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2018年6月23日 (土)

スクンビット33を懐かしむ

2018/06/22(スクンビット33を懐かしむ)

初めてバンコクに旅行で来た時(18年前)はプラトゥーナムの辺りに宿泊した。
最初のバンコクだったので、この辺りも懐かしい地域である。

その後、旅行で数回バンコクに来た時(16年前)は主にスクンビット通りのホテルに宿泊した。
アソーク通りやペッブリー通りのホテルに宿泊した事も有る。兎に角、タイに来始めた最初の半年ぐらいはホテル暮らしだった。

しかし、日本とタイとの行ったり来たりを頻繁に繰り返す様に成って、どこかに落ち着こうと思い、最初にアパートを借りたのがスクンビットの33だった。

スクンビットの33を選んだのは、当時一番日本人の多い地域で、日本食材のFUJIスーパーや日本食のお店も多かったし、BTSの駅も近いので便利かなと思った。で、此処をタイ生活の最初の拠点とした。

此処には1年程暮らして、その後、結婚してラッチャダーのタイ文化センターの辺りに移り、更に1年とちょっと後にチェンライへ移って現在に至っている。

ラッチャダーの頃も懐かしいが、自分が一番懐かしい地域、タイ生活の原点と思っている地域は、やはり最初に暮らし始めたスクンビット33で、この頃はホントに面白かった。

何のしがらみも無く、誰にも束縛されず、自由気ままに生きる。日本だと1人者がフラフラと遊んでいるのは少し肩身が狭くて窮屈と感じる事は有るが、タイ人は(少なくとも表面的には)外国人が何をしようと無関心、不干渉。しかも、話してみると意外とフレンドリー。タイ人の顔見知りも直ぐに出来た。
暫くして、日本人の知り合いも出来て毎日昼間から夜中まで麻雀。やりたいことは何でも出来た。見るもの聞くもの全てが面白いので、よく歩き回った。

ラッチャダーに引っ越してからも、遊びに(麻雀しに)来るのはスクンビットの33だった。

しかし、良く通った日本食堂兼雀荘の「雑談室」が移転してからは、此処には来なくなった。


今回、日本の(会社員時代の)友人達とバンコクに来ていて、友人たちは観光旅行に行ったので、空き時間が出来た。

で、1人で何をしようかと考えた時、散歩でもするか・・・久しぶりに、スクンビットの33辺りがどうなっているか見に行ってみようと思った。

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最寄り駅、BTSのプロンポン駅

駅を降りてすぐにエンポリアム(ショッピングセンター)があるし、BTSの駅にはアソーク(昔日本大使館領事部が近くに有った)やチットロム(伊勢丹の近く)やサイアム駅(バンコクの中心?)があって便利な路線。
トンローやエカマイなど、日本関連のお店の多い地域も近い。

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P53
プロンポン駅に隣接するエンポリアム

右も左もエンポリアムだが、自分が住んでいた15年程前には右側のエンポリアムしかなかった。当時としては日本人御用達、という感じのショッピングセンターだった。
自分も、3階の東京堂書店などに良く行った。

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P55
スクンビット33/1

日本人街という感じの通り。15年前の方がハッキリとした日本人街だったが、今でもその雰囲気は残っている。
この奥にFUJIスーパーが有る。

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P57
何故か七夕をやっていた

今日は6月22日。7月7日ももうすぐ。
(阿佐ヶ谷の七夕は確か8月7日だったような・・・)

バンコクで七夕をやっている所は他にも有るのかな~・・・?。

チェンライには七夕をやる所は無い(多分)。

「作」にでも七夕の飾りつけが有れば面白いのだけど・・・。

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FUJIスーパー

FUJIスーパーは当時(15年前)と変わらずに有った。

やはりまだ、この辺は日本人の多い地域らしい。

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P61
さっきの写真の反対側から見た七夕祭り

「らあめん亭」は自分の住んでいた頃には無かった。昔から有った「にしむら」っていうお店が工事中に成っていた。改装なのか廃業なのか。
「牛野屋」っていうお店も15年前は無かった。
15年もすれば、大分様子が変わって来るのは当然だけどちょっと寂しい。

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P63_2
スクンビット通りの古本屋

この古本屋は昔から有ったと思う。

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スクンビット33

このソイの奥に昔住んでいたアパートが有る。

ソイの入り口辺りにはもっと沢山の屋台が有ったが、今は随分減っている。
(ソイの途中には屋台が増えていた)

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スクンビット・ソイ33

昔(15年前)自分が住んでいた頃には、こんなに沢山のマッサージ屋さんやカラオケ屋さんは無かった。

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P69
以前住んでいたアパート

改装されていて昔より綺麗に成っている。

ここまで歩いて来て、昔はソイの入り口からこのアパートまで歩くのにそんなに大変だと思った記憶はないが、きょう歩いてみて結構疲れた。

こんなに長かったんだ。

15年前とは明らかに体力が落ちている。


この後、10分ぐらい歩いて昔「雑談室」(日本食堂兼雀荘)の有った所に行ってみたが、途中の道のりも含めて大分様子が変わっていた。

もう此処で一緒に麻雀をやった人達は誰も居ない(多分)。

自分の知っている範囲(10人ぐらい)で、昔「会長」と呼ばれていた方は亡くなったし、もう一人亡くなった方も居た。お金が無くなって日本に稼ぎに戻った方も居た。日本から派遣されて来ていた社長さん(現地支社の社長さんだったらしい)も多分日本に帰っただろうし、雑談室自体が、自分の知っている限り2度移転して、その後、社長さん夫妻も行方知れずに成った(あるブログに書いて有った)。

チェンライでもそうだけど、日本と比べてタイ在住の邦人は、出入りが激しい。
新しい人が入って来たり、居なく成ったり。

亡くなられる方も多いし、日本に帰られる方も多い。タイにずっと居続けている方でも他の地方に移転される方も多い。

(チェンライの場合)比較的長く居るのは、(タイ人の)奥様がこの土地の出身者で、家を建ててご夫婦で住まわれている方(自分もこのケース)。
それでも、奥様と別れて、日本に戻ったり、何処かに行ってしまう方も多い。
(しかし、実は、彼女さんと別れても新しい彼女さんを見つけて、チェンライに住み続ける人も結構多い)
(それだけチェンライという土地が魅力が有るのか、ただ単に日本に帰りたくないだけなのか・・・?)


その土地に馴染むというのは、単に住んでいて地形を覚えたり、お店を覚えたり、というのも有るけれど、友人や顔見知りが居る、という事の方が大きい。

そういう意味では、スクンビット33は、懐かしい地域ではあるが、もう知人も顔見知りも居ないので、馴染んでいる土地ではない。

自分にとって今1番馴染んでいる土地はチェンライ。ここには家族も居るし、知人友人も多い。土地勘も有る。

東京の杉並の家ももう50年近く住んでいるので土地勘はあるが、周囲には顔見知りは居るが、友人や血縁のある人は居ない(昨年母が他界した)。なので、杉並が馴染んでいる土地と言えるかは微妙。

日本に帰国した時、東京(及び、その近県)には飲みに行ったり、麻雀をしたりする仲間が居るので、地域を広く取って、「東京」と考えれば、「東京」が自分にとって馴染んでいる土地と言える。住んでいた期間、歴史も古い、思い出も多い。東京にはもう66年住んでいるので、東京全体にも土地勘は有る。

しかし、今はやはりチェンライが1番で東京が2番。今は、1年の内チェンライに居る期間の方が長いし、よくお会いする知り合いの数もチェンライの方が多い。

どちらにしても、やはり馴染んでいる土地というのは気が休まる。

まあ、タイに来始めて16年(最初に48歳の時に旅行で来た時は除く)、色々変わって行く。


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コメント

プロンポン: この地名を聞くと胸がキューンとします。右側のエンポリアム並びの新潟屋さんは、ぼくの生活を支えてくれました。

3年くらい前にBTSの下の途を歩いたら、日本語だらけでした。駐妻と思しき方々が豊かさをまき散らしていました。(昭和20年代に占領軍のジープの後を追って、give me chocolateとやっていた頃に感じたアメリカ人のまばゆいような豊かさ、明るさに似たものを感じました。) 

私の定宿はスクンビットソイ4です。スクンビットは日本人にとって住みやすいので(その他の外国人にとっても)20年近く同じホテルを利用しています。

従って名人さんの書いた「雑談室」にも何度か通いました。ご主人がゴルフ焼けで顔が真っ黒、奥さんは太目(失礼)でした。

ここの鍋焼きうどんが好きで結構食べましたが、ある時行くと店が無くなっていたのでがっかりしました。

移転したとの事ですが、住所や電話番号をご存知で差支えが無ければ知りたいのですがよろしくお願いします。

一時バンコクのコンドを買おうかと思った事があり、ソイ33のコンドも不動産屋に連れられて見た事があります。突き当りが首相の家で警察が警備していましたが、もう10年位前の事でしょうか?

歳月の経つのは早いものです。

AAA様、コメントありがとうございます。

雑談室ですが、確かにご主人は日焼けで真っ黒、奥様は太目でしたね。

移転後2回ほど行った事は有るのですが、その後閉店した様です。

グーグルで バンコク 雑談室 で検索してみたのですが、今の事は書いて無い様でした。

迷人さん回答ありがとうございました。

私もヤフーで調べましたが、現在は営業されていないかもしれませんね。

外国で飲食店を経営するのは大変な事のようで、店が繁盛していると思うと家主が法外な家賃の値上げを言ってくるケースもあるようです。

私はセミリタイアでバンコクに滞在中はただ毎日遊んでいるお気楽な生活でビジネスなど一切考えないのですが、これが一番なのかもしれませんね。

あら~、自分も15-6年前に、ソーソートーに通ってました。
常宿は近くのレトロアシス(RetrOasis)で1泊3500円でプール付きです。
ソーソートーで同じクラスの奥様方に食事に呼んでいただき、仕事も
世話して頂きました。今はNGOの事務局やってます。

メチャンのA子様、コメントありがとうございます。

グーグルマップで調べたら Retr Oasis 近くですね。

15年程前はこの辺り(スクンビットのアソークからトンロー辺り)日本人が沢山居ましたから、思い出の有る方も多いのですね。

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