2つの地元(東京編)
2019/03/07(2つの地元)(東京編)
「2つの地元(チェンライ編)」の続きです。
自分にとって地元と言えば東京都杉並区の荻窪の家。
ここには、もう50年以上暮らして居る。タイに行くように成ってからは、年間100日程しか居ないが、それでも、此処が一番馴染んでいるし、暮らし易い場所。
しかし、今回帰国した時、今までと少し違うものを感じた。
日本に着いて、成田から家に帰って来る時に、東京駅などの人混みで、何か疎外感を感じた。
此処は、本当に住み慣れた日本なのか、東京なのか・・・。
みんな、せかせかしているし、余裕がない。
タイでは、特にチェンライでは、人々がもっとゆったりしているし、余裕が有る様に感じられる。
東京が(日本人が)変わったのか、それとも自分が変わったのか・・・。
多分、これはのんびりしたタイで暮らして居た自分の感覚が変わったのだと思うが、日本人も少し変わったのかも知れない。
今回、初めて90日以上と、長くタイに居た(約4ヶ月居た)ので余計にそう感じたのかも知れない。
(10年とか日本に帰国して無い人が、帰国したら浦島太郎の気持ちに成るかも)
しかし、帰国して荻窪駅に着いて、松屋のカルビ焼き肉定食を食べている時、「やはり、此処は日本だ」、という感覚が戻って来た。そして、家に帰って風呂に浸かった時に、「やはり、此処は地元だ」、という気がして来た。
ただし、一昨年の11月に母を亡くしてからは日本に身内は居なくなった。叔父さん、叔母さん、従妹は居るが、父母、兄弟、子供などの近い血縁者は居ない。
(兄弟、子供は元々居ない)
日本に戻って来ても一人ではつまらない。
地元と言う限りは、知り合いや友人は居た方が良い。近所には、挨拶を交わす程度の顔見知りは居るが知り合いは居ない。
で、メール等で東京近郊の友人達にコンタクトを取った。
幸い、今回は遊びの予定も結構取れたので良かった。
因みに、27日(水)に帰国して、翌々日の1日(金)に麻雀。4日(月)も麻雀、6日(水)は飲み会&カラオケ。8日(金)も多分麻雀、9日(土)は飲み会&多分カラオケ。
9日の飲み会だけは、学生時代の仲間との飲み会が最初から決まっていたもので、あとは、昔の会社関係の現役とOBとの麻雀や飲み会。
こんなに予定が埋まるのも珍しい。
1日と4日の麻雀と6日の飲み会は既に終わっているが、旧友と会って遊んで居ると、ますます此処は「地元」だ、という気がしてくる。
(この場合、「東京が地元」、という感じ)
「地元」というのは、住み慣れた家が有るとか、何処にどういうお店が有るかとか、美味しいお店とか、病気の時は何処に行けばいいとか、面白い所はどこか、何処に行けば何が出来るのかとか、そういう知識や暮らしの便利さだけでなく、人との繋がりが有る、というのも大きいと思う。
そういう意味では、チェンライのコンドーには妻子が居て、近くには知り合いや友人も居るので、今では、荻窪に負けない地元に成って来た。
暮らし易さ、という面でも、言葉の問題や食べ物の不味さ、というのは有るが、慣れも有るし、料理教室とか対策も取っているので、改善されては来ている。
タイに来た初めの頃、バンコクに居た時から比べると、インターネットが使える様に成ったのも大きい。これで、日本との情報格差がかなり解消された。
逆に、母が他界して、荻窪の「地元」としての意味は少し低く成った。
比重はチェンライの方が上回ったかも知れない。
でもまだ、経済的基盤や精神的な拠り所、医療関係は日本に有るので、荻窪の地元としての価値は大きい。
仮に、チェンライで何か問題が発生しても、ここに戻れば態勢を立て直せるという思いは有る。
2つの地元を持っているという事は、自分にとってはアドバンテージだと思っている。
因みに、「地元」という言葉に似たものとして「故郷」という言葉が有るが、「故郷」というのは子供の頃の思い出の有る場所だと思う。
自分にとって荻窪は学校は高校から通ったので、「故郷」という感じはしない。
それ以前の子供の頃の記憶は小学校1年の途中までの中野区と中学3年までの東京都日野市豊田で、中野の記憶はそれ程無いので、小中の学校に通った日野市豊田が「故郷」に近い。
ただし、そこにはもう誰も知り合いは(多分)居ないし、立ち寄る所も無いので、「故郷」とは言えない。
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6日の2次会、門前仲町の飲み屋街
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飲み会&カラオケ中
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ご一家は家計の「B/S経営」で常に運に恵まれていたと思います。具体的には
①
②
③
④
⑤ 株もちょうど良い時期にドンピシャの銘柄をお買いになったのだと思いますが、セミプロでもそういう方は希だと思います。
⑥ バンコクのコンドも高騰前の値段でお求めになったのだと思います。
⑦ 趣味でカネを使わないどころか、結構な稼ぎになっています。(すみません、これはP/Lでした。)
ぼくより1~2年くらいの上の世代では、B/S経営で資産を形成した方が少なくありません。でも、ぼくより下の世代となると様子が違います。最大の分岐点は、「74年のオイルショック前に最初の住宅を買ったかどうか」だったと考えています。
こうして、運を呼び込めるのも貴兄の優れた人格のおかげではないでしょうか。
投稿: P | 2019年3月 7日 (木) 20時05分
P様、コメントありがとうございます。
①②③④は勘違い(過大評価)されてます。詳細は公開したくないので、申し訳ありませんが原文を削除しました。
⑤は、たまたまITバブルに上手く乗れました。
⑥は賃貸なので損得はありませんが、買い取っていたら儲かってたと思います。
⑦はここ数年は確かに利益は出てますが、先の事は分からないです。自分は日経平均で15000円ぐらいまでは落ちると思っているので、その時どう成っているかが問題だと思っています。
投稿: 迷人 | 2019年3月 7日 (木) 22時33分
私は生まれてこの方、ずっと同じ所に住んでいます。
よって地元と故郷が一緒。
一度ここを離れてみる事により、郷愁と言うものを味わってみたいです。
投稿: zurru | 2019年3月14日 (木) 11時17分