カテゴリー「タイの日本人、チェンライの日本人」の28件の記事

2024年12月10日 (火)

なぜ海外移住か2

2024/12/10(なぜ海外移住か2)

今回はチェンライ(等)への移住を考えている方の参考に成る事を少し意識して書きます。
在住者の方は「それは違うよ」とか「なるほど納得」とか考えながら読んで頂ければ幸いです(出来ればコメント下さい)。

チェンライ以外の事は分からない(バンコクは3年程居たので少しは分かる積り)。
チェンライに関してはまあまあ分かると思うので、チェンライ在住の日本人の場合を念頭に「なぜ海外移住したか」について考えて見る。

もっとも、皆さんがどういう状況で、何を考えて此処へ来たかは20年程皆さんを見て来た事で推察は出来るが、心の深い所は分からない。
そんなに根掘り葉掘り個人の事情を聞いた事も無いし、自分の知っている範囲って多分チェンライ在住の邦人の半分にも満たない(2~3割か?)ので、それでチェンライ在住の方達は「なぜ此処に移住して来たのか」を確定的に言うのは無理が有る。
なので、「外れ」も「勘違い」もあると思います。

まず、チェンライ在住の邦人には高齢者が多いというのが大きな特徴です。
自分が知らないだけで若い人のグループもあるかもしれないが、殆どが60歳以上の方達。
50代なら数少ない若手といった感じ。
まあ、自分が73なので、知っている方というと年齢の近い方が多くなるので、自分が思っているよりは若い方が多いかも知れない。

自分は50でタイに来て、チェンライに来たのは54~5だったと思うが、その頃は同じ50代か60代ぐらいの方が多かった。
それから20年、入れ替わりは半分ぐらいは有ったが、新たに来る方も60代ぐらいの方が多くて、昔から居る方は70歳以上に成っている。
80代の方も珍しくなくなった。
要するに、今は平均年齢が上がって来て73歳の自分でも、周囲を見回すと中央値ぐらいの感じに成る。
(ここ2~3年で知り合った方は自分より少し若い方が多いので、チェンライ全体としては60代後半ぐらいが中央値か?)

兎に角、20代~50歳以下ぐらいの「若い人」は殆ど新規では来ない。

これは、チェンライでは日本人が働く場所が殆ど無い、というのが原因としては大きいと思う。
(チェンライで働いて所得を得ている人って1割ぐらい?)

日本の会社の関連会社とか、技術を持ってメーカーで働いて居る方とか、和食関係の飲食店とか、日本語教育関係の仕事をされている方とか、過去の例も含めると少しは居るがそれぞれ数名しか思い当たらない。
(こういう方達は「撤退」が早いのもひとつの特徴だと思う)
あと、宗教関係とか小規模な事業をされている方も居るが、それも少ない。
(上記の話は具体的に「誰が」というのが頭に浮かびますが、会社名や仕事内容を書くと分かってしまう事も多いと思うので具体的には書きません)

要するに、ごく一部の例外を除いて、チェンライは働き盛りの人が職を求めて来るような所では無い。
なので、移住の理由として「海外で一旗上げてやろう」的な発想で来る人は少ない。
(全く無いわけではないと思う)

ただし、タイで(チェンライで)「○○をやれば食っていく事は出来るだろう」と思って移住して来る方はたまに居る(移住して来た人の2~3割ぐらいは居るかもしれない)。
(これも具体的には書き難いが、飲食店関係だったり、農業関連だったり、何かの事業的なもの(宿泊施設とか)だったり)
しかし、これは殆ど失敗する。
(失敗とまでは行かなくても、大変な割にはメリットが少なくて、割に合わないのでチェンライには他の糧を見付けて居続けるが「事業はたたむ」という選択をする人は多い気がする)

元々、年金や移住する前の蓄えで生活できる場合を除いて、此処で稼いだ収入だけで暮らして行こうとした場合、「日本への撤退」という結果に終わる場合が多い。
(明らかに、そういうケースも知っているが、いつの間にか居なくなった人の中にはそういう方も多いように思う)
(もちろん、此処で何かの事業的なものをやって安定的に暮らして居る方も居る)

兎に角、此処は余程の「覚悟」か「見通し」が無い限り、職を求めて来る様な所では無い。
例えば、生活は日本基準で貧しいものでもいいが、ぜひとも山岳民族の人達と一緒に暮らして見たい、とか、或いはボランティアでもいいからタイの人達や山岳民族の人達の手助けをしたい、とか。
そういう「強い欲求」が有れば話は違う・・・。

(注)チェンライには絶対に職が無い、という話では無い。現地採用でも職に付ける事は有るようだし、親とか兄弟のような身内が何か事業をやって居ればその手伝いとか、或いはどこかから(誰かから)の紹介が有れば職に付けるというのは当然あると思う。

ただ、日本人は優秀だから後進国のタイなら何とか成る的な安易な考えでは失敗する確率は高い。


で、此処まではレアケースの話。
此処からは多数派の話。

チェンライに移住して来る方の大部分は年金やそれまでに稼いだ蓄えを持ってやってくる。
なので、年齢的には会社を定年退職する前後ぐらい(或いは、自由業等でも「もう仕事を止めてもいいか」と思えるぐらい)の60代ぐらいが多い。

年金を銀行間送金でタイの銀行に振り込んで貰っている方が殆どだと思う。
それで足りない時に、蓄えて有ったお金で補う。
そういう方が殆ど(多分9割ぐらい?)。
(年金が無い人も2割ぐらいは居るのかな?、皆さんの懐事情までは詳しく聞かないので推測)

で、チェンライに来る一番の動機だが、自分の考えでは日本で行き詰って此処に来る、という方が多い気がする。
そういう事は殆どの人は言わないが、そうでもない限りわざわざ不便なこんな所に来る分けがない。
(この考えは、多くのチェンライ在住の邦人には否定されると思うが、多分、そういう事だと思っている)
(また、チェンライに居付いた方でも、最初からここを目指した人は少なく、色々、他の国やタイの他の地域(例えばチェンマイ)を周って見て「今は此処に定住している」という方が多い。フェーンの出身地という事で此処に来た方も多い)

あと「行き詰まった」と言っても程度が有る。
別に日本に居られないという事は無いが、このまま日本で暮らしても面白い事(或いは、いい事)はそれほど無さそう。
海外に出れば面白い事が有るかもしれない。
だったら思い切って海外に出て「環境を変えて見よう」とか「新しい自分を見付けて見よう」とか「視野を広げて見よう」と思って来る方が多い。
そういう場合は取り敢えず旅行で来てみて、段々地元の方(在留の邦人やフェーン(説明は後述)候補)との繋がりが出来て来て、移住に至るという方も多い。

最初に日本での生活に行き詰まり、閉塞感を感じていて。

① じゃあ物価の安いタイへ行こうか、タイでもバンコクやチェンマイよりはチェンライの方が物価が安いからチェンライに行こうか、とか。
(物価が安い、から系)

② タイの方が気候がいいし、なかでもチェンライは田舎でのんびりしていて、暮らしやすそうだとか。
(のんびりしたい、から系)(自然が有る、から系)(田舎が好きだ、から系)

③ 外国の生活を経験して視野を広げようとか、タイを拠点にアジアの国々を巡ってみようとか、自分を違う環境に置いて隠れている能力を引き出して見たいとか、山岳民族の生活を研究(?)して見ようとか。
(視野を広げたい、から系)

④ 本心は分からないが、タイは料理が美味しいからと言う人も稀に居るかもしれないが、これは嘘か味覚の分からない人だと思う。
(食べ物が美味しい、から系)

など、色々、後づけの理由(そもそもの動機は、日本で行き詰った、というのが根本原因である事を直視せずに)を考えてチェンライへやって来る。

⑤ だから日本の色々な束縛から逃れる為、という方も居ると思う。
(もっとハッキリ、借金から逃れる為とか、怖い人から逃れる為、なんてのも有るかもしれない)

⑥ で、実は多いと思うのは、タイで或いはチェンライで自分の居場所を作る為に来た、というのが有る。
チェンライに居る邦人(自分も含めて50代~80代の高齢の男性、これがチェンライの日本人の多数派)にはタイ人の奥様を持って居る方が非常に多い。
(籍は必ずしも入れなくて、実質的な奥様である場合も含む=タイ語では籍の有る無しに拘わらずフェーンと言う)
自分の周りにはこういう方が多い。
(7~8割ぐらいはタイ人のフェーンを持って居ると思う)
(残りの人は、今は1人でも、フェーンを意識的、あるいは、漠然と探している人が2割ぐらいは居ると思う)
(チェンライの場合、流動性が大きいので、一時期フェーンが居ても関係が希薄に成っているとか、別れて間もなく新しい方を見付ける、という方も多い)

なので、奥様がタイ人の場合、そもそもの根本的な原因は日本での行き詰まり(もう一度念を押すと、「行き詰まり」と言っても「程度の差」は有ります)だが、直接的にはこれが(タイ人のフェーンが)目的でタイに移って来たというケースが多い。
(タイでフェーンを見付けたのでなく、日本に居るタイ人と一緒になって、彼女の地元のチェンライに来たという方は少し事情が違うかもしれない)
(また、仕事の関係でタイや東南アジアや中国に居て、ある程度の年齢に成った時に日本では無くタイ移住を選択したという方も割と居る)

チェンライ在住の多くの邦人は日本で閉塞感を持っていた、という話は否定するかもしれないが、自分がそう感じる理由として、タイ人のフェーンが居る方も居ない方も、タイに移って来る前には日本に日本人の奥様が居た方が大部分であり、それは大きなストレスと成っていたのではないかと推察される。
(日本人の奥様だけでなく、他の家族とのストレスを抱えていた方も居るかもしれない)

中には自分の様に日本に配偶者が居なかったり、奥様と死別された方も居るが、それはそれでストレスが有ったと思う。
(逆に言うと、上手く行っている家族が日本に有る場合、普通はチェンライになど来ない。稀に、日本人の奥様を連れて来る方も居るが、その理由は書き難い)

なので、「日本でのしがらみを一旦クリアして(一応)自由の大地、チェンライに来た」というのが「なぜ海外移住か」それが「なぜタイか」「なぜチェンライか」の回答としては一番真実に近いものではないかと思う。
(あくまで、多数派の話です)

まあ、「なぜチェンライか」の理由を聞けば①~③を挙げる人が多いと思うが、その裏(?)には「日本での閉塞感」「居場所が無い」みたいなものが有った人が多い気がする。
(大体、日本で上手く行ってれば、いい歳に成ってチェンライなどという僻地に来るより、日本で暮らした方がいいと思う)
(しかし、実際に来てみると、住んでみると、チェンライにもいい面は沢山あります)


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チェンライのガウマシム1(日本人の配偶者を持つタイ人の奥様がされている食堂)
2024/12/08


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チェンライのガウマシム2、2024/12/08

この日は日本人会の会員を中心(会員以外の方も居た、そこは、来る人拒まず)に行われた懇親会で、テーブル2つに17人ぐらいが参加した。
写真には写ってないがタイ人の奥様も数人来ていた。
平均年齢71~2ぐらいだと思う。


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「作」で行われたカラオケ会(飲み会?)2024/12/09

8~9人が参加。此処は平均年齢74~5ぐらい。
今月誕生日の方が2人居たのでみんなで(一応) ♪ ハッピーバースデー トゥー ユー ♬。

いい歳して誕生日祝いなんて・・・と思うがこのセッティングは(多分)タイ人の奥様がやってくれたもの。
タイ人ってこういうの好きなんだよね~~~。



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2024年12月 4日 (水)

チェンライの邦人同士の交流

2024/12/04(チェンライの邦人同士の交流)

チェンライには日本人同士で趣味などの集まりを行うには丁度いいくらいの人数が居る。

日本人の密度が低ければ、何か趣味の会をやろうとしても人が集まらない。
逆に、日本なら余程の山奥か僻地で無い限り人は居るが、都会ではグループが(退職後とか卒業後を含めて)会社とか学校繋がりに成る事が多い。
そういう繋がりの無い人が自分が属していない会社繋がりのグループに入るとか、学校繋がりのグループに入る、という事は余り無い。

それまで見ず知らずの人が突然仲間に入るという事は余り無い。
しかしチェンライではそれまで見ず知らずの人が、ちょっとしたきっかけで何かのコミュニティに参加するという事は普通にある。

例えば、自分の場合、日本での飲み会は学校繋がりが多い、たまに、会社繋がりの飲み会もある。
麻雀は殆どが会社繋がりのメンバーだが、たまに別の繋がりでメンバーに成る方も居る。

日本でも地域の繋がりや趣味の繋がりで出来るグループもあるとは思うが、多いのは会社や学校繋がりで、その中で飲み仲間とかゲーム仲間とかが出来る。
(宗教的繋がりや、経済界・学会・政治の支援者会みたいな繋がり、地域のボランティア的な繋がりも有るとは思うが、自分には無い)
(生まれた時から住んで居れば違うかもしれないが、近隣の方とは目が合えば挨拶はするが、その程度の付き合い)


日本の場合は当然の事ながら日本人が多いので、日本人同士というだけでは繋がりは出来ないが、チェンライの場合は適当に居て、適当に少ないので日本人同士という事で珍しさ(貴重さ?)も有って地域の繋がりが出来やすい。

例えば、偶然どこかの場所(日本食堂とかマーケットとか役所とか飛行機の座席とか)で日本人らしき人を見掛けて「日本の方ですか?」と話かける事から繋がりが出来る事が有る。
(バンコクでもそういう事は有ったが、バンコクだと大して珍しい事でも無いので、「日本の方ですか?」という会話は敢えてしない事が多かった)
(自分の場合はバンコクで日本人経営のレストランで、周りで麻雀の話をしていたので「麻雀をやってるんですか?」みたいに話し掛けてからそのグループに入って、麻雀のほか、飲み会とか色々やった)
日本ではそういう事は無いし、日本人が極端に少なければそもそもそういう機会が無い。

そういう点で、チェンライには丁度いいくらいの日本人が居る。
前回の記事で「チェンライでも趣味で集まる日本人がある程度居る」と書いたのはそういう事を言いたかった。

また、チェンライには日本人会が有る。
名称はハッキリしないが取り敢えず「チェンライ日本人会」としておく。

参考までにその12月の行事は(集まり)は以下の様に成る。


241204a
チェンライ日本人会、12月の行事

12月06日(金)、将棋の会(念の為注意、会報の1ページ目には「ガウマシム」と成ってますが今回は「作」です)
12月08日(日)、日曜雑談会
12月14日(土)、さくらプロジェクトのクリスマスパーティ(これは日本人会の行事では無いが日本人会のメンバーから案内が来ている)
12月19日(木)、ゴルフ愛好会
12月22日(日)、メーチャン/ムーガタ会(雑談会)
12月28日(土)、餅つき大会(明確に日本人会の行事としては12月はこれだけ。他は日本人会協賛みたいな感じ)

このように日本人会および日本人会関連の集会だけでもまあまあ有る。

無理に人付き合いしてもしょうがない、孤独が一番、という考え方もあるとは思うが、自分は「孤立は良くない」と思っているので日本人会はチェンライ在住の邦人(特に高齢者)にとって一定のセーフティーネットの役割を果たして居ると思う。
ただ、多分、在住者の半分も入会してないのでそれは残念に思う。

ちょっと話は逸れるが、日本人会は敷居を低くして(意味ない会費の値上げなどせずに)多くの邦人を迎え入れるようにしておくのがいいと思っている。
あとチェンライの邦人に高齢者が多いので日本人会もそうなるのはやむを得ない面も有るが、出来れば、もっと若手(一応50代以下は若手とします)が入って来ればいいと思う。


まあ、日本人会内の交流は一部だと思うが、日本人会で知り合った方などとの交流も出来て来る。

自分の場合は月に2回程、カラオケ(と言っても主に飲み会)をやっている。

麻雀はタイでは声高に言い難かったというのは有るが、2024/10/11から若干規制が緩くなって合法的に麻雀を楽しむ事が出来るように成ったらしい。
「麻雀やその他のカードゲームは日曜は12:00~24:00、その他の曜日は18:00~24:00はギャンブルとして許可される」と成ったらしい。
ギャンブルとしてやらない場合は、元々問題無いのか、というのは有るが、自分が1回バンコクで麻雀をやっていて捕まったときは、ギャンブルか否かは問われずに無条件にイミグレの警察に連れて行かれた。
(ちょっとした手続きで直ぐに解放さたが、交渉は雀荘の御主人が行ったので詳細は不明)
という事で(?)いままではメンバーを大ぴらに集めるのは問題アリ、だったかもしれないが、これからは日曜12時からに限定すれば気兼ねなく集められるように成った(らしい)。


支離滅裂に書いて来ましたが、何を言いたかったというと、チェンライには多過ぎず少な過ぎず(と言っても、もう少し多い方がいいかもしれない)適度な人数の日本人が居るので、趣味や地域のコミュニティが作り易くていい、というお話でした。

高齢の方がチェンライに来た場合、タイの文化や食べ物には馴染めなくても、日本人社会には入り易い地域だと思います。
50歳以下ぐらいの「若手」の方がもっと来るといいですが、チェンライの魅力は何かをアピールするのは中々難しいです。


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2024年5月13日 (月)

日本人会復活

2024/05/13(日本人会復活)

昨日(2024/05/12)チェンライ市の花弁当にて、チェンライ日本人会の臨時総会が開催された。

日本人会は4月の総会が流れて一旦、休会に成っていた。
今回の臨時総会は会を存続させるべく、再スタートの為の臨時総会。

会場には40名弱(?)の会員が集まり熱気が感じられた。


240513b
日本人会臨時総会中



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臨時総会後の懇親会の風景

チェンライ日本人会は親睦会でいいと思っている。
もっとハッキリ言うと、親睦会で有るべきだと思っている。
別に会社や自治体の様な組織にする必要は無いし、するべきではない。

チェンライ在住の邦人の殆どは自由意思で此の地に集まって来た人達であり、会社や組織に指示されて来ている人は極めて少ない。
これが、海外出張者の多いような地域なら、それをまとめる組織の在り方も違うかもしれないが、チェンライはそういう土地ではない。


2年程(?)前にチェンライに移り住んで来たある方が日本人会のリーダーシップを取るように成った。
(その方はチェンライの状況を良く理解して無かったのかもしれない)

日本人会の様な会の代表は、普通は周囲から(或いは前任者等から)推されてなるものだが、自分にはそうでは無かった様に見えた。
(この辺の事情はもしかしたら勘違いかもしれない)。

別に代表者が他薦でも自薦でも、会の運営が皆さんの納得の行くようなものであれば構わない。
自分などは会の運営に全く関与していないし、何も手伝わないので、代表者等の方が面倒な作業を引き受けて下さる事にただただ感謝している。

しかし、1年程前に旧体制が立ち上がった時に、会の運営に関して少し違和感を持った。
会を法人化しようとか、企業とタイアップしようとか、会費を値上げしようとか、役員に手当の様なものを出そう(これは時期的に少し後だったかも?)とか・・・。

何か、自分の考えている「日本人会=親睦会」というのとは違って来た様に感じた。

日本人会の機能として「助け合い」的なものを期待する方も多い様だが、自分はそれは余り期待しない。
例えば、年金とかVISAや入出国の手続きに関する問題とか介護とか健康管理とか、そういう事は基本的に自己責任で、自己作業で行うべきだと思っている。
ただし、日本人会で知り合った方などから情報を得るとか、困っている時に手助けして貰える方が居る場合は、その助けを借りるとかは良いと思う。
日本人会の親睦会という機能にはそういうものも含まれると思う。

しかし、日本人会に期待するのはあくまで親睦会としての機能。
まして、何かを権威付けするようなものではない。

旧代表の方は日本人会を会社の様な組織にしたかったのかもしれない。
会費を多く取って、様々な事業(?)を行う、そんな事を考えていたのかもしれない。

1つはそういう事を強引に推し進めようとした事、もう1つはリーダーを補佐する方達の意見も無視して会の運営をしようとした事、そこに問題が有ったのではないかと推測している。
今年の4月の本来の日本人会総会の頃には、殆どの役員も退任するかその意思を固めていたらしい。
(自分はこの頃、帰国中だった為、詳しい事は分からない)

結局殆どの会員や役員に支持されず、総会の出席者も少なく、退任も余儀なしと成ったらしい。

今回の臨時総会はその行き詰った日本人会を立て直そうという集会で有った。
前々会長が言われた様に、「(チェンライ日本人会は)和を乱さないようにするべき」というのはもっともな話で、今回の参加者はそういう共通の認識を持ったと思う。

何も努力してない自分が言うのもおこがましいが、チェンライの邦人にそういう「皆でチェンライの邦人社会を盛り上げよう」という方達が沢山居る、という事が分かったのも今回の会合の成果だと思う。


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日本人会臨時総会の会場、花弁当

以前は国道1号線沿いに有ったが、2~3年前にチェンライ市の北の方に移転して来た。
花弁当の前は日本食材店だったと思うが、その時の経営者(?)の方も会場でチラッとだがお見掛けした。

日本人会の方以外にもチェンライで頑張って(?)居られる方は沢山居る。
出来れば、もっと多くの方に日本人会に参加して貰って、コミュニケーションが取れる様になればいいと思っている。

その為には「組織の強化」ではなく「敷居の低い組織」にするべきだと自分は考えている。


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2023年12月23日 (土)

餅つきの会

2023/12/23(餅つきの会)

今日は毎末恒例の餅つきの会。
日本人会の活動の中で自分が一番日本人会らしい、いい活動だと思っている行事。
自分は日本人会は親睦会でいいと思っているので、こういう、みんなで雑談をしたり、情報交換をしたり、和気あいあいとするのがいい。


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餅つき中

今回の会場はガウマシム。
ガウマシムは日本で暮らされていたタイ人の奥様がやっているタイ料理や日本料理のお店で、旦那さんが日本人で、日本では自分の家の有る東京都杉並区の隣の中野区で暮らされていたらしい。
たまたま同時期に帰国して居た時にご主人と飲み会を荻窪(自分の最寄り駅)でやった事も有る。

建物はレストランの建物と、住居や旅行者用などの建物に取り囲まれる様な形で中庭があり、今回の餅つきの会はその中庭で行われた。


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餅つき中

この臼と杵は10年程前に木工(もっこう)が趣味の邦人が作った物。
(その後、修理等の手が加えられているかもしれない?)

自分は日本で餅つきなどした事が無いが、それがチェンライなどという日本から遠く離れた土地で毎年餅つきをしている(今は見るだけだけど)のは不思議な感じがする。


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餅つきの会の会場(ガウマシムの中庭)

作業をしているのは主に、山岳民族の学生さん達。
チェンライ県はタイでも少数民族の多い地域で、邦人でもそういう方達との交流が有る方が居る。


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餅の形を整える作業中



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きな粉餅、餡子餅

ここで食べるのはフリー。
持ち帰り用は300g、100バーツ。


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海苔、醤油、大根おろし



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大鍋で作った豚汁

餅とか豚汁って日本人に優しい食べ物だと思う。
どれも美味しかった。


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食べたり飲んだりしながら雑談中

今日の餅つきの会は10時開始だったが、自分はちょっとした理由で15分程遅れて来た。
その時点で殆どの参加者は席に着いて雑談中だったが、最初は「アレ、知らない人が多いな」と思った。
もっと知り合いが多いハズだが・・・?
何か年寄りばっかだな、とも思った。

で、声を掛けられたり、だんだん目が慣れて来ると、知ってる人が沢山居る事が見えて来た。
皆さん歳を取ったのだ。
まあ、自分もそう見られてるのだろ~けど。

暫く振りに合う方も今回は結構多くて、「4年振りです、4年間日本に帰ってました」と言われて、あ~なるほど・・・確かに感じが変わるはずだ・・・。
まあ、実際、ちょっと前に(日本から)チェンライに来たという人も何人か居て、それと、自分自身が最近チェンライで人と合う機会が減って居る、そういう意味で久し振りにお会いするという方も多かった。

こういう再開が出来るのも、日本人会があるお陰で、こういう機会が無ければ、チェンライでの知り合いがどんどん減って行ってしまう。
「遠くの親戚より近くの他人」ではないが「遠く日本の友人より近くの知り合い」みたいなのもある。
「遠く日本の友人」というのも大切にしないといけないが「近くの知り合い」も大事だと思う。
なので自分の様な外国暮らしでは「遠く日本の友人も近くの知り合いも(どちらも大切に)」に成る。


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2023年9月12日 (火)

目出度い話

2023/09/11(目出度い話)

今日は目出度い話。

1年半ほど前にこのブログにチェンライへの移住を考えてコメントを入れて来た方が居た。
その時はどの程度本気で考えているか分からなかったが、一応、チェンライの日本人社会の様子や情報収集先などを軽く案内して、自分は暫く忘れていた。

しかし、その方のその後の行動は素早かった。
チェンライに移って来て直ぐに家を借りて、車も買って、チェンライで暮らすインフラを整えた。
(この時点では、自分はコメントの事は忘れていて、何も関与してない)
タイ語の先生にタイ語を習い始めたり、友人も沢山作られた。
(その時に初めて以前コメントをくれた方である事を知った)

多趣味で、人当たりが良くて、「独身」の彼を世話好き(?)のチェンライ在住の邦人やその奥様方は放って置かない。
そういう話は沢山来たらしい。
家(うち)の奥さんも話を1つ持って来た。それはまあ最初から無理筋だとは思ったけど。

で、結局、来タイから1年余りでそういう話がまとまった。
明確に紹介されたというよりは、とある邦人の設定した食事会で隣り合わせの席に座った、と言うのが出会いだったらしい。
(もっとも、その設定をした方は、最初から明確な意図を持って食事会の設定をしたらしい)
それから約1ヶ月でとんとん拍子に話がすすみ、既に新居に転居済で、今日はそのお披露目の会。
この方、何をやるにも、兎に角行動が素早い。


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披露宴会場

今日は邦人とその奥様合わせて30人程が集まった。
(タイ人の奥様が8人ぐらいだったと思う)
(家(うち)の奥さんも出席)


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食事中、2023/09/11 12時頃

会場は「作」なので、蟹や刺身盛り合わせ、お弁当は串焼きや鯖、厚焼き玉子など和風なもの。


230912e
ケーキ入刀

仲が良さそうで💮


230912d
カラオケ中

途中からカラオケ。

今日のメンバーは新郎も参加のカラオケメンバーが多数居た。
皆さん、お互いをリスペクト(尊重する、大切に思う)出来る方達でいい宴会だった。


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2023年2月 2日 (木)

オリーブ鍋

2023/01/31(オリーブ鍋)

鍋パーティに呼ばれでやって来た。
参加者は10人程。

鍋パーティーは、家から6km程の日本人のお宅で行われた。
最初、1時間半ぐらい散歩を兼ねて歩いて行こうと思ったが、奥さんが送ってくれる、と言うので車でやって来た。
ついでに奥さんも途中まで参加(下の写真の赤い服)。


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宴会中

写真の正面(左側)と右側の面がオープンエアー(壁が無い)な建物。
木や花に囲まれてタイの自然と調和して、開放感の有るいい感じ。


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オリーブ鍋

今日はここで鍋パーティー。
15:40集合で自分達(自分と奥さん)が10分程遅れて来た時は既に始まって居た。

鍋は出汁を取った水ではなく、オリーブオイルが入っている鍋。
オリーブオイルは爽やかな感じで油っぽくは無い。


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鍋の具材

豆腐、きのこ類各種、茄子、鶏肉、葱、など。

タレは、ポン酢系、醤油、など。
奥さんは辛めのタイ系のタレを使っていた。

こういう開放的な環境でみんなと囲む鍋は野趣に富んでいて、それだけで一味違う感じがする。


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鍋の具材の餃子とルークチン

右上、餃子のタレ。
餃子のタレを付けた餃子も美味しかった。

具材にはタイらしくルークチンも有る。


ところで、ここのところ3日連続で宴会をやっている。
2日前はヘリテージホテルで朝食会。
昨日は「作」でカラオケ&飲み会。
今日はここで鍋パーティー。

イベントが続いた理由の1つは、コロナによるタイの入国規制が無くなって日本からの訪タイが容易に成った事もある。
今の季節、チェンライは丁度いい気候で、観光で来るには最適なシーズン。
(11月頃から1月末頃までが気候的にはいい季節だと思う)
(2月に成ると煙害が始まる)
タイ人や在住の長い邦人は「寒い寒い」と言う人も居るが、実は快適な気候で、寒い日本から比べればそれだけで(寒くないだけで)も来る価値がある。
なので、3年程前までは今の季節に成ると定期的に来ていた邦人の方が、今年はまた来る様に成った。

ヘリテージホテルの朝食会にもそういった方が2人、「作」の飲み会にも3人、今日の鍋パーティにも3人、参加されていた。
(重複参加の方も居るが、それぞれ違うメンバー)

チェンライでは日本人が多過ぎず少な過ぎずなので、邦人の旅行者が来ても、「来るもの拒まず」なところがある。
いつも同じメンバーで宴会をやるよりも、日本からの旅行者が居ると、新鮮な情報をもたらしてくれたり、逆に「教えたがり」の在住者も多いので、そういう人の欲求を満たす、というのも有る。

自分の場合はこのブログの読者さんで、よくチェンライに来られる方と知り合い(Yさん)に成って、その方は未だに旅行者の立場だけれども、もう完全に宴会メンバーの一員に成ってる方が数週間チェンライに滞在しているので、一緒に宴会という事に成った。

(Yさんは)どちらかと言うと「お客様」という立場(日本からの旅行者はみんなお客様です)ながら、今回の宴会の料理の下ごしらえとか、後片付けもやって頂いて、お世話になりっぱなしだった。
(今回はもう直ぐ帰国と言う事なので、次回以降、どこかで埋め合わせしますね)
(勿論、場所を提供してくれただけでなく、ワインとか鶏のから揚げとか、各種の天ぷらとかご馳走して下さった、オーナー夫妻にも感謝です)
(あと、どの宴会のときも、常任幹事長のKさんにも感謝です)
(飛び入り参加の奥さんを快く迎え入れてくれたメンバーの皆さんにも感謝です)


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鶏の唐揚げ



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オニオンリングや海老のから揚げ



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うどん

締めの一品として用意したらしいが、奥さんが「食べたい」というので、早めにうどんを具材として入れた。
腰の有るうどんで噛み応えも有って、オリーブ鍋の味も染みていて、うどんつゆも有って、美味しかった。


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宴会は夜まで続いた(19:30頃)

まあ、何かの縁で地球の片田舎のチェンライに集まった皆さん、それぞれ波乱万丈な人生を送られた方も居るようですが、今日は旨い物を食べて酒を飲んで(下戸の方は2人?)、親交を深めて、いい時間を過ごせました。

本日の会費は、ビールは別にして、1人200バーツ。
オーナー夫妻からも多大な提供を頂いたので十分過ぎる飲み食いが出来ました。

因みに、奥さんは15:50~16:50頃まで居て、帰る時に「19:00(ヌントム)に迎えに来てね」と言ったのだが、結局迎えに来たのは19:50頃だった。


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2022年12月17日 (土)

餅つき会

2022/12/17(餅つき会)

今日は日本人会の餅つき会。

前回自分が参加したのは2019年12月8日なので約3年振りの参加。
開始時刻の10時に少し遅れて10:15頃に会場に着いた時は、餅つきは始まって居た。

奥さんと2人で行った。
参加者は30人ぐらいかなと思っていたが、会場には既に50人ぐらい集まっていた。

爺さんばかりかと思っていたが結構女性の参加者も居た。
日本人会の会員の他に、そのご家族の方や関係者の方が結構来ていた。


221217a
餅つき中

折角なので餅つきの真似事をさせて貰った。
(写真用に3回程、搗いただけ)

こうして見ると「へっぴり腰」。


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搗き上がったお餅



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お餅を切る



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持ち帰り用のお餅と皿に置いたお餅



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餡子やきな粉を付けたお餅

好みによって、餡子やきな粉をつけて、或いは、大根おろしや醤油をつけて。
皆さん自由にお召し上がり。

自分は餡子のお餅、美味しかったです。
(血糖値がちょっと心配だけど、こういう時はいいという事で)
奥さんは(タイ人なのに)何故か醤油が美味しかったと。


日本でもそうそうやる機会のない餅つきが、日本から遥か離れたこんな地球の片隅で出来たというのは凄い事だと思う。
臼を作って、チェンライで餅つき会をやるという伝統を作った日本人会の先輩の方々や、今日の餅つき会の段取りをした役員の方々、会場を貸して頂いたり、詳細の準備をして下さった方々に感謝したい。


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餅つき会の会場

日本人会の役員のとある施設をお借りして。
3年前の餅つき会も此処だった。


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雑談中

アカ族の女の子達が歌を唄ってくれている。


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アカ族の女の子(もしかしたら、他の山岳少数民族の子も居たかも)

顔は殆ど日本人。
それなりの服装をして原宿辺りを歩いていても見分けは付かないと思う。

日本語の歌も唄ってくれた。


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自分のちょっとした知り合いの方

何故か彼女の周りには食べ物が集まる。
沢山の物に囲まれているのが好きな方なので、気を使って、周りに食べ物を並べた。


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本日のお弁当

100バーツ。
鯖が美味しかった。


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カラオケも始まった


今日はなかなか盛会だった。

自分が日本人会の催しに参加したのは久し振り。
暫くコロナの関係で日本人会の催し自体が少なかったし、催しが有っても帰国していて出られなかったり。
長期に帰国していて、最近チェンライに戻ったという方も数人居た。
コロナの影響が自分以上に大きかった人も居たらしい。
2~3年帰国して居て、もう戻って来ないのかな、と思っていた人も来ていた。

なので、今日は久し振りにお会いする方も多く居て有意義だった。
会員の方は殆ど見知った方。
逆に言うと、初めてお会いする方は極少数。
それだけ、日本人会のメンバーは変わってない、増えてない、と言う事で、これはちょっと寂しい気もする。

10年前に知り合った方が、そのままお互いに10歳年を取った、という感じ。
でもまあ、その状況を変えるのは難しいし、新しい方も少しは居るので、日本人同士親睦を深める事が出来たのは良かったと思う。

中には自立して同胞との付き合いが無くても、タイ人の中で1人で生きて行ける、という方も居るとは思うし、そういう方は偉いのかもしれないが、一般的には「孤立は良くない」、「日本人との交流も少しは有った方が良い」、と自分は思っている。


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2022年8月25日 (木)

旧知の方達との飲み会

2022/08/24(旧知の方達との飲み会)

3年程前まで水曜日に集まる飲み会をやっていた。
それが、色々な事情でやらなくなったが、今日は久し振りの水曜会となった。


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水曜会の飲み会中

メンバーは65歳~86歳までの11人。
71歳の自分はこのメンバーでは若い方から4番目。
(60台2人、70台7人、80台2人、だったと思う)

これだけの人数が集まったのはコロナの規制が緩和されたのが大きい。
日本に帰国したはいいが、タイに戻り難く成って長期に日本に滞在していた方も居るし、観光(?)で一時的にタイに来た人も参加者には数名居た。
兎に角、今日のメンバーを見るとコロナの規制が緩和されなければ参加してない方が多数居た。
もし2年程前の厳しい入国規制、タイランドパスの取得や15日間の隔離が必要だった時代が続いて居たら、今、此処には居なかった人が多数居たと思う。

チェンライにずっと居る方には時たまお会いしているが、日本やチェンマイに居る期間が長い方には久し振りにお会いした方、それこそ3年程前の水曜会以来の方も居た。
まあ、こういう会に出て来る方は高齢の割には元気な方達で、皆さん「健康寿命」の範囲内の方。

話は、年金等の手続きの話や、イミグレ関係の手続きの話、日本円をどうやってタイバーツにするかの話、日本やタイの健康保険の話、健康診断の話、コロナ関係の話(知り合いがコロナに罹ったとか)、コロナの規制解除の話、今の住まいの環境の話、タイ人の奥様の話、など、割と実用的な話が多かった。
皆さん、抱えている問題点が似ている。

こういう機会に皆さんのタイでの生活上の問題点や対処方法を聞いておく事は無駄には成らない。
孤立していては、そういう情報は集まって来ない。

それに人と話す、特に属性の似ている日本人(タイ人の嫁さんが居たり、色んな手続きに悩んだり)と話すのは立ち位置の確認やストレスの解消に成る。

という事で有意義な飲み会であった。

海外で暮らす者にとって、こういう機会は少なくとも月に1回、出来れば数回は持った方が良い。


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2020年2月19日 (水)

回遊

2020/02/18(回遊)

暇な時は結構暇なのだけど、何かする事が重なる時は重なる。

昨日はカラオケで、今日は料理教室。
朝起きる時、ちょっと辛かった。久しぶりにサラリーマン時代に戻った気分。

家を朝9時頃出て、3時頃まで料理教室。
料理教室をやりながら、何かもう一つ用事があった様な気がしたが、何だか分からなかった。

家に戻ったら、こんなメールが来ていた。


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送別会のお知らせメール

そうだ、今日は送別会も有ったのだ。

ちょっと疲れ気味だったけど、「送別会」、じゃ出ない分けには行かない。
(本当はただ単にこういう宴会みたいな集まりが好きなだけですが)


F2_20200218232101
送別会(飲み会)中

少し遅れて行ったら他のメンバー(8人)は既に集まっていた。殆ど6日前(2月12日)に送別会をやったのと同じメンバー。

前回の送別会は本帰国の方の送別会だったが、今回帰国する方は季節的にチェンライに来ている方で、寒く成ったら(11月か12月頃)多分また戻って来る。

今回は直接日本には帰国せずに、台湾で遊んで(?)から帰国するらしい。

こういう、羨ましい方もチェンライには来る。

で、ブログのタイトルは「回遊」、としたけれど、季節的な移動だから「回遊」、と言うよりは「渡り」、と言う方が適切かも知れない。

因みに、今日のメンバーには、もう一人「渡り」、の方が居た。

更に、自分ともう一人は3月に日本に一時帰国する予定。更にもう一人は4月に一時帰国する予定で、他にも2人ぐらい近い内に一時帰国する人が居るかも知れない。

今日のメンバーは結構、日本とタイを行ったり来たりしている様だ。

逆に、自分の知り合いで、このブログの読者さんで4月に来る予定の方も居る。
この方、Yさんは、季節性は無くて年に4回ぐらいチェンライに来る。

こういうのは何と言えばよいか・・・「通い」かな?・・・。

チェンライのいい所は「来る人拒まず」、みたいな所が有って「渡り」、の方も「通い」、の方も、チェンライの仲間に成れる事。

日本からの適度な距離感と、多過ぎず少な過ぎない適度な日本人密度と、ここに暮らす日本人のフレンドリーな姿勢が、そういう環境を作っている。

ここに暮らす日本人のフレンドリーな姿勢は、多分、タイ人のフレンドリーな姿勢に引かれて集まって来た人が多いとか、仕事をリタイアして生活に余裕の有る人が多いとか、色々な要因が考えられる。

他の国や地域は知らないが、欧米で暮らす日本人と東南アジアで暮らす日本人では、同じ外国暮らしでも少し違う気がする。
自分は、欧米で暮らす日本人って、何か「すかしてる」人が多い様な気がする・・・本当のところは知らないが。

まあ、そんな分けで、4月に見えられるYさん、ひょっとしたら今回は、こちらのメンバーはごっそり日本に帰国中かも知れないです。


補記。

今話題の「新型肺炎」、の感染の広がりによっては、今後の日・タイの往復に問題が生じるかも知れない。

自分の知り合いの1人は日本への一時帰国を見送ろうとしたが、既に買っていた航空券の払い戻しの条件が悪くて、予定通り帰国する事にした、という方も居た。

逆に、タイが日本人の受け入れを拒否して、日本に帰国したら(暫くは)タイに戻って来れない事もあるかも知れないし、日・タイの飛行機が飛ばない可能性も有る。

なので、3月の自分の帰国と、4月の妻子の日本行きと、3人での5月の戻り、が予定通りに出来るか予断を許さない。
そういう意味でも、今、「新型肺炎」の行方は非常に気に成る。



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2020年2月13日 (木)

送別会

2020/02/12(送別会)

飲み仲間の1人が日本に帰国するらしい。
一時帰国ではなく、本帰国。

季節的に、チェンライの涼しい季節がそろそろ終わるので、次の寒季まで日本に帰国する、という方はポツポツと居るが、本帰国される方は珍しい。

本帰国の理由として多いのは、健康上の理由、が多い様だが、今回の場合はちょっと違うらしい。
(尤も、チェンライのPM2.5の様な空気の悪さも一つの理由かも知れない)

バンコクやチェンマイなら、会社の関係で日本に戻る、というのも有るだろうけど、チェンライでは少ない。
飲食店などの商売をされていた方が、行き詰って帰国・撤退、というのは偶にある。
だけど、チェンライから出て行くと言っても、タイ国内の違う場所に移る方は多いが、日本に移る方は少ない。

兎に角、チェンライに暮らして居る方が本帰国されるのは、自分の知っている範囲では少ない。

そういう事で今日は送別会。
とは、言っても、始まってしまえば、後は普通の飲み会と変わらない。ただ、送別会という名目が有るので、日頃参加されない方も出席されて、やや多めの10人での飲み会に成った。


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飲み会中

場所はガウマシムの2階。


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酒のつまみ

ガウマシムなので、餃子は当然。他に、トンカツ、ハンバーグ、巻き寿司。
どれも、腹に貯まる物。

飲み物はビール。8人はビヤシン、1人はビヤチャーン、1人はコーラ。あと、麦焼酎が1ℓぐらい。

つまみ類は、事前に幹事さんが注文しておいてくれた。

ビールは、勝手に冷蔵庫から出していた。
ここのご主人は日本の方で、馴染みの客も今日のメンバーには居るらしく、そういう方が「勝手知ったる他人のお店」、みたいな感じでセルフサービスしていた。
(「作」だと、注文したチューハイを中に入って自分で作る事は良くあるが、此処ではセルフサービスはまだした事がない)


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雑談中

このぐらいの人数(10人)で縦長のテーブルだと、雑談のグループは左右2つのグループに分かれるみたいだ。
ただし、席を変わる方も居るので、全く2つのグループに分かれる事はない。

12時から始まった飲み会は3時過ぎに終わった。
タクシーを呼んで帰る方や、奥様が迎えに来る方も居る。
自分は、奥さんが3時半に迎えに来た。


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本日のビール

空に成ったビール瓶を並べた方が居たので、写真に撮った。
全部で16本。この後、もう1本開けたので合計17本のビールを飲んだ。他に約1ℓの麦焼酎。
飲んだのは9人(1人はコーラ)なので、1人大体2本飲んだ計算。丁度いい量(?)。

食べ物は、腹に貯まる物が多かったので、自分はお腹いっぱいに成った。


ここで、最初の本帰国の話に戻って。

本帰国されても、この土地からの縁が完全に切れる分けではないので、将来、また、こののんびりとした世界に戻って来るというのも1つの選択肢には成るという事を頭の片隅に入れておいてくれたら・・・。



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