悲惨な話3
2023/10/03(悲惨な話3)
悲惨な話1、2、と続いて、今回はその3。
悲惨な話1は思った以上の反響が有った。
このブログを読まれている皆さんや自分の友人・知人にも、「突然の病気」というのは他人事では無い、という思いを持たれた方も大勢居られたらしい。
悲惨な話1をブログに載せて以降、励ましのお電話やメール、ブログにコメントを多数頂いたり、情報の行き違いで退院した後にお見舞いに来て下さった方も数名いたらしいです。
この場で、皆さんのお気遣いに感謝いたします。
「1人じゃない」「周囲に心配してくれる方達が居る」というのは、「まだ大丈夫」「また復活できる」という安心感をもたらし、たいへん元気付けられました。
という事で、ここから本題「悲惨な話3」。
と言っても、今回は前2話の補足みたいなもので、それ程悲惨でもない話です。
入院1日目、早朝からドタバタ(?)と手術をされて、その後、CCUで寝かされていた時の話。
手術直後といっても、別に何処かが痛い分けじゃ無い。
ベットに張り付いて寝かされて殆ど動けないのが辛いのと、大きいのとか小さいのの生理的問題が心配な事以外は頭もハッキリしているし、どこか気分が悪い分けでも無い。
なので「暇」な分けです。
10時間もこの固定された状態で暇な時間を過ごさなければならないのは辛いな~。
幸い、両腕は多少不自由は有るが使える。
なのでスマホを使おうと思えば使える。
という事で、日本の株式市場の確認などをしていた。
当面の目標でソフトバンクが1777円に成ったら売ろうと思っていたのだが、見て居ると売れそうな感じに成っている。
今日は(27日は)9月の配当権利付き最終日で明日に成れば権利落ちで多きく値下がりしてしまう。おそらく配当落ち以上に値下がりしてしまうので、売るチャンスは今しかない。そう思った。
しかし、見る事は出来るが、売買はパソコンからしか出来ない様に(今は)成っている。
今ここに(ベッドの横に)パソコンを持って来て操作するのは流石に無理がある。
娘が居れば口頭で指示する事は出来ると思うが、奥さんには無理。
歯がゆいが今は諦めるしかない。
結果、今日の(27日の)高値で1778円を2度付けたので、もし心筋梗塞に罹っていなければ1777円は確実に売れた。
28日以降のソフトバンクの株価は配当権利落ちの1734円を超えてない。
(1777円から配当権利落ち分43円を引くと1734円に成る。なので配当権利落ち前の1777円は配当権利落ち後の1734円とほぼ同等)
(配当権利落ち後の最高値は28日の1727.5円。今日(10月2日)の引け値は1679円)
なので、病気のお陰でちょっと儲けそこなった←←←て大した問題じゃないか・・・。
でも、計画通りに出来なかったのはちょっと残念。
奥さんは暫く付き添ってベットの横の椅子に座っていたが、他に用事も有る様なので、一旦帰った。
で夕方頃、パーン郡からお義母さんを連れてやって来た。
・・・何で「わざわざ」お義母さんを連れて来るの・・・?
・・・お義母さんが来てもな~・・・
・・・余計に気を使わなければならないし・・・
ちょうどその時、生理的問題が有って、まさかお義母さんの前で○○する分けにもいかないし・・・。
そんな事を考えて居たら、お義母さん何を勘違いしたか、自分に向かって手を合わせて何らやお経(?)を唱え始めた。
オイオイ、まだ死んで無いし、お経は無いだろ~!
それに、お義母さんはクリスチャンのはずだ、クリスチャンのお経か・・・?。
まあ、アーメンとかされなくて良かったけど・・・。
ここで奥さんを怒らすと面倒なので、丁寧に対応してお義母さんを連れて帰って貰った。
(日本語→タイ語翻訳で「お見舞いありがとう」「でも早くお義母さんを連れて帰ってね」と依頼)
(タイ人との付き合いは病気の時でも気が抜けない)
本心としては、「旦那が病気で苦しんで居るのだから(実際はそんなでも無いけど)、1人で来て何か手伝うとか(手伝って貰う事もそれ程ないけど)、会話をするとか」そういう対応をして欲しかった。
まあ、タイ人って昔から思っているのだけど、「病院好き」な人達だと思う。
物見遊山で来られてもな~・・・。
(偏見か!?)
起き上がってはいけない、という拘束は21:00頃解除された。
少し動けるように成ったので、娘にちょっとした連絡をした。
娘とのLINE、途中から
9月27日、21:00頃~
娘とのLINE、以下略
スマホが有れば、病気で寝ていてもチェンマイに居る娘とLINEで情報交換が出来たり、タイ語が分からなくてもタイ人に意志が伝えられたり、自分の病気の内容をネットで調べたり、暇潰しに日本の株式市場やニュースを見たり、奥さんに持って来て欲しい物を連絡したり、色々な事が出来る。
やらなかったけど、ユーチューブで音楽を聴く事も出来る。
また、医師が「心筋梗塞」と病名を伝えて来たのもスマホの言語変換を利用したものだと思う。
翌日(28日)、依然としてCCUのベットに居たが、起き上がっても良く成ったので、パソコンを使い始めた。
しかし、相変わらず、点滴の針が腕に刺さっていて、血圧計の布も巻いて有って、指先にも何かの検査機器が付けられて、体中にコードが巻き付いていて、非常に動き辛い事にはかわりが無かった。
左手に点滴の針
右腕に血圧計の布
何だか良く分からないが、体に巻き付けられた配線(?)
これでがんじがらめ。
もういい加減にしてくれ~、て感じで、奥さんに交渉して貰って13:00頃に個室に移して貰った。
(本当は循環器系の患者はCCUに居るべきものなのかもしれない)
個室に移っても、まだ点滴の針は取れなかったが、血圧計とかコード類は無くなったので自由度が増したし、個室なのでプライバシーも守れるように成った。
トイレもCCUの時はベッドの横に置かれた簡易トイレだったが、個室には普通にトイレが有って、それが嬉しかった。
(CCUで簡易トイレが使える様に成ったのは、拘束から解放されたきのう(27日)の21:00以降だが、ナース室から丸見えだし、いい感じはしなかった)
個室ではパソコンでブログを書いたり(「悲惨な話1」を書き終えたのが16:00頃)、株式市場の様子を見たり、「心筋梗塞」の事をネットで調べたり、奥さんと雑談したりして過ごした。
個室に移って、一応、普通の人間らしい生活になった。
もうここまで来れば単なる休養みたいなもので、後は医者の許可さえ下りればいつでも退院できる気分。
タイ料理の病院食は美味くないので、奥さんにピザを買って来て貰って食べたら、後からそれがバレて病院食以外は食べない様に厳重注意された。
病院食の例1、入院2日目(28日)の昼食
此処はまだCCU。
病院食の例2、入院2日目(28日)の夕食
個室に移ってからの夕食。
この頃に成ると、慣れて来たせいか、お腹が空いて来たせいか、少し、美味しいと感じる様に成った。
(CCUと個室ではメニューが違うのかもしれない)
(CCUではフルーツは出なかった)
個室にて食事中
やっと自由を手に入れたという開放感。
結局、退院は入院から3日目、個室に移った次の日の11:20に成ったのでした。
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