タイに来始めた頃(成田からタイへ)(前編)
2001/07~2002/11(タイに来始めた頃)(成田からタイへ)(前編)
(前編)はタイの話は無いです。
いつの時点で何をしたか、というのは正確な記憶が無い。
日本に戻れば記録が残っているハズだが、ここでは(チェンライでは)分からないので記憶を頼りに書く。
まあ、読まれる方には数ヶ月のズレはどうでもいい事だと思う。
・・・なんせ、もう20年近くも昔の話なので・・・。
成田にアパートを借りる4~5年前の話から始める・・・。
40代後半ぐらいから、「もう会社はいいかな」、と思う様に成っていた。
会社自体は面白かったが、このまま55歳の定年まで居てもその後何が残るのか。ジリ貧で、後は、歳を取って死ぬだけに成る、面白い事は何もない。
そんな事をたまに考える様に成っていた。
仕事はメチャクチャ忙しかった。今ならブラック企業みたいなものだと思う。
このままでは体を壊すか、致命的な大失敗を犯すかも知れない。そんな不安は常にあった。
それでも会社に居たのは、辞めてどうする、収入が無く成れば困る、というのも有ったし、会社内の人間関係は割と気に入っていたので仕事は忙しくても会社の居心地はそんなに悪くなかった。
会社を辞めれば、そういう人間関係も全て失う、何も残らない、と思った・・・実際には、会社を辞めても遊び相手は残ったのだけど・・・。
それとほぼ同時期、趣味(?)でやっていた「株」が儲かり出した。以前から少しづつは儲かっていたのだけど。
ITバブルの頃は、何を買っても儲かった。それも大儲け。
お世辞が半分だろうけど、証券会社の担当者から「○○さん、一体どこで情報を仕入れているのですか」、と言われたりもした。
兎に角、最盛期には給料の十倍以上儲かった、それが1年以上続いた。
(このバブル真っ盛りの頃、タイに初めて旅行に来たのだけど、その話は別に書きます)
2000年頃には、「もう金の為には働かなくてもいいや」、と思うぐらい金(実際には殆ど株資産)が貯まっていた。
(でもこのお金、ITバブルが弾けた後、かなりの部分が吹き飛んだのですが)
兎に角、「収入が無く成れば困る」、という要素は無く成った(と思った)ので、「会社に居なけれなならない」、という縛りは大分弱くなった。
暫くして、あと数ヶ月で50歳に成ろうとする時に、50歳到達者(50歳以上全員だったかな?)を対象に「早期退職優遇制度」、みたいなものが出来るという話が流れて来て、これはチャンスかも知れないと思った。
なんとなく、自分から「辞めます」、というのは逃げるみたいだし、会社や上司に喧嘩を売っている様で、ちょっと嫌だなというのが有ったが、会社の方から「辞めたい人は是非やめて下さい」、と言うのであれば、「辞める」と言い出し易い。
しかも、この機会なら退職金も割増しされる(まあ、こっちの方の理由が大きいかな)。
何も無くて、自分から「辞める」、と言えば退職金が満額貰えない事から比べれば違いは大きい。
50歳の誕生日は2001年の8月なのだけど、ちょっとずらして11月に退職した。
早期退職に応募して、会社を辞めると決めた時から(実際にはその前からだけど)、じゃあ会社を辞めて何をする、という事を考えた。
「まあ、暫く仕事はしないな」、「落ち着いてから、何か新しい仕事を始めてもいいけど暫くは遊ぼう」。
それ以前に1999年にタイに旅行に来た時から、「タイ(或いは他の国)で暮らすのも面白いかも知れないな」、と思っていたので、取り敢えず、先ずはタイ、他に面白そうな所が有ればその国へも行って見る。
初めは、観光で、その土地が気に入れば暫く生活して見て、そんな事を考えた。
その為には、海外に出掛けるのに便利な場所に引っ越そう、今までの生活を断ち切って新しい生活を始める為にも、しがらみの有る実家は出よう、と思った。
(実家といっても、両親は殆ど山梨か千葉の別荘暮らしだったので、荻窪の家は実質ほぼ1人暮らしだったが)
50歳、無職、ではアパートも借り難いと思い、在職中の2001年7月に成田のアパートに引っ越した(退職日の4ヶ月前)。
引っ越しは、特に荷物を纏めて運ぶような事はしなかった。
車で、必要な物を少しづつ運んだり、成田で家電や家具などを買い揃えた。
荻窪の家はほぼそのまま、いつでも使える様にして置いた。
なので、最初の頃は成田と荻窪の2重生活。暫くしてタイへ通う様に成ってからは成田と荻窪とタイの3重生活に成った。
こうして、退職するまでに、新しい国際放浪生活を始める準備を整えた。
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かつては人生50年と言われていましたよね。
そこで第二の人生=おまけの人生と思い、50歳の誕生日を迎えた月に私も退職しました。
そしてタイと巡り合う……。
まさに迷人は我が人生の目標です。.
投稿: zurru | 2020年7月17日 (金) 10時22分
zurru様、コメントありがとうございます。
まあ、この先どうなったとしても、50歳の時の決断は良かったと思ってます。
投稿: 迷人 | 2020年7月17日 (金) 13時36分