘の誕生日は9月なので、親子2代で似たような事をやっている。

自分の住民票上の異動は、中野→日野→杉並→成田→杉並→(チェンライ)→杉並。

成田は会社を辞めた時、海外旅行の拠点にしよう、と思って1年ぐらい暮らした。

チェンライへの転出は、名実共にチェンライを本拠地にしようと思ったが、諸事情により杉並に再転入した。

いずれにしても、自分は東京人。或いは、中央線沿線人だと思っている。
小学校の1年まで、中野に住んで居たので、中野区にも、何となく懐かしさがある。

因みに、父は、バリバリの長野県人だと思っていたのだが、父が亡くなった時に、今回と同じように戸籍を辿ったら、子供の頃は群馬県にも関係していたらしい。

まあ、戸籍を変えると(転籍すると)相続などの時に、遡らなければならないので、面倒くさい面もある。

まだ、娘がどうなるか分からないけど、日本での記録は段々忘れ去られて行って、母が新宿人だったとか、父の幼少の頃は群馬県人だったとか、そういう事は自分の知識としては残るけれども、もうどうでもいい事ではある。

もし娘が将来タイ国籍を選んで(現在は2国籍)、自分が死ねば、日本での自分の戸籍も意味のない物に成って、それでも150年間は保管されるのか分からないけど・・・ま、どうでもいい。

娘の子供(自分の孫)には、お爺ちゃんは日本人だったのだよ、とは伝わるだろうけど、娘の孫には曾祖父は日本人だったのだよ、というのが伝わるか否かは微妙だし、その先はもう無い様な気がする。
もしかしたら、タイ人じゃない子孫、例えば、オーストラリア人とか中国人とかが出て来ているかも知れない。

ま、娘が居ると言うのは色々な可能性があって面白いとは言える。

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コメント

この世に縁あってうまれたひと一人、それぞれに歴史があるということですね。寒い日本大変お疲れになられた事でしょう。奥様とお嬢様の待つタイへかえられてゆっくりお疲れ癒されますように。

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