« 90日レポートは3分 | トップページ | 食卓の国境線(カルビ焼肉) »

2021年6月19日 (土)

昔の話

2021/06/19(昔の話)

自分は昭和26年の生まれ。
団塊の世代の終わり頃か、団塊の世代の直後ぐらいに生まれた。

最初は中野(東京都中野区)のアパートで暮らして居た。
まだ戦後の雰囲気が残っていた頃だと思う。
ボロボロのアパートで、便所は共同。お化けが出そうで、夜中に便所に行くのが怖かった。

部屋は6畳の部屋と2畳の部屋の2つ。
ここで、父、母、(母方の)祖母、私の4人、で暮らして居た。
父の弟さんや妹さんが一緒に居た時期も有る。
今の感覚から言うと極貧だが、そんな事は分からなかった。

近くには割と空き地が多かった様な気がする。
紙芝居屋やおでん屋、アサリ売りなどが来ていた記憶が有る。
缶蹴り遊びなどをした記憶も有る。

隣にお蕎麦屋が有って、時折、父に連れられてテレビの力道山(相手はルーテーズだったと思う)を見に行った事も有る。
今から考えると、これは結構贅沢だったのかもしれない。

何故か、年長のお兄さんに連れられて、自分達ガキども数人でラーメン屋に行った記憶も有る。
自分がラーメンを食べたのはこの時が初めてだと思うが、味は覚えていない。

兎に角、この頃の記憶は曖昧で、今ではピンボケの世界の出来事である。


小学校1年の時に、中野から豊田(東京都下日野市)に引っ越した。
多摩平団地という大きな団地で、1棟に6軒の家が連なる2階建ての家だった。

1階に4畳半と風呂・トイレ・台所が有り、2階には6畳と3畳の部屋が有った。
広い家だと思った。何より2階まで有るのが凄いと思った。

この頃、家(うち)は中流のど真ん中だったと思う。
両親共、公務員として働いていたので、個々の給料はそれ程ではなくても2人分だから、平均かそれよりちょっと上ぐらいの収入は有ったのではないか。
時は、高度成長期、昭和30年代の3種の神器、洗濯機、テレビ(白黒)、冷蔵庫を次々に買って文化的生活の基礎が整った。

冷蔵庫で出来る氷が珍しくて、氷を食べて、文化的生活を感じたりしていた。
この頃新発売された「渡辺のジュースの素(粉末ジュース)」も凄い物だと思った。

粉からジュースが出来る、まるで魔法・・・凄い!・・・


続編を書く予定です。


ブログ村ランキングに参加中。応援よろしくお願いします。

ポチッ  ⇒ にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ

にほんブログ村
http://meijin.air-nifty.com/blog/2019/08/post-6bb066.html




« 90日レポートは3分 | トップページ | 食卓の国境線(カルビ焼肉) »

昔の話」カテゴリの記事

コメント

多摩平のテラスハウスにお住まいでしたか。高校の時友人が何人か住んでてよく遊びに行ったものです。
八王子と日野の境にUR(旧住宅公団)の集合住宅歴史館つうのがあって、年に一度公開してました。
その時に撮ってきた画像です。ttps://i.imgur.com/njGCKKw.jpg (先頭の”h”抜き)

ねまき猫様、コメントありがとうございます。

頂いた写真の様な家でした。
八王子も親戚がいたので良く遊びに行きました。
他には高尾や立川にも結構行きました。
懐かしい地域です。

名人さんは 少年時代はアパートだったんですか、驚きです。
名人さんは生まれたときから大きな家と別荘があったのだと思っていました。

当時は東京で家を持つというのは田舎とは違って大変なことだったんですね。

田舎だと 家を持つのは 当時でも そんなに難しいことではなかったと思います。

名人さんの東京は きっとアラーキーの写真集 「東京人生」の中の東京の頃なんだとイメージしてます。

コメントありがとうございます。

正確な記憶は無いですが、まだ戦後のドサクサの香りが残っていた様な感じがしています。
中野に居た頃はまだ両親も若くて、飛躍するエネルギーを貯め込んでいた時代、だった様な気がします。

懐かしい!

ぼくの中野区生活(中杉通り沿い)は昭和35年からですが、それでも、下水道はおろか上水道もきていませんでした。道路はよくて砂利道でした。それまでの11年間は九州だったので、初めての東京生活で楽しみにしていたのですが、もっと都会を想像していたので、がっかりしました。

続きを楽しみにしています!!!

P様、コメントありがとうございます。

自分が中野に居たのは昭和32年頃までですが、その頃は剝き出しの土の空き地がかなり有った様な記憶です。
まあ、小学校1年の1学期頃までの記憶なので、アヤフヤな記憶ですが。

こんばんは、

懐かしいですね!
私は春日井のシトロンソーダをよく飲みました。
タイの田舎の集落を訪れると、子供の頃の「昭和」を感じることがあります。

セントレア様、コメントありがとうございます。

自分も初めてタイに旅行で来た21年程前に、子供の頃の日本とイメージが重なりました。
特に、チェンマイは初めて来たにもかかわらず、何故か懐かしい感じがしたのを覚えています。
田舎でもなく都会でもなく、雑然とした未成熟な世界、エネルギーを貯め込んでいる世界・・・うまい表現が見つかりませんが、そんな感じでした。

本当に懐かしいです。私は団塊世代の走りで、22年生まれです。ゆりかごから墓場まで~と言われ競争を強いられてきたせだいです。給食のミルクの味は今でも忘れられません。あのミルクは皆には不評でしたが、育ち盛りの私達の健康にどんなに役立ったかはかりしれません。渡辺のジュースの素、舌が黄色に染まっても、着色剤なんて言葉もなく平気で飲んました。続編を楽しみに待っています。

m子様、コメントありがとうございます。

給食のミルクは苦手でした。
中学生ぐらいから普通の牛乳に成った気がしますが、よく覚えてないです。

自分は渡辺のジュースの素で作ったジュースを美味しいと思って飲んでました。
今飲むと、どう感じるかは分からないですが、多分、美味しいと感じる様な気がします。

こういう話を書くのが上手ですね、続きが楽しみです。
小説でも書かれたらどうでしょう?
以前書かれていた、タイに来た当初の話の続きも読みたいです。

デカチンコ様、コメントありがとうございます。

褒められると照れます。
昔の話は記憶を文字にするだけなので書きやすいです。

昔の話シリーズは大ヒットの予感がするので是非長期に渡ってシリーズ化してほしいです。

僕は今 「犯罪心理学」の本をメインに読んでいますが
サブに「人間にとって貧困とは何か」という本を読んでます。
これが 昭和の高度成長期前から書かれていて興味深いです。
これと当時の東京の話と重なるところがあります。
昭和の高度成長期前というのは開発され過ぎた今の日本にとって
今となっては相当に魅力的です。

コメントありがとうございます。

経済が高成長していた頃は勢いとか活気が有って良かったと思います。
今の日本は閉塞感が有りますよね。
働きたい人がその能力に応じて働けて、それに見合った収入が得られる、そんな社会に成るといいと思います。

懐かしい昭和の香りが漂ってきました。
正にALWAYS三丁目の夕日の時代ですよね。

zurru様、コメントありがとうございます。

セピア色のイメージですね。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 90日レポートは3分 | トップページ | 食卓の国境線(カルビ焼肉) »

無料ブログはココログ

雑記帳フォト2014

  • 吉野家の牛丼
    吉野家の牛丼