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2021年6月26日 (土)

昔の遊び(狩猟採集)

2021/06/26(昔の遊び)(狩猟採集)

回数は多くないが、何かを、獲ったり、採ったり、した遊び(?)は、印象に残っている。

小学校1年の時に都心(中野)から郊外(日野市、当時はまだ田舎)に移って来て、都会とは違った面白さを感じた。
通学路の左右には田圃が有り、家の近くに森、雑木林も沢山あり、池や湧き水から流れる小川も何ヶ所か有った。

そういう環境で、ただ遊ぶだけでなく、自然の物(動植物)を取るのが面白かった。

ある時、農業用水路の水が干上がった(正確に言うと、水溜まりの様に成った)。
以前もその川でザリガニを取った事は有ったが、その時はいくらでも獲れた。
で、バケツいっぱい獲った。
家に持って帰ってエビ料理が食べられると思ったのだが、残念ながら、そのザリガニはすべて捨てられた。
今調べたところによると、アメリカザリガニは食べられるが日本では殆ど食べないものらしい。

水が湧き出ている小川では小さなカニを獲ったし、大きな川(浅川)では魚を獲った。

ある時、空気銃の打ち方を教えてもらって、撃たせて貰った事がある。
当然免許も無いので違法だろうが、もう時効。
誰かのお兄さんにやらせて貰ったがそれが誰かは記憶に無い。全く知らない人、雑木林の中でたまたま会ったお兄さんだったかもしれない。

最初は動かない物を目標にして撃って、結構当たった。
自分は上手いのかもしれない、と思った。

次に、野生の鳥に照準を合わせた。
この機会を逃すと、もう次は無いかもしれない、そう思って慎重に時間を掛けて狙っている内に鳥は飛んで行った。
それ以来、銃砲の類は撃った事が無い。
あの時、引き金を引いていれば多分当たったと思うので、それは今でもちょっと残念に思う。

・・・「あの時、○○をやっていれば」、というのは他にも色々ある・・・

人生なんて、そんな事が積み重なって出来ているのかもしれない。

ちょっと話がそれたけど、何かを「獲ろうとする」、のは本能みたいなもので、それに根差した自然の中での遊びは、他の遊びとは違った特別なものが有った。
特別なワクワク感。

「動物を獲る」ことから比べると「植物を採る」のは刺激が少し落ちるが、食べられそうな物を採るのは好きだった。

ある時はノビロ、またある時はつくし。
まあ、結構一生懸命採った割には余り食卓には乗らなかった。

栗拾いもやった。
これは結構食べたし、生で食べた事もある。

昔から、食料の自給自足には興味が有った。


余談。

今迄、栽培して食べた物。
木苺、苺、大根、人参、じゃがいも、キャベツ、トウモロコシ、茄子、トマト、カボチャ、しし唐、ピーマン、キュウリ、スイカ、ブルーベリー、枝豆、マンゴー、パパイヤ、バナナ、リンチー、タマリンド。

今迄、捕獲して食べた物。
鮒、アサリ、蟻(マレンマン)。

今迄、採取して食べた物。
アケビ、栗、タラの芽、ワラビ、ゼンマイ、フキ、ヨモギ、つくし、ノビロ、何かのキノコ。

多分、今思い出せないだけで、もっと沢山の種類の物を食べて来たと思う。

その内、世界的な食糧危機が来て、自給自足の知識のある者だけが生き残る、そんな世界が来たら・・・そんな事は無いか。
ま、そんな事に成ったら、自分など真っ先に飢えて死にそうだな。


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昔の話」カテゴリの記事

コメント

1970年代に食糧危機が大きな話題に上がり、大学は農学部に進学しました。
しかしながら、実際には農業技術の進歩が人口増加を上回り、アフリカなど一部の地域を除いて食糧危機という言葉は死語となり、むしろ飽食の時代となったようです。
以前に「餓死」というタイ語はないと聞いたことがありますが、実際にタイで暮らしてみると食べ物が実に豊かだと感じます。
パーン郡の実家のように、至る所に果物がたわわに実りますから、迷人さんが餓死することもないでしょう。木から落ちて怪我をすることはあるかも知れませんがね(笑)。

マムアン様、コメントありがとうございます。

今はもう、余り木登りはしませんし、まして高い所には行きません。
ただ、梯子で高い所まで登る事は有るので、落ちたら大怪我をするか、下手したら死ぬな、と思う事はあります。

確かに、食糧危機が来たらタイは有利かもしれないです。
バナナとマンゴーだけでも結構カロリーは取れそうです。
たんぱく質が問題ですが、パーンのお義兄さんなどは、近くの川で獲った小魚や、何処かで獲った蛙を食べてます。
近所のおじさんはカイモッデーン(蟻の幼虫を食べる)獲りの名人です。


こんばんは、

農業用水路の水が干上がった時は、雷魚(スネークヘット)を捕まえて遊んでいました。
タイでは雷魚を食べるみたいで、バンコクのクロントーイ市場で売られているのを見た記憶があります。
ノビロは採ったことはありませんが、つくしやタンポポは採って卵とじやおひたしで食べた記憶があります。

セントレア様、コメントありがとうございます。

今、ネットで調べて見ましたが、雷魚ってグロテスクな魚ですね。
自分は見た記憶がないです。
ドジョウは日本の親戚の家の近くで獲って食べた事が有りますし、ナマズは日本でもタイでも食べた事が有ります。
後、タイの淡水魚では、プラーニンは良く食べますし、大ナマズ(プラーブック)も食べた事が有りますが、雷魚は食べた事が(多分)無いです。

僕の小中学校の頃は祖母が山に山菜キノコを取りに父が川に魚を取りに母が畑で菜園作りに頻繁に行っていました。

もう そんな日本がなくなってしまって、とても悲しすぎます。
代償に生活は便利になりました。

チェンライだって 2000年ころは まだまだ良かったです。
今は どうなんでしょうか?
チェンライも まだまだ自然が残っているのでしょうか?


名人さんの東京物語にも そんな田舎の風景があったなんて またまた驚きです。

そんな名人さんがミャンマーのチェントンの緑の絨毯や緑の山々に触れたら 一度で好きになれると思います。
僕にとってチェントンは昔の日本の田舎の風景の再来です。
早くコロナが落ち着いて自由に旅行したいです。

コメントありがとうございます。

人によって感じ方が違うと思いますが、自分は、チェンライには自然が残っていると思ってます。
日本でも、山梨県のj北杜市、八ヶ岳山麓辺りには自然が残ってます。
昔と比べれば大分減りましたが・・・。

今はコロナで動きが取れませんが、それが無くなれば、行ってみたい所は色々あります。

つくしは今でも毎年採取します。
年に一度は旬のものをと思い、今年も卵とじにして食べました。

zurru様、コメントありがとうございます。

実は、つくしを食べたのは覚えてますが、どんな味だったか忘れました。
河原でいくらでも採れたのを覚えています。

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