2024/09/01(金持ちに成り損ねた話)
最初「ポートフォリオ」というタイトルで資金管理について書く積りだったが、書き始めたら昔の記述が長くなったので、「金持ちに成り損ねた話」として1本の記事にした。
23年前の2001/11に会社を辞めた。
今で言うFIRE(ファイナンシャル・インディペンデンス・リタイア・アーリー)(経済的自立・早期退職)。
当時はそういう言葉は無かったし自分もそれを目指していた分けでは無いが結果としてそうなった。
(もしかしたら、FIREて言葉は有ったかもしれないが、自分は知らなかった)
22歳で学校を卒業して入った会社を50歳で辞めた。
30代から細々と始めた株式投資が40代に入って儲かるように成り、規模が拡大した40代後半では「もう給料が無くても暮らして行ける」と思えるぐらいに成った。
友人からは「そんなに儲けても使い切れないだろ~」と言われて、「確かに」と思った。
一番大きく儲かったのは1999年頃のITバブルの時で、この時は担当証券マンも(お世辞も含めてだと思うが)驚くほどの成果を上げた(「○○さん、何処から情報を仕入れているんですか」と聞かれた)。
2000年の4月頃からITバブルの崩壊は始まっていたらしいが2000年中ぐらいはまだ株の利益は出ていたし、それまでの蓄積も大きかったので「全然余裕」だった。
そんな折、2001年に入って、会社が早期退職優遇制度を実施するらしい、という話が聞こえて来た。
50歳以上の社員が退職する場合、通常の退職金に若干の上乗せをするという話。
これに乗った。
2001/08で自分は50歳に成る。
5月頃にそれを決めて(人事部にも話をした)50歳に成ったら辞める事にしたが、結局11月に会社を辞めた。
その頃は、ITバブルの崩壊が進んでいたので「全然余裕」ではなく「余裕」ぐらいに成っていた。
まあ、当時自分は独身だったし、お金を使わない節約生活には自信が有った。
家も親の家が3ヶ所有ったし、健康に不安は無かったのでいざと成れば警備員でもなんでもやればいい、と思った。
しかし、その後、「ちょっと困った」事が起こった。
それは、ITバブルの崩壊を甘く見ていたという事。
以下に、ITバブルの時に大きく儲けて、その崩壊で致命的な痛手を受けた富士通の株価推移を示す↓。
1994/10頃から2008/10頃までの富士通株の月足
尚、富士通株は2018/10に10株を1株にする株式併合と2024/04に1株を10株にする株式分割をしているので、この表の1株は今の1株と同等。
2000年以前の取引はきちんとした資料が残って無いので記憶によるが、富士通株は「購入→全株利確」を3回繰り返している(3回とも利確だけ、損切はしてない)(尚、表の2001年からの買いは4回目に手掛けた分)。
(3回目に手掛けた分の)最後の利確は1株1000円ぐらいで買ったものを3000円を若干上回るぐらいで売った。多分1999/07頃だと思う。
仕入れの時期と売り始めの時期は若干記憶が曖昧だが、最後に3000円ぐらいで売って、その後5000円(2000/02)までスルスルと上がったので、売り急いで失敗したと思った。
ITバブルが弾けてからの売買は記録が有る。
(以下は富士通株の売買。黒数字は買い、最後の赤の1行のみ売り)
2001/02/23 1721円 5000円まで行った株価が半値以下に下がって来た。自分が最後に利確した3000円よりもかなり低い。少なくとも元値(5000円)ぐらいまでは戻るだろうと思って買い始めた。
2001/02/26 1693円
2001/02/28 1630円
2001/03/01 1694円
2001/03/09 1523円
2001/03/12 1564円
2001/03/16 1417円
2001/03/21 1610円 2001/02~03に短期間で集中的に買い進んだ。
株数は伏せるが1回の取引株数も大きい。
蓄えた資産の殆どを富士通株1点に集中して大金持ちを目指した。
(自己所有のクルーザーを乗り回せるぐらいの金持ち、或いは、世界中を旅行しても資金が尽きないぐらいの金持ち)
2001/03/29 1823円 この時点では、一瞬、目標の大勝利に少しだけ近付いたように見えた。
2001/05 この辺で会社を辞める決心をした。
この頃の富士通の株価は1600円ぐらい。
この時点で自分の資産の大半は富士通株に成っていた。
目論見通りに富士通株で大儲け出来れば、世界中を旅して周るのもいいかも知れない。
2001/06/20 1389円 会社を辞める決心をしてから徐々に資産が減り始めた。
それでも富士通株を買い進んだ。まだ、ITバブルの崩壊を甘く見ていた。
その内反転して先ずは3000円、その後高値の5000円台に戻って更にそこから・・・、と考えていた。
2001/07/09 1250円
2001/11 ここで会社を辞めた。この頃の富士通の株価は900円ぐらい。大分目減りした。
2002/08/?? 613円 富士通株の1点集中の買いは失敗したと確信した。
2002/12/27 341円 2002/10には遂に300円台に落ちて、少し有った他の株も下がっていたので、株に1点集中ではなく、預金とか債券にも資金を分散して置くべきだったと反省した。
「後悔先に立たず」という言葉が頭をよぎった。
2003/02/10 322円 最初に買った値段から比べると約5分の1。
(322÷1721=0.187)
もう一生、富士通株の損失は取り戻せないと思った。
2003/10/02 612円 まだ性懲りも無く買っている。
この頃には本格的な戻りは諦めて、今買った値段からの小幅な値幅取りを考えていた。
平均買い単価を下げてから平均買い単価を上回った時に売って、マイナスを消そうとした分けでは無い。
いくらナンピン買いをしても、もうそんなに平均買い単価を下げる事は出来ない。追加買いの資金の余裕も殆ど無い。
2004 結婚&娘誕生
これで支出の要因が増えた。
大金持ちには成れなかったが、当時のタイはまだ物価も安かったし、10年や15年は何とか成ると思った。
もし、数年経ってダメそうなら、何か節約の方法を考えるか、働いて収入を得る方法を考えるとか、しようと思った。
(妻子がいる事で年金の割増も有るし、最低限、年金だけでも何とか成るかも)
(それに直ぐには当てに出来ないが、日本に家もあるし・・・)
2007/06/15 891円 ここから売り始めた(痛恨の損切)。
滅多に損切をしない自分としては珍しい損切。
最安値からは少し戻ったので、多分「やれやれ」と思った気がする。
以上がITバブルに乗って金持ちに成ろうとして、失敗した顛末です。
その結果がどうなったか、現状を簡単に説明すると・・・。
幸い、今は、働かなくても、それ程切り詰めた生活をしなくても、何とか成っている。
株の方は2004年頃から少しづつ盛り返していた。
2008年のリーマンショックでは3割ほど落ち込んだが、2013年からの上昇局面には上手く乗れて、コロナショックも、ちょっと前の史上3番目と史上最大の連続した下げもそれ程影響を受けなかった。
株に1点集中した投資姿勢も改めて「債券」とか「金投資」とかも少し進めた。通貨の分散も若干進めた。
株に関しても銘柄の分散を進めた(ただしこれは、集中投資に懲りて色々な銘柄に目移りして銘柄数を増やし過ぎたとも思っている)。
「金」に関しては、若干の値上がり益(売って利益確定もした)も受けた。
父と母が他界した時は若干のものは残してくれたし、杉並の家に併設されていた郵便局の家賃収入も10年ぐらいは有った。
(大した金額では無い割に管理が面倒だったので、2年ぐらい交渉して出て貰った)
(郵便局は廃局に成った。事務所等はほぼそのまま残って居て今は倉庫の様に成っている)
誤算だったのは、「タイの物価が安い」とか「節約」というのは、2024/09/01現在、見込み違いと成っている。
(実は本当はそうでもない。そういう可能性は有ると思っていたので、ある程度「想定内」)
タイの物価自体も上がっているし、円バーツのレートも悪く成った。
「働く」というのも年齢的にも心筋梗塞に成った事で今ではほぼ不可能。逆に医療費が心配に成って来た。
そして最大の誤算は恐ろしく金の掛る嫁であった事。
(娘に関しては今、大学2年なのでそろそろ金は掛らなく成る)
まあ、でも「金持ちに成り損なった」2000年~2004年頃と比べれば、23年経っていて残存寿命も少なく成っているし、ここ20年ぐらいの投資(株や「金投資」など)ではかなりプラスに成っているし。
ここは奥さんの底なしの浪費癖さえ押さえられれば、何とか成るかも(寿命まで逃げ切れるかも?)。
因みに、金持ちに成るという夢はまだ完全に諦めた分けでは無い。
残された時間は少ないし、50代以前と比べてリスクも取り難く成っているが、資金の運用を非常に上手くやれば可能性はゼロではないかもしれない。
まあ、針の穴を通すようなものだけど・・・。
しかし、非常に小さい可能性であっても、もしそうなった時にそれを使う時間は多分残ってないのがちょっと残念。
なので今の株式投資は麻雀の点棒を集めて喜んでいるようなもの。
予想を立てて、予想が当たって、点棒が増えればそれが楽しい、みたいな。
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