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2024年12月の13件の記事

2024年12月31日 (火)

トゥーンで見学会

2024/12/23(トゥーンで見学会)

このブログの古くからのフォロワーさんがお二人(日本人・男性)、チェンライ県の南東の方角のトゥーン郡という所に住まわれていて、お招き頂いたので行ってみた。


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地図の4番目がトゥーン郡

自分の家は地図の1番目のチェンライ市。そこの南東に出っ張ったターサーイ地区に有る。
トゥーン郡とは接していて比較的近い。

お招き頂いた家までは車で1時間弱で、初めてだったので多少道に迷う事を考慮して少し早めに家を出た。
運転は自分で助手席に奥さん。
2人で出掛ける時は普通、運転は奧さんだが道に迷ったりすると奥さんはパニクるので、今回は自分の運転で。

お招き頂いた家には行った事は無いが、トゥーン自体は昔住んで居たパーンにも近く、道は何回か通った事がある。
奥さんの知り合いも数人居るらしく「此処は元○○さんのラムヤイ畑」とか「△△さんは今も住んで居る」とか「このレストランは昔来た事があるよね(下の写真)」とか話ながらグーグルマップを頼りに目的地へ向かった。

V35
2019/09/14撮影のトゥーンの風景、1020号線
約5年前の写真なので、ちょっと様子が変わってますが、雰囲気はこんな長閑な感じで今も変わってません。
BIG-Cやセンタンの有る辺りから国道1号線を南に約2km走って、左折して1020号線に入って後は、道なりに約42km行った地点。

最終目的地は此処より更に数十キロ先。
1020号線は最初は写真のような長閑な地帯が続き、そのあとぐにゃぐにゃしたカーブの続く山道になる。
(チェンライ市から行くには、自分達の通った1020号線でずっと行くより、途中から1421号線に入った方が若干早いらしい)


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トゥーン郡役所(右)付近、Gooleマップより
山道を抜けて暫く進むと街らしき開けた所に出る。

目的地は此処から数キロ行った町外れの村(?)。

幸い、道を間違えずに行けたので目的地には予定した時間より30分程早く着いた。

今回お招き頂いたお二人の家は至近距離にあり、これは偶然では無くお二人の奥様が姉妹どうしで、その地元に家が有った為。
こういうケースは他にも知っているので、それ程レアケースという話では無いかもしれない。

多分、最初の日本人の旦那さんの評判がいいと、その妹さんも「私も日本人の旦那がいい」という話に成るのか、その一族の方達の日本人に対する評価が高いのか、そんな事もあるような気がする。

或いは、チェンライの日本人男性のネットワークとタイ人の一族のネットワークの間で紹介したりされたりというのも有る。
なので、タイ人の一族の中に日本人が居ると(つまり自分のようなケース)、そのつながりで新しい日本人とタイ人の接点が出来るというケースも有る。
(最近ないけど、以前は奥さんからそういう打診を受けた事も度々あった)


至近に有るお二人の家はどちらも、元々あった家に増築を行って、平均的な日本の家と比べると広々とした立派な造りだった。
庭も日本の都会と比べれば広く、1人は野菜や果物を手広く栽培されていた。

タイの、マンゴー、パパイヤ、バナナ、ココナッツ、マナーオなど果物の他、キャベツ、アスパラ、ニラ、カボチャ、インゲン、など多くの野菜も栽培されていた。
本人は農夫だと言って、野菜造りは面白いと言って居た。

自分がバンコクからパーンに移って来た時も果物や野菜造りを少し考えたが、面倒臭がりの性格と暑いのが嫌だな、と思って余り農作業はやらなかった。
(日本の八ヶ岳山麓で色々な野菜造りをした経験は有るので、野菜や果物の栽培に関しては少しは分かる)

まあ、こういう長閑な土地で趣味としての農作業をする、という生活もチェンライではアリだと思う。


今日は家と奥様のお披露目と言う事で、家の見学会の後は少し離れたタイらしい開放的なレストランでご馳走に成った。
尚、参加者はトゥーンのお二人のペアとご親戚の方の他、チェンライ市内の3組のペア(全て奥様はタイ人、旦那は日本人)。


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トムヤム・タレー、ソムタム、トート・マン・クン、カオパット・プー、ほかのタイ料理

こういうタイ人と日本人との家族ぐるみの付き合いというのも、たまには有ったほうがいい。


という事で、自分は少しビールを飲んだので帰りは奥さんの運転で帰ったのでした。


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2024年12月29日 (日)

誰の贈り物?

2024/12/29(誰の贈り物?)

夜の7時頃、玄関のチャイムが鳴った。

ピンポン・ピンポーン

玄関に出たらご婦人が赤い箱を差し出して来た。

ハッピーニューイヤーと言って、奥さんの名前を言っているので新年の贈り物だと思った。

「リンさんは?」
(妻の名前は変えて有ります)

と聞いて来たので「今、居ません」「車で出掛けています」

まあ、贈り物を受け取ればいいだろう。
そう思って贈り物を受け取った。


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新年の贈り物(まだ12月29日だけど)

後で、誰から受け取ったかを言わなければならないので名前を聞いたら「ジェーン」と言っている。
タイ人の名前の発音は日本語と違う事があるので自分も発音して「ジェーン(さんですね?)」と3回程確認した。

その間に「リン」という発音が聞こえたので「リン(さんへの贈り物です)」と言っているのかと思った。
(妻の名前は変えて有ります)

ご婦人の後ろには小型の車が止まっていて運転席には旦那さんらしき人が居た。

軽くお礼を言って、贈り物を受けっ取った後、ご夫婦らしき方達は車で去って行った。


送り物を届けに来るぐらいの間柄だから名前を言えばわかるだろうとは思ったが、念の為、車の色と形、ナンバー、ご夫婦の推定年齢をメモして置いた。

それから30分ほどして奥さんが帰って来た。

「ジェーンさんが(贈り物を)持って来た」「ハッピーニューイヤー」と言って居たから「新年の送り物だと思うよ」と言った。
そうしたら「ジェーン」さんという人の心当たりが無いらしい。
友達の名前ぐらい覚えて置けよと思ったが、さっきのメモを見て、ナンバーが○○○○、濃い緑の車に乗って来た、年齢は40~50歳ぐらいのご夫婦、と説明しても全く見当が付かないらしい。

さっきご婦人が方向を指差したのを覚えていたので「あっちらしいよ」と自分も指差したがやはり分からない。

折角贈り物を届けてくれたのに誰だか分からないのは申し訳ないなと思った。
奥さんもそう思ったらしく、車の色とナンバーを頼りに住宅団地の守衛さんに電話で聞いてた。
(守衛さんと仲良く成るのは、奥さんの特技みたいな感じ)
そうしたら、それらしい車の有る家が分かった。
自分の家から、さっきご婦人が指差した方向の家にその車はあった。

自分と奥さん、守衛さんの3人でその家に行ったら家の人が出て来て、さっきのご夫婦である事は直ぐに分かった。
奥さんもその家の奥様とは知り合いらしい。

しかし、その家の奥様はジェーンでは無かった。
ではジェーンとは誰か。
ジェーンと言うのは旦那さんの名前だった。
名前のイメージから自分は女性の名前だと思った。そこがそもそもの間違い。
奥さん同士は友達でも、旦那の名前は知らなくても不思議じゃない。

では何で奥様は自分の名前を言わなかったのか・・・?。
実は、奥様も自分の名前を言っていた。
奥様の名前は家の奥さんと同じ「リン」。
(奥さんの名前は変えて有ります)

贈り物を受け取った時に「リン」という発音は聞き取れたが、それは奥さんの事を言っているのかと思った。
後から考えると、それは自分の事を言っていたのだった。

奥さんに聞いたら彼女の名前は「リン」、自分の名前は「リン」と言っている。

同じだろ~!。

日本的発音ではどちらも「リン」で同じだが、タイ語の発音では「リン」と「リン」は違うらしい。

面倒臭い言葉だ!。

まあ、一件落着。

しかし、自分のメモにちょっとした間違いが有って、推定年齢「40~50」とメモして有るのを奥さんが見せたら「自分は30歳代」だと言って笑い話に成った。


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2024年12月28日 (土)

メーチャンで懇親会

2024/12/22(メーチャンで懇親会)

初めに、今迄このブログで紹介して無かったチェンライ県全体の位置の説明をします。


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チェンライ県地図(は国道1号線)

チェンライ県はタイ最北の県で、北はミヤンマーと接し、北東はラオスと接し、南はパヤオ県と一部ランパーン県と接し、西はチェンマイ県と接している。

チェンライ県の主要幹線は南北に走る国道1号線(地図の青色の線)で主にそれに沿って街が幾つか有る。
国道1号線はタイの首都バンコクから続いている。

国道1号線に沿ってチェンライの概要を説明すると、パヤオ県から入って(北上して)最初に有るのがパーン郡(地図の5番目)。
自分が約20年前にバンコクから移って来たのは奥さんの地元のパーン郡だった。
ここに家を建てて8年ぐらい暮らした。

パーン郡は人口約13万人、パーンという比較的大きな田舎町が有る。自分が住んだのはそこから10km程離れた周囲が田圃の村だった。

パーン郡の北にはメーラーオ郡が有って国道1号線も一部通過して居るらしいが、印象は殆ど無い。

更にその北にチェンライ市が有る(地図の1番目)。
チェンライ市は人口約21万人。
チェンライ県では最大の街。
今は、ここの南側のターサーイという地区の住宅団地に住んで居る。
それ以前はパーン郡から市の中心部に近いマンションに移って来て住んで居た。
そこはセンタン(デパートなどの複合商業施設)やBIG-C(大型のマーケット)が至近に有って多分チェンライでは一番便利な立地だった。

国道1号線を更に北上するとチェンライ市の北にはメーチャン郡が有る(地図の7番目)。
メーチャン郡は人口約10万人。
メーチャン群は更にその北にあるメーサイに行く時に通過するが、メーチャンの街自体は国道1号線から少し外れているので、今迄行った事が無かった。
で、今回、ここで懇親会が行われるという事で初めてメーチャンの街へ行った。

メーチャンの北にはタイ最北のメーサイという町が有る。
人口は3万人程と小さいが、国境の町という独特の雰囲気がある。
付近には山岳民族の村なども有って、観光でも賑わっている。

チェンライに暮らす日本人はチェンライ市に住む方が一番多いと思うが、メーサイやメーチャンに住まわれている方も多い。
その他の地域(その他の郡)にもポツポツと暮らして居る方は居る様だ。
日本人はチェンライ県全体に広がって居る。

で、やっと本題。
メーチャンで懇親会。

チェンライの日本人社会、日本人のコミュニティで最大のものはチェンライ日本人会だが、チェンライ県といっても北から南まで広いので地域毎に懇親会が有る。
以前、日本人会が音頭を取って、メーサイを中心とした北部、チェンライ市を中心とした中部、県の南部や一部パヤオ県も含めた南部でそれぞれ懇親会をやろうという話が有った。
それで活動した事も有ったが、結局、南部は出来ず(?)、北部と中部は一部の有志で懇親会が行われた。
しかし、その後、日本人会が一時期解体されたりして流れが途絶えかけた時も有ったが、有志により北部と中部は懇親会が行われる様に成って、日本人会も復活したので日本人会の協賛(今のところ、どちらの会も日本人会の会員限定にはなってない)みたいな形で2つの懇親会は続いている。

で、本日(2024/12/22)は北部地区の懇親会に初めて参加した。
北部地区といっても、別に、メーチャン以北に住む方に限るという分けでは無い。
そこは「来るもの拒まず」の緩い連携が特徴のチェンライの日本人コミュニティ。

家から、懇親会が開催されるメーチャンのムーカタ屋までは約40km。車で45分程の距離。


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メーチャンの市街の手前の分岐点

チェンライ市の方から国道1号線を北に進むとメーチャン市街方面へ向かう分岐が有る。
(まっすぐ行くとメーサイ)


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本日の懇親会場

日本人の関係者が経営しているムーカタ屋(タイ風の焼肉屋)。


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焼肉準備中

今日は10人ぐらいの参加者の内、半分ぐらいはチェンライ市からの参加者だった。


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焼肉中

久々のムーカタ。
バンコクに奥さんと住んで居た時やチェンライのパーン郡に越して来た時はよくムーカタ屋に行ったがチェンライの街に移って来てからは殆ど行かなくなった。
自分に取ってムーカタは田舎のタイ人の好きな料理というイメージ。
こういう開放的なお店は懐かしい感じがした。

今ではそうでもないかもしれないが、以前はムーカタといえば田舎ではご馳走だったような気がする。
パーンに移って来た頃は奥さんの御両親などを連れて(連れられて?)、ムーカタ屋に行った。
(案内は奥さんの一族、支払いは私)


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ムーカタ中

肉は大体豚肉。部位は色々。自分はレバ(タイ語でタプ)が結構好き。
ムー(豚)カタ(鍋)。

鍋の中央部分の凸のところで豚肉などを焼いて、周辺の凹のところで野菜などを煮る。
凹のところにスープが入れて有る。
何を焼いて何を煮るかはお好みで。


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ムーカタの具材

豆腐やイカ、海老、春雨、白菜・人参などの野菜、キノコ、など好きな物を取って来て煮たり焼いたりする。
具材の種類はこの2倍ぐらい有った。

まあ、懇親会なので皆さん好きな物を煮たり焼いたり、食べたり、話したり、聞いたり、している。
ビールを飲まれる方が多いが、自分は今回は飲まなかった。
一応、医者から酒は控えるようにと言われているのが理由だが、チェンライ市からメーチャンの町に来る途中に警察の検問所が有って(ただし、殆ど素通り)、それがちょっと気に成ったというのも有った。

懇親会は3時間弱でお開きに成った。
まだ、明るかったので、初めて来たメーチャンの街をちょっと探検(?)してみた。


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メーチャンの市街

中心部分が何処なのか良く分からなかった。
右手にSCB(サイヤムコマーシャル銀行)が有るので中心に近い(?)。
この近くにバンコク銀行も有った。
SCBやバンコク銀行、カシコン銀行はタイのちょっとした街には大体ある。


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警察署

これも郡都ぐらいの町には大体ある(?)。


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お寺

お寺は何処の町にも、或いは町でない所にも、ある。
メーチャンはちょっと見た限りでも街の中に比較的大きなお寺が2つ有った。


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オープンエアの飲食スペース

周囲を屋台が取り囲んでるこんな飲食スペースもタイのちょっとした街には良く有る。


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飲食スペースを取り囲むお店

タイの主要な銀行が揃っていて、POLICEステーションが有って、お寺が有って、広場を取り囲む市場が有って、メーチャンの街もタイの田舎の標準的な(?)都市機能は一応揃っていた。
探せば多分メーチャンの郡役所(ティーワーカーンアンパー)も何処かにあると思う。
これで時計台があればタイの田舎のモデルケースみたいな中核都市に成るが、時計台は見付からなかった。

尚、大型の商業施設としては街の中心部からは少し外れた(?)国道1号線沿いにロータスのまあまあ大きな店が有る。


今気が付いた事。

チェンライの中核地区、パーン、チェンライ市、メーチャン、の3つの街には全て国道1号線が通っているが、街の中心街は全て幹線道路から外れている。
パーン、チェンライ市、メーチャンの3つの街の中心街は全て国道1号線から1~2km西側にある。
もしかしたら自分が中心街と思ったのは旧市街なのかもしれない。
で、国道1号線は街の混雑を避けて市街地の東側に後から出来た。そんな事かもしれない。
で、BIG-Cやロータス、センタンやマクロなどの大型の商業施設は、更にその後に、交通の便が良くまだ未開発で空き地も多い国道1号線沿いに出来たという事だと思う。

だからそれがどうした、と言われても困るが・・・。


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2024年12月22日 (日)

家を囲む植物達

2024/12/22(家を囲む植物達)

10日前(2024/12/12)に買ったブーゲンビリアがまだ綺麗に咲いていた。


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10日前に買ったブーゲンビリア、2024/12/22 11:00頃撮影
(鉢植え)

買って車のトランクに入れて持って来る時に花が随分落ちたので、早く散ってしまうかな、と思ったがそうでもなかった。
持って来た直後より花が増えている感じがする。

1年程前に買ったブーゲンビリア(鉢植え)はあまり元気が無くて、1年程で枯れてしまったが、これはもしかしたらこのまま何年も枯れないで花を咲かせ続けるかもしれない。
ブーゲンビリアは桜と違って「はかなさの無い花」で、桜の様に一瞬で散ることなく何ヶ月も咲き続ける。
どっちがいいかは好き好きだが、コスパ(?)はブーゲンビリアの方がいい。
カラフルだし・・・。


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カラフルなブーゲンビリア

ブーゲンビリアは赤が多いが、黄色やピンク、白などカラーが豊富でカラフルな感じは熱帯のタイらしい。


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みかん(?)

花と一緒に買ったミカンも少し実が大きく成って、色も黄色が濃くなって来たような・・・。
まあ、このミカンは酸っぱくて食べたくは無いけど。


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2年程前に鉢植えを5つ程買った内の1つ。
大体どれか1つはいつも咲いている。


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マンゴー(マムアン)

2年程前に植えたマンゴー。
まだ実を付けたことは無い。
来年の3月頃には実を付けるかな~?。まだ無理か・・・?。

パーンの家には毎年200個ぐらいマンゴーが成るのでシーズンにはマンゴーには不自由しないが、ここの家でもマンゴーが採れるといいな~。

周囲に家が建っていて日当たり的には不利だし、地面も狭いので窮屈そうだし、でも枯れる気配は無く育っては居る。
果たしてどうなるか、楽しみに待って居る。


以上、「家を囲む植物達」でした。

狭い庭にはほぼ敷石を張ったので土の見えている所は10%ぐらいしかない。
なので、植物は殆ど鉢植え。
もうちょっと土の出ている所が有ってもいいかもしれないが、熱帯は雑草も強いので土の出ている面積が増えると除草も面倒に成る。
雑草を抜く時に腰を痛める危険も有るので、まあ、現状、こんなもん。

でも、ブーゲンビリアとミカンを買った植木屋は割と良さそうなので、神戸屋STATIONに日本食材を買いに行った時、ついでに良さそうな植木が有ったら買って来てもいい。
(神戸屋の正面に植木屋が有る)


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2024年12月21日 (土)

蟹チャーハン

2024/12/21(蟹チャーハン)

流石セブンイレブン、お弁当もタイの物とは違う。
ちゃんと美味しい物を売っている。

と思ってブログに書こうとして調べたらタイのCPフーズ社製だった。
でもまあ、美味しかったからいい。


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セブンイレブンで買ったEZYGOブランドの蟹チャーハン

調べたらEZYGOブランドはタイの食品大手、CPグループによって製造された物らしい。

余談ですが・・・。

CPグループは食品・農業・通信・流通などの事業展開をしてる。食品ブランドとしては弁当や餃子などの冷凍食品が有名。
最近ちょっとした事を知りたい時は、パソコンからGoogleを起動して生成AIのCopilotを使用する事が多い。
CPグループとEZYGOブランドの事もCopilotで調べた。
最近スマホでも同様の機能が使える様に成った。段々便利に成って来る。
(試験中みたいな事が書かれていたので正式なリリースでは無いらしい)
因みにこのブログはパソコンで書いてますが極稀にスマホも使います。


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蟹チャーハン

実は、1週間ほど前に奥さんが買て来て、美味しかったから「また買って来て」と頼んでおいた。
で、昨日、買って来てくれた。

最近ちょっと味覚がタイ人化して来て良く分からなく成っているが、タイのカオパット・プー(カオパット=炒飯、プー=蟹)というよりは蟹チャーハンだと思う。

タイの屋台などで食べる、品質の悪い油でベトベトのカオパットとは違う。
日本のチャーハンに近い。
何処までが化学調味料の味か判らないが、ちゃんと蟹の香りと味がした。

このままでも美味しいが、ちょっと味が淡白に感じたので、鮭フレークを追加して食べた。


211221c
鮭フレーク入り蟹チャーハン

タイ風にナムプリックナムプラーを掛けて食べても美味しいかも知れない。

これだけでは栄養が足りないので、この他に野菜とタンパク質の何かを一緒に食べれば、1回分の食事には成る。
タイでは何をどう食べるか、食事には苦労する事が多いが、この蟹チャーハンは1つの選択肢には成る。


またまた余談ですが・・・。

最初にチェンライのセンタンに8番ラーメンが出来た時は画期的だと思った。
バンコクやチェンマイには既に有ったがチェンライには日本食のチェーン店は無かった。
センタンにマクドナルドと8番ラーメンが入って、これで日本の食べ物の選択肢が増えたと喜んだ。

今でも8番ラーメンには月に2回ぐらいは行くが、何か最近味が落ちた様に感じる。
多分、自分の味覚が変わった可能性の方が大きいかもしれないが、以前のように8番のラーメンを美味しいと思わなくなった。
もっとも、8番ラーメンの味は元々、東京では受けないなとは思っていたが、それでもタイとしてはまあまあと思っていた。

あと、ちょっと違う話だが、これも最近、日本食っぽいお店の撤退がチェンライでは増えている。
センタンに有った寿司店「まいし」とか焼肉「こやま」とか、寿司ビュッフェの「すきし」も業態が変わって寿司とか無くなった(入店して確認してないが外から見ると寿司ビュッフェじゃなくなったように見える)。
他にもタイ人経営の和食店でも閉めた店が有る。

15~10年程前の(チェンライの)日本食ブームが下火に成って来たのと、もしかしたらタイ人も少しは日本食の「旨い不味い」が分かるように成って、見た目だけで味の着いて来ない日本食店は淘汰される時代に成って来たような気がする。

以前、家の近くに「恵比寿ラーメン」ていうお店が有って、流石にこれは無理だろうなと思ったが、相手がタイ人なら何とか成るのかなと思って見ていたが、やはり間もなく潰れてしまった。

日系のチェーン店はまだ客が来るうちに早急に味の改善を・・・。


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2024年12月17日 (火)

寒い寒い

2024/12/17(寒い寒い)

チェンライも大分寒くなって来た。

今日は1日中家に居たが寒くてユニクロのセーターを着ていた。
セーターは最近たまに着るが1日中着ていたのは今シーズン初めて。
それでも寒くて夕方からは外出する時に着るウインドブレーカーを着た。


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本日の着衣

まあ、日本と比べれば全然暖かいが、熱帯(亜熱帯?)のタイに居ると体がそれに順応するので、少しの寒さでも「寒い寒い」と感じる。
(服装が薄着に成っている事も有ると思うが)

奥さんがチェンライの最低気温は今朝15℃と言っていた。
ネットで調べたら以下のように成っていた。


241217b
この先1週間のチェンライの天気予報

来週月曜には最低気温が13℃の予想に成っている。ますます寒く成る。
チェンライも冬到来。
まあ、天気もいいし後2ヶ月間ぐらいは過ごし易い季節に成る。
昨日と一昨日は今の季節としては珍しく大雨が降ったが、もしかしたら、それが今年最後の大雨かもしれない。

この時期タイに居て、寒い日本に居なくて本当に良かったと思う。

でも、一番過ごし易いのは後2ヶ月。
それを過ぎると、PM2.5の煙害の季節に成る。
(空が黄色く成る)


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2024年12月15日 (日)

壊滅的な打撃2

2024/12/13(壊滅的な打撃2)

株の話です。

前回の株の記事は「2024/11/13(壊滅的な打撃)」そして今回の記事は「2024/12/13(壊滅的な打撃2)」。
この間1ヶ月、殆どいい事が無かった。
(東レを一部売ったり、少しはいい事も有った)

まあ、嘆いてもしょうがない。
こういう時は結果を冷静に捉えて、客観的に見るだけ。
(調子が良かった時、儲かった時は舞い上がる)

まずは大雑把な成績↓。


241215a
ここ数ヶ月の売買の成績概要(08/05の売買回数は当日のみの回数)
8月5日(自分の誕生日)は歴史的大暴落の有った日

兎に角、今年の買った分の評価損が約838万円とメチャクチャ膨らんでいる。
しかも、日経平均が歴史的大暴落した日の8月5日の終値が31458円なのに対し、直近の12月13日の終値は39470円と約8000円も上昇しているのに対して、自分の持株の評価損は増えている。

まあハッキリ言って「下手の極み」でこんな事、恥ずかしくて人様に公表出来ない。

・・・と言いつつブログに書いてたりして・・・。

 \(^o^)/


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直近3ヶ月ほどの日経平均日足
ほぼ38000~40000円のBOX相場

アノマリー(相場の経験則)的には11月~12月の年末相場は上がる事が多いと思って期待していたが、思ったように上げて来ない。
前回(1ヶ月前の2024/11/13)の記事でも「年末までにはプラスに成るという希望的観測は怪しくなって来た」と書いたが、ますますその可能性が高まった。

まあ、全戻し(自分の今年買った分の評価損ZERO)は無理でも、此処からでも年末の上昇ラリーに期待している。
出来れば全戻し、悪くても半値戻しぐらいは期待しているが相場の動きは自分ではどうにもならない。
何かの拍子に「突然爆上げ」とかならないかな~~~!。


日経平均の日足を見るとここ3ヶ月はBOX相場で、今はその上限の方にいるのにも関わらず自分の持株のパフォーマンスが落ちているのは、足を引っ張っている銘柄が数銘柄有るため。

以下は↓、主力株12銘柄のパフォーマンスの今と1ヶ月前との比較。


241113b241215c
2024/11/13日現在の主力株のパフォーマンス 2024/12/13日現在の主力株のパフォーマンス

11/13と12/13で買取単価が違う3銘柄(住友金属鉱山、SUMCO、浜松ホトニクス)はこの間に買いを入れている為。
買いを入れていない銘柄は売りを入れても買取単価は変わらない。

直近の表の「上下」の欄の、黄色が1ヶ月前と比べてパーフォーマンスが上がった銘柄(6銘柄)、オレンジが大きくパフォーマンスが上がった銘柄(東レ)、薄い青がパフォーマンスが下がった銘柄(3銘柄)、濃い青がパフォーマンスが大きく下がった銘柄(信越化学とSUMCO)。

ここ1ヶ月に限り、銘柄数としては上げている銘柄が多いにも関わらず、全体としてパフォーマンスを落としているのは、信越化学とSUMCOという半導体ウエハー製造の2社の下げが大きい為。
(実際には最初の表の -8382120円 には、主力株12銘柄以外の34銘柄の分も含まれるので、単純に12銘柄だけの増減の比較では正確な事は分からない)


尚、個別の取引の表は以下の様なものとなる。


241215e
2024/11/01~2024/12/13までの全取引(評価益の赤字はマイナス)

① 東レは少し上がったので売り始めた。次は買値の3割UPの1010円で売る積りで、指値を出しているがまだ売れてない。
(2024/12/16追記。300株、予定通り1010円で売れました。税引前現実益69900円。次は5割増しの1166円ぐらいで売りたい)

② 12月2日のキャノンの(NISAでない)買いと売りは間違って買った(NISAの指定をするのを忘れて買った)為、当日中に売った。まあ、(税引き前で)2000円儲かったので良かった(手数料は取られてない)。

③ NISAの成長枠投資でキャノンを新規に買った。今年の枠ではもう買えない(今年の枠240万円の内、1965900円分は既に買ったので、残り434100円では100株買えない)ので、来年に成ったらまた買い足す積り。

④ 日本空港ビルは昔持っていて一旦売り切ったが、優待が復活していたので100株だけ買った。タイに来る時に成田空港でお土産を買う時に優待を使う積り。

⑤ イーディーピーはダイヤモンド単結晶(半導体デバイスや光学部品の材料)を作る会社で、将来性に期待して買い増しをした。可能性は分からないが化ければ大きい。

⑥ 三井住友FGは前回は株式分割前の7月4日に11110円で売った。それより(前回の11110円を株式分割で修正した3703円より)少し高く3784円で売った。
三井住友FGの平均買い単価が1084円だったので、下2桁が同じ84で、切りの良い3784円で売った。
200株 ×(3784円/株-1084円/株)= 540000円 の現実益。
これは、最近では比較的大きな現実益。
2024/07/04 に分割前の三井住友FGを11110円で100株売った時の確定利益786000円(買い値の3.42倍で売った)に次ぐ大きさの現実益。

今年買った分の評価損益では大きくマイナスしているが、比較的落ち着いていられる理由が、このように昔買った分の益出をして確定利益を積み重ねている為。

因みに、損切は2023/03/27にエーアイで出して以来していない。
その後の売りは、123回連続で益出しの売り。
基本的に損切は嫌いなので余程の事が無いとしない。


補足。

⑦ まだ売り注文は出してないが、ソフトバンクが208円に成ったら少し売る積り。

なので、当面の(年内に期待している)売り目標は、東レの1010円と、ソフトバンクの208円。
買いは、信越化学でも、もう少し買おうかな、と思っている。
浜松ホトニクスも少し買増すかもしれない。



自分の投資のテーマは主に科学技術の発展に期待するものが多い。

IOWNが大成功を収める可能性は低いと思うが、NTTも含めて浜松ホトニクスやイーディーピーには期待している。
レーザー光関連は他の面でも意外な進展が有るかもしれないと思っている。

ペロブスカイト電池関連としてはキャノンやAGCに期待。
(AGCはペロブスカイト電池の本命(?)の伊勢化学工業の親会社)

信越化学やSUMCOはパワー半導体にも期待。
(両社ともシリコンウエハーが売り上げと利益の源泉。信越化学が世界首位、SUMCOが世界2位。信越化学は塩ビも世界シェア1位で、売り上げ利益とも大きい)

AIや自動運転、遠隔管理としてはソフトバンク、NTT、セコム、メタリアルに期待。

東レは素直に炭素繊維(航空機とか空飛ぶ車とか風力発電とか)の需要の伸びや、海水淡水化の進展に期待。

キャノンは3Dプリンターにも期待。

住友金属鉱山は電気自動車などの電池関連(リチウムイオン電池などの材料メーカー)としても注目。
(この銘柄は銅価格が上がれば株価も上がる。資源価格というのは大体サイクルで上昇と下落を繰り返すので、放っといてもそのうち上がる。中国経済もそろそろ反転して上昇しそうだし、新興国の需要も増えると思う。それにこれからは今以上に電気の時代、AIも自動車も電気を沢山使う、銅線の需要はまだまだ増えると思う。なので、今は安くても2~3年持っていれば株価は上がる可能性が高いと思っている)

等々、科学技術の発展に関しては色々網を張っているので、何か引っかからないかと思っている。

仕手がどうの、機関がどうの、板がどうの、パラボリックがどうのこうの、雲がどうの、とか言っているより将来発展しそうな科学技術を予想する方が面白い。
ファンダメンタル的分析はいいと思うが残念ながら自分は決算資料を良く読めない。
PBRやPER、過去の売上高や利益の伸び率、大雑把なチャートの伸びぐらいは見る。
S&Pなどへのインデックス投資を推奨する人が多いが、「将来発展しそうな科学技術を予想する方が面白い」ので、自分の場合は今のところ個別株。



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2024年12月13日 (金)

本日の園芸

2024/12/12(本日の園芸)

午後4時頃、2ヶ月程前に移転した日本食材店、神戸屋STATION、に出掛けた。
神戸屋STATIONは空港から西へ向かう道、131号線沿いに有る。
そこで買い物を済ませた後、道路(131号線)の向こう側にブーゲンビリアらしき花が綺麗に咲いているのを見付けた。
どうやら、園芸店らしい。

ちょっと行って見た。


241212a
園芸店の中から見た神戸屋STATION

正面の青の屋根の建物が神戸屋STATION。


241212m
神戸屋から見えたブーゲンビリア(ピンク、クリーム色、赤)

右側に131号線が走っている。
この写真には写ってないが、更に右側に神戸屋STATIONが有る。

チェンライ全体で見ると今頃はそれ程綺麗にブーゲンビリアは咲いて無いが、此処はほぼ満開の花が咲いていた。
道路から見て目立つように何か工夫しているのだと思う。


241212c
園芸店の中

目立つのはブーゲンビリアだが他にも色々な植木がある。


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形がクリスマスツリーみたいな見事な鉢植え



241212g
咲き誇るブーゲンビリア

タイの花と言えば蘭が有名だが、チェンマイやチェンライではブーゲンビリアも代表的な花。
可憐な花というよりはカラフルで華やか。
自分は、タイらしい花、熱帯らしい花と感じる。嫌いじゃない。


241212l
ミカンのような鉢植え

花ばかりでなく、こんな物も有った。
奥さんは「ミカン」と言っていたが「カラマンシー」かな?。
(Copilotで「タイの観賞用のミカンみたいな鉢植え」で検索してみた)
食べられるらしい。


241212j
花に囲まれてご機嫌な奥さん



241212k
「面倒臭いから写真はいいよ」と言いつつも写真を撮られる旦那さん



241212n
本日の園芸

結局3鉢、合計900バーツを買って来ました。

多分、来年には枯れてしまうと思うけど、まあ、暫くは見れる。


241212o
試しに食べて見た

酸っぱいミカンだった。


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2024年12月10日 (火)

なぜ海外移住か2

2024/12/10(なぜ海外移住か2)

今回はチェンライ(等)への移住を考えている方の参考に成る事を少し意識して書きます。
在住者の方は「それは違うよ」とか「なるほど納得」とか考えながら読んで頂ければ幸いです(出来ればコメント下さい)。

チェンライ以外の事は分からない(バンコクは3年程居たので少しは分かる積り)。
チェンライに関してはまあまあ分かると思うので、チェンライ在住の日本人の場合を念頭に「なぜ海外移住したか」について考えて見る。

もっとも、皆さんがどういう状況で、何を考えて此処へ来たかは20年程皆さんを見て来た事で推察は出来るが、心の深い所は分からない。
そんなに根掘り葉掘り個人の事情を聞いた事も無いし、自分の知っている範囲って多分チェンライ在住の邦人の半分にも満たない(2~3割か?)ので、それでチェンライ在住の方達は「なぜ此処に移住して来たのか」を確定的に言うのは無理が有る。
なので、「外れ」も「勘違い」もあると思います。

まず、チェンライ在住の邦人には高齢者が多いというのが大きな特徴です。
自分が知らないだけで若い人のグループもあるかもしれないが、殆どが60歳以上の方達。
50代なら数少ない若手といった感じ。
まあ、自分が73なので、知っている方というと年齢の近い方が多くなるので、自分が思っているよりは若い方が多いかも知れない。

自分は50でタイに来て、チェンライに来たのは54~5だったと思うが、その頃は同じ50代か60代ぐらいの方が多かった。
それから20年、入れ替わりは半分ぐらいは有ったが、新たに来る方も60代ぐらいの方が多くて、昔から居る方は70歳以上に成っている。
80代の方も珍しくなくなった。
要するに、今は平均年齢が上がって来て73歳の自分でも、周囲を見回すと中央値ぐらいの感じに成る。
(ここ2~3年で知り合った方は自分より少し若い方が多いので、チェンライ全体としては60代後半ぐらいが中央値か?)

兎に角、20代~50歳以下ぐらいの「若い人」は殆ど新規では来ない。

これは、チェンライでは日本人が働く場所が殆ど無い、というのが原因としては大きいと思う。
(チェンライで働いて所得を得ている人って1割ぐらい?)

日本の会社の関連会社とか、技術を持ってメーカーで働いて居る方とか、和食関係の飲食店とか、日本語教育関係の仕事をされている方とか、過去の例も含めると少しは居るがそれぞれ数名しか思い当たらない。
(こういう方達は「撤退」が早いのもひとつの特徴だと思う)
あと、宗教関係とか小規模な事業をされている方も居るが、それも少ない。
(上記の話は具体的に「誰が」というのが頭に浮かびますが、会社名や仕事内容を書くと分かってしまう事も多いと思うので具体的には書きません)

要するに、ごく一部の例外を除いて、チェンライは働き盛りの人が職を求めて来るような所では無い。
なので、移住の理由として「海外で一旗上げてやろう」的な発想で来る人は少ない。
(全く無いわけではないと思う)

ただし、タイで(チェンライで)「○○をやれば食っていく事は出来るだろう」と思って移住して来る方はたまに居る(移住して来た人の2~3割ぐらいは居るかもしれない)。
(これも具体的には書き難いが、飲食店関係だったり、農業関連だったり、何かの事業的なもの(宿泊施設とか)だったり)
しかし、これは殆ど失敗する。
(失敗とまでは行かなくても、大変な割にはメリットが少なくて、割に合わないのでチェンライには他の糧を見付けて居続けるが「事業はたたむ」という選択をする人は多い気がする)

元々、年金や移住する前の蓄えで生活できる場合を除いて、此処で稼いだ収入だけで暮らして行こうとした場合、「日本への撤退」という結果に終わる場合が多い。
(明らかに、そういうケースも知っているが、いつの間にか居なくなった人の中にはそういう方も多いように思う)
(もちろん、此処で何かの事業的なものをやって安定的に暮らして居る方も居る)

兎に角、此処は余程の「覚悟」か「見通し」が無い限り、職を求めて来る様な所では無い。
例えば、生活は日本基準で貧しいものでもいいが、ぜひとも山岳民族の人達と一緒に暮らして見たい、とか、或いはボランティアでもいいからタイの人達や山岳民族の人達の手助けをしたい、とか。
そういう「強い欲求」が有れば話は違う・・・。

(注)チェンライには絶対に職が無い、という話では無い。現地採用でも職に付ける事は有るようだし、親とか兄弟のような身内が何か事業をやって居ればその手伝いとか、或いはどこかから(誰かから)の紹介が有れば職に付けるというのは当然あると思う。

ただ、日本人は優秀だから後進国のタイなら何とか成る的な安易な考えでは失敗する確率は高い。


で、此処まではレアケースの話。
此処からは多数派の話。

チェンライに移住して来る方の大部分は年金やそれまでに稼いだ蓄えを持ってやってくる。
なので、年齢的には会社を定年退職する前後ぐらい(或いは、自由業等でも「もう仕事を止めてもいいか」と思えるぐらい)の60代ぐらいが多い。

年金を銀行間送金でタイの銀行に振り込んで貰っている方が殆どだと思う。
それで足りない時に、蓄えて有ったお金で補う。
そういう方が殆ど(多分9割ぐらい?)。
(年金が無い人も2割ぐらいは居るのかな?、皆さんの懐事情までは詳しく聞かないので推測)

で、チェンライに来る一番の動機だが、自分の考えでは日本で行き詰って此処に来る、という方が多い気がする。
そういう事は殆どの人は言わないが、そうでもない限りわざわざ不便なこんな所に来る分けがない。
(この考えは、多くのチェンライ在住の邦人には否定されると思うが、多分、そういう事だと思っている)
(また、チェンライに居付いた方でも、最初からここを目指した人は少なく、色々、他の国やタイの他の地域(例えばチェンマイ)を周って見て「今は此処に定住している」という方が多い。フェーンの出身地という事で此処に来た方も多い)

あと「行き詰まった」と言っても程度が有る。
別に日本に居られないという事は無いが、このまま日本で暮らしても面白い事(或いは、いい事)はそれほど無さそう。
海外に出れば面白い事が有るかもしれない。
だったら思い切って海外に出て「環境を変えて見よう」とか「新しい自分を見付けて見よう」とか「視野を広げて見よう」と思って来る方が多い。
そういう場合は取り敢えず旅行で来てみて、段々地元の方(在留の邦人やフェーン(説明は後述)候補)との繋がりが出来て来て、移住に至るという方も多い。

最初に日本での生活に行き詰まり、閉塞感を感じていて。

① じゃあ物価の安いタイへ行こうか、タイでもバンコクやチェンマイよりはチェンライの方が物価が安いからチェンライに行こうか、とか。
(物価が安い、から系)

② タイの方が気候がいいし、なかでもチェンライは田舎でのんびりしていて、暮らしやすそうだとか。
(のんびりしたい、から系)(自然が有る、から系)(田舎が好きだ、から系)

③ 外国の生活を経験して視野を広げようとか、タイを拠点にアジアの国々を巡ってみようとか、自分を違う環境に置いて隠れている能力を引き出して見たいとか、山岳民族の生活を研究(?)して見ようとか。
(視野を広げたい、から系)

④ 本心は分からないが、タイは料理が美味しいからと言う人も稀に居るかもしれないが、これは嘘か味覚の分からない人だと思う。
(食べ物が美味しい、から系)

など、色々、後づけの理由(そもそもの動機は、日本で行き詰った、というのが根本原因である事を直視せずに)を考えてチェンライへやって来る。

⑤ だから日本の色々な束縛から逃れる為、という方も居ると思う。
(もっとハッキリ、借金から逃れる為とか、怖い人から逃れる為、なんてのも有るかもしれない)

⑥ で、実は多いと思うのは、タイで或いはチェンライで自分の居場所を作る為に来た、というのが有る。
チェンライに居る邦人(自分も含めて50代~80代の高齢の男性、これがチェンライの日本人の多数派)にはタイ人の奥様を持って居る方が非常に多い。
(籍は必ずしも入れなくて、実質的な奥様である場合も含む=タイ語では籍の有る無しに拘わらずフェーンと言う)
自分の周りにはこういう方が多い。
(7~8割ぐらいはタイ人のフェーンを持って居ると思う)
(残りの人は、今は1人でも、フェーンを意識的、あるいは、漠然と探している人が2割ぐらいは居ると思う)
(チェンライの場合、流動性が大きいので、一時期フェーンが居ても関係が希薄に成っているとか、別れて間もなく新しい方を見付ける、という方も多い)

なので、奥様がタイ人の場合、そもそもの根本的な原因は日本での行き詰まり(もう一度念を押すと、「行き詰まり」と言っても「程度の差」は有ります)だが、直接的にはこれが(タイ人のフェーンが)目的でタイに移って来たというケースが多い。
(タイでフェーンを見付けたのでなく、日本に居るタイ人と一緒になって、彼女の地元のチェンライに来たという方は少し事情が違うかもしれない)
(また、仕事の関係でタイや東南アジアや中国に居て、ある程度の年齢に成った時に日本では無くタイ移住を選択したという方も割と居る)

チェンライ在住の多くの邦人は日本で閉塞感を持っていた、という話は否定するかもしれないが、自分がそう感じる理由として、タイ人のフェーンが居る方も居ない方も、タイに移って来る前には日本に日本人の奥様が居た方が大部分であり、それは大きなストレスと成っていたのではないかと推察される。
(日本人の奥様だけでなく、他の家族とのストレスを抱えていた方も居るかもしれない)

中には自分の様に日本に配偶者が居なかったり、奥様と死別された方も居るが、それはそれでストレスが有ったと思う。
(逆に言うと、上手く行っている家族が日本に有る場合、普通はチェンライになど来ない。稀に、日本人の奥様を連れて来る方も居るが、その理由は書き難い)

なので、「日本でのしがらみを一旦クリアして(一応)自由の大地、チェンライに来た」というのが「なぜ海外移住か」それが「なぜタイか」「なぜチェンライか」の回答としては一番真実に近いものではないかと思う。
(あくまで、多数派の話です)

まあ、「なぜチェンライか」の理由を聞けば①~③を挙げる人が多いと思うが、その裏(?)には「日本での閉塞感」「居場所が無い」みたいなものが有った人が多い気がする。
(大体、日本で上手く行ってれば、いい歳に成ってチェンライなどという僻地に来るより、日本で暮らした方がいいと思う)
(しかし、実際に来てみると、住んでみると、チェンライにもいい面は沢山あります)


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チェンライのガウマシム1(日本人の配偶者を持つタイ人の奥様がされている食堂)
2024/12/08


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チェンライのガウマシム2、2024/12/08

この日は日本人会の会員を中心(会員以外の方も居た、そこは、来る人拒まず)に行われた懇親会で、テーブル2つに17人ぐらいが参加した。
写真には写ってないがタイ人の奥様も数人来ていた。
平均年齢71~2ぐらいだと思う。


241210c
「作」で行われたカラオケ会(飲み会?)2024/12/09

8~9人が参加。此処は平均年齢74~5ぐらい。
今月誕生日の方が2人居たのでみんなで(一応) ♪ ハッピーバースデー トゥー ユー ♬。

いい歳して誕生日祝いなんて・・・と思うがこのセッティングは(多分)タイ人の奥様がやってくれたもの。
タイ人ってこういうの好きなんだよね~~~。



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2024年12月 8日 (日)

なぜ海外移住か

2024/12/07(なぜ海外移住か)

数日前に「タイと日本の2拠点生活のメリットとデメリット」という記事を書いた。
自分で書いて置いて何だが、どうも本質を外している様に感じた。
海外生活のメリットとかデメリットを言う前に、そもそも「なぜ海外移住か」という話をしなければならない。
そう感じた。

海外移住をする理由は幾つか有る。

学校を卒業して若い内、20代とか30代に海外に出るのと、50代近くかそれ以上に成って、或いは、会社を定年退職する頃に成って海外に出る、というのでは海外移住の目的は大分異なると思う。
会社から海外への転勤命令が出て海外赴任という人も居る。それも上記のケースとは移住の理由が異なる。このケースは30代40代という働き盛りの方が多い気がする。

旅行で海外に来て、そこが気に入ってしまい海外移住する事に成った人も居ると思う。
似たようなケースで転勤で海外で働いている内に其処が気に入ってしまったり、そこで現地の人との繋がりが出来てそのまま居付いてしまったという人も居る。
たまたま日本で(或いは)旅行中に海外の方との繋がりが出来て、その方の地元に(海外に)移って来たという方も居る。
身内の方(親や子供)が海外移住して、それを追うような形で海外に来たという方も意外と居る。

理由が1つでは無く、複数の要因が重なって海外移住という結果に至ったというケースも多いと思う。

移住の形で2拠点生活か海外1拠点生活かは大きな違いが有るが、それ以上に何故海外生活を選んだかという方が問題としては大きい。

「2拠点生活のメリットとデメリット」という記事を書いて居て思ったのは、メリットとデメリットを比較して海外生活(移住)を選んだ人はそれほど居ないのではないかという事。
チェンライと日本の生活で、どういうメリットが有るとかどういうデメリットが有るとかは、結果として出来たもので、移住してきた理由としてはそんなに大きな比重を占めるものでは無い。そういう人が(少なくともチェンライ在住の邦人に関しては)多い気がする。
(「2拠点生活のメリット・デメリット」と「海外移住のメリット・デメリット」とは意味が違うが敢えてそこはあやふやに話してます)
(また、海外移住と言っても、同じタイでもバンコクとチェンライでは違うし、他の国でもそれぞれの状況は違いますが、そこもあやふやに話してます)

まあ、海外移住の決断は単純なものでは無く色々な要素が絡み合って来るので、あやふやな話に成るのもご容赦ください。
そういう事で話を進めます。

ここからは、主に自分のケースおよびチェンライ在住の方のケースを念頭に話を進めます。

自分は昔から、海外に出る事に関して漠然とした憧れみたいなものが有った。
「なんでも見てやれ(?)」とか「天国に一番近い島」とか「少年ケニヤ」とか「快傑ハリマオ」とかの影響も有ったと思う。
(「何でも見てやれ」「天国に一番近い島」は読んだ事は無い)
(「何でも見てやれ」「少年ケニヤ」「快傑ハリマオ」は自分より若い世代には何の事か分からないだろうな~)

海外というとアメリカやヨーロッパのような欧米諸国を連想する方が多いと思うが、自分の場合は漠然とした南国に憧れた。
しかし、実際には普通に学校を卒業して、普通にサラリーマンに成って、普通(?)に生活していた。
海外に対する憧れは頭の片隅には有ったが、それが表面に出て来る事は無かった。
(ひとつ自信が有ったのは世界の地理に関する知識で、多分100人に1人ぐらいの知識は今でも有ると思う)
(白紙に大体の世界地図を描ける)

(観光旅行や海外赴任を除く)20代や30代で海外に出る人には、自分が若い頃に感じた「海外を放浪して見たい」という気持ちを持った人が居ると思う。
チェンライでも、たまにそれらしい人が居る。
50代以上でも、昔はそういう事を考えて居たのか?、或いは、今でもそう思っているのか?、と感じさせる人も居る。
(50代以上でもタイ以外の外国に頻繁に1人旅で出掛ける方を見ると「もしかして?」と思う)
実は自分もその範疇に少し入るが、自分の場合は大きな理由はもっと他のところに有る。

日本で50歳に近付いて独身でサラリーマンをやっている時、自分は社会から浮いているのではないか、という強迫観念みたいなものがあった。
そういう生活に息苦しさを感じていた。

日本で50・60・70にも成って1人でフラフラしているのって「変な奴」と思われそうで、肩身が狭いような感じがしていた。
(例えば、出掛けるにしても爺さん1人じゃ入り難い施設とか有るし)

会社員生活自体は面白いと思っていたがそれがいつまでも続く分けでは無い。
このまま会社員を続けていても状況は好転しない、ズルズルと歳を取って行くだけで、そのうち爺さんに成って1人に成って(自分には兄弟は居ない)(当時は健在だった両親もいずれは居なく成る)終わってしまう。
大袈裟に言うと自分の存在意義は何なのか、そんな事を考えた。

要するに、日本での生活に限界を感じていた。

その閉塞感を打破する為に会社を辞めて海外に出る事にした。
自分を全く違う環境に追い込む事によって何かが吹っ切れて新しい展開が望めるかもしれないとも思った。
(この時点では、移住もアリかなとは思っていたが、最初から移住を目指した分けでは無い)

幸い、金銭的見通しは立って居た。
今で言うFIRE(経済的独立と早期退職)だが、それを意識してやって来た分けでは無い。
独身で家に暮らして居て(その頃は両親は千葉や山梨に居る事が多かったので、ほぼ1人暮らし)お金を浪費する性格では無いし、浮いたお金を投資に回して(例えば100万円のボーナスを全額株式投資に回したり)(40代の後半の頃は会社の給料の数倍の利益が投資から得られた)比較的上手く行っていたのでFIREするのに金銭的障害は無かった。
て言うより、折角貯まったお金、生きている内に使っちゃえ、みたいな感じだった。

で、48歳の時に旅行に来て「ここ面白そうだ」と感じたタイに、50歳の時に再びやって来た。
(最初は日本中心で旅行にタイに来る感じ。その内、日本とタイにアパートを借りた2拠点生活。今はタイ中心でタイの家と日本の家の2拠点生活)
で、思った通り、タイの生活とは相性が良かったので、段々長く居るように成った。
(最初は、もし、タイと相性が合わなかったらまた他の国へ行って見ようと思っていた)
タイ人の表面的にはフレンドリーな性格と、周囲の他人に対する無関心(不干渉?)な態度が心地よかった。
(日本で感じていた「肩身が狭い」というのが無くなった)
そうこうしている内にタイ人と繋がりが出来て、彼女の希望によりバンコクからチェンライへ移る事に成って今に至った。

なので自分の場合「なぜ海外移住か」と問われれば、最大の理由は日本での閉塞感の打破の為で、何でチェンライかと問われれば、それはたまたま奥さんの出身地であった為。
自分の場合、タイは自分の意志で来たが、チェンライはそういう分けでは無い。
そこは最初から「チェンライを目指して来た」という人とは違う。
まあ、「閉塞感の打破」という点では結果的に上手く行ったと思っている。

以上、自分の場合を中心に「なぜ海外移住か」を書きましたが、次回はチェンライに移住して来た自分以外の邦人について少し追記します。


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2024年12月 5日 (木)

地元食

2024/12/05(地元食)

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奥さんが「ピックカイ(フライドチキン)食べるか?」と聞いて来た。
ちょっとお腹が空いて居たので「うん」。
「ソムタム(普通はパパイヤサラダ)も欲しい?」。
これも一応「うん」。

買いに行くのかと思ったら、そのままテレビを見ている。
アレ?、さっきの話は何だったのだ・・・?。

暫くしてモーターサイ(オートバイ)がやって来て家の前に止まった。
奥さんが私の所にやって来て「407バーツ」。
どうやらデリバリー業者に頼んだらしい。

400バーツを財布から取り出して、小銭を捜していたら「20バーツ、チップ」という。
デリバリー業者にチップは不要だろう、と思ったが面倒臭いので20バーツ札を奥さんに渡した。
奥さんはちょっとでもチップを渡さないと気が済まないらしい。
変な金銭感覚だ?。バ○なのか?。

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デリバリーされて来た食材

おかずが4種類、カオニャオが4個。
タイ人て、食材をビニール袋に入れるのが好きだよね。


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本日の夕食(2人分)

午後4時頃なので夕食にはちょっと早いが、この後特に夕食らしいものは食べなかったので結局これが夕食と成った。
全てチェンライの田舎らしいタイ料理。
全部で407バーツ。日本円だと1800円ぐらい。
こんな物に1800円。タイの田舎料理も結構高い?。

まあ、如何にもチェンライの田舎らしいタイ料理。


241205b
ピック・カイ(フライドチキン)

タイの田舎料理ではピック・カイとカオニャオが有れば最低限の満足は得られる。
他に、余計な不味いおかずが有るよりいい。

このチキンは美味しかった。タイのKFCのフライドチキンより美味しい。
(ていうか、不思議な事にタイのKFCのチキンは余り美味しくない)

まあ、この組み合わせに1品おかずを加えるとしたら↓。


241205e
ソムタム(ソムタム・マムアン)

これで、たんぱく質と炭水化物と野菜が揃う。

ソムタムはパパイヤサラダとか言われるが、チェンライの田舎ではパパイヤの代りにマンゴー(マムアン)が使われる事が多い。
パパイヤ(マラコー)もマンゴー(マムアン)もソムタムには青い物(未熟なもの)が使われる事が多いが、このマンゴーは既に熟し始めて(黄色く成りかけて)いて、マンゴーの甘みが少し有って美味しかった。

タイ料理を不味くしている原因のひとつは唐辛子を入れて辛過ぎる事だが、(本人曰く)奥さんはタイ人としては辛いのが苦手な方なので、このソムタムは「ピック(唐辛子)ソン(2)メット(個)」(唐辛子2個入り)と指定したらしいので、一応辛さひかえ目に成っていた(それでも自分的には辛かった)。

まあ、タイの田舎では、カオニャオ、ピックカイ(或いはガイヤーン)、にソムタムが有れば御の字。
ある意味、贅沢な食事かもしれない。


241205d
ヤムウンセン・ムーヨー

ヤムウンセンは春雨サラダなどとも言われる。
タイ人の女性には何故かこのシラタキみたいなハルサメみたいなのが好きな人が多いみたいだ。
ムーヨーはハムみたいな物かな?。
ムー(豚)だから豚と何かの練り物か?。
そんなに美味しいとは思わないが、有れば少しは食べる。

これも、ピックソンメットと指定したらしいが、結構辛かった。


241205f
トム・スープ・カイ

トム(煮る)・スープ・カイ(鶏)、鶏肉のスープ。
トマト、ホームデーン(赤い玉葱みたいなの)、ピックキーヌー(ネズミのうんこの唐辛子)(別にうんこではない、見た目の話)、キノコ、何かの葉っぱ、などが煮込んである。
ちょっと酸っぱくて、辛い。
これも奥さんがピックソンメットを指定したらしいがかなり辛かった。

もうタイ人て先祖代々から辛い物を食べて居るので味覚がバ○になっているのだと思う。
救いようが無い。
多分最初は腐敗防止や防虫で何でも辛くしなければ危険だったのかもしれない。

写真上の方の白いのはカオニャオで、それを指でつまんで汁につけて食べるのがタイの田舎の伝統的食べ方らしい。
そんな事をしてもご飯が美味しく成るとは思えないが・・・?。

以上、独断と偏見でチェンライの代表的な田舎料理の解説でした。


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2024年12月 4日 (水)

チェンライの邦人同士の交流

2024/12/04(チェンライの邦人同士の交流)

チェンライには日本人同士で趣味などの集まりを行うには丁度いいくらいの人数が居る。

日本人の密度が低ければ、何か趣味の会をやろうとしても人が集まらない。
逆に、日本なら余程の山奥か僻地で無い限り人は居るが、都会ではグループが(退職後とか卒業後を含めて)会社とか学校繋がりに成る事が多い。
そういう繋がりの無い人が自分が属していない会社繋がりのグループに入るとか、学校繋がりのグループに入る、という事は余り無い。

それまで見ず知らずの人が突然仲間に入るという事は余り無い。
しかしチェンライではそれまで見ず知らずの人が、ちょっとしたきっかけで何かのコミュニティに参加するという事は普通にある。

例えば、自分の場合、日本での飲み会は学校繋がりが多い、たまに、会社繋がりの飲み会もある。
麻雀は殆どが会社繋がりのメンバーだが、たまに別の繋がりでメンバーに成る方も居る。

日本でも地域の繋がりや趣味の繋がりで出来るグループもあるとは思うが、多いのは会社や学校繋がりで、その中で飲み仲間とかゲーム仲間とかが出来る。
(宗教的繋がりや、経済界・学会・政治の支援者会みたいな繋がり、地域のボランティア的な繋がりも有るとは思うが、自分には無い)
(生まれた時から住んで居れば違うかもしれないが、近隣の方とは目が合えば挨拶はするが、その程度の付き合い)


日本の場合は当然の事ながら日本人が多いので、日本人同士というだけでは繋がりは出来ないが、チェンライの場合は適当に居て、適当に少ないので日本人同士という事で珍しさ(貴重さ?)も有って地域の繋がりが出来やすい。

例えば、偶然どこかの場所(日本食堂とかマーケットとか役所とか飛行機の座席とか)で日本人らしき人を見掛けて「日本の方ですか?」と話かける事から繋がりが出来る事が有る。
(バンコクでもそういう事は有ったが、バンコクだと大して珍しい事でも無いので、「日本の方ですか?」という会話は敢えてしない事が多かった)
(自分の場合はバンコクで日本人経営のレストランで、周りで麻雀の話をしていたので「麻雀をやってるんですか?」みたいに話し掛けてからそのグループに入って、麻雀のほか、飲み会とか色々やった)
日本ではそういう事は無いし、日本人が極端に少なければそもそもそういう機会が無い。

そういう点で、チェンライには丁度いいくらいの日本人が居る。
前回の記事で「チェンライでも趣味で集まる日本人がある程度居る」と書いたのはそういう事を言いたかった。

また、チェンライには日本人会が有る。
名称はハッキリしないが取り敢えず「チェンライ日本人会」としておく。

参考までにその12月の行事は(集まり)は以下の様に成る。


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チェンライ日本人会、12月の行事

12月06日(金)、将棋の会(念の為注意、会報の1ページ目には「ガウマシム」と成ってますが今回は「作」です)
12月08日(日)、日曜雑談会
12月14日(土)、さくらプロジェクトのクリスマスパーティ(これは日本人会の行事では無いが日本人会のメンバーから案内が来ている)
12月19日(木)、ゴルフ愛好会
12月22日(日)、メーチャン/ムーガタ会(雑談会)
12月28日(土)、餅つき大会(明確に日本人会の行事としては12月はこれだけ。他は日本人会協賛みたいな感じ)

このように日本人会および日本人会関連の集会だけでもまあまあ有る。

無理に人付き合いしてもしょうがない、孤独が一番、という考え方もあるとは思うが、自分は「孤立は良くない」と思っているので日本人会はチェンライ在住の邦人(特に高齢者)にとって一定のセーフティーネットの役割を果たして居ると思う。
ただ、多分、在住者の半分も入会してないのでそれは残念に思う。

ちょっと話は逸れるが、日本人会は敷居を低くして(意味ない会費の値上げなどせずに)多くの邦人を迎え入れるようにしておくのがいいと思っている。
あとチェンライの邦人に高齢者が多いので日本人会もそうなるのはやむを得ない面も有るが、出来れば、もっと若手(一応50代以下は若手とします)が入って来ればいいと思う。


まあ、日本人会内の交流は一部だと思うが、日本人会で知り合った方などとの交流も出来て来る。

自分の場合は月に2回程、カラオケ(と言っても主に飲み会)をやっている。

麻雀はタイでは声高に言い難かったというのは有るが、2024/10/11から若干規制が緩くなって合法的に麻雀を楽しむ事が出来るように成ったらしい。
「麻雀やその他のカードゲームは日曜は12:00~24:00、その他の曜日は18:00~24:00はギャンブルとして許可される」と成ったらしい。
ギャンブルとしてやらない場合は、元々問題無いのか、というのは有るが、自分が1回バンコクで麻雀をやっていて捕まったときは、ギャンブルか否かは問われずに無条件にイミグレの警察に連れて行かれた。
(ちょっとした手続きで直ぐに解放さたが、交渉は雀荘の御主人が行ったので詳細は不明)
という事で(?)いままではメンバーを大ぴらに集めるのは問題アリ、だったかもしれないが、これからは日曜12時からに限定すれば気兼ねなく集められるように成った(らしい)。


支離滅裂に書いて来ましたが、何を言いたかったというと、チェンライには多過ぎず少な過ぎず(と言っても、もう少し多い方がいいかもしれない)適度な人数の日本人が居るので、趣味や地域のコミュニティが作り易くていい、というお話でした。

高齢の方がチェンライに来た場合、タイの文化や食べ物には馴染めなくても、日本人社会には入り易い地域だと思います。
50歳以下ぐらいの「若手」の方がもっと来るといいですが、チェンライの魅力は何かをアピールするのは中々難しいです。


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2024年12月 2日 (月)

タイと日本の2拠点生活のメリットとデメリット

2024/12/01(タイと日本の2拠点生活のメリットとデメリット)

今回はこんなテーマで考察します。

タイと日本の二拠点生活には、さまざまなメリットとデメリットが考えられる。

以下、箇条書きで。

メリット

① 文化の多様性:異なる文化や生活習慣を体験できるため、視野が広がる。

② 気候の選択:タイの温暖な気候と日本の四季を楽しむことができる。寒い冬を避けてタイで過ごすことも可能。

③ 食文化:タイ料理と日本料理の両方を楽しむことができ、食のバリエーションが豊富になる。

④ 経済的メリット:タイの生活費は日本に比べて安いため、生活費を抑えることができる。

⑤ 旅行の拠点:タイは東南アジアの中心に位置しており、他のアジア諸国への旅行が便利。

デメリット

① 移動の手間:頻繁に移動する必要があり、時間と費用がかかる。

② 言語の壁:タイ語と日本語の両方を習得する必要があり、コミュニケーションに苦労することがある。

③ ビザの問題:長期滞在にはビザの取得や更新が必要で、手続きが煩雑。

④ 社会的つながり:二拠点生活をすることで、友人や家族とのつながりが希薄になる可能性がある。

⑤ 医療の違い:医療制度やサービスが異なるため、健康管理に注意が必要。

これらのポイントを考慮して、自分にとって最適な生活スタイルを見つけることが大切。どちらの国でも充実した生活を送るための工夫が必要。


というのが実は生成AIのCopilotに表題の通りの質問を投げたら返って来た回答。

なんか本質的な問題が欠けているがそれは次回以降のブログで書くとして、今は、上記10点に対する自分の感想。


メリット

① 文化の多様性:異なる文化や生活習慣を体験できるため、視野が広がる。

単なる観光旅行よりはタイの文化を深く正確に理解する事は出来るが、それが、どういう役に立つか(メリットに成るか)というと微妙。
タイで生活する分にはタイの文化の理解は役に立つし視野は広がるが、それが日本で何かの役に立つかというと余り無い気がする。

例えば日本にありがちな非効率とかが分かったとしても、日本のやり方を変える力は個人ではなかなか無い。
もっと大勢の人達が海外の生活を経験すれば、日本も変わって行くと思うが個人レベルでは日本を変える事は殆ど出来ない。
(例えば、明治維新の岩倉使節団のように日本との文化の差(しかも当時のアメリカなどは日本よりも文化的に遥かに上)が大きければ、得る物は多いだろうが、タイからはそんなに得る物は無い気がする)

まあ、そんなにアクセクしなくても生きて行ける、のんびりしようよ、と思えるようになるくらいかな。

株をやる分には日本以外の世界が見えるので、そういう視点が役に立つ事も有るかもしれない。
(例えば、タイに進出している日系企業で将来伸びそうな会社のヒントを得るとか、日本の自動車産業の将来の方向性を予想するとか)

② 気候の選択:タイの温暖な気候と日本の四季を楽しむことができる。寒い冬を避けてタイで過ごすことも可能。

これは明らかに二拠点生活のメリットだと思う。
自分も12月から3月ぐらいは日本に帰国しないようにしている。
昔、1月とか2月に帰国して居て日本に居る時に、何でこんなに寒い時にわざわざ日本に居る必要があるのか、と思った。
逆に桜の咲く季節とか紅葉の季節とかは日本に居て良かったと思う事が有る。
1年中暑いタイに居ると頭がバカに成りそうで、帰国すると頭が冴えて来る感じはする。

③ 食文化:タイ料理と日本料理の両方を楽しむことができ、食のバリエーションが豊富になる。

日本料理は美味しい、と改めて認識できたのはタイの不味い料理を食べた成果だと思う。
タイにも美味しい物は有るが、それはごく僅かで普通の日本人にとって「食のバリエーションが豊富に成る」と言えるほどの成果は無いと思う。

タイ料理は「こうすれば不味くなる」という見本にはなるかもしれないが「美味しくする」のには役に立たない。

④ 経済的メリット:タイの生活費は日本に比べて安いため、生活費を抑えることができる。

20年前は物価が安いというメリットは確かに有った。
今はタイでの生活スタイルにもよるが余り無いと思う。
ただし、飲み屋とかマッサージとか安い宿とか部分的にはタイの方が安く出来るものもある。
(自分はゴルフはやらないので分からないが、ゴルフをやる人が多いのは「安い」というのがあるのかな?)

タイの一般的な生活で良ければ、今でも生活費は押さえられるがそこまでしてタイに来る意味があるのかという疑問を自分は持っている。
日本基準では貧しい生活でも、タイでは周囲も同じなので、それを余り感じなくて済むというのはあるかもしれない。

⑤ 旅行の拠点:タイは東南アジアの中心に位置しており、他のアジア諸国への旅行が便利。

バンコクならそういう事は有るかもしれないが、チェンライからでは直接行けなくて(飛行機の直行便が無い)バンコク経由に成るので、日本の大都市部より却って不便かもしれない。
まあ、ミヤンマー、ラオス、カンボジア、マレーシア、シンガポール辺りに行くには日本よりは近いので便利かもしれない。
チェンライを拠点にアジアの国を中心に世界中を旅している方も居るが、比率としては少ないと思う。


デメリット

① 移動の手間:頻繁に移動する必要があり、時間と費用がかかる。

日タイの往復は時間的にも経済的にも負担が大きいのでこれはデメリット。
(二十数年前、最初の頃は飛行機に乗るのも珍しくて嬉しかったが数回乗ればそういう事は無く成る)

② 言語の壁:タイ語と日本語の両方を習得する必要があり、コミュニケーションに苦労することがある。

チェンライ在住の邦人に関して言えば、(日常会話程度に)タイ語を習得している人は3人に1人ぐらいだと思う。
なので、「タイ語を習得する必要がある」というのは間違い。
まあ、日常会話ぐらいのタイ語が話せないと不便には違いないけど「10年以上タイに居るけどタイ語は話せない」と自慢している人も結構いる。
(少しは覚えろよ、と思ったりして・・・)
ただし、コミュニケーションに苦労するというのは事実(特に役所関係)で、そのデメリットは大きい。
スマホのアプリが進化して来たので、話せなくても少しは便利に成った。
役所などは英語が話せれば何とか成るらしい。

③ ビザの問題:長期滞在にはビザの取得や更新が必要で、手続きが煩雑。

これは深刻な問題。
タイの場合ルールがよく変わったり、人(イミグレの係官など)によって基準が違ったりするので、かなり面倒くさい。
ひとつの方法としては「タイランドエリートVISA」見たいのが有って大金を払えばVISAの更新などは優遇されるが、自分の知っている範囲では50人に1~2人ぐらいだと思う。

④ 社会的つながり:二拠点生活をすることで、友人や家族とのつながりが希薄になる可能性がある。

そういう事は少しは有る。
やり方によって問題を小さくする事は出来ると思うが、やはり、ずっと日本に定住している人よりは日本での人間関係が希薄に成る可能性はある。
(その分、タイでの邦人との人間関係は作り易い)
(チェンライでも趣味で集まる日本人がある程度居る)

新しい人間関係を日本で築くのは難しい。
旧知の人とは帰国する間隔によって違う気がする。
自分の様に年に3~4回帰国して、こまめに連絡を取るようにすればそんなに問題無いかもしれない。それよりも知り合いが皆高齢化しているのでそっちの方が問題。

逆に、二拠点生活では無くチェンライに移住している人の中には「家族との繋がりを断つ」ために来ている方も割と居る。
それぞれの家庭の事情は知らないので「勘」で言うと、2~3割はそういう方が居る気がする。

⑤ 医療の違い:医療制度やサービスが異なるため、健康管理に注意が必要。

これも大きな問題。
チェンライ在住者には高齢者が多いので余計に医療の問題は大きい。
多分、日本に居る人達が思っているよりはチェンライの医療水準は低くないと思うが、国民健康保険で一定水準の医療が受けられる日本と比らべれば悪い。

日タイの二拠点生活者なら日本の国民健康保険に加入してしている方も多いと思うので、チェンライで受けた治療費の一部を日本の国民健康保険で請求できるが手続きが面倒。
中にはカードの付帯保険を上手く使っている方も居るが、それはごく少数派だと思う。

一般的には普通のタイ人並みの医療水準の治療を受ける事に成るので、日本の医療水準よりは若干落ちる事が多いのではと思う。
なので、病気の治療の為に帰国するという例も多い。

あと、言葉が十分に通じないので医師との意思、疎通に問題がある。
(医者の説明を聞いても、何をどう注意すればいいか正確に分からない。こちらの症状を伝えたくてもどう言ったらいいかわからない)

自分などは歯の治療はすべて帰国した時にやっている。
ガリガリ削られる(?)歯の治療は怖くてタイでは出来ない。

二拠点生活なら、帰国した時に悪そうな所を事前に治療したり、ワクチンを打ったり、健康診断をしたりは出来るので、そこは二拠点生活のメリットと言える。


以上、Copilotの回答に沿って「日本とタイの2拠点生活のメリットとデメリット」について書きましたが、質問の仕方が悪かったかもしれませんが、どうも本質を外しているような感じでした。
「2拠点生活」について語る前に「何故海外移住なのか」という所から話さないと本質を見落とす。
そんな感じでしたので、その話は次回以降にします。


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