突然の出来事(葬儀など)
2017/12/03(突然の出来事)(葬儀など)
今回の葬儀の方針。
① 日本の(仏教の)伝統的な儀式は行う。菩提寺のお坊様を呼んで、そこの流儀に従って儀式を進めて貰う。一応形は整える。
② 人数は小規模でいい。
結局、通夜・告別式共、会葬者は11名程。自分の家族を含めて14名程だった。
父の兄弟関係は1人に連絡したのだが、「雪で来られない」、「他の兄弟も、皆さん入院中とかで来られそうもない」、という話だったので、他には連絡しなかった。
母の妹さん(自分から言えば母方の叔母さん)も、体の具合が悪い事は知っていたので、最初から参加は無理だろうな~、と思っていた。
ま~、皆さん90歳近い方達だから、しょうがない。自分達の1世代上は元気に動ける人は少ないらしい。
来て頂いたのは、父方の従兄が1人、母方の従兄が2人、自分の友人が若干名、後は介護施設の職員さんや管理者の方。
最初から、人数は10人ぐらいで、と葬儀社の方とも話していたので思った通りの規模に成った。
母が亡くなって、日本との関係は薄れるかと思ったが、数は少ないけど、いい従兄さんや、いい友人が居る事が分かったので、それは良かった。
日本との縁はまだ続けられそうだ。
天国とか地獄とか神様・仏様というのは作り話なので、そういう意味では葬式など必要無いが、死んだ人に敬意を払うのは自然な事だし、区切りとして、何かしらの儀式を行う事は悪くない事だと思っている。
葬儀、というのは一種の整理、或いは、新しい人間関係のスタートという面を持っているものだと思う。
奥さんと娘は、葬儀や諸手続きの役には立たず、逆に、食事や行き帰りの面倒、葬儀の時に変な事をやらかさないかの注意、生活面での面倒を見なければならないなど、完全な足手まといだが、こういう時は一緒に居るだけで、上手い表現が浮かばないが、落ち着くとか、心の支えに成るとか、そういうものが有る。
連れて来たのは、正解だった。
母が他界したのが13日の夕方、その連絡が来たのが14日の朝、家族3人が日本に着いたのが15日の朝。
14日のタイからの電話とメール、15日昼からの葬儀社さんとの(対面の)打ち合わせや、お寺さんとの電話連絡で大体の手順は決まった。
会葬者との連絡は14日から16日まで、会葬者の予想や確定、葬儀場所の連絡を電話や地図を添付したメール等で行った。
中には、来るとか来ないとか、何度も電話でやりとりをして、結局、「雪で来られなく」、なった方もいて、そういう段取りに関する事にも結構気を使った。
16日は納棺の立ち合いなどの作業と妻と娘の喪服等の調達。
(靴、靴下、数珠、バック、なども16日~18日で揃えた)
自分の分は一応揃って居るが、妻と娘の分は無い。
日本人なら、そういった物は普通持っているだろうし、仮に新しく買うにしても任せておけるが、タイ人の妻子は自分が指示しなければ自力で揃える事は出来ない。そういう手間(&出費)も有った。
(大体、女物の喪服なんてどういう物を揃えればいいのか分からないので、服売り場の係の人に聞いた)
しかし、17日は丸々空けて、葬儀関係の作業はせず、妻と娘の為に1日使った。
折角日本に来たのだから、ついでに、やれることはやっておく。
娘がイボを取りたい、ニキビも見て貰いたい、というので皮膚科に連れて行ったり(タイにも病院は有るが、日本の方が多分いいし、娘は国民健康保険に入っているので日本の方が安い)、奥さんの日本に来た時の最大の楽しみ(目的?)である買い物に連れて行ったり・・・。
奥さんと娘の21日の成田→ドンムアンのチケットを買ったり。
通夜の前日18日は、これといった作業は無かったが、お金を集めたり、葬儀の手順を復習したり、挨拶の内容を考えたり、葬儀後の段取りを考えたり、奥さんと娘のドンムアン→チェンライのチケットを買ったり、何となく慌ただしかった。
19日通夜、20日告別式。
午前中に床屋へ行った。
もう此処まで来れば、後は葬儀社さんとお坊様にお任せするだけ。
ポイントの所は慣れている葬儀社の方が指示してくれるので、それに沿って、考えて来た事をするだけ。
ある意味、準備段階より気が楽だった。
葬儀は、これといった失敗も無く、思った通りに出来た。
家に戻ってからは、奥さんと娘を明日の(21日の)朝の便でタイへ帰すので、その荷造りの手伝いや、色々な指示。
21日は成田まで送って行って、何かあるといけないので、奥さんから(実際は娘からだった)飛行機に乗る直前の電話が来てから、家へ帰った。
前日、奥さんが日本を出国する時の手順が分らないとか、タイに入国する時の書類の書き方が分らない、とか聞いて来たが、出国はパスポートさえ有ればいいし、タイの入国書類はタイ語(と英語)で書かれた、タイの書類なのだから、そんなもの日本人の俺に聞くなよ、と言った。でも、書き方を教えたけど、タイ人は入国書類は要らなくなったらしい。
これで取り敢えず、一段落。
荻窪へ戻って、葬儀社さんとの精算、その後、明日の雀荘の予約(注)、その後、位牌の作成依頼を、はせがわ、へ。
位牌は、出来上がりに1週間と少し掛かると言われたが49日の納骨までに出来ればいい。
(注)通夜の時、弔問に来て頂いた友人と話が纏まって、22日に麻雀をやる事に成った。どんな時でも、こういう事は忘れない。
22日の麻雀は負け。-56。
23日以降にした主な葬儀関係の作業は、大体、実行順に以下①~⑩。
① 喪中のハガキを書いて、出す。
② 介護施設の母の部屋からの撤収。
持ち帰ったのはテレビとタンス、椅子、と若干の私物・衣類。残りの物は、介護施設で使えるものは使って貰って、それ以外は捨てて貰う事にした。
粗大ごみの、引き取り料がかかったら、それは後日精算という事にした。いずれにしても精算は12月下旬に来た時にする必要がある。
③ 区役所に行って、保険証の返納や葬祭費の支給申請。申請すれば70000円、支給される。
介護保険証の返納。これも1ヶ月後ぐらいに還付金案内が来るらしい。
介護用品の支給を止める手続き。
後で郵便局などで必要に成る、母と自分の戸籍関係の書類の申請と受け取り。
④ ③の後、都税事務所へ行って、登記の関係の確認。
⑤ 母の、国家公務員共済年金を止める連絡。
⑥ 郵便局へ行って、郵便年金を止めたり、通帳の残金を自分の口座に移す手続きや、死亡保険金の請求。
⑦ ⑥の関係で、中野区役所まで行って、母の古い戸籍関係書類の入手。
⑧ 別荘の電気代など、母の口座から引き落としていた分の引き落とし先を自分の口座からに替える手続き。
⑨ 葬儀関係衣類のクリーニング出し、と出来上がりの保管。
⑩ 伊勢丹に行って香典返しの手配。
11月にした、葬儀の事後処理としては、こんなもの。
後は、納骨とか、土地の登記の変更とか、税金の関係の作業とか、家に置いて有る母の遺品の整理とか、まだまだ手間の掛かるものは沢山あるが、11月に取り急ぎやらなければならないものは全部した(ハズ)。
ついでに、今回やった事。
自分のマイナンバーカードの申請を行った。多分、次に帰国した時に、受け取り票が来ているハズ(受け取りに行かなければならない)。
家の周りの掃除も行った。銀杏の枯れ葉などが沢山落ちていた。日頃は居ないので、沢山積もっているが、帰国した時は秋か冬に1~2回は掃除する。
タイに戻る前日(11月30日)には今回の帰国で2回目の麻雀をやって、+143、だった。
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