タイに来始めた頃(スクンビット33)(後編)
2002/06~2004/03(タイに来始めた頃)(スクンビット33)(後編)
スクンビット33には2002年6月頃から住み始めた。
ソイ(小路)の一番奥で、スクンビット通リまでは徒歩10分ぐらい。
ちょっと迂回すれば途中に富士スーパーが有った。当時は抜け道が有ったが今は(多分)もう無い。
最寄り駅はBTSのプロンポンで、駅は日本人御用達(?)のエンポリアムデパートと直結している。
まだ、バンコクの色々な所が珍しかったので、BTS(高架鉄道)は良く利用した。
少し慣れて来てからはバスも良く利用したが、バスは「どのバスに乗ればいいか」、とか、「いつ次降りますのブザーを押せばいいか」、とかが難しかった。
(この頃はBTS(高架鉄道)は今ほど路線が伸びて無く、MRT(地下鉄)は無かった。バンコク市内でも電車で行けない所が多かった)
最初の頃、食事はソイの入り口付近の和風中華のお店によく行った。その隣の隣ぐらいに有った中華系中華のお店にもよく行った。
その他、スクンビット33の辺りには日本食のお店が多かったので、歩き回って見付けると入ったりした。
富士スーパーには、意外と余り行かなかった。食事は殆ど外食だったので、食材を買う事が少なかった。
エンポリアムにはよく行った。一番行ったのは東京堂書店で、新聞は良く買った。その他、最上階(?)の食堂付近で「たこ焼き」など日本的な食品も買った。
当時、自分にはネットもテレビも無かったので、東京堂書店で買う新聞がほぼ唯一の日本の情報源だった。
東京堂書店は富士スーパーの近くにも有ったのでそこもよく行った。
ついでに言うと、現地の情報収集は、DACOや自由タイランドの様な現地のフリーペーパー(無料誌)が役に立った。
スクンビット33に住み始めて、最初に少し話しをするように成ったのはアパートの管理人のタイ人(女性スタッフ)だった。
と言っても、話す内容、聞きたい事に関するタイ語を事前に調べてから、話したりしていた。
次に、話すように成ったタイ人は、ソイの入り口付近にあるマッサージ屋さんのお姉さんとそこの経営者(女性)さんで、一時期は毎日通ってタイ語の勉強を兼ねて、色々な事を話した。
おなじみさん、なのでサービスは良かった。
何処かに遊びに行こう、なんて誘われた事も有った・・・行かなかったけど。
(タイ人って、ちょっと知り合っただけで、こういうの多いです)
(この辺のフレンドリーさが最初の頃タイを好きに成った理由の1つ)
因みに、この頃のソイ33は、カラオケ屋さんとか少しは有ったが、今(注)と比べれば少なかった。
(注)(2年程前に行った時の話(スクンビット33を懐かしむ)。カラオケ屋やマッサージ屋が増えていて、自分の居た頃より随分様子が変わていた)
カラオケ屋さんと言えば、アパートより少し離れた所にポツンと1軒小さなカラオケ屋が有って、ここも一時期良く通った。
女性のスタッフさんが4~5人居るお店で、自分は行く時間が早いので客が1人の事が多かった。
タイ語の、「指さし会話帳」を出してスタッフさん全員に囲まれて、結構盛り上がったりもした。
(この頃はスマホで自動翻訳なんてものは無かった)
苦労して、トンチャイさんの歌を1曲(の半分ぐらい)覚えて、タイ語でカラオケをした事も有る。
みんなで○○へ遊びに行こう、何て話も有った。まだ警戒心が強かったので行かなかったけど。
18年前で(今と比べれば)まだ大分若かった。
最初に日本人と知り合ったのは、アパートの近所の和食のお店に通い始めた時で、そこのご主人や奥様(2人とも日本人)と話をする様に成った。
ここの、定食は90バーツで割とリーズナブルだった。
ある時、ご主人が麻雀の話をしているのを聞き付けて、「今度、自分も誘って下さいよ」、と話したら早速お誘いが掛かって、それから暫く、麻雀に入り浸る様に成った。
食堂の2階が雀荘に成って居た。
アパートからは徒歩10分ぐらいで、朝の11頃に成ると、「始めるから来て」みたいな電話が掛かって来て、夜中の1時とか2時頃までやる事も多かった。
昼頃から夕方6時頃までやって、ちょっと抜けてカラオケに行って、夜10時頃から再参戦なんて日も有った。
最初の頃は負けたが、この雀荘でのトータルでは少しのプラスだった。
この雀荘での清算は場所代込みの清算で、場所代には酒類を除く飲み食いの料金を含む(っていうか、麻雀中の飲み食いはタダで、場所代に含まれる)ので、通算では実質タダで飲み食いして遊んだ計算に成る。
麻雀メンバーの中に気の合うメンバーが居て、彼はバンコクは長かったので、バンコクの夜の街を色々案内して貰った。それも面白かった。
兎に角、此処の麻雀繫がりで知り合いも何人か出来たし、飲み会なども有った。
しかし中には問題のあるメンバーも居て、貸したお金を踏み倒された事もある。
タイ語教室にも通った。
やはり本腰を入れてタイを知るにはタイ語は必須だと思った。
この頃は後10年もすればタイ語はペラペラ、読み書きも出来る様に成る、と思ったが甘かった。タイ語で日常会話ぐらいは出来るが、読み書きは未だにほぼ出来ない。多分一生出来ない。
もし、此れからタイへ来る事を考えて居る方が居たら、タイ語は60歳に成る前に覚えた方がいい。60歳を過ぎるとかなり難しく成る。
(個人差は当然有ると思います。学校の先生の様な方は割と覚えるのが得意みたいです)
もっとも、今ではスマホの自動翻訳なども使えるので状況は変化しているが、(女性スタッフさんの居る)飲み屋さんなどではタイ語は話せた方が面白い。
(タイで暮らす積りならタイ語は少しでも覚えるべきだと思う)
スクンビット33のアパートには2年弱居たが、(2人、そのうち3人に成る予定が出来て)広いスペースが必要に成ったので、ラッチャダー通りのコンドミニアムヘ引っ越す事に成った。
まあ、この2年間は自分の人生で最も楽しい時期だった。
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ペーパーからの情報が唯一なんて、話を伺って時代を感じますね。
今は何でもスマホに頼ってしまい、努力を忘れています。
やはりタイ語教室に通われたんですね。
それと麻雀を通じて人脈も築かれて行かれた。
なるほど、なるほど!
続きが楽しみでたまりません。
投稿: zurru | 2020年7月 7日 (火) 10時10分
zurru様、コメントありがとうございます。
ソイ33の頃は確かに情報が遮断されてました。
しかし、それ以上に自分の足で集める情報が面白かったので、情報不足はそれ程感じませんでした。
今なら、ネットが遮断されればパニックです。
投稿: 迷人 | 2020年7月 7日 (火) 10時11分
本当に奇遇かもです。
仕事外でのタイは2001年か2002年(記憶がはっきりしません)が初めて、それから結構通いました。
宿はソイ22のImperial Queens Park Hotelでした。今さっき地図を見てわかったのですが、ソイ33は歩いて10分くらいの距離でした。ぼくは、1回/旅は、プロポン駅近くで見つけたキッチン新潟か、エンポリアム内の富士で食べていたので、どこかですれ違っていたかもしれません。
「後編」とありますが、続編を期待しています。
投稿: P-tak | 2020年7月 7日 (火) 11時04分
P-tak様、コメントありがとうございます。
昔の話は段々記憶が薄れるし、街の様子も変わって来るので、書き留めて置く事も意味があるかも、ですね。
あと、その当時知り合った方達の話なども面白いかもです。
もう、個人を特定される事は無いと思うので、書き易くは成ってると思ってます。
投稿: 迷人 | 2020年7月 7日 (火) 13時05分