タイに来始めた頃(スクンビット33)(前編)
2002/06~2004/03(タイに来始めた頃)(スクンビット33)(前編)
少し昔話をしようと思う。
タイとの係わりは時系列で言うと、「在職中に旅行でタイに来たのが最初」、「次に50歳で退職して成田に住んで居た頃」、「スクンビット33にアパートを借りた頃」、そういう順番に成るが、先ずはスクンビット33にアパートを借りた頃の話から。
2001年12月頃から、日本とタイとの往復を頻繁に繰り返すように成った。
この時はもう退職していた(退職は2001年11月)が、ただ、最初の頃は(空港に近い)成田に住み、成田を拠点として世界中を旅してみよう。その手始めがタイで、タイには旅行で来ているという感覚だった。
この頃、タイに来た時は1週間とか10日間とかホテルに宿泊してバンコクの色々な所を見て歩いた。
在職中(48歳)に旅行でタイに来た時、タイは面白いと思った事が、退職して(50歳)真っ先にタイに来た理由で、それから何回かの訪タイを繰り返す内に、ますますタイは面白い、と思う様に成った。
訪タイを繰り返して、バンコクに居る期間が長く成るといつまでもホテル暮らしというのは勿体ないし、毎回ホテルの予約をするのも面倒くさい。
腰を落ち着けてタイの事を知るにはアパートでも借りて、1点に定住した方が効率が良くないか、と考え始めた。
実際に生活してみて、もっと深くタイを攻めてみよう、と思った。
その為にはアパート。先ずどうやってアパートを探すか。
タイは自分の足で歩き回って住まいを見付ける、というのが定石らしいが、タイ語も英語も不自由、タイのアパート事情も良く知らない身では自力で見付けるのはハードルが高かった。
あるフリーペーパー(確か、自由タイランドだったと思う)に、日本人の不動産仲介業の広告が載っていて、取り敢えずそこに聞いてみる事にした。
自分で見付けるよりはお金が掛かると思ったが、それはしょうがない。
日本人の初心者を騙す日本人も多いと聞いていたが、そんなに心配ばかりしていては先に進まない。
で、不動産業者に電話してアパートを幾つか案内して貰った。
場所は、最初からスクンビット33近辺と決めていた。
スクンビット33近辺に住もうと思ったのは当時、その辺りが一番の日本人密集地帯だと聞いたからで、富士スーパーも有るし、日本食のお店も多くて便利だと思った。
その後、日本人密集地域はバンコクの発展、家賃の高騰に伴ってトンローとかエカマイとか東にシフトしていったらしいが、自分が最初にアパートを探した頃は、日本人町としてはスクンビット33が一番有名だった(と思う)。
結局、不動産業者に紹介されたアパートからスクンビットのソイ(小路)33の一番奥にあるスタジオタイプ(?)の部屋を借りる事にした。
家賃は月20000バーツ。
相場は良く分からないが、立地や広さを考えればやや高めだったかも知れない。
案内をしてくれた日本人の不動産業者さんは後々良く面倒を見てくれた。飲み屋さんに連れて行ってくれたりもした。もしかしたら、家賃の一部はその不動産業者さんにキックバックされていたのかも知れない。
スクンビット33に住み始めた頃はまだ、成田にもアパートを借りていた。
その頃は、まだ失業給付金も貰っていて約1ヶ月に1度程、成田のハローワークに行って求職中である事を認定して貰う必要が有った。
そういう事情もあり、日本との行き来は頻繁にしていた。
そのうち、タイに居る期間も長くなった事、失業保険も出なくなってハローワークに行く必要もなくなり、家賃の節約の為もあって、日本での拠点を、成田のアパートから東京の荻窪の実家へ戻した。
と言っても、その頃、両親は山梨の別荘か千葉の別荘に居る事が多かったので、東京でもほぼ1人暮らしは変わらなかった。
失業保険が無く成った時、それまでは退職して給料が貰えなくなっても失業保険でトントンだったが、此れからはお金が減る一方に成る、と思った時、ちょっとプレッシャーを感じた。
(この頃、当てにしていた株資産はITバブルが弾けた後で最悪だった)
余談。
タイに来始める前、2001年頃、タイの事が知りたくて色々な本を読むと共に、ネットで色々なブログを見て知識を収集した。
これが、結構面白かったし、結果として参考に成った。
いきなりタイの社会に飛び込むより、実際にタイで暮らして居る人の話を見てからタイに来た事は良かったと思う。
実は、このブログを書こうと思った時、最初に思ったのは今度は自分がタイに来ようと思っている方に少しでも参考に成る様な事が書けたらいいな、と思った事もある。
しかし、最近では自分がタイに慣れた事も有り、そういう視点(此れから、タイへの移住などを考えて居る方への参考と成る様な視点)からの記述が少なく成って来た。
日々の暮らしを中心とした記事が多く成って来た様に思う。
なので、もう一度初心(?)に戻って、タイに移り住む様に成った頃の話を、記憶を辿って書いて見ようと思う。
一部は既に書いた事と重複する部分もあると思うが、それは気にせずに書く。
シリーズ名は「タイに来始めた頃」で、数回に渡って、不定期で書いて行く事にする。
ただし、なにぶん20年も昔の話なので、今と事情が違うとか、記憶違いも有ると思うので、その辺は含んでお読み下さい。
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このシリーズ、とても楽しみにしています。
ぼくのタイへの個人旅行は2002年頃からの10年あまりであり、時期的に重なるので、懐かしい思いがいたします。(過去10年は、物価・為替が上昇し、足が遠のきました。)
投稿: P-tak | 2020年7月 6日 (月) 08時41分
本日のブログを拝読して、久し振りに、沢木耕太郎著「深夜特急」を思い出しました。家事と仕事を両立させながら、全3巻一気に読破しました。読後、終着駅に着いたような何とも言えないさみしさを感じました。 「タイに来始めた頃」楽しみにしています。
投稿: m子 | 2020年7月 6日 (月) 10時03分
P-tak様、m子様、コメントありがとうございます。
「楽しみにしています」、と言われれば頑張って書くしかないですかね。
でも、あんまり「頑張る」っていうのは得意じゃないので、適当にフワフワした感じにしようかな、って思ってます。
今後ともご声援宜しくお願い致します。
投稿: 迷人 | 2020年7月 6日 (月) 14時42分
迷人に遅れること8年、私もSoi 33にはお世話になりました。
特にカラオケ不死鳥には! ご存知でしょうか?
投稿: zurru | 2020年7月 7日 (火) 09時55分
zurru様、コメントありがとうございます。
カラオケ不死鳥、名前は聞いた事が有るので行った事は有るかも知れないです。
投稿: 迷人 | 2020年7月 7日 (火) 13時21分
不動産屋さんは、物件を紹介し契約が成立すると、一年契約で一か月分が、バックされるそうです。
投稿: マサ | 2020年7月 7日 (火) 15時50分
マサ様、コメントありがとうございます。
契約時だけでなく、後々まで面倒見のいい不動産屋さんでした。
投稿: 迷人 | 2020年7月 7日 (火) 18時40分