自由に遊び回りたい
60代の初めの頃までは何処にも根を下さず、自由に遊び回る生活に憧れていた。
日本で遊んで、バンコクで遊んで、チェンライで遊んで、一部それに近い様な事はして来たが、それでも家族が有ったのでそう遊び回ってばかりはいられなかった。
遊ぶ範囲も、遊ぶ事も限られた範囲でしかなかった。
本当は、日本もタイも、その他の世界も、もっと色々な所へ行って色々な事をやって見たかった。
しかし、家族が有るというのも大切な要素で、それを守ろうとすると大きく制約される。
家族を放って遊び回る訳には行かないし、家族が居れば活動できる地域も限定される。
また、遊ぶには1人でも出来る事は有るが、友人や家族が居ないと出来ない事も有る。
遊びだけでは無いけれど、友人が居るのは大切な事だし、家族はそれ以上に大切なものだと思う。
友人を作るには、ある程度土地に根を張らないと出来ないし、当然、家族は何処かの土地に根を張らないと生活できない。
そういう事で、なかなか自由に何処へでも行って遊び回るという事は憧れてはいたけれど、実際には出来なかった。
会社を辞めた50歳から、成田→バンコク→チェンライ(パーン郡)→荻窪→チェンライ(パーン郡)→チェンライ(市内)、と色々移動はしているが、本当に自由に動けたのは、成田のアパートに居た時とバンコクに居た前半だけで、後は家族を伴っての移動で、主に娘の学校の関係での移動なので、自分が自由に動いた分けでは無い。
(成田に居た時と、バンコクの前半は自分の生涯で最も自由に動き回れた時だったと思う)
それでも、一ヶ所にずーっと居るよりは面白かった。
娘の学校の為という口実で、日本に1年程連れて行ったのも面白かったし、チェンライ市内に引っ越してきたのも良かった。
まあ、実際は「口実」ではなくてホントに娘の為と思っての移動だけど、日本では自分も結構楽しんだし、今のチェンライ市内の生活はパーンの田舎から比べればずっと快適。
会社を辞めて18年、日本とタイとを行ったり来たり(年5往復ぐらい)の生活は面白かったけれども、最近は行き帰りの飛行機などが面倒臭く成って来た。
体力的にも、「キツイな~」、と思う事も増えて来た。
チケットの購入とか、タイの出入国の各種手続きとかも、段々と困難になって来そうな感じがする。
それと、今のチェンライ市内の暮らし、コンドミニアムの暮らしも悪くないと思って居る。
東京の家程の便利さは無いが、タイの田舎も此処ならセンタンとかBIG-Cとか近くに有るし、日本食のお店も有るので、文化的にはパーンに居た頃よりも大分ましに成った。
(家がもう少し広くて、風呂があればもっといいのだけど)
あと、チェンライのいい所は割と同年配の邦人が多いので、知り合いを作り易いと言うのが有る。
ちょっとピントが合わないという面はあるが、悪い人は少ない。
そんな感じで、ある程度現状で満足している面もあって、以前程「自由に遊び回る生活」、に憧れる事は無く成ったが、そういうものが全く無く成った分けでは無い。
これからますますパワー(体力・知力・意欲など)が落ちて来るので、まだパワーが残っている内に、もっと積極的に、「自由に動いてみたい」という気持ちは有る。
以前の自分の理想は、「住所不定無職」だった。
「住所不定」は何処にも住む所が無い、ではなくて、何処でも住める、何処でも行ける。
「無職」は仕事をしなくて自由に遊べる。
そういうものに近付こうと思ってやって来たが、なかなか思った通りには行かなかった。
しかしまだ、そういうものを諦めた分けでは無い。
最近、パワーが落ちて来たので、完全にパワーが無くなる前に、此処でもう1度、初心(?)に帰って頑張ってみるのもいいかも知れない。
まあ、色々なしがらみが出来たり、パワーも落ちているので難しいとは思うが。
(最近のダイエットなど健康管理面では、若干パワーが戻った感じはしている)。
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現地のパワフルな諸先輩方々を見ると、まだ20年は自由奔放に遊び回れるのではないでしょうか。
是非ともそうして下さい。
我が目標の方なんですから(^^)v
投稿: zurru | 2019年10月16日 (水) 10時48分