カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の526件の記事

2020年7月11日 (土)

タイに来始めた頃(成田からタイへ)(後編)

2001/07~2002/11(タイに来始めた頃)(成田からタイへ)(後編)

成田にアパートを借りてから退職(2001年11月)するまでの4ヶ月間は、荻窪の家から会社へ通ったり、成田から会社へ通ったり、色々だった。
まだ忙しかったので、退職するまではタイには来ていない。

退職して、自由に成り、満を持してという感じでタイにやって来た。

先ずは成田からバンコク・ドンムアン空港へ。
スワンナプーム空港の開港は2006年9月28日なので、成田に居た時期は、タイの玄関口はバンコク・ドンムアン空港だった。
ドンムアン空港の独特の匂いを覚えている。

遂に外国にやって来た、此れからは何でも1人でやらなければならない、周りは言葉の通じない外国人ばかり、そういう緊張感が有った。

前回初めてタイに来た時(実は、初めての外国でもあった)は、旅慣れている先輩と一緒だったので、ついて行けば良かったが、今回からは自分1人。自分で考えて行動しなければならない。誰も助けてはくれない。
必要なら、英語やタイ語(この時点ではほぼ英語)を話さねばならない。

この日の為に英語の会話帳やタイ語の会話帳は持って来ているが、上手く使えるかどうか。
(結局、会話帳は瞬時には使えなかった)
(タイ語の指さし会話帳は現地の観光やカラオケのスタッフさんとのコミュニケーションを取るのには少し役に立った)

結局、神経を研ぎ澄まし、周囲を注意深く観察すれば、何をすればいいかは分かるもので、結果、無事にバンコクのホテルに辿り着けた。
まあ、バンコクの空港に着いたら何をすればいいかのシミュレーションは何度も頭の中で繰り返していたし、一応ドンムアン空港の入国は2度目なので、結果的にはスンナリ行った。

以下、この頃の記憶が曖昧なところは、最近も含めてタイ通算での記憶で書きます。

この頃、バンコクのホテルには定宿が無くてメリディアンとかランドマークタワーとかウエスティン(名前が変わった)とかスクンビットの4~33ぐらいのホテルを色々泊まった。
ペッチャブリー道路沿いのホテルにも泊まったが、いつどのホテルに泊まったかはよく覚えて無い。
(行けば分かると思う)

最初に泊まったのはナナ付近のランドマークだった(と思う)(名前は変わったかも知れない)。
ホテルの紹介に「日本語通訳あり」、と成っていた記憶が有る。

兎に角、最初の頃はタイ語も英語も出来ない、というプレッシャーを強く感じていた。

ホテルは全部日本で予約してバウチャーを持って行った。
行き帰りの飛行機とホテルを確保してから日本を出た。

観光よりも街に興味が有ったので、如何にも観光地らしい観光には最初の頃は余り行かなかった。
(ワットプラケオとかワットアルンぐらいは行った気がする)
昼間はスクンビット通りを歩き回ったり、プラトゥーナムの方へ行って伊勢丹に行ったり、たまにマッサージとかしていた。

食事は、伊勢丹の歌行灯などに行った。
歌行灯に行って近くの紀伊国屋書店でタイ関連の本を買ったりフリーペーパーを仕入れて、ホテルで読んで次に偵察に行く所などを決めてたりした。

兎に角、土地勘を付けようと思った。
基本、観光ではなく「バンコク探検隊」、の様な感覚だった。

夜は夜の街の探検。
ナナプラザとかパッポンとか。

兎に角、1人で歩き回っていた。

成田に住んで、会社を退職した2001年11月頃からスクンビット33のアパートを2002年6月頃に借りるまでの約7ヶ月間にホテルは5ヶ所ぐらい、同じホテルに2回泊まった事も有るので、のべ7回ぐらいホテルに泊まっている。
正確に覚えて無いが、タイに来たのはその間5~6回だと思う。1回の旅行でホテルを2ヶ所利用した事もある。
1回の旅行の滞在日数は1週間ぐらいが多かった。

退職して、最初にタイに来た時(訪タイ2回目)はバンコクの他にチェンマイにも行った。
これは、在職中に初めてタイに旅行で来た時(訪タイ1回目)と同じコースで、訪タイ1回目のチェンマイはポーピンタワーだったが、2回目はチェンマイプラザだった。

ポーピンタワーはその後3~4回利用している。チェンマイプラザももう1回利用したが、ここ数年はホテルに泊まる時は毎回ネット予約で、特に此処という決まったホテルは無い。

飛行機のチケットの購入は訪タイ4回目ぐらいからタイ発券に変えた。
アソークのHISで、バンコク⇒成田(稀に羽田)⇒バンコク、のチケットを買った。
(アソークのHISって昔はタイムズスクエアに有った)

バンコクのHISで買ったチケットはスターアライアンスの航空会社が多かった(マイレージカードを持っていたので)。
5年程前からはLCCのエアアジアかスクートをネットで買う様に成ったが、それまではHISで買っていた。

条件は、①直行便である事、②安い事、③日程は「この範囲ぐらい」(もう「毎日が日曜日」状態だったので、大体の範囲で良かった)、④出来ればスターアライアンスの航空会社、こんな感じで選んだ。

最初の頃はANAが多かった。JALは1~2回利用。途中からはUAが多く成った。秋のプロモーションでシンガポール航空も何回か利用した。TGも何回か利用した。
最初の頃で一番安かったのはビーマンバングラデッシュ航空で往復で4万円台だった。


兎に角、タイには夜着くことが多かったので、ホテルに着いて、短パン・Tシャツ、サンダル履きに着替えて、わくわくしてネオンの街に繰り出した。
(ホントの最初の頃1~2回は、もっとちゃんとした格好で外に出ていた気がする)

ホテルを出て、先ずは、ホテル周辺の探索から始めた。



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2020年7月10日 (金)

タイに来始めた頃(成田からタイへ)(前編)

2001/07~2002/11(タイに来始めた頃)(成田からタイへ)(前編)

(前編)はタイの話は無いです。


いつの時点で何をしたか、というのは正確な記憶が無い。
日本に戻れば記録が残っているハズだが、ここでは(チェンライでは)分からないので記憶を頼りに書く。
まあ、読まれる方には数ヶ月のズレはどうでもいい事だと思う。

・・・なんせ、もう20年近くも昔の話なので・・・。


成田にアパートを借りる4~5年前の話から始める・・・。

40代後半ぐらいから、「もう会社はいいかな」、と思う様に成っていた。
会社自体は面白かったが、このまま55歳の定年まで居てもその後何が残るのか。ジリ貧で、後は、歳を取って死ぬだけに成る、面白い事は何もない。
そんな事をたまに考える様に成っていた。

仕事はメチャクチャ忙しかった。今ならブラック企業みたいなものだと思う。
このままでは体を壊すか、致命的な大失敗を犯すかも知れない。そんな不安は常にあった。

それでも会社に居たのは、辞めてどうする、収入が無く成れば困る、というのも有ったし、会社内の人間関係は割と気に入っていたので仕事は忙しくても会社の居心地はそんなに悪くなかった。

会社を辞めれば、そういう人間関係も全て失う、何も残らない、と思った・・・実際には、会社を辞めても遊び相手は残ったのだけど・・・。

それとほぼ同時期、趣味(?)でやっていた「株」が儲かり出した。以前から少しづつは儲かっていたのだけど。
ITバブルの頃は、何を買っても儲かった。それも大儲け。
お世辞が半分だろうけど、証券会社の担当者から「○○さん、一体どこで情報を仕入れているのですか」、と言われたりもした。

兎に角、最盛期には給料の十倍以上儲かった、それが1年以上続いた。
(このバブル真っ盛りの頃、タイに初めて旅行に来たのだけど、その話は別に書きます)

2000年頃には、「もう金の為には働かなくてもいいや」、と思うぐらい金(実際には殆ど株資産)が貯まっていた。
(でもこのお金、ITバブルが弾けた後、かなりの部分が吹き飛んだのですが)

兎に角、「収入が無く成れば困る」、という要素は無く成った(と思った)ので、「会社に居なけれなならない」、という縛りは大分弱くなった。

暫くして、あと数ヶ月で50歳に成ろうとする時に、50歳到達者(50歳以上全員だったかな?)を対象に「早期退職優遇制度」、みたいなものが出来るという話が流れて来て、これはチャンスかも知れないと思った。

なんとなく、自分から「辞めます」、というのは逃げるみたいだし、会社や上司に喧嘩を売っている様で、ちょっと嫌だなというのが有ったが、会社の方から「辞めたい人は是非やめて下さい」、と言うのであれば、「辞める」と言い出し易い。
しかも、この機会なら退職金も割増しされる(まあ、こっちの方の理由が大きいかな)。
何も無くて、自分から「辞める」、と言えば退職金が満額貰えない事から比べれば違いは大きい。

50歳の誕生日は2001年の8月なのだけど、ちょっとずらして11月に退職した。

早期退職に応募して、会社を辞めると決めた時から(実際にはその前からだけど)、じゃあ会社を辞めて何をする、という事を考えた。

「まあ、暫く仕事はしないな」、「落ち着いてから、何か新しい仕事を始めてもいいけど暫くは遊ぼう」。

それ以前に1999年にタイに旅行に来た時から、「タイ(或いは他の国)で暮らすのも面白いかも知れないな」、と思っていたので、取り敢えず、先ずはタイ、他に面白そうな所が有ればその国へも行って見る。

初めは、観光で、その土地が気に入れば暫く生活して見て、そんな事を考えた。

その為には、海外に出掛けるのに便利な場所に引っ越そう、今までの生活を断ち切って新しい生活を始める為にも、しがらみの有る実家は出よう、と思った。
(実家といっても、両親は殆ど山梨か千葉の別荘暮らしだったので、荻窪の家は実質ほぼ1人暮らしだったが)


50歳、無職、ではアパートも借り難いと思い、在職中の2001年7月に成田のアパートに引っ越した(退職日の4ヶ月前)。

引っ越しは、特に荷物を纏めて運ぶような事はしなかった。
車で、必要な物を少しづつ運んだり、成田で家電や家具などを買い揃えた。
荻窪の家はほぼそのまま、いつでも使える様にして置いた。
なので、最初の頃は成田と荻窪の2重生活。暫くしてタイへ通う様に成ってからは成田と荻窪とタイの3重生活に成った。

こうして、退職するまでに、新しい国際放浪生活を始める準備を整えた。



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2020年7月 9日 (木)

エアアジアの返金(途中経過)

2020/07/09(エアアジアの返金)(途中経過)

非常に反響の大きかった記事「2020/06/21(エアアジアの返金)」に関するメールがエアアジアより来ましたので一応紹介しておきます。


Y1_20200709235901
エアアジアからのメール

一応、忘れられてはいない様だ。

実は、本当に返金されるかは半信半疑だったが、少しは期待が持てそうな感じに成って来た。


それとは別に、この記事、理由は分からないのだけど、(多分)過去最高のアクセス数が有った。


Y2_20200710002501
No.1 の「チェンライ雑記帳」はホームページなのでアクセスが多いが、
No.2 の「エアアジアの返金」が4132アクセスと、次の No.3の 750アクセスと比べても異常に(?)多い。

何処か、非常に人気のあるブログか何かから紹介されたのかな・・・?。

まあ、6月21日の記事のコメントも含めて、皆さんの関心の大きかった記事だと思いましたので、途中経過(と言っても、入金されるまでは進展してませんが)を載せました。


追記。

エアアジアから来たメールの「こちらから返金リクエストのステータスをご確認いただけます」の「こちら」を押してみたら以下の様なページにリンクした。


Y3_20200710032601
エアアジアのAVA(?)

この後、予約番号を入れたら氏名を聞いて来た。
自分は返金作業の状態がどう成っているか知りたかっただけで、予約番号を入れれば情報は十分なハズで、例えば、「処理待ちの2000件の内の1500番目です。100人の手続きに約1日かかります」、とか、そういう回答が欲しかったのだが、なんか変だ。

エアアジアのクレジットに誘っている様にも見える。

氏名とか入れて行ったら、最後に、「ありがとうございます」「エアアジアバーチャルオールスターラヴァー。クレジットへのリクエストを受け付けました」とか表示されて、クレジットカードへの返金が取り消されるかも知れない。
なんか怪しげな感じがしたので、取り消した。

エアアジアオールスターラヴァーとかクレジットアカウントのリクエストとか、何か分かりにくい言葉を使って誤魔化している様な気がする。
(基本的に文章として正しいのか?)
(日本人をバカにしてないか?)

もっと分かり易い普通の日本語を使えよ、と思う。

それに、こちらのメールアドレスに対して送って来るのだから、こちらの請求を(多分機械が)見て送って来ているハズ。だったら「こちら」とか回りくどい事を言わないで、正直に現状がどう成っているのか吐け。

・・・コメントで、「私は返金されました」、というのを頂く事を期待してます・・・。



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2020年7月 8日 (水)

iPhone SE を買った

2020/07/07(iPhone SE を買った)


A1_20200707233001
iPhone SE

まだ使い方をマスターしてないので、面白い使い方の記事とか期待してもそういうのは無いです。

1週間程前にセンタンのAISで iPhone SE を買った。64GBの物で13900バーツ。

前のスマホは日本のビックカメラで買った物で、次も(優待券で安く買える)ビックカメラで買おうと思っていたが、前のスマホが充電出来なく成って、完全に電気が無くなる前に新しいスマホを買う事にした。

(実は良く分からないのだけど、電気が無くなるとスマホの情報が取り出せなく成ると思った。シムカードは2枚入っているが、どっちのシムにどの情報が入っているか理解してない)

故障はスマホ本体ではなく充電器なので修理も出来るかも知れないし、充電器を買い替える事も出来たかも知れないが、もう古いスマホだし、バッテリーも弱っているので買い替えた方が早いと思った。
それに、今もAISだけで使っているのでAISで買えば、各種初期設定をやって貰えると思った。

で、ある日の午後、奥さんと娘を連れてAISへ入った。
娘を連れて行ったのは、幾つかの購入条件を伝える為。
奥さんはスマホの仕掛けは殆ど理解出来ないが、娘はスマホやソフトの事を(ある程度)理解しているし、日本語とタイ語の通訳も出来る。

機種は初めから iPhone SE を買うと決めていて、値段を聞いて予想価格とほぼ同じだったので直ぐに決まった。
色は、前のスマホが「黒」で、黒もいいかなと思ったが、黒だとスマホを入れて置くショルダーバッグと同じ色で捜しにくい事が有るので、バッグの中を見た時すぐに分かる様に「白」にした。

(使い始めた感想・・・裏面は白で捜し易いのだけど、表面は(OFFの時は)黒なので、捜し難い。なので、捜し易い時と捜し難い時が(今の所)確率5割。何か工夫しないといけない)

スマホの購入は終わった。

後は通信キャリアとしてのAISさんとの交渉。AISさんとの話は娘に代理でやらせた。

何点か娘から「○○はどおする」と聞いて来た事に答えて、意味が良く分からない事は娘にAISの係りの人に質問させて、話を進めた。
尚、AISの係りの人は同じコンドミニアムの住人で、奥さんとの以前から面識のある方で、その点はやり易かった。

例えば、書類に住所を書く時、奥さんが正確に覚えて無くて、係員さんに聞いても覚えて無くて、係員さんが調べて奥さんに教えていた。
自分は、「(大人が2人も居て)2人とも自分の住所が分からないのか」「しょうがねぇなぁ」、と思っていた。

AISさんとの契約関係の書類の作成も終わって、最後はいよいよスマホの初期設定。
自分の出した条件は3つ。

① 日本語対応と簡単な使い方の説明。
② 前のスマホの電話帳に登録してある内容の移管。
③ LINEのインストールと前のスマホのLINE友達の移管。

①は直ぐ出来た。娘も既に iPhone を使っているので使い方の説明は殆ど必要無いし、言語を日本語に変える操作は簡単。

②は良く分からなかったが、係員さんが難しそうな事を言っていたので、後で自分でやる事にした。前のスマホの連絡先・氏名等は紙に書き写して有るので、自分で出来る。
(でも、よく考えれば、連絡先のCOPYなんて簡単に出来そうな気がするが・・・シムには入って無いのか?)

③LINEのインストールと前のスマホのLINE友達の移管。
結果的に出来たが此れは結構時間が掛かった。

先ずアップルIDの取得からやらなければならない。それには自分のカード情報なども入力しなければならない。
アップルIDを新規に取得した時の情報を受けるのにメールアドレスが必要なので、そのメールアドレスの取得も行った(この辺の事、自分は正確に理解してないです)。

LINEのインストールをした後、今度は前のスマホの友達の移管。
これには前のスマホを開く必要がある。
これが、ちょっとスリルが有った。
前のスマホを立ち上げた時にバッテリー残量が14%。それがどんどん減って行って、結局作業が終わった時のバッテリー残量は4%だった。

もし、途中で0%に成ったらどうなったのだろう・・・?。

作業中、自分と娘と係員さんでスマホの画面を見ながら作業を進めるのだけど、基本、画面は日本語表示。それでも係員さんはある程度分かるみたいで進めて行くが、読めないと分からない所は聞いて来る。娘が答えられる事もあるし、娘が読めない漢字は娘が「これ何て読むの」とか「これはどういう意味」とか聞いて来る。

そんな感じで進めて行ったが、結局なんとか「友達の移管」は出来て、今はちゃんと使えている。


で、現在のスマホの使用状況。

LINEは普通に使えてますが、全体的にまだ使え切れていなくて、電話帳の登録も一部しかしてないです。
数回、電話が掛かって来てますが、出なくて、誰から掛かって来たか分からないものも有ります。

もし、自分の知り合いの方がこのブログを読みましたら、そういう事情で暫くは電話が上手く繋がらない事が有るかも知れないです。
LINEメールなら繋がります。


因みに、今回の一連の作業で追加したパスワードは3つ。

アップルIDのパスワード、Gメールのパスワード、LINEのパスワード。

多分、GメールのパスワードとかLINEのパスワードとかは以前に取ったものが有るのだろうけど・・・覚えて無い!。

なんか今の時代って、何でもアカウントとかパスワードとか面倒くさい。覚えきれない!。

こうして・・・だんだん・・・時代の流れに・・・取り残されていく。



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2020年7月 6日 (月)

タイに来始めた頃(スクンビット33)(後編)

2002/06~2004/03(タイに来始めた頃)(スクンビット33)(後編)

スクンビット33には2002年6月頃から住み始めた。

ソイ(小路)の一番奥で、スクンビット通リまでは徒歩10分ぐらい。
ちょっと迂回すれば途中に富士スーパーが有った。当時は抜け道が有ったが今は(多分)もう無い。

最寄り駅はBTSのプロンポンで、駅は日本人御用達(?)のエンポリアムデパートと直結している。
まだ、バンコクの色々な所が珍しかったので、BTS(高架鉄道)は良く利用した。

少し慣れて来てからはバスも良く利用したが、バスは「どのバスに乗ればいいか」、とか、「いつ次降りますのブザーを押せばいいか」、とかが難しかった。
(この頃はBTS(高架鉄道)は今ほど路線が伸びて無く、MRT(地下鉄)は無かった。バンコク市内でも電車で行けない所が多かった)

最初の頃、食事はソイの入り口付近の和風中華のお店によく行った。その隣の隣ぐらいに有った中華系中華のお店にもよく行った。
その他、スクンビット33の辺りには日本食のお店が多かったので、歩き回って見付けると入ったりした。

富士スーパーには、意外と余り行かなかった。食事は殆ど外食だったので、食材を買う事が少なかった。

エンポリアムにはよく行った。一番行ったのは東京堂書店で、新聞は良く買った。その他、最上階(?)の食堂付近で「たこ焼き」など日本的な食品も買った。

当時、自分にはネットもテレビも無かったので、東京堂書店で買う新聞がほぼ唯一の日本の情報源だった。
東京堂書店は富士スーパーの近くにも有ったのでそこもよく行った。

ついでに言うと、現地の情報収集は、DACOや自由タイランドの様な現地のフリーペーパー(無料誌)が役に立った。


スクンビット33に住み始めて、最初に少し話しをするように成ったのはアパートの管理人のタイ人(女性スタッフ)だった。
と言っても、話す内容、聞きたい事に関するタイ語を事前に調べてから、話したりしていた。

次に、話すように成ったタイ人は、ソイの入り口付近にあるマッサージ屋さんのお姉さんとそこの経営者(女性)さんで、一時期は毎日通ってタイ語の勉強を兼ねて、色々な事を話した。
おなじみさん、なのでサービスは良かった。

何処かに遊びに行こう、なんて誘われた事も有った・・・行かなかったけど。
(タイ人って、ちょっと知り合っただけで、こういうの多いです)
(この辺のフレンドリーさが最初の頃タイを好きに成った理由の1つ)

因みに、この頃のソイ33は、カラオケ屋さんとか少しは有ったが、今(注)と比べれば少なかった。
(注)(2年程前に行った時の話(スクンビット33を懐かしむ)。カラオケ屋やマッサージ屋が増えていて、自分の居た頃より随分様子が変わていた)

カラオケ屋さんと言えば、アパートより少し離れた所にポツンと1軒小さなカラオケ屋が有って、ここも一時期良く通った。
女性のスタッフさんが4~5人居るお店で、自分は行く時間が早いので客が1人の事が多かった。
タイ語の、「指さし会話帳」を出してスタッフさん全員に囲まれて、結構盛り上がったりもした。
(この頃はスマホで自動翻訳なんてものは無かった)

苦労して、トンチャイさんの歌を1曲(の半分ぐらい)覚えて、タイ語でカラオケをした事も有る。
みんなで○○へ遊びに行こう、何て話も有った。まだ警戒心が強かったので行かなかったけど。
18年前で(今と比べれば)まだ大分若かった。


最初に日本人と知り合ったのは、アパートの近所の和食のお店に通い始めた時で、そこのご主人や奥様(2人とも日本人)と話をする様に成った。
ここの、定食は90バーツで割とリーズナブルだった。

ある時、ご主人が麻雀の話をしているのを聞き付けて、「今度、自分も誘って下さいよ」、と話したら早速お誘いが掛かって、それから暫く、麻雀に入り浸る様に成った。

食堂の2階が雀荘に成って居た。
アパートからは徒歩10分ぐらいで、朝の11頃に成ると、「始めるから来て」みたいな電話が掛かって来て、夜中の1時とか2時頃までやる事も多かった。
昼頃から夕方6時頃までやって、ちょっと抜けてカラオケに行って、夜10時頃から再参戦なんて日も有った。

最初の頃は負けたが、この雀荘でのトータルでは少しのプラスだった。

この雀荘での清算は場所代込みの清算で、場所代には酒類を除く飲み食いの料金を含む(っていうか、麻雀中の飲み食いはタダで、場所代に含まれる)ので、通算では実質タダで飲み食いして遊んだ計算に成る。

麻雀メンバーの中に気の合うメンバーが居て、彼はバンコクは長かったので、バンコクの夜の街を色々案内して貰った。それも面白かった。
兎に角、此処の麻雀繫がりで知り合いも何人か出来たし、飲み会なども有った。
しかし中には問題のあるメンバーも居て、貸したお金を踏み倒された事もある。


タイ語教室にも通った。
やはり本腰を入れてタイを知るにはタイ語は必須だと思った。
この頃は後10年もすればタイ語はペラペラ、読み書きも出来る様に成る、と思ったが甘かった。タイ語で日常会話ぐらいは出来るが、読み書きは未だにほぼ出来ない。多分一生出来ない。

もし、此れからタイへ来る事を考えて居る方が居たら、タイ語は60歳に成る前に覚えた方がいい。60歳を過ぎるとかなり難しく成る。
(個人差は当然有ると思います。学校の先生の様な方は割と覚えるのが得意みたいです)
もっとも、今ではスマホの自動翻訳なども使えるので状況は変化しているが、(女性スタッフさんの居る)飲み屋さんなどではタイ語は話せた方が面白い。
(タイで暮らす積りならタイ語は少しでも覚えるべきだと思う)


スクンビット33のアパートには2年弱居たが、(2人、そのうち3人に成る予定が出来て)広いスペースが必要に成ったので、ラッチャダー通りのコンドミニアムヘ引っ越す事に成った。

まあ、この2年間は自分の人生で最も楽しい時期だった。



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タイに来始めた頃(スクンビット33)(前編)

2002/06~2004/03(タイに来始めた頃)(スクンビット33)(前編)

少し昔話をしようと思う。

タイとの係わりは時系列で言うと、「在職中に旅行でタイに来たのが最初」、「次に50歳で退職して成田に住んで居た頃」、「スクンビット33にアパートを借りた頃」、そういう順番に成るが、先ずはスクンビット33にアパートを借りた頃の話から。

2001年12月頃から、日本とタイとの往復を頻繁に繰り返すように成った。
この時はもう退職していた(退職は2001年11月)が、ただ、最初の頃は(空港に近い)成田に住み、成田を拠点として世界中を旅してみよう。その手始めがタイで、タイには旅行で来ているという感覚だった。

この頃、タイに来た時は1週間とか10日間とかホテルに宿泊してバンコクの色々な所を見て歩いた。
在職中(48歳)に旅行でタイに来た時、タイは面白いと思った事が、退職して(50歳)真っ先にタイに来た理由で、それから何回かの訪タイを繰り返す内に、ますますタイは面白い、と思う様に成った。

訪タイを繰り返して、バンコクに居る期間が長く成るといつまでもホテル暮らしというのは勿体ないし、毎回ホテルの予約をするのも面倒くさい。
腰を落ち着けてタイの事を知るにはアパートでも借りて、1点に定住した方が効率が良くないか、と考え始めた。
実際に生活してみて、もっと深くタイを攻めてみよう、と思った。

その為にはアパート。先ずどうやってアパートを探すか。

タイは自分の足で歩き回って住まいを見付ける、というのが定石らしいが、タイ語も英語も不自由、タイのアパート事情も良く知らない身では自力で見付けるのはハードルが高かった。

あるフリーペーパー(確か、自由タイランドだったと思う)に、日本人の不動産仲介業の広告が載っていて、取り敢えずそこに聞いてみる事にした。
自分で見付けるよりはお金が掛かると思ったが、それはしょうがない。
日本人の初心者を騙す日本人も多いと聞いていたが、そんなに心配ばかりしていては先に進まない。

で、不動産業者に電話してアパートを幾つか案内して貰った。
場所は、最初からスクンビット33近辺と決めていた。

スクンビット33近辺に住もうと思ったのは当時、その辺りが一番の日本人密集地帯だと聞いたからで、富士スーパーも有るし、日本食のお店も多くて便利だと思った。
その後、日本人密集地域はバンコクの発展、家賃の高騰に伴ってトンローとかエカマイとか東にシフトしていったらしいが、自分が最初にアパートを探した頃は、日本人町としてはスクンビット33が一番有名だった(と思う)。

結局、不動産業者に紹介されたアパートからスクンビットのソイ(小路)33の一番奥にあるスタジオタイプ(?)の部屋を借りる事にした。
家賃は月20000バーツ。

相場は良く分からないが、立地や広さを考えればやや高めだったかも知れない。
案内をしてくれた日本人の不動産業者さんは後々良く面倒を見てくれた。飲み屋さんに連れて行ってくれたりもした。もしかしたら、家賃の一部はその不動産業者さんにキックバックされていたのかも知れない。

スクンビット33に住み始めた頃はまだ、成田にもアパートを借りていた。
その頃は、まだ失業給付金も貰っていて約1ヶ月に1度程、成田のハローワークに行って求職中である事を認定して貰う必要が有った。
そういう事情もあり、日本との行き来は頻繁にしていた。

そのうち、タイに居る期間も長くなった事、失業保険も出なくなってハローワークに行く必要もなくなり、家賃の節約の為もあって、日本での拠点を、成田のアパートから東京の荻窪の実家へ戻した。
と言っても、その頃、両親は山梨の別荘か千葉の別荘に居る事が多かったので、東京でもほぼ1人暮らしは変わらなかった。

失業保険が無く成った時、それまでは退職して給料が貰えなくなっても失業保険でトントンだったが、此れからはお金が減る一方に成る、と思った時、ちょっとプレッシャーを感じた。
(この頃、当てにしていた株資産はITバブルが弾けた後で最悪だった)


余談。

タイに来始める前、2001年頃、タイの事が知りたくて色々な本を読むと共に、ネットで色々なブログを見て知識を収集した。
これが、結構面白かったし、結果として参考に成った。
いきなりタイの社会に飛び込むより、実際にタイで暮らして居る人の話を見てからタイに来た事は良かったと思う。

実は、このブログを書こうと思った時、最初に思ったのは今度は自分がタイに来ようと思っている方に少しでも参考に成る様な事が書けたらいいな、と思った事もある。
しかし、最近では自分がタイに慣れた事も有り、そういう視点(此れから、タイへの移住などを考えて居る方への参考と成る様な視点)からの記述が少なく成って来た。
日々の暮らしを中心とした記事が多く成って来た様に思う。

なので、もう一度初心(?)に戻って、タイに移り住む様に成った頃の話を、記憶を辿って書いて見ようと思う。
一部は既に書いた事と重複する部分もあると思うが、それは気にせずに書く。

シリーズ名は「タイに来始めた頃」で、数回に渡って、不定期で書いて行く事にする。

ただし、なにぶん20年も昔の話なので、今と事情が違うとか、記憶違いも有ると思うので、その辺は含んでお読み下さい。



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2020年7月 5日 (日)

収集癖

2020/07/05(収集癖)

家(うち)の奥さん何故か変な物を集めたがる。


B1_20200704234501
帽子とバッグのコレクション

帽子は裏側で写って無い分も含めて12個。バッグは17個有った。
バッグは別の部屋にも有る分を含めると30個ぐらいある。

帽子やバッグはまだ分かるが、プラスチック入りの水とか、水の入っていた容器とかを集めたがる。


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水の容器16個

この容器は需要が有るらしく、パーンの家の近所の人にあげたり、奥さんの友人にあげている。
そういうのは、無駄が無いのでいいと思う。


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スタバなどの飲み物の容器

これを集める理由が分からない。
奥さんの話によると、この容器も欲しがる人が居る、と言うのだが増えるばかり。
家では使わない。


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カフェアマゾンやKFCの飲み物の容器

後ろにもほぼお同じ量が有る。更にパーンの家にもこの2倍ぐらいの量が有る。

街のコンドミニアム(今暮らす家)はそんなに広い家じゃないのに、余計な物でスペースが埋まっている。

もしかしたら、奥さんは「空白」「空きスペース」が嫌いなのかも知れない。


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引き出しの中にも容器が散乱

実は、荻窪の家にも飲料水の空ペットボトルが沢山置いて有る。
捨ててしまえば、分からないかも知れないが、覚えていると煩いので捨て難い。


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酒類の空き瓶

酒類の空き瓶は奇麗な物も有るので集めたくなる気持ちは分からないでもない。

後、娘と共用の分も含めて靴が20足とか、服は数え切れない程。

もっと広い家なら色々集めるのも面白いかも知れないが・・・。

まあ、奥さんには「断捨離」、という概念は一生理解出来ないと思う。
(田舎のタイ人一般にこういう傾向はある様に感じる)

因みに、自分の祖母(故人)は「お菓子の箱とか捨てる事が出来ない」、と言っていて、確かに昔の家には奇麗な「菓子折り」が沢山有った様に記憶している。
親父は「土地」とか「こけし」を集めるのが好きだった。
母は物に対する執着は薄かった様に思う。

自分は子供の頃は「めんこ」とか「牛乳瓶の蓋」とか「グリコのおまけ」、とか集めた事は有ったが、大人になってからは「漫画」ぐらいしか集めた事は無い。
(漫画は集めたというよりは読んだ物を捨てなかったので、かなりの量に成った。今はもう無い)

自分も物に対する執着は薄い方だと思う。
ただ、今はゲームのコイン感覚で「円(或いは「円」相当物)」とかを集めるのが趣味の様に成って居る。


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2020年7月 3日 (金)

久々のガウガウ

2020/07/02(久々のガウガウ)


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ガウガウ

ガウガウっていうのはチェンライの街の飲み屋さん。
行政的な区分は「レストラン」なのか「パブ」なのかは知らないが、自分の認識では飲み屋さん。

コロナ騒動の影響でここ数ヶ月間、来てなかった。

で、「今日から、ガウガウに(コロナ騒動で失業中だった)○○ちゃんが戻ったので飲みに行きませんか」、というお誘いメールが友人から来た。

飲み会みたいな事は、今までも日本食レストランなどでやってはいたが、7月から正式にパブなどの営業もOKに成って、そういうお店でもこれからは飲み会が出来る様に成る。


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ガウガウの店内

今日誘って来た友人の話によると、「昨日は初日で客が多かったが、今日は少ないね」、という話だった。

・・・昨日も来たのかい!・・・。

確かに、18:30頃から飲み始めて21:00頃まで居たけど、最大で5組ぐらいしか客が居なかった。

6月中頃からレストラン、7月からは飲み屋さんなど、規制は大分解除されて来たが、客足が完全に戻るにはまだ時間が掛かりそうな感じ。
コロナの影響で、タイ人の所得も減っているのでは、という話も出ていた。


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昨日まで失業中だった店員さん

ガウガウでは以前からの顔見知りの店員さん。
友人の1押しか2押しの店員さん。

左後方にはバンドの方達も写っている。
殆ど観客が居ない中でも演奏している。


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飲み会中

右に置いて有るのは友人が持って来たスタッフさんへのお土産のチョコレート。
こういうまめな所は偉い。

自分は以前、チョコレートをお土産にあげたら、スパイに写真を取られて奥さんに送られて、えらい目に遭った事がある。
それ以来、気軽に飲み会には行けなくなった。
まあ、最近、奥さん遊びまわっているし、自分が飲み会に出るのも久しぶりなのでいいだろ~。
兎に角、いろいろ規制解除される事は喜ばしい事だ。

タイ国内に関してはコロナ騒動も大分収まって来た。
ただ、(日本を含む)他国との移動の制限とか、コロナ騒動による娯楽産業・飲食業等の落ち込みとか、まだまだ元の状態に戻るのには時間がかかりそう。

タイなんて、もう随分前からタイ国内での新規感染者は殆ど居ないのだから、もっと早く規制解除されても良かったと思う。

日本はまだまだ、歌舞伎町とかホストクラブとかは、何か法的な処置が必要とは思うが・・・。



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2020年6月27日 (土)

リンチー収穫など

2020/06/23(リンチー収穫など)

今年は珍しくパーンの家のリンチーが生った。5年振りぐらいだと思う。

もっと早く収穫に行かなければ、と思っていたが中々機会が無くて行きそびれていた。
今日は奥さんがパーンの町にちょっとした用事が有ったので、一緒について来た。

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パーンの家のリンチー

近所のお義兄さんが新聞紙をかぶしたりしてくれている。


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リンチー

もう2週間程前に収穫に来た方が良かった。熟れ過ぎている物が多い。


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近所のお義兄さん

奥さんの一族ではこのお義兄さんだけが農家をやっている。


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お兄さん家の犬

結構警戒心が強い。中々餌を取りに来ない。


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マムアン(マンゴー)

まだ1ヶ月ぐらいは取れると思うが、マンゴーの季節もそろそろ終わり。
(他の地域は知らない。家だけの話)


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クルアイ(バナナ)

収穫できるのは2週間ぐらい先かな(多分、収穫しないけど)。
他にも小さいバナナが2~3房あった。


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家の近所

家の裏は田圃。まだ田植えは始まっていない。

ざっと、家の周りをチェックして、リンチーを少し収穫してからチェンライの街のコンドーへ帰る事にした。

帰り道(国道1号線)

チェンライなんてジャングルの中に有る町と思っている方も居るかも知れませんが、ちゃんとした道路も有ります。
ちゃんと文明の光は届いている。


パーンの家からチェンライの街のコンドーまでは車で30分程掛かる。
今日はコンドーに着いたのが7時ぐらいで、夕食を作るのも面倒だったので、娘も連れて「作」に食事に出掛けた。


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「作」にて夕食

すき焼きのお肉は、自分と娘は和牛。和牛は特別メニュー。多分、次回はもう無い。
牛肉を食べない奥さんは豚肉。


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すき焼き

ねぎ、人参、椎茸、白菜、大根、豆腐。肉は各自、自分の分を入れて。

娘・・・「パパ、○○ちゃんの分食べただろ~」

自分・・・「知らない」


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お刺身

奥さんが「刺身も食べたい」、というので、注文したがサーモンとイクラぐらいしか食べない。
娘はホタテとサーモン、イカ、マグロと食べていた。

ハマチとしめ鯖と海老は自分だけ。勧めたがタイ人親子は食べない。

タイ人には、サーモンとカニカマでも食べさせておけば十分かも知れない。
(ちょっと、日本の事を知っているタイ人は、マグロが欲しい、と言うが多分味は分からない)


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2020年6月25日 (木)

今必要な物(お金)

2020/06/25(今必要なもの)(お金)

今回のコロナ騒動で思った事。人生って突然何が起こるか分からない。

突然、どんな災難に襲われるか分からない。

そんな時、頼りに成るのは先ずは「健康」。

冷静に問題を分析して、どうすればいいかを考えられる脳力と、普通に動き回れるぐらいの体力が有れば、窮地から抜け出す方法を考えて行動に移せる。
災難を100%振り切る事は出来ないにしても、被害を最小限に食い止める事は出来る。

認知症(或いは、それに近い状態)で緻密に考える能力を失っていたり、精力的に動き回れる体力が無ければ、災難に立ち向かう事は出来ず、災いの直撃を受けて大きなダメージを被る。

(自分の場合、朝起きたばかりや、長時間パソコンを使った時、文字が良く見えないという視力の問題も活動を制限する要因に成って居る)

もっとも、「こういう意味での健康」、は若い人達には殆ど備わっているので、特に心配は要らない。
これが問題と成るのは、多くは自分の様な高齢者の場合。

今回の「今必要なもの」、シリーズは自分に不足しがちなものを想定して、「健康」、「良い人間関係」、「お金」、の3つを掲げた。


良い人間関係も、これからの人生を楽しく・有意義に過ごす為には必須のものだと考える。
しかし、これは自分の最も苦手とする分野で、なおの事、強く意識をする必要があるものだと思っている。

コロナ騒動による各種規制で重苦しい中、家族や知り合いとの交流によって、ストレスの発散を図ったり、情報を補ったりした事が平常心を保つ上で役立った。
これからも、意識して交流の幅を広げて「孤立を避ける」、努力は必要だと思った。


で、ここからが今日の本題、「今必要なもの、お金」。

これは、他の2つと違って、自分の得意とする分野で、あえて「必要とするもの」、とはそれ程思わなかった。
勿論、お金が有れば便利な事は確かで、有って困るものじゃないし、多ければ多いほどいいと思う。

しかし、それが不足して、決定的な困難をもたらすとは、余り考えた事が無かった。
(決定的に不足する可能性は低いと思っていた)

お金って、ゲームのコインみたいなもので、増えたからといって実際の生活が変わる分けじゃないし、減ったからといって別に困る分けじゃない。

大体、自分はそんなにお金を使わないし、それ程強くお金を使いたいとは思わない。
(自分が使わなくても家族の一部に歯止めが効かない人が居て、コントロールが難しいという問題は有る)

お腹がいっぱいに成れば、もうそれ以上食べ物は要らない。お金もそれと同じようなものだと思っている。
(だけど、遊び心で、ゲームのコインは増やしたいという気持ちは有る)

高い時計とか、高級車とか、高い衣類とか、高そうな美術品や工芸品とか、ネックレスや宝石類、そういう物を無理して欲しいとは思わない。
スマホが有れば時間は判るし、小さ目な車の方が小回りが利いて運転し易いし、タイならTシャツとサンダル履きの方が快適だし、日本ならユニクロの衣類で十分だし、美術品や工芸品は置かない方が家の中がスッキリするし、ヤクザや未開人じゃあるまいし身に着ける金(きん)や宝石類なんて要らない。

飛行機何て、ファーストクラスでもエコノミーでも乗ってる時間は同じだし。
(時間は大事だと思うので、安くても経由便には乗らない)
(稀に、体力を温存したいときに、フラットベッドなどの席を取る事は有る。体力が落ちて来ると、そういう事は増えるかも知れない)

要するに、今までは、お金が不足して自分の生活に決定的な支障をきたす可能性は低いと思っていた。
しかし、今度のコロナ騒動で、突然どんな災厄に襲われるか分からない、という事を改めて考えさせられた。

そういう時、お金が有れば困難を回避出来る場合も有る。

今回のコロナ騒動では、実際にコロナに罹患して辛い目に遭われた方より、仕事を失ったり、お店の経営が困難に成ったりして、経済的痛手を受けられた方の方が多いと思う。

そういう時、お金の蓄えが有れば、窮状を凌ぐことが出来き、騒動が収まるまで耐える事が出来る。
或いは、新しい生活パターンを作る事が出来るかも知れない。

幸いにして、自分の場合、とっくの昔に退職して今は無職なので、今回の場合、失業とか、お店の経営難とかは関係無かった。

株価の値下がりとか、日・タイの交通の遮断により、経済的損失を幾分かは受けているし、半年以上帰国していないので状況が十分に把握出来て無いという不安は有るが、まあ、コロナ騒動によってお金に困る事は(今の所)無かった。
(今回は、タイに来る時に偶々、まとまったお金を持って来ていたのも良かった)

しかし、今回のコロナ騒動では、お金に困る事は無かったが、今後、もっと世界的な大事件、パンデミックとか大恐慌とか戦争とか天変地異とかが有ればどうなるかは分からない。

今後10年20年先の事を考えれば、そういう可能性が無いとは言えない。
10%ぐらいは、世界的に何か大きな問題が起こる気もする。

今のCOVID-19が変異して、もっと悪性のものが出て来て、ワクチンや治療薬の開発も間に合わず、今よりもっと大変な事に成って、世界中が国境を閉じるとか、大恐慌に陥る事だって無いとは言えない。

そうなれば、自分の持っている株や債券の価値は大幅に目減りするし、世界中のお金の流れが止まって、香港やアメリカやオーストラリアに置いて有る資金の引き出しが出来なくなる事も考えられる。

不測の事態に備えた資金の分散が裏目に出る可能性はある。
(今だったら、香港株のチャイナテレコムとAIAグループリミテッドはリスクが大きい気がする)

大きな戦争が起こって、大恐慌や人・物・お金の流れが世界的に止まる事も有るかもしれない。
(ただし、小競り合い程度の紛争はあると思うが、世界の経済に決定的ダメージを与えるような戦争が起こる確率は、ここ10年20年では低いと思う)

世界的なものでは無くても、日本の財政破綻とか日本経済の破綻なんてのも危ないかも知れない。
これは、結構な確率(今後20年で5%ぐらい?)で起こる気がする。
国債が償還されないとか、年金が大幅に減額されるとか、パイパーインフレが起こって、「円」の価値が極めて低く成るとか、銀行が倒産するとか。そうなれば当然、株価は大暴落するし、倒産する企業も続出する。償還されない社債も多く出る。

経済が完全に破綻する前に、かなり強行な経済政策が取られる可能性もある。
一番有りそうで、(自分にとって)危険なのは、資産課税の強化で、重い税を取られる事自体も問題だが、そういう事をすれば先ず株価は大暴落する。企業や銀行の倒産を誘発するかも知れない。金(きん)を除く(?)あらゆるものの資産価値が激減する。

金(きん)だって、取引が大幅に規制されて、非常に高い税率を掛けられるかも知れない。

こういう事は、日本だけでなく、アメリカでも起こり得る。
むしろアメリカの方が危ない気がする。
数年後にサンダースさんやウォーレンさんより、もっと過激な大統領が誕生して、過激な経済政策を取る事は有り得る。その場合、アメリカ株は大暴落して、当然(?)日本も世界もとばっちりを受ける。

小さいとは思うけど、中東や中国の政治リスクも有る。
(他の地域も政治的紛争は多発すると思うが、世界経済に与える影響はそれ程大きくは無い)

自分の場合はタイと日本の両方に生活基盤を持つので、何らの要因によりそれが分断されるという危険は常にある。
例えば、日本とタイとの行き来が数年に渡って出来なく成れば、(タイに居る場合)日本に置いて有る資産の管理が非常に難しく成る。場合によっては手続きが出来ず、失う資産が発生するかも知れない。
(例えば、帰国しなければ、10万円の給付金×2人分は受け取れない。もう直ぐ帰国する積りなので受け取れない事は無いが、もし、帰国出来なかったらどう成るのか。ネットでタイから申請できるのかは調べてない)

また、タイの政治体制や自分がタイから見れば外国人である事から、何らかの法的処置によって、今タイに置いて有る自分名義の資産(これは少ない、車も家も奥さん名義)を失う可能性だってゼロとは言えない。
(自分名義で一番大きいのは預金の様な性格を持つ保険。2番目がVISA取得の為に持っている預金)

そもそも、自分のものだと思っている、他人名義の資産が、そのまま他人のものに成る可能性だって、否定出来ない。
(そういう人、結構、見てます)


以上の様に、突然お金を失う可能性はいくらでも有る。

例えば、世界経済の大混乱で、株や社債、外債、などの資産を一気に失って資産が大幅に減少すれば、10年20年と生活を維持する事が出来ず、経済的困窮に陥るかも知れない。
そうなれば、この歳では立ち直るのは難しい。

(若ければ、資産など無くたって働けば何とかなるかも知れないがこの歳では無理だと思う)
(でも、今は若くても経済的に困窮してなかなか立ち上がれない人も居るようなので、それはそれで問題だが、今回のテーマでは無い)
(また、高額の年金で生計を立てている方は、自分の様な投資収益を当てにしている人間よりもリスクは小さいと思う)
(余程の事が無いと年金が無く成る事は無いと思うので)

(余談)
もう故人ですが、昔、タイ人の奥様に家も土地も持って行かれたが、年金を(推定で)50万円/月程貰っている方がいて、直ぐに新しい奥様を見付けて、家も豪邸を建てて悠々自適の生活を送られた方が居ました。
自分は何回かその方の家へ遊びに行って、行くたびに新しい建物が出来てたりして、復活力が凄い、と思った事が有ります。

逆に、「日本から一生困らないお金を持って来たが、全部、奥様に吸い取られて、あっという間にお金が無くなって、結局別れて、困っている」、という方も居ました(この方も故人です)。

やはり、タイの様な怪しげな土地で暮らすには、1回や2回の失敗ではめげない、立ち直れるぐらいの何かを持っていた方が良いと思う。
「お金」は、その「立ち直る」のに有効な要素の1つだと思う。


何か不測の事態が起こって、大金を失ったり、立ち直るために大金が必要に成った時、困らない様にするためには、資金の分散も含めた「お金のリスク管理」、とそもそもの「資金量に余裕を持たせる」、のがいいと思う。

最悪の事態を避けたり、情勢が変わった事に合わせた新しい生活スタイルを確立したりするのに、お金が役に立つケースは(多分)多い。
不測の事態が起こって、経済的に困窮すれば、今の様な安定した生活が送れなく成る。

そうならない為にお金のリスク管理を考えるが、「お金のリスク管理」、は難しい。

多国間への資金の分散が(国際紛争等により)リスクと成る事もある。為替リスクも当然ある。
日本国債だって財政破綻が有ればどう成るか分からない。最悪、償還されない、何て事もあるかも知れない。
現金で持っていたってハイパーインフレで「円」の価値が大きく毀損する可能性が有る。大体、現金は盗難の可能性が有る。
株などは儲かる時はいいが、経済が危なく成れば真っ先に暴落するのが株。
社債も株と似た様なもので会社が倒産してしまえば紙くずに成る(1回エルピーダメモリの社債で500万円程損した事が有る)。
金(きん)だって田中貴金属などに預けて置けば盗難の心配は無いが、多分しっかり国に把握されるので、売る時に税金をがっぽり取られる危険が有る(多分、税率が上がって行く気がする)。

・・・考えれば考える程、分からなくなって袋小路に陥る・・・


「資金量に余裕を持たせる」、と言う点に関しては、余り無駄使いをしない様にとか、株などは一か八かの大勝負は避けてちょっとずつ儲けるようにするとか、兎に角、余裕を持つ事だと思う。

余裕というのは何につけても大切だと思う・・・特に高齢者は、やり直しがきき難いので・・・。


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