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2020年7月11日 (土)

タイに来始めた頃(成田からタイへ)(後編)

2001/07~2002/11(タイに来始めた頃)(成田からタイへ)(後編)

成田にアパートを借りてから退職(2001年11月)するまでの4ヶ月間は、荻窪の家から会社へ通ったり、成田から会社へ通ったり、色々だった。
まだ忙しかったので、退職するまではタイには来ていない。

退職して、自由に成り、満を持してという感じでタイにやって来た。

先ずは成田からバンコク・ドンムアン空港へ。
スワンナプーム空港の開港は2006年9月28日なので、成田に居た時期は、タイの玄関口はバンコク・ドンムアン空港だった。
ドンムアン空港の独特の匂いを覚えている。

遂に外国にやって来た、此れからは何でも1人でやらなければならない、周りは言葉の通じない外国人ばかり、そういう緊張感が有った。

前回初めてタイに来た時(実は、初めての外国でもあった)は、旅慣れている先輩と一緒だったので、ついて行けば良かったが、今回からは自分1人。自分で考えて行動しなければならない。誰も助けてはくれない。
必要なら、英語やタイ語(この時点ではほぼ英語)を話さねばならない。

この日の為に英語の会話帳やタイ語の会話帳は持って来ているが、上手く使えるかどうか。
(結局、会話帳は瞬時には使えなかった)
(タイ語の指さし会話帳は現地の観光やカラオケのスタッフさんとのコミュニケーションを取るのには少し役に立った)

結局、神経を研ぎ澄まし、周囲を注意深く観察すれば、何をすればいいかは分かるもので、結果、無事にバンコクのホテルに辿り着けた。
まあ、バンコクの空港に着いたら何をすればいいかのシミュレーションは何度も頭の中で繰り返していたし、一応ドンムアン空港の入国は2度目なので、結果的にはスンナリ行った。

以下、この頃の記憶が曖昧なところは、最近も含めてタイ通算での記憶で書きます。

この頃、バンコクのホテルには定宿が無くてメリディアンとかランドマークタワーとかウエスティン(名前が変わった)とかスクンビットの4~33ぐらいのホテルを色々泊まった。
ペッチャブリー道路沿いのホテルにも泊まったが、いつどのホテルに泊まったかはよく覚えて無い。
(行けば分かると思う)

最初に泊まったのはナナ付近のランドマークだった(と思う)(名前は変わったかも知れない)。
ホテルの紹介に「日本語通訳あり」、と成っていた記憶が有る。

兎に角、最初の頃はタイ語も英語も出来ない、というプレッシャーを強く感じていた。

ホテルは全部日本で予約してバウチャーを持って行った。
行き帰りの飛行機とホテルを確保してから日本を出た。

観光よりも街に興味が有ったので、如何にも観光地らしい観光には最初の頃は余り行かなかった。
(ワットプラケオとかワットアルンぐらいは行った気がする)
昼間はスクンビット通りを歩き回ったり、プラトゥーナムの方へ行って伊勢丹に行ったり、たまにマッサージとかしていた。

食事は、伊勢丹の歌行灯などに行った。
歌行灯に行って近くの紀伊国屋書店でタイ関連の本を買ったりフリーペーパーを仕入れて、ホテルで読んで次に偵察に行く所などを決めてたりした。

兎に角、土地勘を付けようと思った。
基本、観光ではなく「バンコク探検隊」、の様な感覚だった。

夜は夜の街の探検。
ナナプラザとかパッポンとか。

兎に角、1人で歩き回っていた。

成田に住んで、会社を退職した2001年11月頃からスクンビット33のアパートを2002年6月頃に借りるまでの約7ヶ月間にホテルは5ヶ所ぐらい、同じホテルに2回泊まった事も有るので、のべ7回ぐらいホテルに泊まっている。
正確に覚えて無いが、タイに来たのはその間5~6回だと思う。1回の旅行でホテルを2ヶ所利用した事もある。
1回の旅行の滞在日数は1週間ぐらいが多かった。

退職して、最初にタイに来た時(訪タイ2回目)はバンコクの他にチェンマイにも行った。
これは、在職中に初めてタイに旅行で来た時(訪タイ1回目)と同じコースで、訪タイ1回目のチェンマイはポーピンタワーだったが、2回目はチェンマイプラザだった。

ポーピンタワーはその後3~4回利用している。チェンマイプラザももう1回利用したが、ここ数年はホテルに泊まる時は毎回ネット予約で、特に此処という決まったホテルは無い。

飛行機のチケットの購入は訪タイ4回目ぐらいからタイ発券に変えた。
アソークのHISで、バンコク⇒成田(稀に羽田)⇒バンコク、のチケットを買った。
(アソークのHISって昔はタイムズスクエアに有った)

バンコクのHISで買ったチケットはスターアライアンスの航空会社が多かった(マイレージカードを持っていたので)。
5年程前からはLCCのエアアジアかスクートをネットで買う様に成ったが、それまではHISで買っていた。

条件は、①直行便である事、②安い事、③日程は「この範囲ぐらい」(もう「毎日が日曜日」状態だったので、大体の範囲で良かった)、④出来ればスターアライアンスの航空会社、こんな感じで選んだ。

最初の頃はANAが多かった。JALは1~2回利用。途中からはUAが多く成った。秋のプロモーションでシンガポール航空も何回か利用した。TGも何回か利用した。
最初の頃で一番安かったのはビーマンバングラデッシュ航空で往復で4万円台だった。


兎に角、タイには夜着くことが多かったので、ホテルに着いて、短パン・Tシャツ、サンダル履きに着替えて、わくわくしてネオンの街に繰り出した。
(ホントの最初の頃1~2回は、もっとちゃんとした格好で外に出ていた気がする)

ホテルを出て、先ずは、ホテル周辺の探索から始めた。



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コメント

これまでの4回の、このシリーズ、続きを期待しています。

なお、一読者としては

① ご両親さまとの当時の関係でのエピソードをいくつかもりこんでいただくこと、

② 収入の10倍以上を稼いでおられた頃に投資した銘柄にどんなものがあったのか(SBGのIPO前の時期において)、お聞かせいただくこと(全部で数行でも構いませんので)

を希望します。すみません、勝手で恐縮です。

P-tak様、コメントありがとうございます。

① 両親は秋から春は千葉県大網の別荘、夏は山梨県小淵沢の別荘に居る事が多かったです。
大網⇔小淵沢の途中で荻窪の家でも生活してますので、その時に自分が帰国していれば会いました。
タイには誘ったのですが、結局来ませんでした。
娘が小学校1年の時に日本で暮らしてますし、それ以外の年は4月に家族で帰国する年が多かったので、そこでは何回も会ってます。
母が介護施設に入ってからは、自分達が家族で帰国した時は必ず家族で会いに行ってました。

② 日本にノートが取って有りますが、記憶で書きます。
日立、富士通、住友電工、パイオニア、セガ、ファナック、NTT、KDDI、旭硝子、住友金蔵鉱山、ソニー、キャノン電子、リコー、などですが、時期はITバブル以前も以降も含んでいるかもです。
殆ど、電気関連のメーカーで、あとは資源関連と情報通信関連が少し。

銘柄を選ぶとき、企業業績やチャートから入る人が多い様ですが自分の場合、注目技術から入ります。
大体古い順に言うと、ビデオ、ファックス、コンピューター(大型)、半導体、光ディスク、光ファイバー、ビデオゲーム、等です。
今なら、5G、AI、遠隔操作、等です。


ありがとうございました。

銘柄につきましては、著名大企業ばかりなのででびっくりしました。それでも大勝ちするというのは凄すぎます!(挙がった銘柄のうちのいくつかはぼくも買いました。でも利益を出したのは富士通だけでした。富士通の生涯損益トータルは165,000円のプラスでした。)

管理人さまのご両親のことですから、みなに敬愛される立派な方々だったと思います。管理人さまのおかれては反抗期などなかったのでしょうね。ちょうどお嬢さまに反抗が無縁であるように。羨ましいかぎりです。

当時から、直ぐにTシャツ・短パンにサンダル履だったんですね。
今も変わっていないような(笑)

zurru様、コメントありがとうございます。

少しづつはちゃんとした(?)格好をする事が増えてますが、でも、やはり、Tシャツ、短パン、サンダル履き、って楽ですから、なかなか止められません。

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